呆れた議員達の行状

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風力発電と蠢く町政(61)

      風力発電問題一般質問こもごも

 

6月17日に大藤風力風力発電計画について一般質問があった。質問者は村井真菜議員である。傍聴した知人夫婦より情報提供を受けた。

村井議員:風車による健康被害が出れば(低周波音被害という言葉は使わなかった)町が補償するのか。

山本企画課長:補償しない、オリックス社に申し入れて欲しい。

この触り部分だけ聞いた。これは一体何だろう。この質疑に傍聴席10席が満席であったという。この質疑は意味があるのかとしばし考えた。答弁者山本企画課町の従来の認識以下である。

オリックス社は開発業者である。開発業者のすることに行政は口出しできない―山本課

オリックス社が方法書を公表してくれるなと言っている。公表できるものはない―山本課長

大正の説明会には行ったが、大正の地区住民限定説明会には行っていない―中井四万十川対策室長

大正での2度目の説明会では、地区住民限定で説明会を開催したのは、集会所が狭いかららだとオリックス社が言っている。-町政懇談会で山本課長

昨年度の大正、十和の説明会(環境アセスメント法により開催が義務付けられている)で低周波音の健康被害について、村井議員と同様の質問に対するオリックス社回答:低周波音による健康被害については医学的因果関係が立証されたら補償する。」ではなかったのか。

今日6月18日議会最終日、開会前に村井真菜議を直撃した。経済産業環境審査顧問会風力部会にオリックス社が提出した、騒音と低周波音の調査地点地図によれば、調査地点全10か所は全て1k㎡圏内の住居であり、最短距離は500メートルであったからであり、この前、YouTubeで放映された「四万十ふるさとの自然を守る会」のオンラインシンポジューム中の村井真菜議員の発言「最も近い住居が瀬里にある2㎞です。」は事実と異なっていることを指摘し、訂正する意志の有無を本人に確認したのである。ところが村井真菜議員の反応は、全く真剣味に欠けた実にえへらえへらしたものであった。

村井議員:オンラインシンポジューム中の発言は覚えていない。確認します。済みません。

村井議員:訂正する。次回は7月にシンポジュームの予定があります。その時に訂正します。

西原:訂正する距離の根拠をどう説明するのか。人から言われたから訂正するのか。

村井議員:ムニャ、ムニャ(全く頭に入っていない)済みません。

「四万十ふるさとの自然を守る会」今後の活動費用に充てる寄付を募っている。シンポジューム参加者中現職議員は村井真菜議員だけである。村井真菜議員と岩井優の介議員は「オリックス社による(仮称)大藤風力発電事業計画の中止とオリックス社に町有地を貸さない」請願の紹介議員である。請願が付託された総務常任委員会の委員長には、この「経済産業環境審査顧問会風力部会にオリックス社が提出した、騒音と低周波音の調査地点地図」は既に渡している。けれども村井真菜議員も岩井優の介議員もこれを全く精査せず、文書の出所さえ知らない。これでは質疑に迫力がないのは当然である。行政同様「やる気があるのか」である。当の総務常任委員会でも、「立地予定地祖面積は、70haで、内訳は、四万十町12ha、四万十市33ha、民有地24haで、町有地は、17.4%にしか過ぎない。従って町が反対しても市側にずらせば、風力発電設備は建設可能である。反対によって四万十町が経済的恩恵も取り逃すことになるので得策ではない。」というのが全体の論調となっている。

          と・こ・ろ・が

私が別途、高知県環境共生課に方法書に記載された事業実施総面積を問えば、「事業実施面積は、1470haと方法書には記載されている。」と答えた。四万十町本会義議事録には、山本企画課課長答弁として、「町が令和元年11月にオリックス社に提出した町有地貸借証明書に記載している町有地の総面積は21、3haである。」が残されている。四万十市農林水産課林地開発担当者は、貸借証明書上の四万十市有地総面積は683haと明言した。残りは民有地であるから756haと試算できる。この面積と前述の総務常任委員会での総面積70haの落差が何を意味するか、熟考の余地がありそうである。事業実施総面でさえ、様々な情報が飛び交っている。こんなことが正常な状態と言えるのだろうか。現に風力発電が設置されている自治体の様子はどうだろう。総務常任委員会視察報告を二つ紹介する。本来このような報告はとっくに町民の元に届いてなくてはならないはずである。それが全くできていない議会である。だから議場で有効な質問を繰り出せない。

1.令和元年10月、愛媛県愛南町僧都風力発電視察

この視察には、村井真菜議員がオブザーバーとして現地参加、この時に村井真菜議員によって委員会に紹介されたのが、四国風車ネット代表の黒田氏と元愛南町町議、元々愛南町建設課課長という経歴を持ち風直下500mの所に住むK氏である。以下は、K氏談である。

 愛南町風力発電の事業者は民有地賃貸料を20年間分一括で支払った。

 地元限定事業者協力金が2年間で155万円、年間15万円(集落人口150人)

※ 発電所上流は土砂による汚濁が危惧される。

※ 風車のストロボ現象が気になる。農業をやめた人もいる。低周波音については風 車との因果関係の立証が困難(発電所設置に積極的に協力する)である。

2.令和2年1月、高知県大月町洞ケ山風力発電視察

大月町の場合は、まずもって再生可能エネルギーの導入と地元観光振興の一挙両得を目論んで町が積極的に誘致したという経緯がある。事業者のGIPと大月町は、まず町が風力発電事業計画に全面的に協力するという「確認書}を交わしている。町と事業者が協同で町民からの苦情対応を行うという「協定書」も交わしている。更に地元対策として、地区住組織、事業者、町の三者間には土砂災害対応や地元協力金に関する「覚書」も交わされている。一般的な公害苦情相談窓口は、大月町の場合、生活環境課であるが、風力に関する公害苦情処理窓口は誘致に関わったまちづくり推進課である。現在行われている具体的な騒音や低周波音の苦情処理の手法としては苦情が出ればGIPが日本気象協に委託して騒音や低周波の測定を実施し結果を町に報告するというもの。つまり苦情対応調査の主導権は事業者側にあるという事であり、積極的に事業所を誘致した行政側の担当課に苦情処理窓口が設置されているという事は、事業者と行政が苦情処理に対して同じ側に立っているという事である。以上の視察報告は、風力発電事業計画を考える上で非常に参考になる。なぜ町民代表の議会がこの視察報告を速く議会HPに掲載しないか納得が行かない。これは怠慢を超えて犯罪的である。この視察報告内容が速やかに町民に届けば、怠慢で不勉強な議員たちの頭ごなしに、昨年の大正地区における地区住民限定説明の席でも愛南町のように、「林道整備や地区への協力金の甘言が出ているだろう。」とか、「756haを所有する地権者へも20年間一括払いの土地賃貸料の支払いが個別訪問時に約束されているかもしれない。」と容易に推測できることになる。つまり風力発電事業者が地元の反対を遮るために通常どのように振舞うのかが学習できるのである。高齢化、収入源のなさ、人口減少から来る将来への不安感プラス情報過疎(風車について何も知らない)は、開発事業者に取っての「手玉」に取る「手玉」その物であろう。そのような状況下で、総務常任委員会は、「オリックス社に来てもらって再度大々的に住民説明会をしてもらって、町が受ける経済的恩恵を町民に広く理解してもらおう。」などと寝ぼけたことを言っている。そして請願紹介議員である村井真菜議員と山本企画課町は議会本会議で、冒頭のような寝ぼけた質疑応答で、寝ぼけた傍聴者を沸かしているのである。風力発電事業を含むエネルギー政策は全て経済産資源エネルギー庁の所管である。同じく経済産業省傘下の中小企業庁を通じてコロナ禍における零細事業者向けの持続化給付金の事務委託手数料を巡って、「サービスデザイン推進協議会」への多額の委託料が物議をかもしている。この「サービスデザイン推進協議会」へは、竹中平蔵氏率いるパソナから、電通を抜いて最も多くの職員が出向していると報道されている。この竹中氏を社外取締役に据えているオリックス社は、関西空港静岡県浜松氏の下水道事業をコンセッション方式(設備は公設公有で運営権を民間委託)で受託している外資系企業に出資している。規制改革会議の民間議員と企業人の二面性を持つ竹中平蔵氏は、アメリカ仕込みの強欲資本主義の申し子のような人物である。アメリ連邦議会へのロビーイングを行うグローバル企業の重役がアメリカ政権中枢の役職に就任するのは珍しくない。これは一般的に回転ドアと呼ばれている。竹中氏は、一ツ橋大学出身の経済学者で開発銀行研究員を皮切りにアメリカ仕込みの回転ドアが齎す利権を総なめにしてきた人物である。竹中氏だけが問題なのではない。比類のない如才のなさと強欲さを併せ持つこの人物を政治任用してきた歴代首相が背後にいるし、現に竹中氏は驀進速度を緩めていない。規制改革が経済成長に繋がったかどうかは別にして、竹中平蔵氏にオリックス社が何を期待しているかは誰の目にも明らかではないだろうか。強欲とは常に奪うものの分量が、与えるものの分量より多いところに存在する資質である。竹中氏やオリックス社の強欲さの前には、2年がかりで月給205000円を25万円に上げることに苦心惨憺した四万十町議会議員達やそれによって議会対策(円滑な議会運営)を期待している中尾博憲町長が太刀打ちできる訳もないのだ。何といっても、町のトップや議員が寝ぼけているのである。肝心な地図(風車から人家までの距離が記されたもの)を見たこともなければ、環境審査顧問会の議事録さえ読まないのである。それでいて「調査結果が出たら、自分が学識経験者を選任し、町独自の調査を実施する。」と町長室で私に臆面もなく言ってのけた中尾町長、経済産業省電気保安課によれば「オリックス社は既に調査に入っている(風況、生物、騒音、低周波)1年ぐらいかける予定らしい。次の準備書に調査結果が記載されるのが一般的である。事業者によって結果の数値の精度はかなりのばらつきがある。評価書が最終版である。電気事業法によって評価書には大臣(経済産業大臣)が変更命令を発動できる。」との事である。中尾町長、調査結果が読めなければ煙に巻かれておしまいになるだけですよ。なんせ相手はあなたより遥かに如才なく、強欲で、かつ学識の調達に財力をはたける力があるのですから。読まない人は読めない。これは鉄則として村井真菜議員にも言いたいことではあるが、やめて置く。なんせ彼女は私に予算書の読み方を教えてくれと電話をかけて来たことがあるが、本気ではない、単なる迎合である。その意味では中尾町長に性格が酷似している。対面した相手の機嫌取りだけには余念がない。つまり、へらへらしているのである。議員報酬を上げて若者登用を喧伝した中尾町長、餌を変えても釣れた魚は結局釣り糸を垂れた人間に似通っていたという事ではないでしょうか。まるでイソップ童話みたいで面白いですね。議員報酬と言えば、昨日高知県庁の県政記者会見室で記者会見が行われた。会見したのは、提訴人の山本たけし氏と訴訟代理人の谷脇和仁弁護士の二人であったが、谷脇弁護士によれば、何と10社が来たという。その内数社は、四万十町関係者にも取材したと言っていたらしい。さんさんテレビで昨日報道されたとも聞く。地元ケーブルテレビも町の公共放送の担い手として、提訴側と応訴側の両者を取材して報道したらいいのにと思う。それこそ、この町の学童たちへの生きた主権者教育になるのではないか、何人も裁判を起こす権利があるということを通じて、特に今回は住民訴訟であるので、法律が人間の権利、義務関係を扱う社会的規範であるという事や、議会や町が本来こうあるべきであるという考え方を法は体現し制度化されているということを学習し、社会の構成員として、現況の町や議会のあり方に異議を唱えることで、それを変えていくことも出来るという事、つまり行政訴訟とは選挙以外の参画の手法であるということが伝わるのではないかという希望的観測が、私の中にはあるからであるが、肝心の四万十公職員が、常勤専務理事の森雅順氏を含めそのような事柄をどこまで意識、認識しているのかは、正直覚束ないのである。彼らは無論成人なのではあるが。

西原真衣

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(60)

        議事録を取らない

 今朝、メールソフトを開くと、Change.orgから、「森友学園の問題で公文書改竄を指示した疑義を持たれている元佐川宣寿理財局長の国会召喚を実現して下さい」署名の経過報告が送られてきていた。何でも野党の森友問題合同再調査チーム座長の川内博史衆院議員に託す形で衆参両院議長に提出するとの事で、提出後の院内集会参加の申し込みフォームも添えられていた。公文書の在りかとは、行政の説明責任の在りかその物である。議事録もしかり。ここ、四万十町に置いては、オリックス社の大藤風力発電事業計画の中止を求める請願が付託された四万十町議会総務常任委員会の請願審査も大詰めを迎えていた。令和元年9月定例会でこの委員会に付託されて以降ずっと継続審査で、結論が出ていない。というより結論を出せないのだ。古谷委員長は長々と経過報告に40分をかけた。個人的に取りまとめたものを読み上げる事40分である。その間、全委員が黙してじっと聞いている。その表情から、水間淳一委員と下元昇委員がめているのではないかと表情を伺ってみたが、判別が困難だった。実にかったるい委員会である。寝ているのか起きているさえ分からな沈滞モードである。本当の所帰りたくなってきたが、そこはじっと我慢してメモを走らせた。40分後に休憩の指示が出た。そこで、

西原:風力発電事業計画の請願審査の推移を関心をもって見守っている側からすれば、いかにも委員会報告書が議会HP上で見れるタイミングが遅い。何とかならないか。

注、ここで報告された内容が委員会報告書という形で議会HPにアップされたのは、5月末である。それもやっと3月分までだ。遅すぎる、関心を持つ住民側が経過を把握できない。

古谷委員長:3月毎に挙げていると聞いている。本会議議事録が先という優先順位がある。

西原:優先順位の問題ではない。3月後では動向把握に支障がある。住民側には議会HPしか情報源がない。議会HPの掲載状況を問題視しないのか

古谷委員長:自分は見る必要が無い。自分は分かってる。

上記発言は要注意である。これは解説すれば、「自分は議員であり、従って主権を行使している側であり、行使の有様をわざわざ議会HPで確認する必要はない。」という意味であろう。つまり、住民代表でありながら、住民側の視点を議員としての視点の中に包含する必要性はないと言っている。住民代表として住民側と情報を可能な限りリアルタイムで共有することで住民の知る権利と参画を保障し、かつ代議制民主主義における議員とししての代表性を担保するべきである、つまり「住民主権という民主主義の根幹をなす理念がこの人物の中に欠落している。」という事である。このレベルの代議制民主主義の理解のレベルなのである。この辺からこの人物の「議会組織論」も出てくるのだろう。農協に置ける意思決定が稟議制であり、基本的に全会一致であり、議論というより妥協点を探ることに終始してきた農協文化をそのまま、議会に躊躇なく持ち込んでいる。その結果、委員会が議論の場ではなく単なる座談会(個々の意見の開陳の場)となり、開陳された意見の列挙、再確認が委員会の実質となっている。さらに、堀本伸一委員が「いつまでも結論を引っ張れない。」発言に続いて休憩を申し出た際に、阿吽の呼吸で古谷委員長が、「休憩を取るので、いつ頃までに結論を出すのかも含め、自由に発言して欲しい。」と発言し休憩となった。休憩とは議事録に残さないという意味である。傍聴者の面前で臆面もなくこれが言えるところがすごい。つまり議事録とは、彼らにとって、表に出すことに差し障りのない形に予め意図的に修正された開陳意見の集約でしかないということである。結論を出す時期や自由な意見、つまり本音の部分は、まかり間違っても議事録に残さない。これでは真の意思形成過程が議事録に残らない、このことに彼らは自責の念が全く無い。これでは、四万十町通信新年号に載った下元昇議長挨拶、「複合文化施設建設と大藤風力発電事業計画は、町民と情報を共有しつつ議会内部でも検討、熟議を重ね、将来に禍根を残さないようにしたい。」は完璧な虚偽である。やはり議員報酬は上げるべきではなかった。上げる意味がない。開陳された個々の意見を相互確認しつつ、委員会としての妥結点という全会一致への道筋しか、この議員先生たちの頭の中にはないのである。委員会としての妥結点の形成過程に討議はないので、論点が明らかになる事もなく、従って世論形成に貢献することもない。だから議員報酬を挙げて議員定数削減に伴う職責の増大などという方便を用意したところで無効である。これまでの総務常任委員会請願審査に係る委員会報告書の内容を要点整理すれば(四万町議会HP左側にある各種委員会報告書のタブをクリッすれば出てくる)

1、風力発電再生可能エネルギーであり、再生可能エネルギーの普及が国策であり国策は是とすべきである。

2.騒音や低周波音による公害には、行政が苦情相談窓口を設置して対応可能である。超低周波音への苦情対応は国の基準値に基づくしかない。町が風力発電を観光振興目的で誘致した大月町では行政が苦情を事業者に取りつぐことで苦情に対応できている。

注釈:今後の陳情、請願の取扱いについて目下委員会単位で協議中の事項に、陳情請願の採択基準というのがある。国策に係る陳情請願は権限外を理由に不採択という基準を設定しようという動きがある。この動向は、2の意見とどのように関連するのか、国策(国の基準)によって町民の健康被害に受容を強いることは、国策の容認なのか。権限外は即ち容認か。それであれば自治法に規定された「議会に付与された権能としての公式に国に意見を述べる権利」は陳情請願の取り扱いについては無効化されるのか。

3.立地予定地全70haの内訳は、四万十町12、四万十市33、民有地24である(全部で100にならない?意味不明発言)四万十町が反対しても四万十市側に立地をずらせるので無意味であり、建設に反対すれば、経済的恩恵も同時に取り逃がすことになる。むしろ町にとってのメリットを町民に理解してもらうには、町と議会が共催で、オリックス社による説明会の開催を要請するのが望ましい。

以上は、まるで行政側の言い分であり、行政側のスタンスと完全に合致しているのであり、彼らは、議会が、行政の監視機関であることを完璧に忘れ去っている。身体機能の不全化要因の一つに廃用症候群(使わないことによって使えなくなる。例として歩かないことによって歩けなくなる。)というのがあるが、長年行政情報のおこぼれに預かって(自ら情報を取ることを怠り)議員をやってきたが故の廃用症候群による機能不全が委員会審査の場でその徴候が顕著である。これは、議会の機能不全で済まされる問題ではない。町全体にとっての危機的状況である。風力発電設備による健康被害を憂慮する住民4人が、下元昇議長に対して特別調査委員会或いは少なくとも公聴会開催を要請したことも経過報告の中で言及されてはいたが、その申し出はいつの間にか総務常任委員会の中で虚偽を厭わない下元昇議長に誘導されつつ完璧に換骨奪胎されて、議会が設置する特別調査委員会→総務常任委員会が開催する公聴会→町と議会が共催するオリックス社説明会へと変容を遂げたのである。ここで念のために基本的なことを整理する。

(A)議会が設置する特別調査委員会

質疑者は議会議員、喚問され質問を受け答えるのはオリックス社、地元利害関係者、学識経験者、傍聴は一般町民

(B)総務常任委員会が開催する公聴会

質疑者は議会議員、参考人として喚問され意見を陳述するのはオリックス社、地元利害関係者、学識経験者、陳述された意見について質疑するのは総務常任委員、傍聴は一般町民

(C)町と議会が共催する、オリックス社による地元住民説明会

説明者はオリックス社、質疑者は説明会に参加した地元住民、町と議会はオブザーバー

注:昨年12月にオリックス社が大正地区10か所で開催した地元住民参加限定説明会への批判(主にSNS上のもの)を受けて、町と議会で工作したのがこの(C)案である。

議会が、(A)案と(B)案を敢て回避し、町と協議の上(C)にたどり着いた理由は、明らかである。自らが質疑者となり、この大藤風力発電事業計画の問題点を明らかにされたくないからであるし、質疑によって、いわゆる事を荒立て、主に賛成派の票を失いたくないからである。このような議会は議会の機能(調査と審査を通じた行政の監視)を果たすことは不可能である。だからやはり議員報酬は引き上げるべきではなかった。議員報酬と言えば、コロナ禍の中で延期されていた高知地裁での裁判の第一回口頭弁論の期日が決まった。6月30日である。17日には、訴訟代理人の谷脇和仁弁護士との打ち合わせ、18日には記者会見の予定である。

四万十町議会運用基準165条:議会運営委員会に協議の結果については議員はこれを遵守するに基づき、遵守しなかった岩井優の介議員、武田秀義議員、中屋康議員、下元真之議員は酒祥成議長より厳重注意を受けたが、議員報酬条例改正議案(議員報酬引き上げ議案、中尾町長提案)について、議会運営委員会委員の議案に対する賛否の意思統一を議案上程前に図ること自体が、議会基本条例23条に照らして不当な脱法目的の共謀行為であることが、司法の場で明らかにされることを願っている。冒頭で記載した森友学園問題におけ公文書改竄問題では近畿財務局に勤務する赤木俊夫さんが自殺したが、未だに改竄を指示したであろう官僚トップや国答弁の支離滅裂さの責任を問われない一国首相が存在している状況があるからこそ、見ようと思えばよく見えるところにある地元議会で、議員がその討論や投票行動の自律性を公示もされない議会運用基準なるものによって、厳重注意されるというという内部圧力に晒されたり、議会の調査権、審査権を行使する場である議会委員会議事録作成に1年を要し会議録に資料添付もなく、忌憚ない意見表現の場では議事録を取らず、議会基本条例で規定されている原則公開である全ての会議の秘密会の基準策定も出来ていないこの四国の山間である四万十町の町議会への具体的な批判を通じて、今起きていること(オリックス社による大藤風力発電事業計画)の状況把握と状況判断に基づく行政監視能力を議会に再構築しなければ、そこに利益だけを見ていることだけは明らかな、開発業者による巨大な開発事業による、山林破壊やヤイロチョウを含めた生物多様性の喪失や四万十川の水産資源の枯渇や風車近隣住民の一部を間違いなく襲うであろう睡眠障害等の不定愁訴その他の深刻な健康被害という厄災が新たに発生することは、間違いのないことである。全国の報告事例を見れば、一目瞭然である。行政トップが風力発電はいらないと言えば風力発電は止まる。議会の仕事は調査権、審査権を駆使して、監視という圧力を通じて行政トップに妥当な判断を迫る事である。けれども現況のように行政にひたすら情報を依存している限りは、調査権審査権が機能することは、絶対にないと言い切れる。「情報を依存することは判断を依存する事である。」議員の発言が行政側からの説明(情報提供)を受ける毎に行政側寄りになっていっていることが、委員会報告書でわかる。これでは、議会とは到底言えないと、私は思う。

 

西原真衣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(59)

       高校魅力化って何だ

  今年度の地元窪川高校と四万十高校の入学者数が逆転した。人口1万人規模の窪川地区の新規入学者数が12人で、人口3000人規模の大正、十和地区の四万十高校の入学者数が19人であるという。ついでに「みんなの高校情報」という口コミサイトを覗いてみれば、偏差値と、全国版ランキングと高知県版ランキングが掲載されていた。何と、窪川高校は偏差値36、全国順位が10054校中9896位、県内順位が92校中82位、四万十高校は偏差値37、全国順位10054校中9603位で、県内順位は92校中66位であった。結局、入学者数と偏差値は、しっかりリンクしていたのである。この口コミサイトには、現役地元高校生の書き込みもあった。「みんなの高校情報」を、つまり自分の通っている高校の偏差値ランキングを当事者である地元高校生が、何ら衒いなく見ていると言う事である。だが、この偏差値の低さには正直驚いた。これほどとは思っていなかったからである。教育委員会であれば、「学校関の序列化につながる」を理由に、偏差値の公開など決してしない。けれども、進路選択には偏差値情報は欠かせないのは常識である。現実をありのままに言えば、序列化につながるではなく、偏差値という物差しによって既に十二分に序列化されているのである。四万十町は、地元高校存続支援目的で「高校応援大作戦」事業なるものを展開しているが、事業推進側の四万十町職員は、自身の子弟となると、学資の工面上の事情も反映してか、可能な限り偏差値の高い高知市の私学に入学させようとしてるように見受けられる。進路の選択は、子供の将来に係る最重要事項なので、これは親としては当然の事だろう。町の事業としてみれば、県立高校に上乗せで公費を投入し、地元高校を魅力化して地元中学校からの入学生を増やして存続を図ろうというのであるから、投資に見合う成果検証は避けられない。一方県教育委員会の高校存続方針は、入学者数が20人を2年連続で切ったら、地元2高校を統合するというものである。そして投資効果空しく今年ついに、両校とも今年20人を切ってしまったのである。それにしても「高校応援大作戦」とは、一体いかなる事業実態を持っているのだろうかまず、町営塾「じゅうく」には、講師陣である「高校魅力化支援隊」9名が投入されている。設立時には、確か「学力を上げて、地元国公立に合格できる体制を作り、高知市の私立高校に行かせなくてもよい環境整備をし、親の経済的負担の軽減につなげる。」議会答弁したのは、人材育成を公約にした中尾博憲町長その人であった。その事業目的は理解できる。が、「地元高校から地元国公立合格への学力増進」は、県立高校が長年為し得なかったことであり、「じゅうく」開設以降も町の広報誌に掲載される、地元高校の進路状況(就職先と進学先)の進学先は全て推薦入試であり、偏差値は上記の通りであり、入学者数は両校共20人を切るという事業目的からは程遠い結果がここに出てしまった。だがここが補助事業の恐ろしいところであるが、一旦走り出した事業は中止にならないという鉄則があるのである。なぜかと言えば、町の事業には赤字という概念が存在せず、赤字が目に見える形で新聞記事等になり世論の非難が醸成されない限り、事業の廃止や中止は、即ち行政側が失敗を認める事になるからである。又、自己負担額8万円弱で2週間のカナダへの夏季短期留学付きの授業料のいらない塾を廃止すれば、受益者側(地元高校生とその保護者或いは存続に熱心な学校OB)から非難囂々の嵐が吹きすさぶのは目に見えているのである。例え、事業目的未達成が甚だしくても、である。これが、補助事業の怖さである。平成年に高知市に町が出したアンテナショップ「四万十の蔵」は国の補助事業「ふるさと雇用再生特別基金事業」で失業対策による人件費を賄えている間は存続していた。この補助事業は、リーマンショックの後遺症で町に失業者溢れ出た時に政府が、労働保険特別会計の余剰金を使って補正予算を組んで財源を手当した緊急出動的、時限的な失業対策事業であり、この補助事業の終結をもって人件費が賄えなくなったために赤字が可視化され、これを地元高知新聞が報道し、事業が廃止に追い込まれたというのが、アンテナショップ「四万十の蔵」撤収の真相である。赤字額は1憶4千万円であった。方や人材育成は赤字が見えないとは言え、結果がかくも芳しくなくても、地元高校存続の大義は、地元高校愛着組には、問答無用の絶大な支持を得ているのであろうし、前回、中尾町政開始以来、なぜか役場職員(正規と非正規を合わせた)の総数がうなぎのぼりに増え続けていることを指摘したが、地元役場が若者一大雇用の場と役場が化すことにも、実に闇雲な郷土への愛着意識を持つ支持層が背後に存在し、それこそが、大盤振る舞い中尾町政への支持基盤の一角をなしている。振舞われて悪い気はしない支持基盤と無関心層によって、中尾町政の無投票二期目が実現しているのである。しかるに、この偏差値の現実味をまざまざと見せつけられて、塾経営の経験者として、今までにも増して私が思う事は、たった一つ、学力養成は、高校からでは遅いと言う事である。特に英語や数学は積み上げの科目であり、中学で土台ができていなければ、高校になってからでは成果を出すことは、極めて難しい。そこで、議会でも「親の資力によっ中学生時代に塾にいけなかったり、偏差値の高い学校への進学をあきらめている子供への支援の方が、本筋ではないか。公設の高校生対象塾ではなく、中学生対象塾、せめて中学生に門戸を開いたらどうか。」と提唱してみたが、相手側からは、現状追随的で消極的な応答しかなかったのである。

川上哲夫教育長:中学に出向いて、「じゅうく」の宣伝をし、地元高校への進学を勧奨している。

山脇人材育成センター室長:非認知能力の開発による意欲の醸成に取り組んでいる。学力力養成はまず意欲の喚起から。学力養成という段階にまで至っていない。

「非認知能力の開発」とは、いま流行りの幼児教育用語であり、やれやれ、我々は地元高校生に公費を投じて公設ロンパールームを提供しているのである。おまけに高校魅力化支援隊の一部がコーデイネーターとして高校に常駐し、総合学習の企画立案支援(教員の、であろう)に従事しているというではないか。一週間1コマの総合学習の時間のために、教員以外の外部から来た人間が常駐しているとは、いささか異様な現象ではないだろうか。窪川高校では、「地域リーダー養成コース」(進学組ではないコース)の生徒を対象に地元商店訪問等の事前コーデイネーテイングをしているという。地元に暮らす高校生であれば、地元商店位知っていそうなものである。保育園児よろしく大人同伴で地元商店を訪ねるなんて、保育園児遠足誘導じゃあるまいに、としか私には受け取る事ができない。結局、最初の懸念が的中し、塾の運営ノウハウを持たない自治体職員は、運営コンサルタント「ファウンデイングベース」に「中身」を丸投げしているのではなかろうか。この公設塾運営経費は総額6000万円(職員人件費を除く)であり、財源はふるさと納税の寄付金である。この構図は、経済同友会地方創成員会と尾崎正直知事のタッグによって天下のJALからの出向者を営業部長として高給(契約内容を開示しないところを見るとその疑いが濃厚である)で遇しているあぐり窪川にもそっくり当てはまる。つまり、有体に言って、地方創成ではなく単に殖民地化化されているのである。この殖民地化高校存存続ビジネスが如何に手が込んでいるか、四万十高校入学者募集PR活動の実態を知って、私は彼らのビジネススモデル構築の痕跡を垣間見たのである。「地域教育魅力化プラットホーム」という一般財団法人があある。設立年度は平成29年である。島根松江市事務所を置く。この一般財団法人のCEOは、株式会社リクルートキャリア初代社長水野智之氏である。代表理事は、岩本悠、島根県教育魅力化特命官、共同代表が、今村久美認定NPO法人カタリバ代表である。アドバイザリーボード、評議員構成を見てみよう。鵜尾雅隆(日本ファンドレイシング協会代表)、小泉進次郎(衆議院議員)、須藤修(東京大学教授)、錦織良成功(映画監督)、丸山達也(島根県知事)、宮脇和秀(島根県経済同友会終身特別幹事)である。この団体が考案した過疎地の高校生リクルート事業に「地域みらい留学」がある。東京と大阪で会場設定をし、全国200校余りの過疎地の高校が登録し、生徒募集一大イベントを開催している。四万十高校に常駐しているコーデイネーターの仕事には、教員と共にこのイベントに参加して生徒をリクルートすることも含まれている。今年の入学者数19人中5名は、ここでリクルートしたらしい。生徒募集活動(学校HPの更新等も含む)にかける費用は総額100万円相当である

「域教育魅力化プラットホーム」に支払った手数料:30万円

出張旅費:教員分は窪川高校総合振興費に計上75000円、コーデイネーター分は、四万十町旅費として計上75000円

その他:550000円

虐め等にあって不登校になったの中学3年生を抱える都会の保護者が、「自然豊かな、地域住民が人情に篤い、少人数の高校」に藁をもすがるように最後の期待(高校だけは何とか卒業させたい)をかけてその子弟を送り込んでくる事情はいかにもありそうである。事情が事情であれば、偏差値が低いとかは二の次であろうことは想像に難くない。実際、この「域教育魅力化プラットホーム」事務局長に聞いてみたら、全体の2割はそれであるという。では残り8割は、一体「地域みらい留学」という体裁をまとった過疎地の高校に子弟を送り込んでくる本当の理由はどこにあるのだろう。四万十高校には寮があり、全室個室で寮費は食費込みで月額3万年と破格に安い。これも大きな誘因となってることは想像できる。けれども今や過疎地所自治体は、地域おこし協力(特別交付税対象一人当たり450万円)や移住定住促進事業で人口増のために、政策投資を行っているが、その投資の受け皿は、都会の企業である。人材育成を掲げた途端に、この企業が既に食指を伸ばして殖民地化している。見分が狭い自治体職員など、瞬く間に、人材、情報、コンセプトが一体化(クラスター化)したネットワーク(蜘蛛の巣)に引っかかり、瞬く間に捕食されてしまうのである。一例を挙げよう。「ファウンデイングベース」は 四万十町人材育センタ―準備室が立ち上がった時には、既に島根県津和野高校野公設塾の運営も受託していた当時の山脇光章室長は、部下を連れてここに視察に行って、すっかり「ファンデイングベース」の虜となった。ここの社長は、リクルートコスモス出身者である。因みに「じゅうく」がこの前の地元高校休校時にやったオンライン総合学習授業のテーマはファンデイングベースが運営を受託している3高校を繋いでの「町づくり」をテーマとした高校生オンラインデイスカッションというものであった。CATVで紹介されていたので知ったのだが、開催後の高橋塾長談によれば、「普段口数の少ない子でもチャットで発言し易かったみたい。」とあくまで、プラス志向、背中を押す志向、寄り添い志向で、何だか私は、違和感満載となってしまう。「特徴なく、主体性なく、自信を持てず、非意欲的である地元高校生を勧誘している新興宗教に近い団体の甘言」に近いものを感じるのである。前にも書いたが、特徴なく、主体性なく、自信を持てず、非意欲的であるのは地元の高校生の保護者、卒業生、自治体職員等の地元民であり、高校生本体ではない。実は、この実体こそが、彼らコンサルの商売ネタそのものであるのだ。つまり私とコンサルは同意見であるということになる。「地域教育魅力化プラットホームHP」の「活動の流れ」から抜粋する。

「地域教育魅力化プラットホームHP 「活動の流れ」より引用

地域の教育から社会を変えます。
社会に開かれた魅力ある教育の実現により、地域社会の未来に意志ある若者たちが続々と育ち、「過疎化」した地域の「魅力化」が始まり、地方への新たな人の還流が生まれていく。

地域は子どもたちが憧れる本気の大人と若者に溢れ、多様な主体が協働しながら課題解決に挑戦し、課題先進地域で起きた様々なイノベーションが拡散・伝播し日本社会全体を変えていく・・・

日本はGNH(国民総幸福度)の高い持続可能な社会づくりのモデルとなり、「課題解決先進国NIPPON」として世界に貢献していく・・・

これは、私たちが目指す、一つの未来の姿です。

隠岐島前高校の魅力化を推進してきた現在は島根県教育魅力化特命官も務める岩本悠と、全国でナナメの関係と本音の対話を16年間届けてきたNPOカタリバ代表理事の今村久美、人材育成分野のトップランナーであるリクルートキャリア初代社長の水谷智之がタッグを組み、地域の教育から社会を変えることを目指しています。

 

 どうだろうか。過疎地にないものが、まず外からやってくる。「過疎地の高校を魅力化」するには外からやってきた、「子どもたちが憧れる本気の大人」からの刺激を若者に与える必要があり、これが地域活性化起爆剤になるという意味であり、これをそのまま裏返せば、「地域は子どもたちが憧れる本気の大人の欠乏によって衰退した」と言い切っているいるのである。また「社会に開かれた魅力ある教育の実現」とは、それが、地域にはないことが前提とされている。けれども少し冷静に考えてみれば、「子どもたちが憧れる本気の大人」が都会にはいるのであろうか。はたまた「社会に開かれた魅力ある教育」が一体どこで実現しているのであろうか。はたまた「GNH」(国民総幸福度)の高い持続可能な社会づくり」とは、まるで国連開発目標の指標まがいである。発展途上国向けの国連開発目標の指標が持ち込まれなくてはならない程、この地が後進的であり、未開発であれば、このような過疎地をターゲットとするベンチャー企業に6000万円の大盤振る舞いができるだろうか。ODA(政府開発援助)ではないのであり、過疎地の自治体がふるさと納税で得た寄付金を財源として充当しているのである。彼らが悪玉と言う訳ではない。ただ彼らは商売上手なだけであり、課題解決型ソーシャルベンチャーという政府の尻馬である標語に素早く飛び乗って(若しくは事前にそれを政府に入れ知恵して)、その足で、素早くその手の補助事業を拾いに地方に触手を伸ばしてきただけの事である。ふるさと納税マネーや国から還流してくる地方創成マネーの尤もらしい受皿づくりに彼らは非常に長けているのである自作自演集団である。政権中枢に近く補助事業の動向に詳しくないとなかなかこうは行かない。そういう意味では、広告代理店に近い虚業である。因みにこの一般財団法人「地域教育魅力化プラットホーム」は応援委員会10000人を目標に一口1000円の寄付を募っている。けれども、一般財団法人や一般社団法人が法律で義務付けられている貸借対照表の広告を平成29年の設立以来まだ1回も行っていない。「寄付金募集が今年からなので、7月に評議会で貸借対照表の広告を議事にする。」というのが事務局の言い分であるが、本気の大人が、子供にまず教えなくてはならないのは、「財務状況を公に明らかにしてから寄付を募る」という倫理ではないだろうか。これは、今も昔も変わらない。が、これは彼らに限ったことではない。町が補助金をつぎ込んだ、この地の農業系の「一般社団法人」も、この「地域教育魅力化プラットホーム」と同様に、設立以来貸借対照表の広告を出していなかったばかりか、「地域支援コーデイネーター」という新規事業まで町に作らせて、新たな補助金にありつくことに成功している。「本気の大人」は、常にいずこでも、都合の悪いことは表に出さず、水面下で八面六臂の躍動を為すものであり、それもこれも彼らが「本気の大人」であるからこそである。従って、その補助金の受け皿団体が、果たして「何に本気か」を伺う探査力が最終的に必要とななってくる。のような実践的な学力の礎は「識字力」である。それが、引いては、最終的に地方の生きる力に直結してくるのではないだろうか。極論すれば、我々を生かすも殺すも「識字力」であり、それによる税の使途の解明である。税の使途の不透明さは、政府に対する国民の、町長に対する町民の信頼を毀損する、つまり税金の払い甲斐がなくなり、これが国民(町民)の幸福度を下げることは疑いが無い、と思うからである。

西原真衣

 

 

            

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(58)

       中尾町政と縁故主義

先日のこと、四万十町職員が、総勢711人にも膨れ上がっていると知って、仰天した。

正規職員351人、非正規職員360人という内訳である。

尤も正規職員41人分は、西部特別養護老人ホーム組合の解散に伴う、四万十町直轄の特老のに伴うものであり、同時に非正規職員も49人が町職員に移行したと言う事である。が、それにしても数値が合わない、私の試算では、この分の合計90人を差し引いても、ここ数年前に比べると。150人以上の増員となっているのである。

まず、正規職員とは、一次試験、二次試験(論分と面接)を経て採用され、定年60歳まで身分が保証され、再任用の機会も保障されている職員の事である。因みに再雇用者の月額給与は、27万円で、月額給与に見合う勤勉期末手当も支給される。希望者は全員再雇用され、年金支給開始まで1年ごとの契約更新で雇用の継続が保障されている。一方非正規職員とは、今年の4月までは、臨時職員と嘱託職員に区分けされていた。臨時職員とは、日給6800円で働く正規職員の事務補助業務に当たる職員の事であり、嘱託職員とは、1年ごとの契約で、専門的な職務に充当される職員と説明されてきた。月に16日の勤務で月額報酬は、16万円相当であった。ところが、働き方改革法案が制定され、同一労働同一賃金制度導入の名目で、正規公務員と非正規公務員の待遇格差が問題視される中、非正規公務員にも賞与を支給すべきとの動きを受けて、全国の地方公共団体は、この方向に一斉に舵を切った。いつもの事であり、上意下達で、一斉に実行された。実行されたはいいが、問題は、その中身である。正規職員であれば、人まずは、課毎に職務分担票というものが作成され、職員毎の業務内容が示されている。ところが、非正規職員に置いては、これが作成されていない。少なくとも対外的に説明できる、開示請求によって開示できるような公文書が作成されていないのである。年度末に課毎に管理職から申請された非正規職員申請リスト、例えば一般事務何名等、が人事担者のPC 内のエクセルシートので保管されているだけ、なのだそうである。これ、なんだかすごい話に聞こえないか。会計制度任用職員制度の導入は、少なくとも同一労働、同一賃金の旗印の元に、正規と非正規の格差是正及び住民の個人情報を扱う公務員としての守秘義務の徹底化が表向きの目的とされているのである。それでいて、正規職員を上回る人数の会計年度任用職員職員の職務内容を一覧的に記述したものが、総務課で作成されていないという、この信じられない程の杜撰な実態がある。これは、実質的に人事管理が為されていないということに近い。ここで、議会である。議会の一義的な役割は、このような行政実態の調査、解明とに基づく是正の勧奨である。そのために月額報酬25万円は支給されている。

         と・こ・ろ・が

ついこの前4月21日に傍聴した、総務常任委員会では、正規職員のみ対象の時間外手当の調査が行われた。一般事務という正規職員補助業務を担当する非正規職員の業務分担状況は、調査の対象外であった。元々正規職員の業務に付随する非正規職員の業務ではないのだろうか。単独業務を非正規職員に割り振るのであれば、非正規職員でもこなせる業務という事になる。非正規職員の採用経路は正規職員とは全く異なる。履歴書を担当課に出して、書類選考と面接だけで決まるのである。採用されたら契約が交わされる。3年間は更新可能で、3年目には再度公募される。が同一人物の再雇用は妨げられていない。過去に、「教育研究所」という学校教育課の付属機関であり、「設置できる」と規定されている組織の専門職SSW(スクールソーシャルワーカー)の契約書を開示請求したことがある。理由は、その専門性を含む職務内容が非常に分かりにくかったからである。契約書類を見れば少しは分かるのではないか、と考えたのである。しかし、やっぱり分からなかった。資格欄が黒塗りであった(個人情報保護のためと記載されていた)ために専門性を推し量ることも出来なかったのである。職務内容とそれ関連する資格を個人情報と見るのはハナからおかしい。採用経路にかかわる説明しにくい部分は、全て個人情報として隠ぺいするのである。これは時間外調査をした総務常任委員会の委員長古谷幹夫議員も全く同様であった。総務課が持ち込んだ資料(職員名は記号化されている。時間外上位10位の総時間数と所属課を一覧表にしたもの)を傍聴者(私の事)から委員長権限で回収した挙句、開示請求すれば、非開示、理由:文書不存在(委員会報告書未提出の為)と応答したのである。そして、6月1日時点で、今だ委員会報告未提出である。古谷幹夫委員長は、昨年10月、11月の風力発電所視察(愛媛県愛南町宇和島市高知県檮原町津野町)視察報告書さえも、私が、たまりかねて本人に直接催促した挙句、ごく最近提出したのである。さすがにここまで来れば、この古谷幹夫議員は怠慢にして無能あるとしか思えない。怠慢が無知の土壌であることは、言を待たないが、町民からの請願付託を受けた委員長としての町民に対する責務(審議内容を速やかに報告する)を自覚できないとすれば、これは怠慢以前の無能としか言いようがないのではないか。大藤風力発電事業計画に係る議会の責務は、四万十町通信新年号でいみじくも下元昇議長が、新年の挨拶の中で述べたように、正しく「慎重に時間をかけて熟議し、将来に禍根を残さない。」ことである。多いに賛同する。が究めて常識的なことであるが、熟議には、論点整理がまず必要であるさらにその論点整理のためには、まず情報源に当たらなければならないのである。情報源とは、以下である。リストアップする。

1.計画段階環境影響配慮書(オリックス社作成環境影響評価図書)

2.計画段階環境影響配慮書に対する一般意見

3.計画段階環境影響配慮書に対する四万十市長と四万十町長意見、高知県環境評価技術審査会意見、高知県知事意見、環境大臣意見、経済産業大臣意見

4. 方法書(オリックス社作成環境影響評価図書)

5. 計画段階環境影響配慮書に対する一般意見と事業者見解

6.方法書に対する四万十市長と四万十町長意見、高知県環境影響評価技術審査会意見、高知県知事意見、環境大臣意見、環境審査顧問会助言、経済産業大臣意見

7.四万十町景観協議会議事録

8.四万十町重要文化的景審議会議事録

ところが総務常任委員会のメンバーが誰もこれらを探し出せない。ここが怠慢、無能の所以である。大藤風力発電事業は、オリックス社の事業であって、四万十町の事業ではないので、通常のように懇切丁寧な議会の理解を得るための資料等を議会向けに町側が作成、提供する理由がないのである。さてそうなったら彼らはお手上げである。行政に寄生して議員をやってきたので、ここでおしまいである。考えてもみて欲しい。古谷幹夫議員の例で言えば、いくら本業の農業に精を出したいという本音があろうと、A4一枚の委員会報告書作成にこれほど時間がかかるという事が何を意味しているをである。中尾博憲は、「議員に専念できる給与」と称して、議員報酬引き上げ議案を上程した。中尾博憲が再雇用の正規職員給与が月額27万円であることを知らないはずはない。しかし、職員は常勤である。年間本会議16日、委員会20日で、合計実働36日の議員とは違うのである。専念できる報酬を提示して、専念しなくてもこれまでより一挙に45000円も増額となった給与だけ受け取れる環境を率先して整備したのは、他ならず、この出鱈目べんちゃら迎合町長、中尾博憲である。であれば、いつの間にか150人以上も膨れ上がった、役場職員(正規、非正規を問わない)の雇用の背後にも、この出鱈目な迎合、人気取りしかないと考えるのが自然ではないか。ところで、議員報酬引き上げ違法裁判を起こした知人に対して、この出鱈目迎合町長の答弁書が裁判所から郵送されて来たらしい。今日その複写物を知人から受け取ることになっているのだが、「町長提案で議員報酬を改正した、審議会の了解も得たので何ら問題なし。」という簡便、安易な答弁内容であるらしい。町の顧問弁護士から余計なことは書くなと、教唆されているのだろう。議会からの議員報酬引き上げの要望の提出があったことが、この議員報酬引き上げの直接の動機であったことは間違いないのだ。その証拠に、酒井祥成、堀本伸一、下元昇の3人は、反対した議会運営委員会議員に対してあからさまな議会内部の言論封鎖を企てた。これが彼らの2元代表制簒奪行為であり、町民に対する背信行為の隠しようもない証拠である。議会内部での単なる申し合わせにより、言論封鎖にあったのは,私も同様である。意思決定の場ではないところを利用して、心理的同調圧力により、議会議員として最も尊重されるべき本会議の言論の自由や議決権に介入し、思想統制を図ろうとする。これが彼らの町民に対する背信行為の核心部分であるのだが、彼らはそれを自覚、理解できない。なぜなら、彼らは元々議会制度の本来の主旨その物を理解していないからである。

「議会とは議案にする合議体である。」「町議会で政党政治が行われている訳ではない従って党議拘束は存在しない。」「従って、議案毎の賛否があるだけで、議会の統一意思というものは存在しない。」「議案毎の賛否に介してはいけない。」

以上が理解できないのは中尾博憲も同様である。このような人物を相手に裁判をしなくはならないのである。いや、このような人物だからこそ訴えられて当然、と建設的に考えてみることしよう。今、人間がサル化しているという説がある。私はかねがね議会はサル山にそっくりだと痛感していたので、今更驚きもしないが、確かに、議会が、主権者の写し鏡であるという真実からすれば、人間全体がサル化したから政治家もサル化したとも言える。製造物責任はやはり主権者にあるのだ。それであれば、今や心を新たにして、議会の監視、再教育に乗り出すのが主権者の責務となってくる。監視と再教育によって彼らに本来の仕事をさせなくてはならない。報酬を上げて議会を懐柔し、職員を際限なく増やして、町民の歓心を買おうとしてきた中尾博憲を船長とする船には、羅針盤など搭載されてはいない。人事を見れば、これは明らかである。人間がサル化しているという言説は、内田樹という評論家によるものであるが、この人の定義によればサルと人間を分かつものは、「過去と現在と未来の自己同一性を存在として自覚、希求するか否か」であるらしい。昨日言ったこと、今言っていること、明日言う事に全く整合性がないのが、この中尾博憲である。安倍晋三もそうである。このような政治家の言説は当然歴史の検証に堪えるはずが無い。何を隠そう、元が出鱈目なのである。だからこそ、このような人物にお願いして報酬を上げてもらった議会が、「熟議によって将来に禍根を残さない。」などという事は、一切不可能なのである。自己同一性を求めない、サルの時間を喜喜として生きている人々に一体何を期待できるだろうか。可能性は、ただ一つ、主権者による、監視と再教育という、威信と実践による圧力の威力だけである。言い古されたことではあるが、参画が政治を変える。やはり、これに尽きるのではないか。

 

西原真衣

 

 

 

風力発電と蠢く町政(57)

   コロナ禍のオンラインシンポジューム

 

 四万十町の女性町議は「日本全国で自然エネルギーの名の下に自然を破壊している。これだけの豊かな山や川、海を手放して得るものとはいったい何なのか。住民が幸せになれない施策はしてはいけないと思う。コロナ禍の今、大量生産・大量消費の時代はもう終わったのだと見直していくことが必要だ」とのべた。

以上は,ネットで見た、「四万十ふるさとの自然を守る会」主催のオンラインシンポジュームを取り上げた長周新聞の記事の一部である。四万十町の女性町議とは、村井真菜議員である。先日この村井真菜議員が副委員長を務める教育民生常任委員会を傍聴した。「学校校庭でにラウンドアップを使用して除草するのを控えて自然由来の除草剤を使って欲しい」という陳情の審査をしていた。学校で、環境にやさしい除草剤(自然成分由来)で実験した。一週間で雑草が生えてくる。根っ子まで枯れないようだ。クローバ等には一定の効果、カヤには効かないようだ。」「今後正規校務員のいる学校に、この自然成分由来の除草剤を配布して、草の種類や児童の動線を勘案したラウンドアップマックスロードとの併用を試行する。」などと報告したのが西田典夫学校教育課課長である。この報告後、陳情の結果をいつ出すかに焦点が移った。(モンサントのランドアップの人体への悪影響(発達障害や自己免疫疾患の誘発の危険性)が詳しく書かれていた陳情であったのも関わらず、ここには一切踏む込まない)ここで緒方正綱議員は驚くべき発言をした。

緒方正綱議員:会社名(モンサントの事))の入った陳情の採択は議会としてどうなのか販売側にも配慮がいるのでは。

さすが、長年土建屋に身を置きながら町会議議員をしているだけのことはある。企業利益に対する並々ならぬ配慮が見え隠れするのである。けれども問題の本質は、こういうところにはない。企業利益か環境(人体への影響も含む)かではなく、ラウンドアップがどのような特質を持つ除草剤であり、その効用と効用に伴う実害の知識がまず欠かせない。その上で、環境(校庭の除草も環境保持の一環であるし、その環境は児童の性格環境である)の持続可能性のための賢明な選択が必要である、その選択とは、最新の知見に基づく合理的で具体的な選択である。少なくとも議会議員に要請されているのは、それだ。ラウンドアップは商品説明欄に、「環境にやさしい、生分解性除草剤」と謳っている。けれども、根まで枯らす力を持つ強力な除草剤が、環境にやさしい生分解性(土中微生物によって自然に分解され、残留しない)をどうやって確保できるのか、不明である。企業利益への配慮の前に、その広告の虚偽性を見るべきではないだろうか。そしてその虚偽性を当局が放置していることも併せて問うべきではないか。ラウンドアップの有効成分であるグリサホートの残留基準を農林水産省が示していること及び、その基準値が、ごく最近大幅に緩和されたことは、周知の事実である。根まで枯らす(学校教育課長の西田典夫氏がここで明言している)成分が、土中に残留しているから、穀物がその成分を吸い上げるが故に残留基準値が必要とされていると考えるのが合理的ではないか。ランドアップマックスロードの説明書きには、「非選択性除草剤」とはっきり書かれている。これは、「雑草だけでなく、全て枯らしますよ。だから枯らしたくないものにはかけないように注意」という意味である。だからこの非選択性と、土中における生分解性(残留しない)は両立しないのである。「このような子供だましの商品説明を当局は規制していない、何のために」これが問題の本質である。ところがこの委員会のメンバー中屋康委員長、村井真菜副委員長、岩井優ノ介委員、酒井祥成委員の誰一人この事実に言及しない。余りに無知なのか、それとも言及しないように計らっているのか、恐らく双方だろう。だからこそ、冒頭に引用した村井真菜議員発言、「日本全国で自然エネルギーの名の下に自然を破壊している。これだけの豊かな山や川、海を手放して得るものとはいったい何なのか。住民が幸せになれない施策はしてはいけないと思う。コロナ禍の今、大量生産・大量消費の時代はもう終わったのだと見直していくことが必要だ。」に接しても、心底白けてしまうのだ。因みにこのシンポジュームに関しては、「盛況に終わりました。」と私に先日メールが届いた。昨年9月11日にも、ここ主宰で「いる、いらない、みんなで考えよう風力発電」が、四万十町の東庁舎会議室で開催された。この時の講師、市川守弘弁護や、その時の司会役であった「四国風車ネットワーク」代表の黒田氏、町長室で署名を提出した会の代表、佐藤さや氏の顔も画面にあった。司会役は、高橋正徳氏である。昨年9月も勉強終了後に代表者の佐藤さや氏が「子育てしながら、お母さんたちが手弁当で頑張ってます。ちらし作製の紙代やコピー代にも事欠いています。」と会場で訴えていたので、私も、会場廊下に設置された寄付箱に僅かばかりの金銭をカンパし、さらに佐藤さや氏に対して、「輪転機を持っているので、コンビニコピーよりコストが安いので、使ってもらって構わない。」という申し出もしたのであるが、その後寄付金の使途の説明も一切なく、輪転機についても全く何ら音沙汰もなかったのである。今回のオンラインシンポジューム大盛況の報告メール中にも、「たくさんのベースドネーション有難うございました。」の記載があり、これに目が行った瞬間、この人達がやっていることは、遠目には自然環境保護活動であるが、近目には、売名行為を兼ねた新手の詐欺、つまりSNSを駆使した美辞麗句で飾り立てた金銭取得という隠された動機があるのでは、という疑いが、私の中に兆した。村井真菜議員が発したもっともらしい美辞麗句にしても、大量消費と大量生産は、需要低迷により、コロナ以降はもやは不可能であり、実は、いかに人を欺いて自分が生き延びるかの、泥棒が跋扈する世知辛い世の中にとうの昔になっていて、コロナ禍は、単にそれを可視化かつ加速化しているだけかもしれないのである。私は、ずっと長らく、四万十町が税金を使って何をしているかを、独自調査してきた。特に理由はない、ただ調査せずにはいられなかったからである。調査手法は単純明快である。開示請求で公文書を入手し、読み込んで、担当者に口頭で質問するのである。そうしている当然、職員とのやり取り発生する。彼らの生態を見分することになる。そこで、自分より若い世代になれなるほど彼らの生存条件が厳しくなっていることに、気付いたのである。人間の生育環境は、その人間の人格形成や言動に絶大な影響を与える。彼らは、ひたすら素直で従順で、役場という安全地帯から落っこちないように細心の注意を払って日々生息している。村井真菜議員もそのような世代に属するのだろう。彼女の、常にその場的、迎合的な言動がそれを如実に物語っているし、議会内の実力者を前にした際には、それが隠しようもなく露見してる。議員報酬引き上げ時の四万十町議会に居た私は、彼らの泥棒振りの手口に心底辟易し、ここに所属する議員であることに嫌気が差した。ここで一人で戦っても彼らによる言論封鎖にあうだけであるし、議会での議論の進展もなければ、自分の議員としてのやりがいも見いだせない、と結論付けたのである。この判断は間違ってなかった。彼らは極めて不勉強で無知ではあるが、年齢相応に老獪で、言論の自由よりなにより、「既得権を侵されない」ことを本能的に優先し、その優先順位に何らの疑念もないのである。前述の教育民生委員会には、後半部分で企画課が説明に現れた。家地川小学校を廃校にして一階部分は集落活動センター(地域コンビニが入る)で、2階部分は町の直営の外国人労働者を主な顧客とする簡易宿泊所(全8室)にするという事業計画(3月に予算を議会が認めなかったために差し戻し状態となっていた)の説明に来たのである。この時に企画課が持ち込んだ資料は、松葉川温とウエル花夢そして町外類似施設(宿泊施設)A、Bの過去3年間分の宿泊者数及び収支の一覧表であった。単にそれだけである。それにもかかわらず資料には「部外秘、取り扱い注意」と記載されていた。従って、説明終了後には回収されたのである。要は、説明側が、この単純な一欄票を「議会の理解を得、議決を得るには必要な資料であるが、表に出るとまずい資料である」と捉えているのであり、これに議員側が誰も疑問を挟まない。挟まないどころか、酒井祥成委員などは、副委委員長であり、録音機の操作を担当している村井真菜委員に、録音を止める(議事録に残さない)ように指示した上で、こう発言したのである。

酒井祥成発言:松葉川温泉は収益事業、ウエル花夢は交流人口拡大目的事業であると、この前の全員協議会である議員が発言した。そこのところは執行部としてどうなのか、そこが確認できんで、困っちょうがよ。また、松葉川温泉は、道の駅の黒字を1500万円程度松葉川温泉の赤字補填に入れていると耳にしている。

上記の発言は、オフレコであり、議事録に残らない。だから傍聴席でこれを聞いた私が、ここに書いている。これは本来議事録に残すべき内容であるからである。ところが村井真菜議員はこれに全く逆らわないで、録音機を躊躇なく止めた。全くの無抵抗状態であった。これは、既得権を造成し(典型的なのが議員報酬引き上げ)、保持することに成功している所属組織の功労者、酒井祥成に逆らわないことが安全策であると本能的に察知しているからであり、役場職員の若手が漏れず、「課長は会議に出席していらっしゃるので。」とかの上司に迎合した出鱈目な日本語を頻発することと同様な動機を持つしぐさなのであると私は解釈している。逆らえば、ここに居ずらくなり、干からびるという恐怖心が根底にあるのが見て取れる。日本は失われた20年を通じて貧しくなり、少子高齢化と相まって、このような若い世代を作り上げてしまったのだろう。人間の世界が動物界と同じく根本は弱肉強食であることが、このような世界では、より露わになってしまう。その意味で、「衣食足りて礼節を知る」というのは本当の事である。議員報酬引き上げ時にも老獪な既得権者(議会と執行部、つまり要望を出した側と受け取った側)が異口同音に、「若者が議に専念できる給与、生活給の確保」と申し立てたことを忘れてはいけない。彼ら若者は、どこに所属していようと共通して、今や自己の生存保障である自分の俸禄のありかに過敏であるがゆえに、封土を賜る領主に対して従順にならざるを得ないのである、村井真菜議員や佐藤さや氏は、多分にネット上の情報操作によって「四万十ふるさとの自然を守る会」が造成しようと目論んでいる利益のための「おとり」に近い存在である。この場の黒子は議会同様、老獪な市川弁護士、黒田氏、高橋正徳氏等であろう。一般的に人は、本音で共感、感動しなければ寄付などしない。「子供の健やかな成長をひたすら願う四万十ふるさとの自然を守ろうとしている若い純粋な母親たちと全国的に名の知れた最後の清流四万十川」がおとりである。しかし、寄付金等の金銭管理が高橋正徳氏に一任されており、その使途は、寄付者はおろか、「子供の健やかな成長をひたすら願う四万十ふるさとの自然を守ろうとしている若い純粋な母親たち」にも知らされていないという情報を、間接的だが関係者経由で得られる環境にない、多くのネットユーザーには、まんまと訴求力を発揮しているようである。

かく言う私も昨年9月の勉強会に参加し、この市川守弘弁護士にも質問した挙句、当初は、社会的使命感の強い弁護士と、好印象を持っていた。

私:環境影響評価図書に著作権が設定できること自体でこの法律がザル法だと感じたんですが。弁護士は、この点に、どのような見解をお持ちですか。

市川弁護士:環境影響評価法は、作らせるための法律であり、これで止めることはできません。その意味で、おっしゃる通りだと思います。でも情報公開で開示請求すれば出てきますよ。

以上が、その時のやり取りである。けれどもごく最近、著作権法42条の2項で、

(情報公開等における開示のための利用)

情報公開法等の規定に著作物を公衆に提供又は提示する必要がある場合には情報公開法により情報を必要な限度で利用することができる。

と規定されていることを知り、この弁護氏回答の怪しさを感じたのである。風力発電関係の裁判の住民側訴訟代理人愛媛県愛南町で、町長を相手取った保安林解除の差し止め訴訟の住民側訴訟代理人である弁護士が、上記規定に疎いはずは、まずない。それであれば、「開示請求すれば、出してくる。」ではなく、「出すしかない。」と説明して、開示請求を促すのが自然である。市川弁護士はそれをしなかった。この辺りが環境派を標榜し住民運動を飯のタネにしている感があるのである。つまり、真剣に風車を止めようとはしていない。更に、彼らの傘下に居る村井真菜議員は、私心のない熱心な反対運動を地元で展開している知人夫妻に対して、方法書(オリックス社作成の環境影響評価図書)の中の再重要な地図(風車の設置場所から民家や公共施設までの等距離線を結んだ地図で、夫妻がface bookに投稿している)を「オンラインシンポジューム」に使わせてもらえないか、と依頼してきたというのである。「四万十町に開示請求すれば、四万十町は出すしかなくなる。」となぜ市川弁護士も高橋正徳氏も村井真菜議員に教えないのだろう。実に怪訝な話である。方法書は、四万十町企画課に、オリックス社から送付され、縦覧期間後もずっと公文書として保管されている。企画課はそれを自由に閲覧し、議会答弁に及んでいる。ところが、質問する側が方法書を見れない、なん道理が通らないことはないではないか。知人夫妻は、過去に、方法書を図書館に置くことを企画課長に要請している。その時「オリックスが出してくれるなと言っている。公表できるものはない。」まで課長は言っている。彼はオリックス社の財力とそれにまつわる権力に怖れをなしているだけで、法律さえ読み込めていない。そしてこの風発電事業に射幸心をそばだてている町内事業者からの無形の圧力を恐れているのである。知力と胆力の双方に著しく欠けてはいないか。だらしないこと許容範囲をとうに超えている。企画課の対応を今一度振り返る。

企画課長山本康夫:オリックスが出してくれるなと言っている。公表できるものはない。

四万十川対作室長、現四万十川振興室長の中井室長:開示請求があればオリックス社に意向を確認した上で、開示する。

環境省著作権法42条の2項は、開示請求があれば、事業者見解に関わらず、出すという意味である。送付された時点で公文書である。

そもそもオリックス社が、方法書を関係業績機関に送付しているのは、非開示を前提にした任意提供ではなく、法令(環境影響評価法)に基づくものであることは明らかであり、公文書の本旨からして、住民への公表は、その性質上著作権の権利保護の対象外であることも明らかである。著作権が帰属するオリックス社の権利の第三者による侵害には該当しない。関係行政機関とその住民は、環境影響評価の対象者であり、第三者ではなく当事者である、と言い切ればいいのである。そして、公表や開示請求に当たっての四万十町企画課の判断の適否を監視するのが、本来の議会の責務である。議員報酬引き上げの名目であった、「若い世代が議員活動に専念できる生活給」の支給結果が、たった一人の若い世代の村井真菜議員にどのように作用しているかを、議会側も執行部側もこの際、直視し、検証すべきである。単なる待遇改善、条件整備では、議員の質は決して担保できないという事の証左となるはずである。

村井真菜議員と岩井優ノ介議員が紹介議員となっている大藤風力発電事業計画の中止を求める請願が付託されている総務常任員会(5/27)での議員の発言を最後に紹介する。

下元昇:オリックス社を呼んで町民全体に呼び掛けて説明会を再度開催してもらいたいと執行部には申し入れているが、オリックス社からの返事はない。コロナで今は集まれないという事情はある。

注)過去のオリックス社から議会に説明したいという申し出には、議会も行政も唯々諾々と応じている(管理職出席までも庁内放送で呼びかけた)。ところが、こちらから呼びかけてもオリックス社は返事をしない。実に不実であり、住民を軽んじていることが一目瞭然である。

古谷幹雄:四万十市議会の意向を確認したい。津野町は風車だけ見て、実務者(役場職員)の話を聞いていない。この2点をクリアして6月定例会で結論を出したい。

注:四万十市議会の意向確認をどうやってするのか。内輪の情報交換か。四万十市側には反対運動はない。議会質問も殆どない(議会事務局に確認)。「四万十ふるさとの自然を守る会」は四万十市議会側には請願を出していない、ここも非常に奇怪である。反対運動が、自己目的化(売名行為兼金銭取得行為)しているという疑いが増す所以である。

今回の結論として、議会の皆さん、執行部の皆さん、そこまで、長いものに巻かれっぱなしでは、巨大風車群によって健康を損ね、土砂災害に見舞われ、四万十の原風景と水産資源を失い、最終的には、我が身を滅ぼすことになりかねないんじゃないでしょうか。老婆心ながら。

 

西原真衣

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(56)

        ドローン・ドローン

 コロナ禍対策たけなわである。ZOO会議もたけなわである。町設塾「じゅうく」も三密を回避する目的でZOOM授業を配信しているとか。何と今の「じゅうく」講師には、韓国語や文学について配信できる、知識、技能の持ち主もいるとかである。尤もこれは、高校生が自宅待機を余儀なくされたゴールデンウイークまでの暇対策だったらしい。今の「じゅうく」はどうなっているのだろう。訪ねて行けばZOOM 授業を参観(視聴?させてくれると、高橋沙紀新塾長が、私に快く言ってくれているのだが、肝心の人材育成センターの武田次長(室長の下、山脇室長は教育長に就任し、現在は室長は空席)とは、韓国語や文学の配信の話が全く通じなかったので、驚いた。ケーブルテレビの取材放送を見たのに取材された側が知らないなんて、人材育成センターってかなり人材が手薄感ありありなのでは!!!今後が、実に思いやられる。今までに、私の目から見て有能さと意欲が感じられた職員(中学の社会科教員免許を持つ嘱託職員)と前塾長(北海道出身で中学の英語教員免許を持つ)が辞めて行った経緯はこんなとこに潜んでいるんでは、と思わずにはいられない。やる気のある専門職とやる気のないばかりが、専門知に欠ける(自助努力の痕跡が見られない)一般行政職上司の実に不幸な組みあわせである。さて、ここの室長上がりの山脇光章氏が、一挙に川上哲夫教育長の後任に抜擢されたが、この人事が、中尾町政における人事の出鱈目さの生きた証とならないことを、今後に及んでは、祈るばかりである。

 コロナ禍対策たけなわなので、図書館協議会もいつもと違って東庁舎の多目的ホールで開催された。長方形型に設置された机には委員5名と事務局(竹内副館長、林館長、西尾主管)、山脇教育長、浜田次長という布陣であった。その後ろに、二列に控えているのが、全員女性である、図書館現場職の、会計年度任用職員5名となぜか一人だけ生涯学習課正規職員であった。この人は、自己紹介によれば、生涯学習課(本庁)と図書館の半々勤務だそうである。率直に言って、実に不可思議な配置である。図書館に常駐する副館長が別にいるのである。さらにその後ろが、机二つを一列に並べた傍聴席であった。勿論、ソーシャルデイスタンスは、コロナ禍対策には必要不可欠である。がそれにしても、過剰に仰々しい。傍聴席から発言が聞き取れるか、と心配になった位、傍聴席は、出席者からは遠かったのである。事務局(林課長と西尾主管)の背後に控えているのが女性陣6名である。なんか大奥めいている。教育長、次長、課長、主幹は全員男性で、唯一女性の新任副館長武内氏は、小さな声で実に控えめに振舞っている。令和2年度第1回の会合と言う事で、教育長から委員への委嘱状の交付から始まり、全員の自己紹介と会長副会長の互選を経て、やっと会議が始まった。ここで私には一つのハプニングがあった。30数年間会長職であった、林一勝氏が「やっと」退任して、その後任が武内文治氏であり、竹内氏が新会長になるのが既定路線かなと思いきや、移住者である金子委員が、今までの発言内容から適任だと感じた、という実に素直な理由で竹村委員を会長に刈谷委員を副会長に推薦したため(共に女性、竹村委員は公募委員、刈谷委員は家庭教育に資するという枠の委員(子育て中))、一挙に流れが作られて、竹村会長、刈谷副会長が決定してしまった。そこで、かっての四万十町の幹部であり、四万十町企画課課長時代には、まちづくり基本条例や議会基本条例制定の裏方を務め上げるほどの実力者、及び定年前に勇退し、四万十公社設立の立役者となったという経歴を誇る武文治内氏があっさり会長職候補から外れてしまったのである。金子委員、刈谷委員、竹村委員、十川小学校から来た岡田委員の4名全員が、恐らく武内氏の経歴を知らないのだ。ここで、私が活気づいたことは言うまでもない。既定路線では先が見越せて全く面白くないからである。それに、「肩書ではなく、委員ならではの経験値としての発言によって選任される。」これは、ひとまず民主的ではないか。

  委員への委嘱上の交付とそれに続く自己紹介が終わってやっと会議本題に入ったら、いきなり副館長の武内氏が会議資料の棒読みを始めたので、「ああ又か」とうんざりしていた。控え目はいいけど、棒読みはうんざりする。議会でもそうだった。事前に質問通告した質疑への答弁が、事前に準備した書面の棒読みに終始したことで(特に清藤総務課長が酷かった)、随分憤慨を覚えたものである。が、その矢先にすかさず、刈谷委員が、「事前に議資料を送ってもらえるようになって、読み込んでから出席できるのでうれしい。」と発言した。つまり、実は読み込んでいなかったのが、作成側の副館長であることが露見した興味深い一瞬であった。あっぱれ刈谷委員である。彼女は高知市の永国寺町にあるNPO法人が運営する「子供の図書館」勤務歴があり、生涯学習課職員などよりよっぽど図書館業務に通じているのだ。それにそもそもの会議資料とは、僅か10ページ足らずの実に粗雑な資料であり、基本的に図書館現場職員によって作成されている。図書館協議会とは、図書館長の諮問機関であり、「館長に対して意見を述べることができる。」と規定されている。が、その提案や意見が、今までどのように図書館行政に反映されて来たかは全く不明である。不明であるので、過去3回分の協議会議事録と会議資料にひとまず目を通すことにした。すると、たちどころに問題点が発覚した。最も古い議事録には発言者が明記されていない。質疑側が「委員」、答弁側が「図書館」と表記されているだけである。次回分は委員名だけ表記であった。説明する側つまり事務局の発言者名がない。発言者が分かるのは、図書館長兼務の生涯学習課課長が出席した時ぐらいである。これではいけない。質問する側が実名で発言し、説明する側が実名で発言しないなというのは、まず公平さに欠けるのではないか。質疑者と応答者は、基本的に対等な関係であり、共に発言内容に責任があるのである。第一、応答者には、当然、業務内容の把握と理解に基づく説明能力が要請される。極論すれば、議事録における発言者名明記を通じた説明能力の要請圧力は、資質、能力、意欲に基づかない職員縁故採用の抑止力となるのである。さて、今回の応答側も、主に最も勤務歴の長い図書館現場職員であった。カウンター業務に就く彼女たちが利用記録を取り、事業報告書を作成している関係だろう。今まで嘱託職員という身分で図書館実務に携わってきた彼女達は、この4月から全員が会計年度任用職員となり、賞与も支給されることになった。一先ずは、待遇改善である。これは制度改正が無ければ到底実現不可能であったと思う。全員図書館専属であるが、勤続年数は実にまちまちであり、外から見る限り、職務分担もよく分からない。ただ一般的に想像されるような、本を扱う楽な軽作業に従事しているのではなさそうである。事業計画にもあるように、本の貸し出し、返却に留まらない数多の業務に従事しているのである。実際どのような業務があるのだろうか。資料から見てみよう。従来嘱託職員(月に16日の勤務で月額報酬16万円相当)の待遇でこれだけをこなしているのだ。待遇を勘案すれば、奉仕に近いと言えるだろう。

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ただ、彼女たちは何の権限もなく、意思決定からは疎外され、幼児や児童、生徒相手のお話読み聞かせや、団体貸出、学校図書支援と年中奔走しているのである。相も変わらず図書館とは、女子供の世界に押し込められている感が否めない。つまり実働部分は身分が低く保障の手薄い女の非正規職員に、意思決定は全て男性にという旧態依然の役割分担が露骨に割り振られている、男尊女卑の世界なのである。図書館を訪ね、何らかのレファランスサービスを求めてみれば、カウンターにいるスタッフが、誰一人本に詳しくないことが見て取れるはずである。尤も館長、副館長つまり生涯学習課正規職も全く本に詳しくはない。その上で、実務上レファランスサービスに対応しているのは、正規職員ではなく彼女達なので、まずここから入る。返す返す言うが、彼女達には専門知は要求されていない。利用者によってではなく教育委員会によってである。だからこの実態は、彼女達の自己責任とは決して言い切れない。

①本を扱う実務者とは、まず町民の読書欲求に答えなくてはならない立場である。

②図書館は今日、読書機会の提供のみならず公共の施設として、共同体の拠点や町づくりの文脈で意味付けられるようになっている。そこで、共同体の構成員である人々が何を求めて図書館にやって来るかを感知する感性も、図書館職員には求められている。

②が重要であるからと言って、①は決しておろそかにはできない。①は図書館業務の基本であり、ここが欠落して入れば、そこは図書館ではなくなる。それゆえまず①の業務遂行実態を見てみたい。その一端が浮き彫りになっている会議資料を発見した。以下がそれである。

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事業報告の一角である、リクエスト書籍の対応である。ここは最も重要な箇所である。町に本屋がなく、蔵書数も資料購入費用も少ない(本館、分館併せて400万円)公立図書館における住民の書籍提供サービス需要への対応状況の報告部分である。

購入、見送り、相互貸借、支所便利用貸出、予約貸出と区分されている。この一覧表で、利用者の需要(リクエスト)動向が、明瞭に読み取れるだろうか。かなり難しいのではないか。私にとってリクエストとは、「このような本が様みたいので購入して下さい」に尽きる。が人によっては、新刊を借りに来たけけど貸出中であったので、返却されたら、取り置いて下さい。」であったりするだろう。この区分別利用数は、この表からは読み取れない。数字の取り方が実に粗雑だというのはここである。相互貸借とは、図書館同志の本の貸し借りの事で、送料負担は、館同志が折半だったり、国立国会図書館などは、国会図書館が全額負担してくれたりと、館同志の個別協定があるそうである。いずれにしても、送ってくれるからと言っても、送料の負担はしっかりとある。大学図書館から送られてくる場合もあるが、発送元は概ね公立図書館であるので、当然送料は、直接税によって賄われている。オーテピアが開館してからは、西日本一の蔵書数を誇る図書館(開設時の高知県の触れ込み)であるので、ここから町立図書館に直に本が届く仕組みは実に使い勝手がよい。私の場合は、オーテピアの蔵書検索システムで自宅のPCからインターネット検索し、本の所在を確認してから、町立図書館にリクエストを出すという手順を取っている。確かに読みたい本が手に入りやすくなったという実感がある。自分が本が読みたい、本が必要。これが図書館利用、図書館行政参画の基本である。いい大人になって本を読みましょうとか、本を読まなきゃいけないなどとは誰も言われたくないし、言う必要もない。けれども図書館であるからには、本を読みたい成人の読書要求には答えなくてならないはずである。会議資料を見ても、児童利用より成人利用者が圧倒的に多い。委員の金子氏、刈谷氏、竹内氏の発言を聞けば、彼らが本好きであることは一目瞭然であるので、彼らは町民の読書要求の代弁者として委員に適任と言える。学校図書関係者枠委員は、個人差がある。公立図書館と学校図書室には連携が必要なので、学校教員が一人委員に委嘱されているのである。(学校にも学校図書室があり、窪川町学校と窪川中学のみ学校図書支援員が配置されている。支援員のいない学校へは、図書館職員が出張して支援業務に当たっているという事である。図書館職員が学校に赴き、本の整理や分類の手伝いばかりではない、本の読み聞かせもやっているらしい。それはそれでいいと思う。「児童、生徒に対する啓発としての読書の勧め」の必要性は否定しない。だが、その啓発活動に係る現職員の作成会議資料が余りに明瞭さや情報密度に欠けているとやはり、図書館職員としての専門知を疑わざるを得ないのである。繰り返すが、これは本質的に彼女達の問題ではなく、彼女たちを採用し、配置し、指導している(はずの)教育委員会自体の問題である。今、新しい文化施設構想が進捗中である。既に基本構想と基本計画を町の広報誌に大々的に掲載した。基本設計業者の選定プロポーザルも公開でやる(初めての試み)という、かってないような、町としての熱の入れようである。が、基本構想も基本計画もひたすら、「情報化」、「共同体」、「文化」、「交流」、「再生」、」「融合」等の観念がこれでもかこれでもかと連なっている(クラスター化による新規性のアピール)だけで、締まりのない自己陶酔に満ちた抽象画を眺めているような印象しかなく、実に具体的なイメージを持ちにくいのである。この協議会の場でも、林生涯学習課課長兼図書館長が、委員に配布した基本計画中の、「10年後のストーリー」を紹介していた。年配の夫人が孫を連れて開館後10年経った図書館にやってくるというストーリーである。空白のページが敢て挿入されtいる。自分のストーリを書き込んでみましょう、と言う訳である。何のことはない。この町の成人(生涯学習課担当職員、図書館現場職員、協議会委員、私のような傍聴者(広報誌や計画書本体を読む町民)相手に、「図書館ってこういうところなんだよ、君たち、こんな田舎に住んでいるから、まだ見たことないよね。じゃ今から想像してみようよ。」という大人相手の絵本のお話会のようなものが展開されているのである。基本構想、基本計画、基本設計事業者選定プロポーザルのプロデュース全てを委託された、総務省地域情報化推アドバイザーに登録されている岡本真氏率いるアカデミックリソースガイドに年々1000万円を下らないコンサル料を注ぎ込んできた四万十町生涯学習課は、今、文化施設サービス計画のたたき台を作ると称して、本庁西庁舎の3回会議室で東京の岡本氏と、スターパイロット(基本設計業者)とでZOOM会議を開催している。件の図書館現場職員も参加している。東京の岡本氏と、スターパイロット以外の職員は全員、広くもない会議室に一堂に会してZOOM会議に参加している。マスクこそしてるものの、外観的にはかなり、密集に近い。生涯学習課は音響の関係だと抗弁するが、私は、肝心の会議内容を後からそれとなく聞き出して、仰天した。基本計画に基づいて、書かれている内容を具現化するための方法を話し合っているのだそうだ。1回目だったから、「交通の便の悪いところに住み、図書館にアクセスしにくい利用者にドローンで本を直接自宅まで届けるにはどうしたらいいか次回までに考えてみよう。」が、次回への宿題になった、そうである(副館長談)。確実にバカにされているのである。けれどもバカにされるにはそれなりの理由がある。図書館から最も遠い十和地区に置ける図書館サービスの実情を記述した協議会議事録が見つかった。ここに掲載する。

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竹村委員の発言「オーテピアは定期的に来るのか」の下の「図書館」の発言部分である。この発言内容も何度読んでもよく分からない。つまり、図書館側が、十和振興局における図書サービスの実体が把握できていないのである。令和元年5月17日の議事録であるので、林課長に問い合わせた。「お時間を下さい。」が返答である。ここで町民が注視すべきは、「図書館長が十和振興局における図書サービスの実体把握もないままに、今年度だけでコンサルに900万円、設計屋に1600万円支払ってZOOM会議に興じ、「ドローンで個人宅に本を託送する方法についてコンサルから宿題を出される」などどいう町民を愚弄するかの如き内容の会議を白昼堂々と展開しているということである。この「図書館」発言部分には発言者名がない、が、私の憶測では、この図書館発言は、私が容疑者であった政治倫理審査会に呼ばれた職員の可能性が高い。おそらく審査会でこの人物への私のパワハラ発言が認定されたのだろう。が、この職員による証言部分の議事録も残されていないという出鱈目さである。私は、この職員に業務内容について質問しただけである。この議事録に如実に表れているように、その職員の回答が、実に分かりにくく意味不明であったので、私の側の追加質問が続いて、外観上は、まるで尋問の如き質問スタイルになってしまったのかもしれない。だが、果たして、責任は私側だけにある、と言えるのだろうか。図書館業務の把握、理解、説明の欠落能力の責任は、果たして誰にもないのだろうか。仮に、非正規職員のまま、権限なく業務に従事してきた職員を問い詰めたのが悪いというなら、館長を兼任する生涯学習課課長が、1年前の議事録の内容を巡って、なぜ今頃「時間を下さい。」なのか。つまり、この図書館長には、図書館実務の把握がないのである。この状態を放置したまま、町は総事業費16億円の文化施設建設に突き進んでいる。コロナ禍など何のそのである。翻って私に課せられた政治倫理上の疑義は、議会が長年このような行政の監視を怠ってきた事の罪状をこともあろうか、行政の仕事内容を最も熱心に把握しようとした私をスケープゴートにして、覆い隠すことにあったのだ。盗人猛々しいとはこのことである。この盗人集団の直近の罪状に基づく、「議員報酬引き上げ事件裁判」が楽しみである。裁判官には願わくば、この時の政治倫理審査会長酒井祥成を是非参考人出頭させてもらいたい。この人物は議員報酬引き上げ時の議長であり、「町長に要書を出した以上、これからは委員会活動を活発にするように。」と他の議員に言い含めた人物である。「委員会議事録をまず公開すべきだ。」と私が言えば、「それは、今は考えていない。」と応答した。おそらく永久に考える気もなかったのだろう。「議会図書室」についての私の一般質問通告もこの酒井祥成は却下した。理由が振るっている。「議会図書室は、議会内部の問題である。」噴飯物である。 「複合文化施設」お話会で、「ストーリー」の読み聞かせを、東京のコンサルタントにしてもらわなければならないのは、本当の所は、この人物酒井吉祥その人である。「図書館って別に決まりはないんだよ。自分が自分自身でいられる所。自分の図書館ストーリーでいいんだよ。見たことないだろうから無理もないけど、自由に想像してみようよ。」とお話ししてもらえばいいのではないだろうか。議会対策として有効ではないか。今度中尾博憲町長に進言してみたら、案外、本気にするかもしれない。

行政も議会も議事録こそが実態を明らかにする。だから発言者は明示したくないし、公開したくないって、「冗談も休み休み言え。」である。

西原真衣

 

 

風力発電と蠢く町政(55)

 性教育の必要性について、教育長の言動から考えてみた

女子中学生との個人的な親交がSNS上で発覚し、20代男性講師が懲戒免職になった事件の報告を受けた。生徒の個人情報保護のため「決して口外しないように」と念を押された、講師名、生徒名は共に伏せられていた。男性講師側の女子生徒に対するパワハラともセクハラとも思えなかった。女子生徒が、実質的な被害者であるとも言い切れないと感じた。20代男性講師が、食事や車でのデートに複数回応じた女子中学生に車の中で、ハグ行為に及んだために相手が泣き出して狼狽して母親に発覚し、学校に知られ、結果男性講師が懲戒免職になったという顛末の事件であった。一般社会通念上は確かに教員の生徒に対する極めて不適切な行為である、が、事情からして恐らくその男性講師は、その女子中学生に本気で恋愛感情を持っていたのではないか。けれども女子中学生は男性の自然な恋愛感情から来る身体接触への願望を予見し切れない。男性に車の中でハグされたらパニック状態になり泣き出すのが積の山である。車で遠出し食事に誘い、何回目かのデートで身体接触に及ぶ、これは、外見上はごく普通の男性の交際相手の女性への行為形態である。この事件の報告を受けた時に、この男性がもし正規教員であっても懲戒免職になるだろうかという思いがまず頭をよぎった。戒告程度で済ますのではないか。講師(今臨時教員をこう呼ぶらしい)であったからこそ、教育委員会は、この事件を教員による生徒に対する不祥事として迷わず即刻に首を切って事態の収束を図ったのではないか。そして最後に議会に報告して「未成年の個人情報保護のため」と銘打って緘口令を敷き、なかったことにする、というニュアンスガ物々しい川上教育長の口調には、なんだか妙に漂っていたのである。女子中学生とは、大人でもなく子どもでもない、かなり厄介な存在であることは間違いない。中学生相手の塾を長年運営してきた私には、彼女達が如何に生気と好奇心に溢れ、同時に性的に成熟しつつある若い女性の匂うような色香を否応なくその場に発散させているのかを体験してきたし、この独特の初々しい色香を、男性がどのように感知しているかは想像に余りあるのである。けれども、である。双方にとって不幸なことに、この20歳代の若い男性講師にとって、彼女の魅力と彼女の心の成熟のギャップは、全く想定外であったのだ。恐らく彼は社会経験と女性経験の両方が、圧倒的に乏しかったのである。そして女子中学生の方も同様に想定外であったのだ。双方にとても危険な幼さを感じた私は報告後、教育長室に赴いた。先日偶々聞きに行った、近森病院県民公開講座の講師の先生を紹介しようと思い立ったからである。当時の塾での女子中学生との接点から、彼女たちの好奇心の強さとネット環境の組み合わせに、かなり危ないものを感じていた矢先に偶々新聞で見た講演のタイトルが「大好きって相手の幸せを考えること―10代の性、デートDV、LINEについて」であったので、聞きに行ったのである。講師は、高知県土佐高校出身の産婦人科医の上村成仁先生、岡山市の駅前で上村ウイメンズクリニックを開業しながら、土日を使って全国の中、高校で性教育の講演を精力的に実践しているという人であった。岡山大学の女子学生とコラボして10代の性に関する悩み質問にも応じているらしい。以下が近森病院の広報誌で紹介されていた講演の記事である。

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川上哲夫教育長にこの人物を紹介し、地元中学校での性教育の講演に繋がればと思いついたのである。何より私はこの上村先生の人を引きつける話術の巧みさと、10代の性の切実な悩みに心底寄り添う人間性に、すっかり魅了されていた。上村先生曰く、「中学校では、全国的に一クラスに一人は、性同一障害の子供、そして学年に1人は堕胎経験をした子がいます。そのような環境で、命の大切さを教える授業をしてはいけません。その子はその授業を受けたら死にたくなります。」私は、まずその事実に驚いたが、それ以上に感銘を受けたのが、上村先生の中学生を見る眼差しの大人として慈しみ、優しさである。性同一障害の子供は元より、男性の性欲についての知識もなく、避妊知識もないままに、偶発的、事故的に妊娠してしまった女子中学生とは、車の中でハグされてパニック状態に陥り泣きだす中学生と同一平面上にいる女子中学生である。このような体の成熟と精神の成熟の著しいギャップは、思春期の女子児童、生徒をして、好奇心や無知や無防備さが相まって、望まない妊娠という最悪の結果をもたらす危険性を内包している。私は自分の運営する塾を通じて、女子中学生との接点があったので、男性一般にとって、彼女たちがどれほど生気に満ちた若い女性としての性的な魅力を放っているかをある程度想像できたがゆえに、彼女達の身に起こり得る危険性を感じ取っていたのである。このような性的魅力を放ち、かつ妊娠可能な女の子たちには、男性の性欲について教えるべきではないかと、まずは考えた。男性一般の女性に対する恋愛感情と性的欲望の関係性についてであり、女性にとっての性の発露は男性にとっての性の発露とは、発達段階における発露の機序が全く異なるという生物的な事実を、妊娠可能な年齢の女子児童、生徒には教えるべきではないかと、事件の報告を受けた際に真っ先に思ったのである。そこで、教育長室に直行し、教育長に上村先生を紹介した。「今の時代、子供たちを性的な情報から遮断することは、インターネット環境に晒されている以上現実的ではなく、その結果女子中、高校生が無知と幼さから性的な事件に巻き込まれる危険性が高まっている。だからこそ、学校で正しい性の知識の伝授が必要とされているのではないか。」というような言い方で、教育長に、自分の意図を伝えようとしたのを覚えている。実際のところ、私は、上村先生から、「田舎の女子中学生は安全なんてことは全くない、SNSで知り合った成人男性が、週末車を飛ばして遠路その子に会いに来るなんことはざらだ。」と聞いていたのである。私の話に、一見熱心に耳を傾けながらメモを取るしぐさをしていた川上哲夫教育長は、私の話を聞き終わるやいなや、最後にたった一言、私にこう言った。「そりゃ確かに、セックスしたらいかんとは言えませんよね。」この一言で、私は、自分の試みが全く無駄であったことを一瞬にして悟ったのである。「そりゃ確かに、セックスしたらいかんとは言えませんよね。」この一言は、川上哲夫教育長自身の極めて即物的で貧相極まりない、性に対する意識、言い換えれば彼の女性観を表していると、私には映った。上村先生とは実に対照的である。10代が男女とも性に目覚め、男子生徒の側は性欲に翻弄されもするだろうし、女生徒の側には不安や戸惑いもあるだろうし、その過程を通じて性自認を内包した自我を確立していく事への深い理解と洞察が、上村先生の側にあるとすれば、川上哲夫教育長の側にあるものは一体何だろうか。女性という他者に対面し、思春期以降の長い自己への問いかけを経て性自認を内包した自我を構築してきたらしき形跡がこの人からは全く感じ取れなかったことの驚愕と絶望感。このような人がよりによって教育長なんて。実に質の悪いジョークのような世界ではないか。残念ながらこれは、川上教育長に限らないことは、疑いない。学校現場で頻発する若い男性教師の女子生徒への「ワイセツ」事件として報道されているものの本質には、体制側つまり学校側の性に対する無理解と無教養をやはり濃厚に感知してしまうからである。しかしながら、「そりゃ確かに、セックスしたらいかんとは言えませんよね。」が、川上哲夫教育長の私への唯一の反応であった事は、実話である。実話であるからこそ、「生徒の個人情報保護のため」口外禁止と抑止されても、これを書こうと思い立ったのである。一つには、このような際の咄嗟の言動には、教育長の教育長としての資質が濃厚に表出していると確信するからであるし、もう一つは、このような事案が生徒の個人情報として保護されるより、むしろ学校に置ける思春期の性の行動形態の発露の事例として、教育行政に係る大人を含めた周辺の大人が、情報を共有し、ここから学んだ方が遥かに健全であると思うからである。論より証拠、私は自分の塾で二人の男子中学生に対して上村先生の受け売り授業を早速実践してみた。「男子の体では一日でに5億子の精子が作られている。だからかわいい女の子を見たら、触りたいと思うのは自然なことらしいよ(私が男じゃないのでこう言うしかない)。決して変態じゃない。でもね好きな子は大事にしなきゃいけない。だからね、上村先好き先生が言ってたけど、好きな女の子とデートする前には、マスターベーションを2回はしていけばいいって。」ここまで私が言った時の、二人の中学生の男の子の顔に浮かんだ恥じらいと安堵がないまぜになったような、実に可愛らしい、初々しい表情を見た時に、私は、自分自身が男性の性をいかに理解していなかったかにはたと気づいたのである。男とはこんなにも切ない生き物だったのかと、恥ずかしながらこの時生まれて初めて思ったことを白状する。結局、大人社会におけるセクハラ対策は、ここから始まるのではないか。牽いては、男女共同参画社会の実現のためには、男女双方の互いの性に対する相互理解に向けた教育が思春期から開始される必要があるのだろう。さて、これを書いているうちに、5月11日に開催された臨時議会を経て,川上哲夫教育長は退任、新たな教育長として、人材育センター室長であった山脇光章氏が選任された。新教育長の性意識やいかにと思いつつ(もちろんそれだけではないが、男性である以上性自認と自我意識は分かちがたく結びついているはずである。)、早速教育委員会定例会に傍聴に行くつもりである。

 

西原真衣