呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(133)

       老害議員と子供の未来

「文化的施設サービス計画案」に対する3件のパブリックコメントを読んだ。3件24項目である。前回の記事で、早とちりがあった。十和在住の3名の女性の意見を感知したつもりだったが、推測が一部外れていたことに気が付いたので訂正したい。「文化的施設の図書館機能における蔵書の拡充と移動図書館は矛盾する、クラウドファンデイングの導入には反対」という意見を見つけたからである。これは、まず十和発ではないだう。なぜかと言えば、私の認知する十和は、四万十ドラマに代表されるクラウドファンディングとワークショップの聖地であるからである。コロナ禍対策としても、真っ先にクラウドファンディングで手を打って一定の売上げを確保し、「つながれた」ことへの感動をマスコミで述べたのが、四万十ドラマ社長の畦地氏だった位である、だから、上記パブコメは、四万十ドラマ界隈からは決して出てこないと思うのだ。私の居場所とは、文化の地層がかなり異なるのである。 

 さて、四万十町議会3月定例会でも、移動図書館用車両購入費用500万円の予算削除という動議が出され、5対9で否決された。動議提出者は、教育民生常任委員長の古谷幹夫議員である。「ニーズの把握が乏しい、時期尚早である」というのが主な理由だったらしいが、この事業は、平成28年度から準備されてきた事業である。8年目の今頃「ニーズ」を持ち出すこと自体に私は強い違和感を持った。そもそも新しい施設建設は、町民の要望から始まっていないし、又建設への本格的な住民意向調査を実施したこともない。従って、議会内部における「なぜ今文化的施設なのか」が討議された経緯自体がないことを棚に上げ、それも移動図書館限定で、「ニーズがない」などと予算削除に走るのは、議会本体の姿勢として、全く説得力に欠けるのである。行政から提供された情報のみに基づいて対処し続けた挙句、最終局面で、パフォーマンス的に議会の議決権をちらつかせるというお決まりの行動パターンが踏襲されているとしか見えないのである。いい年齢をして自分達の「勉強不足」「討議不足」を棚に上げ、相手方の「説明不足」を責め立てるのは、実に見苦しいことこの上ない。私の視点からの彼らの勉強不足の内訳目録は、以下である。

1.基本構想、基本計画検討委員会の議事録を読んでいない。

2.図書館協議会議事録を読んでいない。

3、平成28年時点からの議か教育民生常任委員会議事録を読んでいない。

4.教育委員会定例会議事を読んでいない。

5.平成28年時点図書館美術館に設置された意見箱に投函された意見の一覧表も読んでいない。

6.文化的施設の必要性の出所として説明資料に登場する、「町民懇談会資料」「各審議会代表との協義の概要」「教育委員会と準備室との勉強会の記録(令和3年11月25日開催)」を読んでいない。

7、動議の不採択に回った中屋康議員は、平成31年度から2年間教育民生常任委員会委員で、動議の不採択側に回った村井真菜議員は、同副委員長でありながら令和元年11月12日に委員会活動として実施した教育委員会との意見交換会を「非公開」で実施している(議事録は開示されない、非公開理由も知る由もない)という体たらくである。

概括すれば、相手の「説明不足」の指摘前に圧倒的に立ち塞がっているのが議会側の怠慢と無能である。上記資料は全て私の手元にある。つまり議会の調査権など発動しなくても誰でも入手できるということである。だからして、かって私が議会で糾弾された「議員個人には付与されていない調査権の発動」というのも完璧な虚偽である。上記資料を議員でない今の私が、議員個人には付与されていない調査権を町民として発動して入手したなどという事はあり得ないからである。「議員個人には付与されていない調査権の発動」などというものが本来存在しないことの証拠であり、結局彼らは単に公文書の在りかに疎く、従って情報公開条例を使えず、議事録の意味することを理解せず、選良どころか一般町民(私の事ではない)より遥かに低レベルに留まっているという事でしかない。この低レベル化を齎した元凶は何か、ずばり選挙制度である。供託金の異様な高さ、選挙の手法的な愚劣さ(個別訪問と選挙カーに頼る)、小選挙区制度が相互作用し、選挙に出る人の質が限りなく落ちてしまった挙句、若者にとって政治家がエリートどころか、ゴロツキに近く見えるのも無理はない。がされど議会であり、権限と決定権を持っている以上は、彼らを絶えず監視する必要があるのである。

 動議に戻れば、アンケートが拾えていない、移動図書館のニーズとやらの部分を、教育委民生員会は独自調査すべきであった。ニーズを拾えるアンケ―トの設問内容を教育民生委員会本体が設計し直すべきであった。「ニーズの把握が乏しい、時期尚早である」という理由で移動図書館購入予算の削除の動議を出す前に、「ニーズの把握のどこが足りないか」と質疑を通じて具体的に明らかにし、行政側のニーズの把握を促進する方向付けをするべきではなかったのか。平成28年度以降の教育民生委員会委員長は以下である

平成27年~29年 委員長:下元真之 副委員長:林健三 委員:下元昇 緒方正綱 水間淳一

平成29年~令和1年委員長:中屋康 副委員長:村井真菜 委員:岩井優ノ介、酒井祥成 緒方正綱

令和1年年~3年委員長:古谷幹夫 副委員長:武田秀義理 委員:水間淳一、堀本伸一、田辺哲夫

彼らは今まで随分県外図書館の視察にも公費で赴いているはずである。結局視察等全く無駄であった。行政側にニーズの把握ができていないと言うならば、その手法のどこにどのような不備があるかを具体的に指摘し、執行部に対して、代替案の提示位したらどうだろう。その為に議会には調査権が付与されている野じゃないのか。公聴会も開催できる。専門家を参考人として招致もできる。議員報酬引き上げに賛成し、「議会で決まったことに本会議で反対したことは極めて不愉快、責任を取ってもらいたい。」と議決後の全員協議会で発言した古谷幹夫議員、議員報酬引き上げ分は委員会活動の活発化で町民に貢献するという了解じゃなかったのか。未だに委員会議事録作成に10ケ月を要し閲覧に開示請求が必要という体制を放置している議員の面々は、口が裂けても「委員会活動やっています。」とは言えないはずである。昨今、申し訳のように「委員会活動報告」とやらが本会議で為されるようになった。「今後とも一生懸命やりますので町民の皆様宜しくお願いします。」などと林健三産業建設常任委員長が報告を結んでいたが、町民が期待するのは、所信表明や報告ではなく、委員会活動によって中身が充溢された本会議質疑であるという事さえ理解できていない様子であり、やはり老害議会」であることが今回の動議で一層露わになったのだ。古谷幹夫議員は、老害議会の老害振りの立役者となった。この趨勢に乗じて「時期尚早」と動議の賛成討討に立った、村井真菜議員の言動にも注視が必要である。村井真菜議員は、議会最年少にして、子育て中の十和在住女性議員である。「文化的施設建設中止及び見直しを求める陳情書」、見直し提案として十和分館の建設が明記されていたのを知らない訳もないだろうが、村井真菜議員の今回の発言から推察されるのは、「問題の本質を理解していない」という事である。議会HPの職業欄に「音楽家と記載している位あって、議会でも専ら即興演奏的に発言しているのではないか。村井議員発言は「感性」に根差しており全く練られていないが故に迷走する。結局この人物もまた、議会最年少ながら、他の老害議員と同様、「図書館」と無縁のパーソナリテイの持ち主である事が見て取れる。ここで「図書館」で表現したいのは、彼らが「読むべきものが分からず、読むべきものを読まない。」という事である。彼らの酷い勉強不足は、上に列挙したように「議事録を読まない」ことから来ていると言っても過言ではない。「読む」という行為の意味することは、「発話者の思考の骨格の生成過程にコミットすることを通じて、同時に、自己の思考の生成過程となすことである。」と私は捉えている。そして議員の役割は、「他者(執行権及び地域住民の双方)の話法を解読することを通じて、自己の「議(議員の議)」を構築して「執行権」という権力を質し、監視すること」である。つまり仕事の本質が、「読む」ことに深く関わっているのだ。「読む」ことは本質的に極めて能動的で意志的な行為である。そして「読む」ことを支える社会インフラが「図書館」である。「読む」ことの重要性を理解しない議員の面々は当然のことながら「議事録」の重要性も公共性も理解しない。議事録を取ることの目的と意味は、「議事録が政治的判断、言い換えれば歴史の生成そのものの記録であるが故に、歴史を共有する社会構成員全員の共有財産であるから」である。「議決権」に執着の色を隠しきれないように見える古谷幹夫議員は、歴代最高票(1003票)で初当選した議員ではある、が、票からみる古谷議員への支持は、どうも議事録の重要性の認識とは無関係であるようである。私が執念深く議事録の速やかな作成と公表を議会に対して促し続けてきた経緯の中で、やっと委員会報告書が委員会議事録に替えて議会HPに掲載されるようになった。が、継続的に見てもらえれば分かるが、A41, 2枚の委員会報告書を委員会開催後2週間以内に提出できた試しなどないのである。通常2、3ケ月はかかる。この不備を古谷幹夫委員長に直に指摘し、改善を要求したことがあるが、その時、古谷幹夫議員からは、想定外の意外な反応が返ってきた。「自分が所属していない他の常任委員会の審議内容を知る目的で古谷議員自身が議会HPの委員会報書に目を通す必要が生じないか。その時2、3ケ月遅れであれば自分自身の仕事に支障がないか(議会質疑の準備段階で、特定の町の事務事業の実態を知る必要が生じた際、自分が属さない常任委員会の審議内容を知る必要性は当然生じてくる)。」と私が聞いた際の古谷幹夫議員の応答のである。

古谷幹夫委員長:自分は議会HPをみる必要がない。委員長に見せてもらう。

注釈:見せてもらうにしても、報告書が、議会事務局に提出されていなくては見せてもらう事はできないはずであるし、自分が議員であるから自分には議会HPは無用であるという発想に驚いた。古谷幹夫議員には「議事録とは公共物」とい言う認識が完璧に欠落している。この脳内環境を私は「老害」と表現しているのである。異常たんぱく質の蓄積が引き起こす脳神経細胞の変性が認知症を発症さすことを参考に、私は議事録への認識で議員脳の老化度を計測している。「議事録の公共性と共有性」の認識は、老害判断のメルクマークとなるし、同時に「権力の私物化」の境界線ともなる。私の考えでは、「公共性」とは「共有性・公知性によって実装されるものである。そこで、昨今の自民党憲法改正論の如く、「公共の福祉のために一定の制限を受ける基本的人権という文脈における「公共」を権力の側の一方的な時々の判断に任せてはならないという結論が出てくる。その認識だけが、権力の私物化の究極の姿である専制・独裁体制」への唯一の防波堤となる。議事録を読まず、従って質疑力の極めて乏しい四万十町議会は、その防波堤の構築ができないということである。議員報酬引き上げ後に委員会の開催回数を年8回から20回に増やした、がその中身は、極めてお粗末である。執行部を呼びつけて、「分からないこと及び知らないことを聞く」が大半であり、後は議事に事欠いて「議会基本条例や会議規則の輪読」「無意味なアンケートの実施」等愚にもつかないことをやっている。彼らを見ていると「学習習慣が身についてない学童」めいて見えること屡である。「社会教育を目論んだ集落座談会風勉強会」と言えば最も実態に近い。それで報酬を受け取っているのである。この話にならない酷い実態こそケーブル中継すべきである。文化的施設絡みでも、議会質疑より、生涯学習課所管の審議会である図書館協議会」「社会教育委員会」「文化座保護審議会」等の審議内容の方が遥かにましである。議事録を読み比べて見れば分かる。「子どもの未来」に投資するのであれば、15億円の建造物は無用である。図書館の行政文書コーナーには、まずは議事録を網羅的に収集すべきである。更に学校との連携面では、学校の「総合的な探求の時間」に教材として四万十町が保管する議事録を提供すればいいのではないか。その探求を通じて時間をかけて、未来の議会議員を養成していくのである。これこそが、最良の「ふるさと教育」「人材育成」である。現図書館員が、行政文書を「役場の人が持ってきてくれたもの」としか記述できないという事は、図書館員が今までの全生涯で受けて来た教育の結果であり、同時にその受けた教育の水準に密接に係わる統治機構における図書館員が置かれた組織的上の地位の結果でもある。ここで明言すべきは、「教育」「地位」とは、「学歴」「査定」のファクターではなく、むしろ「性別」「縁故」のファクターであるということである。「性別」「縁故」の帰結として、図書館員である彼らが採用以来培ってきた職務上の認識と理解を指しているのだ。図書館員は全員女性である。だからこれは四万十町正規女性職員にも同様に言えることである。私は体験的に、四万十町正規女性職員の四万十町公文書」への認識が、非正規女性職員である図書館員の「役場の人が持ってきてくれたもの」からさほど距離がないということを知っている。「子どもの未来」はこの現実の到達点の上に構築するしかないのではないか。だからこそ、建造物はいらない。まずは、パブリックコメント書いてみよう」ではなく、「議事録を読んでみよう」から始めるべきである。

西原真衣

 

 

風力発電と蠢く町政(132)

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四万十町HP「町長の部屋」より転載
   落選運動-中尾博憲町長候補ってこんな人です

  「文化的施設」の裏側が語る中尾博憲像

その1.教育委員会の実態

岡澄子教育は、委員会半年欠席でも満額報酬を受け取っている。文化的的施設整備推進準備室との重要協議に半年間出席していない。四万十町教育委員会は形骸化の一途を辿っている。選任されても発言皆無の委員もいる。月額報酬47000円は全額我々の税金、議会教育民生常任委員会との意見交換会、文化的施設整備推進準備委員会との意見交換会(準備室は毎月のように定例会に説明に赴いているそれとは別に意見交換会を設定、この2つの意見交換会は、非公開で議事録なし、理由不明な、「忌憚ない意見交換」のための非公開化である。忌憚ない意見が非公開でしか出ない教育委員会などは、単なる追認機関で無用である。特に岡澄子氏は、教育委次長、教育研究所所長、教育委員を歴任した人物、とは言え教育委員になってからの発言はほぼ皆無である。「簿冊管理表」を作成できななかった前々教育研究所所長のT氏の職務遂行能力に疑義を呈した私は、政治倫理審査会にかけられ辞職勧告を受けた、この岡澄子氏は教育委員会次長時代に「所長が簿冊管理表を私の所に出してきましたが、とてもじゃないが外に出せるようなものではなかったので今研究員に作成を命じています。」と私に告げた張本人である。教育研究所事務分担票の所長欄には、「事務統括」と書いている。T氏は町内小学校校長上がりであった。教員退職者の退職後の教育研究所情実採用の証拠がここに現れている。能力が問われていないのである。政治倫理審査会で、「所長が簿冊管理表を私の所に出してきましたが、とてもじゃないが、外に出せるようなものではなかったので今研究員に作成を命じています」を証言して欲しいと私信で依頼したが、岡澄子氏はそれを川上哲夫教育長に預けて退職し、自分自身が教育研究所所長の後釜に座った。教育委員となってもほぼ発言皆無で半年欠席でもお咎めなしという特別な扱いを受けている。

これが中尾町政下の教育委員会人事行政の実態である。

その2.教育委員会生涯学習課による図書館行政の実態

館長は生涯学習課課長が兼任、図書館員は全員時給で働く非正規公務員である。唯一正規職員である副館長は議事録の重要性を認識せず、「館長に意見を述べることができる」立場の図書館協議会の議事録の作成と公表は、1年近く放置されてきた。これで3度目である。つまり議事録の重要性、作成目的を理解しない職員副館長として長年図書館に配置されてきたということである。町政に関心があれば町政の意思形成過程である議事録の重要性を理解でき、議事録作成を怠る事にはならないだろう。だがその様な職員は過去に図書館に配置されことはない。非正規職員の図書館職員に至っては、その様な正規職員に目一杯の敬語を常時使いつつ、四万十町公文書コーナー」の資料を説明する言葉は、唯一「役場の人が持ってきてくれたもの」あるという有様である。四万十町行政文書について、まともな研修を受ける機会もなかったということである。研修は必要であるし、研修を受ければ、その内容を理解するだけの能力のある職員本来図書館には配置されるべきである。かねてから図書館に据えられている意見箱に投函された意見は、集計されたことも分析されたことも公表されたこともない。ところが、平成28年に文化的施設構想が立ちあがってから急遽、検討委員会や、意見公募やアンケートがこれ見よがしに実施されるようになったのである。突然の変貌である。町長中尾博憲の「文化的施設を作る」という特命が下ったからである。これらの流れの中で常に町に対して迎合的な意見を述べる3名の子育て世代の女性が現れた。全員十和地区の居住者で、地元出身者ではない。彼女たちの動きはなかなか興味深いので紹介したい。一人目は教育委員の佐々倉愛氏である。二人目は、図書協議会委員兼検討委員会公募委員の刈谷明子氏である、3人目は検討委員会公募委員兼四万十町総合振興計画公募委員である酒井紀子氏である。この3名は発言力と積極性で群を抜いている。現職議員の村井真菜氏よりむしろ発言内容が印象に残る位である。議事録から、私にとって印象的であった発言内容を若干紹介したい。

佐々倉愛委員:パブリックコメントは批判のある人がするものというイメージがある。「期待してます」や「楽しみにしています」という応援型のパブコメもできるというメッセージを準備室から伝えて欲しい。私もパブコメするつもりでいる。

大元政策監:佐々倉委員のおっしゃる通りで、その様にしていきたい。

注釈:上記発言は直近の教育委員会定例会でのもの。

刈谷明子委員:町長部局への移管のどこが問題なのか分からない。人口減で財源も不足してる中でクラウドファンデイングを取り入れるというのはどこも普通にやっている。

注釈:図書協議会の場で、社会教育施設の中核の図書館を町長部局へ移管することへの違和感が、竹村明子会長、武内文治委員、金子仁委委員の3名から提示された際の発言。武内文治委員が、クラウドファンデイング等は、公共の図書館に馴染まない。税金を財源とするからこそ公共の図書館であり、それゆえ選書と蔵書構成の在り方が問われる」と、実にオーソドックスな図書館論を展開した。刈谷委員の、クラウドファンデイングへの言及はそれを受けてのもの

酒井紀子委員:四万十町の子供が、外から元から頭が悪いと思われないためにもSTEAM教育を文化的施で積極的に提供して欲しい。

ARG 岡本真氏:今は現実問題として学歴で生涯賃金に大差が出る時代であり、四万十町の子どもがDNAレベルで頭が悪いと思われないようにするためには、STEAM 教育を初め、情報リテラシーの習得が避けて通れない。四万十町文化的施設構想に、STEAM教育を取り入れますと明記することは素晴らしい。日本初の物となる。

注釈:平成28年に立ち上がった文化的施設検討委員会での発言である。準備室も教育委員会や図書館協議騎回の場で、文化的施設へのSTEAM教育の導入理由について聞かれたら、検討委員会から出たものであると説明し続けている。が、ここには実は裏事情があった。図書館コンサルタントの岡本真氏の登場は、平成28年の事である。この時参集した検討委員達は、何を決めれるかの権限(施設の立地及び規模、裏付けとなる予算措置並びに内容)があるのかさえ不分明な状況下で、ひたすら町長中尾博憲の文化的施設を作りたいの民意醸成アリバイ作りに奉仕させられたのである。岡本真氏は総務省の地域情報化アドバイザーである。これが布石であり、準備室はごく最近になって、地方分権改革の第11次答申に含まれている、「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」を議会や教育委員会に対して資料提供し始めた。この答申内容こそが岡本真氏のアドバイスの内容その物であった。曰く、人口減少、財政難時代に置ける観光や町づくりと一体的に整備する図書館、美術館等の社会教育施設伝々である。society5.0時代の情報リテラシーの向上も内包されている。この情報の出し方の欺瞞性の背景にあるのは、概念装置は常に国家が造成し、知識に乏しく物分かりの悪い地域住民の民意の集約には、コンサルタントによる難しい言葉を排除したファシリテーテイングが必須であるとでも思っているのであろう、明治以来の中央集権国家のスタンスである。そして財政に通じた四万十町役場の精鋭(と町長部局が見なしている職員集団)を結集した文化的施設整備推進準備室はこの情報の出し方を自ら議会、住民に向けて演出、実践している。最初は町直営で指定管理(民間委託)も視野にあると最近になって言い出した準備室である。彼らの目線がどこを向いているかは明らかではないだろうか。一頃一世を風靡し、行政や議会の視察が絶えなかった佐賀県武雄市TUTAYA図書館が、郷土資料の廃棄やTUTAYAから回ってきた中古本の大量配備等の問題を抱え、本の分類も支離滅裂、「新しいライフスタイルの提案」等という中身のないキャッチフレーズだけが跋扈する、得体の知れない図書館となり果て、住民訴訟まで提訴されていることを準備室は知っているだろうか。地方分権改革や指定管理について、その様な先行事例こそが伝えられるべきではないだろうか。四万十町教育委員会は、武雄市TUTAYA図書館に視察に行っており、そして、今図書館の町長部局への移管にも全会一致で異存がないという事である。図書館協議会の方がよっぽどまともな審議が展開されている。取り分け、竹村明子会長、武内文治委員、金子仁委員の3名が、「図書館、美術館の町部局への移管には違和感がある。」と発言している。方や山脇和章教育長は、教育委員会の席で「一般町民には、町長部局とかの用語はまず分からない。」などと発言し、一般町民の行政知識の乏しさを指摘しているが、当の用語を運用している人間が、町民にする用語説明の責任を負うている。とも思わないところが、そもそもの山脇和章教育長の認識を疑う話ではないか

 さて万全の根回しで臨んだ四万十町議会3月定例会の場で中尾博憲町長は、行政報告中で、パブコメの結果は意見提出が3名、項目は24項目に渡った。」と発言した。実際のパブコメ結果資料を見れば、内容は全体的な好印象を語りつつ、枝葉末節的な細部の手直しを提案するとうというスタイルであり、それこそ「応援してます」的なメセージが横溢していた。佐々倉愛氏発言「私もパブコメを書こうと思っている」からして、3名の中には、佐々木愛教育委員は含まれているだろうし、あくまで推測であるが、刈谷明子委員も含まれていそうである。もう一人の検討委員会の公募委員であり、活発に発言していた酒井紀子委員も含まれていそうである。この3名は全員十和で子育てをしている。車で1時間かかるところにできる文化的施設にそこまで期待できる理由が正直私には分からない。検討委員会の場でも刈谷委員と酒井委員の並々ならぬ熱意に圧倒された。コンサルタントの岡本氏ともフェイスブックのチャット機能を使てよくやり取りをしていた位の入れ込みぶりであったらしい(関係者談)。中尾博憲町長は、就任以来人材育成をモットーとしてきた。がここに来て、何だか、中尾博憲町長直属の人材育成センターが実施している町営塾の講師たちの発想や思考も、何だか、「DNAレベルで頭が悪い」や「学歴で生涯賃金格差が生まれる時代」発言の図書館コンサルタン岡本真氏に似通っていると私は気付いた。

その3.「町営塾」の実態

中尾博憲町長が人材育成を目玉に町営塾が設立された。町営塾運営を委託しているファンデイングベース佐々木社長の思考と文化的施設のために町に呼び込まれた図書館コンサルタント岡本真氏の思考にはある類似性がある。以下塾関係者と私とのやり取りである。

西原: 公費が投入された町営塾には成果である進学実績は、より数値化して公表すべきではないか。進学先名だけでなく一般入試か推薦か、進学先の偏差値とかの情報がないのは、成果情報の提供面で、余りにもお粗末ではないか。

塾長:進学先は偏差値的にはごく普通のレベルなので、大手前高校から一橋大学へ進学とかなら別ですが。

注釈:窪川高校や四万十高校からの進学先の偏差値は、ごくごく普通なので公表する価値があるのか、宣伝公開が期待できない、と言わんばかりの応答である。偏差値信仰はさておき、偏差値は、大学入試制度上、ひとまず現況では無視できない評価指標であり、公費で運営されている町営塾の成果発表に進学先の偏差値が示されないのは不当だと指摘したつもりであったが、塾長から帰ってきたのは上記の言葉であった。

塾講師:「じゅうく」は独自企画した総合的な探求の時間で、ファッションを切り口に、高校生に「生業」「世の中」の仕組みについてい今までにない視点で考えさせる授業を展開している、今、日常身に着ける大半の服は人件費の安い東南アジアで作られているので値段を安くできるとかを教えている。

注釈:町営塾が単独で企画した「総合的な探求の時間」的授業を塾生に対して実施しているとの情報を得て、その授業内用を聞いた際の応答

西原:この地にもかっては縫製工場や製材工場がたくさんあって町の人の一大雇用の場場になっていた。経済のグローバル化に伴う地場産業の衰退という視点が地元高校生には有益ではないか。地元と世界を繋げる視点である。

塾室長:地元の事は関係ない、外の世界、地球レベルの事を教えたい。

西原:「世の中」と簡単に言うが、「世の中」「外の世界」「地球」「社会」「世界」の概念をどのように使い分けているのか。それらの概念と「地元」は関係づけられていないのか。

塾室長:そんなこと考えて何かいいことあるんですか。

注釈:「なんかいい事」とは、自分や生徒にとってのメリットという意味であろうか。地元産業が、工場立地やサプライチェーンの分散化、グローバル化によって多大な影響を受け徹底的に衰退したというう経緯こそが、地元と外の世界を繋ぐ認識上の糸口なのである。縫製工場も製材工場も壊滅し、替わって介護施設ばかりが乱立し、高齢化率も上昇の一途である。その状態に打つ一手が、「子どもたちの未来への投資―文化的施設」としたら、こんな不見識はないだろう。公務員の世界だけが、この環境から人工的に切り離され、国家のデフォルト、財政破綻に及ばない限りは守られている「身分と待遇の聖域」なのである。この環境に首まで使って生きて来た中尾町長(政治任用された森武士副町長も含む)の「不見識」「無定見」こそが、この様な、学力基盤自体の怪しい、はすっぱで短絡的な思考しかできないコンサルタントに採用された若者を呼び込んでいるのである。「宣伝価値」「DNA」「生涯賃金等の指標を東京経由で、この地の住民や高校生に齎すために税金を投入していることの救い難い愚劣さと醜悪さを指摘したいが故に実際のやり取りを実写した。これが、中尾博憲町長の目玉政策である「人材育成」「文化的施設」の正体である。それは取りも直さず町長中尾博憲の正体である。その証拠に、ファンデイングベースが採用面接を行って町が追認した講師によるコンサルタントを使う立場にある人材育成センターに所属する四万十町正規職員たるや、講師による授業の評価もできず、授業で使用している教材の把握さえなく、塾の開始前には帰途についているという有様である。かくて「町営塾」は都会の大学生活や会社勤めから骨休めのためにこの町に疎開してきた若者の楽園と化している。因みに彼らの待遇は、就任1年目は月給18万円、2年目は19万円、3年目は20万であり、住居は全て町の借り上げである。塾の稼日数は週3日、開塾時間は、午後4:50から8:50までである。彼らの学歴は、知っている範疇で九州大学筑波大学関西学院明治学院といったところである。人口減、財政難時代の大型箱物の維持費(推計年7000万円)が子供の未来の負担となることを懸念する「文化的施設建設の中止及び見直しを求める嘆願書や陳情」を蹴ってまで推進している文化的施設構想の目的は、当の「子どもの未来への投資」だそうである。が、生憎私の目には、今の町営塾の講師たちの実像こそが地元の子供達の近未来像に見えて仕方がないのである。結局田舎の自治体の楽勝町長が提供してくれる生活環境に勝る環境は、彼らのかっての都会での生活環境にはなかったのではないか。町長中尾博憲は、一挙に議員報酬を45000円も引き上げて四万十町議会議員の生活環境も請われるがままに改善したではないか。この税金大盤振る舞いが中尾博憲の鉄壁の支持基盤、人気の源である。おまけに威圧感0、威厳0である。実に使い勝手の良い町長ではないか。間もなく無投票で3期目に突入するだろう。今後増々の御健勝を祈願したい。

西原真衣

風力発電と蠢く町政(130)

 落選運動ー味元和義ってこんな人です!!!

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四万十町議会HP「議員紹介」より転載

政治家の判断材料は、何といってもその政治家としての発言内容であると私は固く信じている。そこで、今までに収集した幾つかの味元和義議員(四万十町議会議長)の注目問題発言を紹介したい。

味元和義:この報酬額になれば高知県町村議会で何番目くらいの高さになるか(オフレコ)

酒井祥成(当時議長):一番高くなる(オフレコ)

注釈:議員報酬引き上げの要望町長提出の報告会(全員協議会)の場での発言、発言直前に議事録に残らないように録音を止めるよう味元和義議員が示唆、酒井祥成議長が応諾

味元和義:西原議員は、議会で決まったことを守らない議員だから意見を聞く必要はない。議会で決まったことを守らなかった4人の議員に、西原議員同様、懲罰を与えるべきだ。議長の権限は強い。議長が決めたことには従わなくてはならない。

注釈:懲罰とは、一連の私西原への問責決議、辞職勧告、公開の場での謝罪文の朗読、出席停止措置(すべて全会一致)の事を指す。この発言を受けて、岩井優之介議員、武田秀義議員、下元真之議員、中屋康義委に厳重注意文が議長酒井祥より朗読の上手渡された。上記4人は議員報酬引き上げ議案に反対討論の上反対したからである。

「議会で決まった事」とは、議運や全員協議会の場での単なる申し合わせ事項を指す。この事項とは、四万十町議会運営基準の181と182に記載されている。議会運営委員会で決まった事が議会の内規とされ、内部圧力により、服従を要請される、過去に「町民に対して議会の内規とやらを説明し、了解を得た事でもあるのか。」と質問してみたが、彼らは誰もうんともすんとも言わなかった。要は答える能力に欠けているだけである。

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この2項目が追記された、質問による事前調査なく有効な議会質疑は不可能である。議員としての活動を不当に制止する目的の項目、これが味元和義議員のいう「議会で決めた事」の中身であり、地方自治法上、明らかに不当な越権行為が味元和義議員によれば「議会で決めた事」となるという愚劣さである。所詮は、議会内部の愚劣な政争に過ぎない。私が邪魔だったのである。

味元和義:民間は汗をかいている。行政は汗をかいていない。民間であれば潰れる。

米々フェスタに職員が土日出勤している。民間委託の方が経費が削減できる。

(職員の時間外手当についての質疑の一般質問の場で)

注釈:米々フェスタにおける人件費の資料(民間委託と役場職員の時間外手当とのコスト比較資料)を基に担当課よりの説明があった総務常任委員会の場に味元和義議員の姿はなかった。今議長味元も加わる総務常任委員会は、職員のメンタルヘルスの改善を目的とした非公開前提の「職員の時間外勤務の実態調査」を実施中である。職員の時間外勤務の問題の本質は、時間外手当目当ての本来不必要な時間外勤務の横行であり、民間企業のような残業の暗黙の強制や残業代未払の横行とは全く実態が異なる。四万十町においてそのようなものは発生しようがない。「時間外勤務が必であるという自己申告が、管理職によって易々と認められている」だけである。「時間外手当」に対する味元和義議員の問題意識には全く整合性がない。時々の思い付きを出まかせで吹聴しているだけである。これで「詐欺師」を自称しているとも聞く。詐欺師は普通、遥かに知能が高くないか。

味元和義:今回は、議会に新しい風が吹いて良かった。

定例会閉会後の挨の場で、橋本章央議員が自身の一般質問「小さなおうちプロジェクトについて」の中で執行部からの多くの提案を引き出せた、を称して「議会の新しい風」と称した)

議事録によれば橋本章央議員は、一般質問中で、本人が当時受け取っている補助金木材加工流通事業補助事業費補助金の補助率の引き上げや、コンサルタント委託料の補助経費対象化を町長中尾博憲に要請している。おまけに「反問権」を使った、提案を執行部に求めている。情報筋によれば、事前に執行部側の人間10人相当を回って、議場で「提案してくれ」と要請したと言う。議員の地位を利用した露骨にして破廉恥な利益誘導であるが、ここまで臆面ない所作を見れば、おそらく本人にその自覚が一切ないのだろう。ここも知能のレベルを疑わざるを得ない。元々「反問権」とは、質疑の意図を把握する目的で執行部の方から議員に対して質問することを指す。橋本章央議員もさることながら、味元和義議員の閉会後の上記のセリフを聞く限りでは、「反問権」の何たるかを橋本章央議員同様、議事整理を司る議長でありながら味元和義議員は全く理解せず、従って議場における「反問権」の誤った行使時の注意喚起も出来ていない。要するに彼らは法令を一切理解しないまま、手慣れた選挙という手仕事と勘だけに頼って議員をやっているのである。法令を理解しない限り、行政(彼らは少なくとも議員より遥かに法令を理解し運用している)の監視は不可能であり、議員の振りをしながら執行権の寄生物として執行権に阿りながら禄を食む以外の道筋はなくなるのは自明の理である。ここで、私自身が見聞する機会を持った彼らの選挙のやり方の一端を紹介したい。前回の町議選時の事である。味元和義は、地元大正の選挙前の個別訪問時に、議員報酬引上げ議案に反対討論に立った私を意識して、「西原は実は議員報酬は30万円と裏で言っていた」と地元有権者に吹き込んでいるという情報が地元の人から私に提供された。その提供者とは、議員報酬引き上げ議案可決後の緊急集会の議事録を私から受け取り、地元で配布した人物である。選挙の告示前の事である。実はこの同じ議事録が、原告山本たけし氏による住民監査請求と住民訴訟の引き金にもなった。その位、山本氏からすれば、議事録に残る議員連中の発言内容の出鱈目さとさもしさが怒髪天を衝くぐらいの憤りに繋がったということである。その議事録には、赤裸々な彼らの腹の内が記録されていたからである。冒頭に書いた

味元和義:この報酬額になれば高知県町村議会で何番目くらいの高さになるか(オフレコ)

酒井祥成:一番高くなる(オフレコ)

味元和義:西原議員は、議会で決まったことを守らない議員だから意見を聞く必要はない。議会で決まったことを守らなかった4人の議員に、西原議員同様、懲罰を与えるべきだ。

味元和義:議長の権限は強い。議長が決めたことには従わなくてはならない。

もこの議事録中の発言である。尤も議事録と言っても私の自作の物である。正規の議事録の完成には10月かかる。彼らは決して自ら議事録を公表しない。議事録によって町の人間から腹の内を探られることが不都合だからだ。本来「不都合」を通せる立場にない議員集団は、この時点で権力を私物化しているのだが、一切無自覚である。私の「議員報酬30万円」には文脈がある。専業で定数10人という条件付きで提示した金額である。一般的な仮説の域を出ない。兼業が認められている以上、現実味のない試論のレベルの発言である。ところが味元和義は票を取るために、「西原は実は裏で30万と言っていた。」とだけ言いふらして回ったのだ。これを知って憤激のあまり、選挙の事前運動の個別訪問という事で公職選挙法違反を通報しようかとも考えたが、このセリフの証言を取ることが困難と判断して諦めた経緯がある。実の所、大正のとある喫茶店(味元の言いふらし事件を耳にした喫茶店)で「30万円」の真偽を、情報提供者に私は対面で問われた。この喫茶店はいつも「補助金」の話題で盛り上がっていた。誰がどの位の額の補助金を取ったか、それは公平か、公正かという話題である。振動病による労災補償にする怨嗟が地域社会の地層深くに渦巻いていることもここで知った。振動病の労災保険という公金による実質的な生涯生活保障に対する目線はそのまま、議員報酬も含めた補助金の額と行方に対する目線にダイレクトに繋がっていた。それを勘付いている味元和義議員だからこそ、選挙時の切り崩しセリフに「実は西原は裏で議員報酬月額30万円が妥当と言っていた。」を選び取ったのである。この様な直感、アンテナだけを武器に議員をやっているのである。印象的には、人間集団の生活圏から餌を得る生命力だけは異様に旺盛な排水溝に生息するドブネズミに近い。頭の中身は、「この報酬になれば高知県町村議会の報酬の中で何番目の高さになるか」が入口で、「西原は裏で議員報酬月額30万円と言っていた」が出口となっている、頭脳がなく消化器からなる回虫並みである。回虫は寄生虫である。常套句が「町長与党」であるところを見れば、町長中尾博憲に寄生しているのであろう。食性からして下卑ている。類が友を呼ぶとはこのことか。。ところで「裏で月額30万円と言っていた」は、全員協議会の場の私の公式発言で議事録にも残っているので、「裏」ではない。この議事録は、住民訴訟で裁判所に提出したはずである。が、誰も議事録に当たらず、全体の文脈を知ろうとせず、ただ補助金の交付先とその金額が最大の関心事であれば、味元和義議員の様な理非を解せず、法令を理解せず、「予算書は議会事務局のロッカーに入れっぱなし」でも、おまけに「議員視察研修旅行時には決まって風俗遊びに走る」という行動歴の持ち主であっても地元大正では、議員の振りができると言う事なのだろう

注:上記の逸話は、複数の元同僚議員から聞いた。同僚議員でなければ知りにくい情報であり、強い信憑性を感じたので書いた。議員職という公職絡みの行状(予算書の取り扱いと議員視察時の行動)であり、個人情報と見なすには無理があると判断した。議員像の全貌をとら捉えて伝えるのが今回の目的であり。その目的達成のためには是非とも必要な逸話と判断した。

この様な味元和義議員絡みの逸話だけで大正という地域の地域性を語るのは乱暴に過ぎることを承知の上で敢て言いたいことがある。それは、少なくとも味元和義議員という出鱈目人間が議員の振りができる地域風土は、「議事録を読まない」のが圧倒的に多勢である人間集団によって成り立っているという事である。少し前に知人が「消費税増税の中止を求める陳情」を議会に提出したことがあり、その陳情書は私の手元にあり、考え抜かれた筋道(文脈)を持っている。ところがこの陳情が付託された総務常任委員会の審議内容を纏めた委員会報告書が、呆れるほどにお粗末なものであった。以下陳情文と陳情者に送付された審査結果双方を公開する。

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陳情文と議会による審査結果の著しいレベルギャップの存在が見て取れる。陳情を出す一般町民側の方が、それを審議する議会側より遥かに、知識があり、輪郭が明確な意見を文章化できるという事である。ところが彼ら議員を選んでいる町民がこの現状を知る機会が実に乏しい。議場に来れば別だか、一般町民が知り得ることは、現状では、議会HPに掲載された、陳情請の提出日、案件名、処理結果(採択、不採択、継続審議)だけなのである。私はこの状況を是非とも変えたいと思った。このままでは議会の異様に低レベルな審議能力が誤魔化されて放置され、結局不問に付されると思ったからである。そこで、早速、議長味元和義に議長室で、「陳情請願文書表及び委員会報告書の議会HP全文掲示を申し入れた。長谷部議会事務局長もそこに同席した。数日前の事である。

注:議場に赴けば陳情請願文書表も委員会法報告書も入手できるが、平日の昼間に議会を傍証できる人は限られている。この試みも「議会の見える化」の一環である。知られないという事は、議会側の怠慢と不勉強が放任され、淘汰されないという事であり、結果議会の質の向上は期待できない。これはあらゆる人間集団における普遍的な原理である。それの防止策として、情報公開=透明性が必須なのである。議会の質の低さは政治の質の低さに直結し、やがては政治家によって統治される運命にある我々の日常生活に多大な厄災となって降りかかってくるはずである。現況のコロナ禍がその典型である。

西原:陳情請願文書表と委員会報告書を議会HPで公表できないか、議会に何か陳情され、議会がそれをどう判断したの全貌が現況では何も町民に伝わっていない。町民への周知目的で議会HPがある。できなければその理由を明示してもらいたい。

味元和義:議長の一存では決めれない。議運にかける。

議長には議会の事務を統理する権限がある。一存で決めれる事案である。要は判断できないという事である。

以下電話

西原:議運にかけるというのは確かな事か。

味元和義:3月7日に議運がある。そこでかける。

西原:議運は傍聴可能か。定例会前の議運ではないか。定例会前の議運は非公開ではなかったのか。

味元和義:個人情報が出たら退席願う事もある

西原:議運で出る個人情報というのが理解できない。どのような事例を指しているのか。

味元和義:今回、人権条例の件で山本某という人から陳情意見が来ている。

西原:それは窪川人権教育研究会を代表した山本哲資氏の事ではないか。陳情者である団体の代表者名が個人情報と言えるのか。

味元和義:今仕事の帰りである。今度議運の田辺哲夫委員長と会う。そこに来てくれ。

西原:行く必要はない。議長が今答えるべき事である。仕事帰りは関係ない。政治家として電話に応答してきた以上は、聞かれたことに応えるべきである。

味元和義:だったら、もうおらに二度と電話して来るな。

西原:ふざけるな。そんなことを言える立場か。

「ふざけるな」とは当方も言葉も悪いが、こう言うしかないような相手の出方なのである。要は「答えられない」という事であり、他の人物を同席させて誤魔化そうという魂胆である。これが味元和義議員の常套手段である。私の「議会の見える化を求める陳情」で、定例会開催前の議運は、非公開を理由に議会HPと文字放送で開催日時が周知されていないので、非公開理由を付して開催日時を周知すべきと陳情した(非公開の非周知を認めれば、恣意的な非公開が生まれる素地となる、その証拠に今回も陳情提出者名が個人情報という珍妙な理由が出現している。)その陳情審査時にも、味元和義議員は総務常任員としてその審査の場にいたのであり、同じことを電話で繰り返し聞いた私の質問に対して、答えられないが故に、激高して「おらに二度と電話して来るな」と電話先で叫んだと言う事である。因みに当の陳情は四万十町議会全会一致で不採択となった。審議の経緯を追い続けた私からすれば、味元和義議員は、「定例会前の議運は非公開」を理由説明なく正当化し、且つ「非公開理由を付した開催日時の周知」も否決した挙句、今回は定例会前の議運が傍聴できると言うのである。この出鱈目さを許せるだろうか。断じて許せない。理解できないことに手を出し議員職という公職を得、その職責をこのような行状で塗り潰していく様は、正しく下劣としか言いようがない。

  おらに二度と電話して来るな!!

是こそが味元和義議員の正体であろう。ここで、議長報酬を再確認したい。味元和義議員が果たしてこのような額の報酬額に値する政治家か、有権者の冷静にして良識ある判断を期待したい。

月額報酬:310,000円、期末手当6月:434,000円、期末手当12月:465,000円

年間報酬:4,619,000円プラス費用弁償(議場までの旅費相当)

実働日数 本会議は年間16日、委員会開は年間24日、その他議員視察や議長出席行事ありとはいえ、議員本体の稼働日数(審議と表決)は、年間40日に過ぎない。

 

西原真衣

 

風力発電と蠢く町政(128)

         「個人情報」の倒錯

以下の事項は個人情報なのかを考えてみた。

1.議会に対する陳情、請願の提出者の氏名、住所

2.情報公開の開示請求者の氏名、住所

3.町職員の時間外勤務実態調査アンケート(四万十町議会総務常任委員会主催)における記入内容

1、は今個人情報扱いとなっているようである。現に私が過去に議会に出した「議員毎の投票行動の一覧表を議会だよりに掲載して欲しい」陳情の提出者名西原さん」が岩井優ノ介議員の発言内容に含まれているという理由で、開示請求対象であった録音データから削除するための編集ソフトの購入予定があるという。因みに価格は57000円相当だという事だ。陳情、請願請願提出者名は、秘匿すべき、即ち第三者への漏洩によって当該個人の「知られたくない」という権利権益が損なわれる情報と言えるのだろうか。私は大いに疑問である。四万十町議会のHPによれば、陳情請願の提出方法というページには、提出者の氏名、住所、賛同者の氏名住所、の記載を要件として明示している。「匿名」では受理しないと受け取れる。これに応じて氏名、住所(出所)を明らかにして提出した陳情請願の提出者名を議会発言の議事録中で、「削除・黒塗り」にする必要などないだろう。それはむしろ陳情請願提出者を貶めることに繋がらないだろうか。陳情者とは、「要望の実現を望むが、出所は知られたくない存在であり、知られることで風評被害を受ける」と想定しているかの如き、不健全且つ不当、不必要な配慮ではないかと思うのだ。陳情請願提出者というのは「請願権」という権利の行使者であり、個人的な判断に基づいてその権利を行使しているのである。普通選挙における秘密選挙、投票の秘密とは全く異なる権利の行使形態である。受理する側の議会や行政が提出者名を個人情報=プライバシー権と見なすのは、根本的に曲解ではないか。と言うのも、個人情報や情報公開についての定見を持たない一般公務員は、氏名と住所の表記を見れば、条件反射で「個人情報」と見なす曲解が横行していることを知っているからである。彼らはなべて、「氏名、住所とは誤って流出させたら咎められる、個人が特定される情報」という刷り込みに従っている傾向がある。

 「個人情報とはその個人の属性を構成する当該個人に帰属する情報であり、個人情報の帰属する当該個人にその個人情報のコントロール権がある。」というのが、個人情報保護」という法的な概念の土台である。が、これがこの制度の運用者である公務員に理解されていない。彼らは、ただおっかなびっくりで「個人を特定化できる情報は外に出してはならない。」と記憶しているのである。彼らにあるのは「丸暗記による対処法」であって「理解」ではない。煎じ詰めれば彼らは、公務員に採用されてからこの方「~とは何か」ここで言えば、「個人情報とは何か」ということを考え、理解し、運用する訓練等は一切受けていないという事なのである。個人情報とは何かが判断できないから当然情報公開とは何かも判断できない。その結果町民が当然知り得るべき情報も、知り得るところとはならないのである。この情報開示度は、即ち町行政の透明度であり、ここが不透明であって、職員の質の向上はあり得ないのだ。一切が不問に付されていれば(知られることがなければ)、職務上の極めて低レベルな自己完結が成立するからである。今起きている統計不正の根っ子もおそらくここにあるのではないか。

2.情報公開の開示請求者の氏名、住所

これには、公務員が職務上知り得た情報として守秘義務が課せらている。「誰が開示請求したか」が知られると萎縮を招くという捉え方が背景にある。これは一定理解できる。情報公開制度というのは、原則的に、何人に対しても行政文書の開示請求権を制度化したものである。税によって運営されている行政組織が「職務上入手、作成し、組織的に用いる共用文書」と定義されている行政文書へのアクセス権を万人に保障する制度である。が時折、政務調査費の開示請求者の氏名の提出を議会事務局に求める地方議会の実態が報道されたり、情報公開請求者が特定化している、とか請求件数が多いを理由に「通常業務以外の業務に忙殺され、職員の職務に支障が出ている」という主張が、「職員を慮る」という体裁でまことしやかになされる地方議会の実態もまま見聞する。私自身も当時の所属議であった四万十町議会で、「議員の地位を利用して(議員個人には与えられていない調査権を職員に対して発動して)職員に圧力をかけ、職務に支障をきたした。」という疑義に基づき辞職勧告を受けたことがある。が、情報公開制度とは万人が使える制度であり、議員であるからこの制度を使うべきでないなどという言い分には全く理がないのである。抑々情報公開条例も個人情報保護条例も、執行部提案で議会に上程され議決したのは当の議会ではないのか。制定された条例がある限り、それを運用するのは当然のことで、情報公開請求への対応は、もはや「通常業務以外」などではないのである。地方議会で時折このような珍妙な議員発言事件が起きるのも、「知る権利」に元々最も疎い輩に限って選挙に出たがるという、拭い難い「政治的風土病」が未だ日本中に蔓延しているからである。議員バッジが表徴している行政内部情報を特権的に知っているという事こそが口利き、収賄斡旋等の議員の権能の存立基盤でもあり、同時に執行部を交渉相手とした水面下での利害調整も議会の実質的な権能であるという、その類の議員連中の現実認識の前には、「知る権利」など端から煩わしい戯言として排斥すべき観念なのである。従って、一般人に知る権利を保障することは議員特権の侵害に繋がるという彼ら特有の縄張り意識から来る思考回路を生み出している。が、これは単なる長年の慣習からくる政治風土病的な意識構造であり、制度上の客観や合理性は毛頭ない。その証拠に、この様な類の地方議会議員はほぼ漏れなく、情報公開条例や個人情報公開条例を全く理解していない。具体例を挙げれば、

※ 図書館協議会委員名を、「個人名は個人情報だから決算特別委員会の場で出さない方がいい。」と発言した武田秀義議員の事例

審議会委員は教育長が任命し、教育委員会が承認する。委員名が明示されないことはあり得ない。職務を拝命する人名は人選の筆頭根拠事項である。従って「特定されようと」個人情報ではない。それとこれとは別の事である。審議会委員とは議会議員と同様に報酬が発生する特別職の公務員に近い位置付けの存在である。武田秀義議員にはこの根本理解がない。一般質問が空転するはずである。用語の定義や論点整理の次元で既に頭の中が曖昧模糊状態なのである。

※ 愛知県東栄町議会の森田昭夫議員が、「情報公開請求の件数が、近隣自治体と比べて非常に多く、職員が対応に追われ、「働き方改革」の推進に逆行する事態が生じている。職務に支障をきたしている開示請求者の氏名は町民には知る権利があるのではないか。開示請求者の氏名を明らかにする考えはないか。」と一般質問している。

 

www.dropbox.com

注目すべきは以下の発言である。

森田昭夫議員:以前から政争で多くのチラシが配られたが「追及、訴訟まではしない」を町民が選択してきたと思う。最近情報公開請求などで職員は通常業務以外に多くの時間を割いており、インターネットなどでも否定的な書き込みがあり、近隣町村から揶揄されることは多い。

「行政に対する町民間での意見の流布は、「政争」であり、それでも「追及、訴訟まではしない」ことが良識ある町民の総意であり、情報公開請求者や住民監査請求者は、町民総意から逸脱した特定の集団であるので、誰がそのようなことをし、町職員に職務上の負担やインターネット上の否定的な書き込みという被害が生じている。その様な迷惑事の原因を作っている厄介な人間が一体誰なのかを知る権利が町民にはあるのではないか。」という論法が展開されている。「納税者にして有権者である一般町民が、税によって納税者のために運営されている行政情報を知る権利」との対比は、ここには全くない。私に対して議員の調査権云々を持ち出して「職務に支障」と主張した四万十町議会の面々と発想が近似している。年齢的にも近い、この森田昭夫議員も日本中に蔓延している収束の兆しが未だ見えない根強い政治的風土病の罹患者である。議会の調査権とは、地方自治法100条に基づくもので情報公開制度とは無関係である。法律と条令を混同してはいけない。要するに議員職にしては彼らは、法務リテラシーが低過ぎるのであり、その愚劣な混同を振りかざして政争の具にしているのは、町民ではなく常に政治家集団であることは、周知の事実である。国会を見れば一目瞭然である。

※ 職員に対して非公開を前提に、「時間外勤務調査」を実施した四万十町議会総務常任員会の委員会活動がある。なんでも「働き方改革」の一環で意に沿わない時間外勤務から来る職員のメンタルヘルスの改善がアンケ―トの実施目的と聞く。

彼等もまた、四万十町個人情報保護条例上、「職員の職務名と職務内容は個人情報から除外する」を理解していない上に、暗黙の強制による残業代未払い時間外労働実態や最悪のケースでは過労死までもが起こり得る民間企業と、超過勤務手当稼ぎの時間外労働が横行している四万十町職員に対して、「働き方改革」「メンタルヘルスの改善」などという戯言による実に醜悪な、町職員への迎合振りを発揮している。労働環境という社会事象に対して、呆れるほど不見識にして不定見でなければこのような発想自体が生まれてこないだろう。このようなアンケートをそれも非公開前提で実施した総務常任委員会のメンバーを再確認したい。無論彼らは選挙で選ばれている

委員長 緒方正綱、副委員長 村井真菜 委員 岩井優ノ介 味元和義 橋本章央

かく「個人情報」の認識が錯乱しているのは、職員も議員も同様であるようだが、最低でも、議員選挙時には試験を実施すべきではないか。できれば職員採用時や職員研修時にも情報公開条例と個人情報保護条例の条例の解釈を答えさせる試験の実施が望ましい。それによるリテラシーの向上は、必ず職員の説明能力や議員の質疑能力の向上に資するはずである。ただ誰が作問するか、それが問題ではある。

西原真衣

 

風力発電と蠢く町政(127)

   「判決」と「監査結果」の不都合

  住民監査制度は、直接請求権の一種である。陳情、請願の提出もそうだ。議会の解散請求、議員や公務員の解職請求もそうだし、住民投票を議会に請求するのもそうである。が、殆んど使われていない。まず署名集めが大変過ぎる。電子署名という訳にはいかないらしい。条例制を求める直接請求もそうである。住民投票を議会に求めても、まず住民等投票制定条例を議会が可決しなければ、住民投票の実施は不可能であり、議会がこれを否決する確率が非常に高い。払った労力と成果が一致しない、常に肩すかし状況になる。だから徒労感で嫌になり、ついに諦め、無関心状態に陥る。が、直接請求権の一種である住民監査制度の運用状況は、自治体間で温度差がある。今夏に住民訴訟(原告四万十町民山本たけし氏、被告四万十町長中尾博憲の判決を受けて「住民監査請求の却下は不適法」が気になり、判決文と却下文を読み比べてみた。

判決文の公表は、中尾博憲町長と森武士町長によって拒否された。

監査却下文の公表は、田辺幹夫監査委員長によって拒否された。

住民監査請求の却下理由が記された通知文は、請求人である山本たけし氏の手元にしかない。一般町民は、何が請求され、監査委員会がそれをどう判断したがが全く分からない、知る由もないという状態が放置されている。これでは、監査委員の力量、監査能力が不問に付されるではないか。監査委員についての自治法上の規程は以下である。

【改正】(平成 30 年4月1日施行)
第 196 条第1項 監査委員は、普通地方公共団体の長が、議会の同意を得て、「人格
が高潔で、普通地方公共団体の財務管理、事業の経営管理その他行政運営に関し
優れた識見を有する者」(議員である者を除く。)及び議員のうちから、これを選任
する。
(追加)ただし、条例で議員のうちから監査委員を選任しないことができる。

どのような監査請求がなされ、それがどのような理由で却下されたかが一切分からなくて、果たして、「人格が高潔で、普通地方公共団体の財務管理、事業の経営管理その他行政運営に関し優れた識見を有する者」であるかどうかの事後判断が可能だろうか。判断するのは直接請求権を持っている住民でありながら、その判断材料が住民に提供されないということである。ここが地方自治の骨子ではないか。案の定というべきか、色々調べる中で分かったことは、住民監査請求の実態調査を実施している全国監査委員協議会なる組織がある。法人格さえ持たぬ任意団体である。是も任意団体である全国市町村議長会なる組織が監査委員協議会の業務を請け負っている。住所と連絡先は以下である。

全国町村議会議長会兼全国監査協議会

〒102-0082 東京都千代田区一番町25番地 全国町村議員会館4階
TEL:03-3264-8181(代表・総務部) TEL:03-3264-8182(企画調整部)
TEL:03-3264-8183(議事調査部)  FAX:03-3264-6204(共通)

何か変だと感じないだろうか。議長会とは議会側の全国版事務局(ただし任意団体)で監査委員会とは執行機関でありながら、議長会の事務局が監査協議会事務局を兼務している。見かけ上の頭は二つ、胴体部分は一つ、という事である。こ組織が存在しているから、「議員や監査委員の振りができる」のである。いわば「裏方振り付け師」と言ったところか。

議長会の業務内容:会議規則の雛形作り、議員必携作成販売、議員バッジ作成販売

全国町村議会実態調査実施、町村議会事務局からの問い合わせ対応

全国監査委員協議会の業務内容:全国町村監査委員会実態調査実施、町村監査委員会事務局からの問い合わせ対応

何のことはない、上記の「人格が高潔で、普通地方公共団体の財務管理、事業の経営管理その他行政運営に関し優れた識見を有する者」を満たしていなくとも、執行部に都合のいい監査を実施するための知恵を付けてくれるコールセンターが秘かに公費で設置運営されているということなのである。こんなインチキあるだろうか。判決を受けて、「住民監査請求却下は不適法」と指摘されているが、町長中尾博憲はそれに一言たりとも言及せず、判決文の公表を拒み、田辺幹夫監査委員長は、「住民監査請求却下は不適法」の解釈を拒み、監査請求却下の通知書の公表をも拒んだ、だが、全国監査委員協議会が監査委員会実態調査で調査票を送って来れば、監査委員会事務局職員、長谷部卓也事務局長と正岡静江次長の二人は、易々と、住民監査請求書、監査請求却下通知書、住民訴訟の結果等の資料を丸ごとここに差し出すのである。町民向けには出し渋って止まない監査資料(監査請求、監査結果、訴訟結果等)を全国監査協議会という任意団体主宰の実態調とやらには全面的に協力して提出するという人を食った噺が白昼、公務と称して事務局で展開されているのである。全国監査協議会担当職員によれば、

「監査請求があった時、どのような内容であれば却下か、棄却か、認容(監査に理由あものとして監査を実施し当局に対して是正勧告を出すかの参考事例として全国町村監委員会の監査委員の皆様にはご好評いただいております」

という事らしい。完璧にお得意様扱いである。ここが、監査委員会事務局が事例研究の素材集めには全面的協力を惜しまない理由でもある。ところで、この事例集、監査委員会会員でなければ閲覧できないという。運営経費は全て公費から出ているにもかかわらずである。この奇妙な手の込んだからくりは一切学校では教えない。私が議会に足を踏み入れた時の直感、「ここは、学校で習ったことと違う!!」はここから来ていたのだ。

 監査委員の振りができるからくりに違和感を持たず、知られないが故に成り立っている権威を振りかざして公表を渋り、町民に渡さない資料は全て同業全国組織には手渡すという囲い込み(enclosure)こそ地方自治の本旨から程遠いものはないだろう。それで「まちづくり条例(自治基本条例という名称もある)」や「議会基本条例」等聞いて呆れるではないか。しかも今回の判決は議会基本条例の23条議員報酬の解釈が争点となった判決なのである。それなのに町も監査委員会も公表を渋るのである。実に腹立たしい事この上ない。議長会も同じ穴のムジナである。四万十町は年間90万円の負担金を拠出している。その見返りに議員研修の講師を手配したり、四国大会、全国大会の開催や決議文の作成と国への提出等をやっている、分かり易く言えば、「田舎のよれよれ議会のよぼよぼ議長テーム団に自作自演の晴れ舞台を提供している」のだ。まるでカラオケか部活ではないか。公費接待に近い。更に手の込んだことに、国の予算要求資料等が議長会HPで提供されているという。ここも会員制で町村議会事務局のみに会パスワードを交付し、閲覧できるという。ここは議員時代に知った、が、議長会に聞けば、そのようなものは中央府省が既に誰でも見れるHP上で公開している予算要求資料の寄せ集めでありることを渋々認め、おまけに自分が所属する四万十議会で会員パスワードなど教えられたこともないという詐欺の様な実態があった。ここに年間90万円を易々と差し出している。何でも上に聞き指導を仰ぐ」「上にさえ忠実であれば身の危険はない」という大日本帝国時代からの役人根性は、敗戦をものともせず、このような態様で、日陰の地衣類のように生き延びてきたのである。戦後できた地方自治法なんのそのである。役人根性のしぶとさで換骨脱胎が秘かに練られ、実行されてきたのだろう。恐るべし役人根性である。その役人根性を脂汗の如く発散していたのが時の議会事務局長宮地正人である。この役人根性の見返りは何か、商工会事務局長職を退職後に手に入れた。町が出している運営補助金が原資である事務局長職月給30万円である。彼は議会事務局長としては機能不全を呈していた。法務調査上の機能不全である。この種の役人が組織的にサバイブできるシステムは、徹底的な可視化の隠然たる疎外の上に成り立っている。議会が議事録の公開に踏み切らない理由もここにある。だから議員も監査委員も誰もこの仕組みに異議を唱えない。なぜなら一旦その職に就けば「能力を問われず、楽して議員や監査委員をやるには持ってこい」の仕組みだからである。議会質疑が真剣身と面白さに欠け、監査の99%が却下の理由の根幹はここにある。議会の場合、特筆すべきは、質疑応答の形式である。「一括質問一括答弁」という奇妙な形式は日本独自の物であり、それも戦勝国アメカの日本を対象とした徹底的な「erea study」に基づく日本人の民族性に合った質疑形式の導入だというから驚きである。それも有名な菊と刀の著作者、ルイスベネデイクトの机上の研究結果、「日本人は恥と名誉を重んじる」によるものであるという、何だかすっかり拍子抜けがした。研究され、統治され、制御されている。それもアメリカに、今でも、明らかに今でもである。今でも「会議規則」は生きているからである。正確に言えば会議規則ではなく、「議会運営基準」に書かれている。これも雛形は全町村議会議長会が作成している。上記の話は全国議長会の初代事務局長から聞いた話しである。私は「議会の見える化を求める陳情」「議会運営基準」の公表も求めたが、「議会の内規である」と却下された。内規ではない、それに基づいて公会議が運営されているのである以上、公会議の運営ルールは公知のものでなくてはならないはずであるが、四万十町議会の面々にはその認識が毛頭ないようである。秘かに存在している組織の雇用されている役人紛いが作った形式に則る事で、議員の振りができる都合のいい内規として機能させている「ルール」を町民に明示することは,自分の質疑能力の可視化に繋がるから避けたいのである。「可視化による恥を晒すことの忌避」「公正さの実現」より重んじられている。やはり、アメリカは日本人を良く研究している。「一括質問一括答弁」形式が日本人の民族性に最も合った質問形式であるとルイスベネデイクトは結論付け、そのようにアメリカ政府に助言したのだそうである。一括質問一括答弁では論点が追いにくい、当たり前である。これは論点をぼかし、曖昧なままにやり過ごすには非常に都合がいい。これを民族性とは。長いものに巻かれるという処世訓には合致する。そうやって未だに巧妙にアメリカに間接統治されている。監査委員が町民に対しては、「法的義務付けがないから、必要ないから」知らせない、が公費で運営されている任意団体が実施する実態調査には協力を惜しまず、実態調査の集計によって類型化された「この時はこうすればいいの事例集」を特権的に閲覧しているのである。赤信号みんなで渡れば怖くないの典型である。日本国政府の統計不正の根底にも同じ構図がありそうだが、これこそ日本国の役人(公権力の保持者)が持つ権力構造の正体である。実に隠微にして姑息ではないだろうか。殆ど猥褻でさえある。この様な風習を受け入れる謂われは元々ないのだ。「町民と向き合い、自分で法令に直に当たり、自分の頭で考えて判断し、やってみる」ことを公務員には期待したいし、その様な公務員を要請していくには参画者である必要がある。そこで目下、住民監査請求のやり直しを画策した。まだ試作段階ではあるが原案を用意した。以下である。司法が監査請求却下は不適法と判断した監査請求却下通知文と合わせて読んでもらいたい。

ga kouhyousarete

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簡単に言えば、「監査委員会が監査委員会の不作為を監査しろ」という趣旨である。因みに高知県監査委員会は、却下の場合でも案件と却下の事実を公表している。

さらに埼玉県は、却下された住民監査請求の趣旨と却下の理由までも公表している。

www.pref.saitama.lg.jp

www.pref.kochi.lg.jp

これらの実態から四万十町監査委員会の消極的な姿勢が浮き彫りになる。高知県監査委員会事務局と埼玉県監査委員会事務局の公表理由は以下であった。

高知県監査委員会事務局:地方自治法の解釈により却下の場合も公表している。

埼玉県監査委員会事務局:地方自治法上の解釈ではなく、積極的な公表の姿勢である。前知事の時からの開かれた県政という姿勢によるものである。請求の容姿や却下の理由を県民に公表することで、住民監査請求制度が県民にとってより使い易いものになると考えている。

参考までに、地方自治法上の監査結果の公表に係る規程とは以下である。

地方自治法242条の5

第一項の規定による請求があつた場合には、監査委員は、監査を行い、当該請求に理由がないと認めるときは、理由を付してその旨を書面により請求人に通知するとともに、これを公表し、当該請求に理由があると認めるときは、当該普通地方公共団体の議会、長その他の執行機関又は職員に対し期間を示して必要な措置を講ずべきことを勧告するとともに、当該勧告の内容を請求人に通知し、かつ、これを公表しなければならない。

 彼我の違いは明らかである。四万十町監査委員会は、監査委員会事務局ぐるみで自分達の仕事のし易さを、町民の制度利用のし易さより遥かに優先しているという事である。これは、隠然たる権力の私物化ではないだろうか。結局監査委員とは、伝統的な「日本の権力構造の正体」に心身を沈潜し、虚栄心に満ちた自尊心を養いながら、そこを巣穴にしているのではないか。監査委員会における監査委員のその生存形式そのものを権力の私物化と表現したい。最後に判決文で言及された監査却下当時の監査委員構成は以下である。

監査委員 田辺幹夫、議選監査委員 堀本伸一

現況監査委員

監査委員 田辺幹夫、議選監査委員  水間淳一

住民監査請求は住民の権利である。これもアメリカの納税者の金(tax payers'money)の違法な支出に対するtax payerの異議申し立て権として発展してきた制度であるらしい。日本の戦後にはアメリカが良くも悪くも充填されている。「一括質問一括答弁」には閉口するが、少なくともtax payers'moneyを否応なく徴取,執行されている町民は、住民民監査請求制度位は、換骨奪胎なく自家中のものにしたいものである。残念ながら、正気の沙汰とは思えない愚策アベノマスクには使えない。地方自治法にだけある制度であるんだけれども。

西原真衣

風力発電と蠢く町政(126)

         判決文の行方

 「判決文は町民に公表すべきである」と考えた。これは住民監査請求を経た住民訴訟であるからであり、公用車で起こした事故の損害賠償とか、税の滞納督促に関する当事者間の訴訟の類ではないからである。ところが、これを提案すれば、それを全く理解しない管理職だらけであった。住民訴訟の結果、司法判断に対する彼らの認識は以下である。

問:判決文全文を町HPに掲載、若しくは広報誌掲載の考えはないか。町づくり条例及び議会基本条例に基づく町政運営(議員からの要望を受けて議員報酬を引き上げる議案を上程したこと)ができているかの司法判断であると考えるが。

熊谷敏郎総務課長;その考えはない、必要がないと考える。

問:なぜ必要がないと考えるのか。

熊谷敏郎総務課長;必要がないからである。

これでは説明になっていない。同義反復である。熊谷敏郎総務課長は、「思考停止」という蓑を着て、蓑虫状態で定年までぶら下がっている腹づもりであることが推測される。町役場という宮仕え苦節40年で獲得したのが「思考停止」という蓑の纏方であるとすれば、もはやそのような総務課長を頂く四万十町は、人材育成事業などはおこがましい。中止するべきである。

森武士副町長:町のHPに掲載するという提案ですね。町長と協議してみます。

問:安芸市議会は、今般、議員定数削減と議員報酬削減議案を継続審議としたが、安芸市総務課は、議案提出前の報酬等特別審議会向け資料に、「議員報酬は生活給と見なすべきでない」という自治省通知を2通出しているが、それに反して四万十町報酬等審議会答申は、「議員報酬だけで子育てができる生活給」という自治省通知から逸脱した内容であったが、四万十町報酬審議会答申に今さらながらに疑義が残る。

森武士町長:その通知文、コピー取らしててもらっていいか。

(2週間が経過)

中尾博憲町長:自治省通知も判決文の公表も、副町長から何も聞いていない。

森武士副町長の処世術は、「人の話を聞くふりをする」ということに尽きる。その後のフォローは一切なし。あった試しはない。実に姑息にして誠意に欠ける人物と言えよう。この分では町長中尾博憲に対しても、一遍の敬意も持っていないことが伺われる。だから町長の意向確認などしないのである。中尾町長と森副町長はただの「報酬利益共同体」なのではないか。その証拠に、彼らには、判決文を町立図書館が収集し、地方自治の本旨、二元代制等の理念に関連して、それらの制度の導入目的や運用実態についての知見の構築に資する町民のための生きた資料とする意向などまるでない。その意識を欠けば、地方自治や2元代表制など、戦後アメリカが日本統治のためにらもたらした、「民主主義の擬制」を上塗りして底固めする事ことにしかならないし、主体性とは無縁のバラマキ行政に終始するしかない。現状を見れば一目瞭然である。

問:「判決文」は町歴史上の重要な文献ではないか、町立図書館の収集資料とすべきではないか。

生涯学習課課長兼図書館長林瑞穂:総務課に判決文があるなら、総務課から「もらえるか」先ず総務課と協議する。

(協議後)

総務は積極的には出さないという意向であるのでこちらも積極的には求めない。

問:原告から得た判決文の複写物を町立図書館に寄贈したいが、寄贈物として収集する意向はあるか。

生涯学習課課長兼図書館長林瑞穂:寄贈物としてであれば収集する。

 町立図書館館長、林瑞穂生涯学習課課長は、「判決文を総務課からもらえるかを総務課と協議」と咄嗟に応答した。四万十町長が公費60万円で応訴した裁判結果は、れっきとした四万十町公文書であり、それを総務課から「もらわ」なくてはならない町立図書館長がいるという事である。案の上、過去に町立図書館員に対して「公文書コーナー(例例規集、予算、決、議会議事録、町計画書等)」にある資料の説明を図書館員に求めたら、複数の図書館員が一様に首をかしげて、「役場の人が持ってきてくれたものなので、それ以上のことは!」と応答したのである。注目すべきは、このような職員体制を放置したまま更に16億円を投下して、図書館、美術家を融合させた「文化的施設」を作ろうという町民を愚弄する施策が着々と進捗しているという事である。町民はこのような愚者に愚弄されて腹が立たないのだろうか。計画の中止及び見直しを求める嘆願書も陳情書も無視されたというのに。

 「四万十町公文書」の定義付けさえも怪しい公務員が、図書館資料全般のレファランスサービスやレファラルサービス(利用者アンケートの設問に登場、関係機関及び専門家の紹介という意味らしい)を提供しようというのだから笑止千万である。今パブリックコメント募集中の、「文化的施設サービス計画」の巻末用語説にある、Society5.0、STEAM教育、Vertual Reality (VR)、Augmented Reality(AR)、Reference Service、Referal Serviceなんて、実装しようもない虚構でしかない。せいぜい開館後も、ソニーグローバルエデュケーショから派遣された講師が「プログラミング」ワークショップを提供するだけである。概念を実装できない虚構であることは目に見えている。コンサルに外注したこのような概念の外注コストは7千万円にも登る。以下の問答をどう思うだろうか。

問:Augmented Reality(拡張現実)とあるが、augmentとはどのような意味か。

大元政策監:augmented自体の意味は知らない。Augmented Realityで拡張現実と理解している。

問:「デジタルサネージ」とあるが、「サイネージ」の間違いではないか。「サイネージ」の意味はスペルは。

大元政策監:サイネージの意味は知らない。デジタルサイネージで電光掲示板と理解している 。

 IT系の技術用語の理解は、語源の理解抜きでは困難であると、私は思っている。インターネットテクノロジーペンタゴンから生まれたというのは有名な話であるが、ペンタゴンが源流なら、運搬を生業とする東京のコンサルタントによって遥々運ばれ流れ着いた川下である流域の町役場という名前の河原でそれを「業務上」拾い上げた四万十町職員は、煮て食べるのか焼いて食べるのか、己が食し、己の血肉とする術など持っているようには全く見えないのであり、その証拠に役場界隈では、衆目が優秀と見なす大元学政策監でさえ、「丸暗記」しているだけである。彼の年齢に丸暗記は似つかわしくない。この部分こそがSTEAM教育(これも源流は MIT)のART( Liberal Artを含む)のLiberal Artのoutcome(成果)の部分なのである。実にややこしくも寒々しい光景である。この寒々しさを払拭できない限りは、所詮「文化云々」等おこがましいので止めるべきである。

STEM 教育:科学技術基本計画の中で言及されているSociety5.0を実装してくためのITリテラシ-の構築に資する教育上必須の5項目の事を指すScience,Technology, Engineering, Art, Mathematicsの頭文字で STEAMということである。

日本人の好きな「産学官」で度という長閑なものではないない、アメリカ合衆国の「産軍複合体」文化の中で生まれたIT文化の移殖が、「総務課からもらう」だとか、「役場の人が持ってきてきてくれた」などという認識、思考、言語の土壌で成功するとは思えない。国レベルにおいても同様である。デジタル庁が発注した、コロナの濃厚接触者追跡アプリの「cocoa」も、ワクチン接種証明のアも不具合や個人情報の入力ミスだらけで機能していないというではないか。これらの失敗の真の原因は、アプリケーションの不具合等ではなく、何重もの外部再委託を繰り返す中での開発者間の、情報の共有と意志疎通の障害から来ているのではないか。要するに体制の杜撰さやそれを発生させている人間の意識の問題なのである。ここ四万十町においてもネットショップ推進事業で、協議会から事業を全面的に委託された四万十ノが再委託した先のネットショップ構築事業者andeは、そこから更に数社に外部委託していたということが発覚している。だから、ande作成の業務日誌など存在しなかったのだ。委託料は550万円、納期はわずか23日であった。国家中枢と同じく、四万十町補助金にも正体不明の補助金クラスター(補助金分配人脈」が発生しているという事である。その補助金仲介役が四万十ノや四万十ドラマであるとしたら、町賑わい抄出課は、一体何を把握、指導していたのかということになる。話がかなり脇に逸れてしまったが、一先ずは、国と町の双方で起きていることの「相似性、同質性」を指摘したい。そしてこれは、Society5.0やSTEam 教育が振りかざすITリテラシーの問題ではなく、行政マンとしての普遍的リテラシーの問題なのである。そして「判決文を読む」という作業は、行政マンリテラシーの向上に貢献するはずである。だから、「判決文を公表し、町民のみならず職員も読めるようにしたらどうか」と促がした。ところがその反応たるや、「自らが読む気がない」ことを露わにしただけである。中尾博憲町長に仕える彼等の頭の中身が露わになった。結局「楽をして公務員をやりたい。」だけである。そしてこれは、「楽をして議員をやりたい。と対になっている。「できるだけ楽をして、できるだ多くの金銭を得たい。」が普遍的な人間の本姓であるにしても、給与や報酬の原資が税金である以上は、その職務上の言動は、当然納有権者からの批判の対象となる。ここからは逃れられない。「公職」とはそのような職業である。だから品位を保持できる一定の待遇と手厚い身分の保障があるのだ。だからこそ、それによって正当化され、権限を付与され、運営されている法令の解釈を自らが為さなくてはならないのである。四万十職員は誰もが、「判決文を読んで自分の頭で考えて解釈を示せ、少なくともそれを試みるべきである」というのが、私の本旨である。

 さて、判決文の公表について、森副町長からやっと以下の回答があった。話を持ち込んでから優に3週間は経過している。

森武士副町長:先ほど町長とも話したが、町のやり方に問題が綯っなかったことが裁判で認められれ、その結果を町民に対しても行政報告で簡潔に報告した。町が敗訴していれば別だが、判決内容のこれ以上の開示は必要がないという結論に至った。判決文を読みたい人には開示請求してもらえば良いという考え方である。

「役場が公表した以外の事は、町民に知られたくない。」と本音を吐いた。是を裏返せば「自分に都合の悪いことは公表しない。」となる。行政報告では敢て触れなかった役場側の失点である「住民監査請求の却下は不適法」部分は、不問に付したかったのだろうし、

「議員報酬引き上げ分の差し止め請求」は却下、理由は、既にしくされている財務行為であり、訴えの利益がない

「条例制定手続が違法」は棄却:理由は、条例制定の手続きを定めた法律も規則もないので違法とまではいえない

上記2点の結論の提示が「町のやりの正当性」を裁判所が認めたと自己正当化して幕引きとしたいのである。では森武士副町長の言うように仮に町が敗訴していたら、森副町長は判決文を町民に公表したのだろうか。否、なおさらしないだろう。実の所彼ら二人は、高を括って、「都合の悪いことは外に出さない」の1点張りで、町民を統治できると踏んでいるのである。「国民はすぐ忘れる」うそぶいたのは安倍晋三らしいが、彼等も同類である。町民が「知る」ことによって生まれる町民からの批判から逃げたい一心の、中尾、森には絶対図書館など作らせてはいけないのということが、これで確定した。図書館とは、知る権利を保障するための公的施設である。中尾博憲のように「知る権利」を尊重できない政治家が図書館とは、おこがましいにもほどがある。止めるべきである。

 議会筋の情報によれば、一部で「森武士排斥論」が出てきているという。ネットショップ関連の補助金の有り様が出何処のようである。森武士と補助金クラスター」との良好な人間関係から、補助事業が予算化されてきたことへの疑義、警戒心が生じているという事か。分配のパイの絶対量が大幅に減った日本経済が陥っている病を「縁故資本主義」と称しているのは、金子勝立教大学特任教授であるが、森武士副長は、その本性から縁故資本主義=縁故補助金主義を役場内で実践してきた人物ではないだろうか。その縁故補助金の作用が地元贔屓を通じて自己保全に繋がるという政治感覚の持ち主でありそうである。この政治感覚は、公平、公正、透明性とは縁遠い。森武士も十和出身だが、大元学同様、LIberalArtの痕跡に乏しい。森武士の事は、一先ず補助金交付権限を蓑とした蓑虫と名付けておこう。この蓑虫への警戒感は、議会内部では十和界隈筋の外から出てきているようである。やはり、「合併」こそが、本当の問題なのだ。この際、議会本会議場で、窪川、大正、十和でチームを組んで、「四万十町補助事業のあり方」をテーマに、debatでもやったらどうか。議会で森武士が良く言うように、議員の皆さんは「選良」なんだから。無理だろうけど。

西原真衣

 

 

風力発電と蠢く町政(120)

     「維新」小学校長に訓告する

 大阪市立木川南小学校、久保敏校長の「提言」は維新松井一郎市長によって「訓告」対象となった、という報道がなされたのは、2021年月21日付の朝日新聞である。 コロナ禍で、学校閉鎖と授業のオンライン化が急迫状態となり、ギガスクール構想が前倒しとなった。が現実は、インターネット接続環境の家庭間格差格差を始め、学校間格差(接続環境と教員のITリテラシーの両方)が存在している、そのような格差を置き去りにしたままで、一挙に児童生徒に一人一台の端末が、前倒しで配布されたらしい。それに、検温や集団生活上のソーシャルデイスタンスの確保、給食対応や分散登下校への対応等、保護者自身のテレワーク環境整備状況の格差と相俟って、さながら学校現場の日々は悩みに悩む試行錯誤の連続に忙殺されたことだろうと想像できたので、「オンラインが基本」と通達されても、その通りにはやれない現状理解に基づく対応の手直しを求める目的で、松井一郎大坂市長と大阪市教育長に宛てて、同じ内容の手紙を書いた。この校長は、手紙を市長と教育長に向けて発送する前に知人数人に見せ、コメントを求めた。その後知人一人が本人の許可を得たうえで、SNS上にこの手紙の内容を投稿した。投稿に気付いた大阪市教育委員会が、当該校長を招致し事情聴取した上で、訓告処分とした、というのが、事件のあらましである。訓告理由は、「頑張っている学校現場を愚弄する内容の文章をインターネット上に無断で掲載し、大阪市の教育行政に対する不信感を醸成した」というものであった。この校長は、教育委員会による事情聴取に応じ、SNS上の拡散実態について無知であった。」と謝罪しているが、同時に、訓告理由については、「学校現場を愚弄しているのは、むしろ教育委員会、教育行政側である。」と小気味良く反論している。

 この報道に初めて接したときに感じたことは、教育委員会、つまり行政側が学校現場の把握に乏しいという事を全く認めようとしない姿勢が根本にあり、尚且つ「頑張っている学校を愚弄」とは、通達を発出した行政側の無謬性を正当化するための、「学校分断」的言辞ではないだろうか、という事だった。例えて言えば、親が子供を叱る時に、なぜその行為がなぜいけないかを一般的、説得的に子供に対して説明せずに、「他の子は言いつけ通りやれている。やれていないのは自己責任だ。勝手な言い分を外で吹聴するなどもっての他だ。」式な親の沽券をひらけかした屁理屈その物である。全体主義者は常に権威主義的な親のように振舞う(支配と庇護のバブルバインド)が、維新とは、市民を子ども扱いできる全体主義者なのだろう。親と子どもは端から対等ではないが、対等ではない子供と、社会的な価値や行動原理が関わる要所々で、対等に向き合える親を含めた周辺の複数の大人こそが、他者と対等に向き合える人間を育てられるのではないのだろうか。その意味で、全体主義者維新には、他者=外部=社会が存在していない。平たく言えば、公を担う立場でありながら市民社会に対する信任を一片たりとも持ち合わせていないのだ。職員に対してもそうではないか。大阪市の職員に取って維新の支配とはどのようなものだろうか。この前の衆院選維新派議席を大幅に増やした。野党共闘連合とも自民党とも別の回路で維新の声は多くの国民の保守中間層に届いたのである。大市立小学校の校長がコロナ禍で、学校現場への理解を求める提言を維新がどう受け取ったか。一大阪市民の開示請求によって表に出た、驚きを禁じ得ないほどの黒塗りの多さであった。黒塗りとは非開示である。以下を見てもらいたい。

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そこで黒塗り理由について大阪市教育委員会に直に聞いてみたところ、

 久保校長に対する事情聴取議事録(信用失墜行為の疑い)

1、日時  令和3年6月24日(木)10:00~11:10

2. 場所  折衝室

3.出席者(市教育委員会)上田課長、池本、大竹野総括指導主事

木川南小)久保校長

全51項目にも渡る事情聴取の使用時間は、70分であった。黒塗りは全7箇所であった。黒塗りの個別理由を質した。地方自治体が制定している情報公開条例には雛形があり、大阪市情報公開条例も雛形通りで特段の独自性は何もない。通常6条か7条で非公開にできる情報区分を例示している。非開示根拠に挙げられた最多条項は、以下の第5号-エである。

(5) 本市の機関又は国等が行う事務又は事業に関する情報であって、「公にすることに
より、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適
正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの」

エ 人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ

校長の職務上の行為に対する懲戒処分を審査するための事情聴取であり、議事録を作成し、開示請求に基づいて公開しているという事実に基づけば、なぜその一部だけが黒塗りなのかが不可解である。その箇所限定で、「公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」中の 「人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ」が生じるなという事なのか。発言が部分的に黒塗りなので、文脈が分からない。校長の行為自体は報道され、もうすでに知れ渡っている。これは懲戒処分の審査に先立つ事情聴取の場である。当局の認識に基づく対象者の認識を問う場である。ところが当局の認識に該当する部分が黒塗りである。当局の認識を守秘することは、当局のどのような認識をもって対象者の行為認識を問うのかを不明にするということである。実に異様な政治感覚である。選挙に大勝した後の維新は、「政治道徳」の勝利と喧伝していると聞く。彼らの政治道徳とは、どうもこれを見る限りでは、自らの基準を示さずに相手に懲罰を課すという、ブラック企業まがいの悪徳商法のような実態を持っているようである。事情聴取に当たって対象者に提示された資料中に弁護士に対する相談記録があった。弁護士回答部分が黒塗りである。更に地方公務員法中の該当部(公務員の非違行為の定義部分)も全部黒塗りであった。

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黒塗り理由は以下であった。

大阪市教育委員会池本氏:根拠法等を示すと、今後発生し得る職員の懲戒対象事案に関して「潜脱行為」が生まれる可能性があるから、弁護士解釈や根拠法を公にしないという判断をした。

潜脱行為とは、簡単に言えば、法のすり抜けである。法のすり抜けが起きるから根拠法を明示しないというのは法治主義からの逸脱を超えて、やくざ組織との類縁性を持つ恐怖政治の類である維新が首長となれば、「本人以外に理由を明示せず、懲戒処分に付す」という独善的で専横的な人事行政が執行されるということである。松井市長が良く口にする「ルールに従わない職員には辞めてもらう」「ルール」とは外部に明示されない「ルール」の謂なのであり、社会全般で共有されて初めて「ルール」だという意識に乏しい。維新に外部、社会が欠落していることの証左でもある。

更に事情聴取部分の聴取する側の言動が、上記情報公開条例7条5号エの他に、

(1) 個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、
当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別するこ
とができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することがで
きることとなるものを含む。)又は特定の個人を識別することはできないが、公に
することにより、なお個人の権利利益を害するおそれがあるもの

によって非開示とされている箇所もあった。その区分さえ分かりかねるが、いずれにしても意味不明である。職権に基づく事情聴取時の質問内容がなぜ、秘匿すべき個人情報なのか、理解できる人がいるだろうか。重ねて聞けば、「職員個人の思想信条の自由に配慮した」というではないか。この倒錯は、物凄い。事情聴取する側(権力側)の職務質問が、権力側の思想信条の自由に基づいているとされている。職権に基づく事情聴取の場は、職員の思想信条の自由に基づく「表現の自由」が行使される場であり、大阪市民に対する公表から生じる市民による検証(検閲でとは言わないだろう)から自由であるという倒錯である。良識ある公務員からすれば、地獄の職場環境であろう。その地獄の職場環境から、雌伏10年大石あき子という衆議院議員が誕生した。何でも橋下徹は彼女を執拗に攻撃しつつも敗退の色を隠せないという。女性議員の強みは体面と序列意識から自由であることである。それはとりもなおさず雄同士の縄張り争いという権力闘争からも自由であるという事である。女性には、雄集団の行動原理を内面化していないが故の強さがある。その分「猿集団」から遠いところまで行けるのである。つまり「議会を進化させることができる。」グレタトウンベリを生んだスエーデンでは、「ブルドーザ」のあだ名を持つ女性首相が誕生し、そのブルドーザーによってトランスジェンダー(男性から女性へ性転換)を公言する学校担当相が指名されたという。文化的施設整備推進準備室が主宰したパブリックコメントを書いてみよう」高校生向けワークショップのプロジェクターには、グレタトウンベリが写っていたが、スエーデンでは、小学生が政党員になれ、社会の授業では各政党のマニフェストが教材化され、小学生が、隣のクラスの党員に質問し、小学生同志で討論するという。グレタトウンベリは、一日にして成らずということではないか。方や日本では、どうも「政治的意見を述べないことが政治的中立性と見なされている」ようである。最近話す機会のあった21歳の大学生は、18歳の時1回だけ選挙に行ったという。国会中継を見れば罵り合っているようにしか見えないとも言う。パブリックコメントを書いてみよう」ワークショップの主催者は、「政治的意見を述べないことが政治的中立性と見なされている」学校現場とパブリックコメントの距離を計測しながら、高校生の本音の政治的意見(パブリックコメント・公共の意見)を引き出せたのだろうか。仄聞するところでは、町営塾「じゅうく」の生徒たちの、「じゅうく」でのキャリア教育の授業時に出た本音の質問は、「役場に採用されれば、一生安泰って本当ですか。」ということらしい。これこそ、町内官民格差を高校生の親がどう捉えているかが、高校生の口を借りて表出した一瞬ではないか。役場に採用される過程が極めて不透明である以上、公平で公正な採用結果というよりむしろ政治家との縁故が作用していそうである。その限りでは、町役場四万十町も維新同様、外部、パブリックがないのである。それでパブリックコメントを書いてみよう」とは青少年に対して非常に欺瞞的である。第一四万十町職員の懲戒処分の指針中には、

「庁内で政治ビラを配布する行為」が懲戒処分に該当すると明記されているではないか。政治体中立性についての定見のなさの現れではないだろうか。何とも退化しているとしか言いようがない。誰しも多用な政治的意見に接することで自己の政治的意見を構築してこなかっただろうか。パブリックコメントとは、一定の施策に対する公共(我々の側)の見解(意見)の表明である。「公共」とは本来「行政(執行権力)」ではないもんもとして歴史的には定義された来たと考えるが、同時にこの認識が日本では広く市民社会で共有されているとは思えない。ここ何十年か新自由主義思想=自己責任論が生み出した格差から生じた大衆迎合主義的なプロパンダの絶大な影響力によってここまで上り詰めた維新という「公党」は、職員に対して「民意」を代表している自分が「ルール」であると言ってはばからないというではないか。私には、この倒錯に既視感がある。四万十町議会議員の時に、全員協議会の場で、傍聴者に向かって、堀本伸一議員と橋本保議員による以下の発言があった。

「我々は選挙で選ばれた。我々がここで決めたことは町民が決めた事である。」

維新的なものは蔓延している。彼らのロジックを援用すれば、「議員報酬引き上げは我々がここで決めた。我々は町民から選ばれた。だからこれは町民が決めた事である。」となる。これに異を唱えた人は敗訴した。私はこの判決には異議がある。次回は「判決文を読む」をテーマにしたい。

西原真衣