呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

地方議会から日本を見る(6)

  「文化的施設」アンケート回収結果速報

 

  三通目の回答を得た。回答者は中野正信候補である。以下が回答。


 文化的施設についての新たな内部情報を得たので、この場を借りて報告したい。四万十町議会は、令和4年度第3回定例会で、「文化的施設の全面的木造化を求める陳情」提出者高幡木材センター理事長を否決している。四万十町は、令和3年度当初事業で事業費11億円相当を計上して、四万十町大奈路に大型製材工場「四万十製材所」を発足させた。国を挙げて推進している、「非住宅大型木造建築用の材」を提供できる大型製材工場である。日本は森林県である。さらに高知県は全国でも森林率が83%と断トツの森林県であり、それが故の「非住宅大型木造建築要の材を提供できる最新の製材機械を据えた製材工場は、目下高知県林業振興上の目玉政策でもある。「非住宅大型木造建築」に必要な構造材を生産できる町内発の「四万十製材所」を運営する高幡木材センター理事長名の陳情がなぜ四万十町議会で否決されたのかを追ってみた。議事録が未だ議会HP上で見れないので、事務局長に議事概要を聞けば、

構造計算のやり直しが必要となり、尚且つ構造材の木質化により若干単価が高騰し、資材価格の積み上げにも影響が及ぶ。

という一見もっともらしい理由で否決となったということである。文化的施設建設本体の賛否はさて置き、町が公費11億円を投入した製材工場が算出する新たな構造材を使用すること自体は理に適っている。大型補助事業と町の大型公共工事の自然な連動が本来あって然るべきではないか。単に「構造計算のやり直し」をすればいいのではないか。まだ建築工事着工前である。「資材価格の高騰」の試算値ぐらい出してから判断すればいいのではないか。抑々資材価格高騰自体は、事業のゴーサインのキー要素ではない。すれば議会の判断は「採択しないがための方便」に見えてくる。議会は、「四万十製材所」設立目的に補助金11億円を認めて来たのではないのか。それでいて、今後に及んでなぜ、「文化的施設の全面的木造化を求める陳情」が否決されるのか。確かに陳情が出たタイミングは構造計算が済んだ後であり、タイミングが遅すぎる。なぜもっと早く出さなかったのか、とは私も思った。がこれには裏があった。

 令和1年にプロポーザルが実施され、提案内容が審査会の最高得点を獲得し、基本設計と実施設計の設計事業者が決定した。スターパイロット三浦丈典氏である。それまでに基本構想と基本計画策定に4年が費やされていた。前にも書いたが、基本構想策定時点で、図書館業務内容本体やそれを実装するための建築設計の内容のあらましが検討されていれば良かったのはないか。ところが、「想像してみよう」とか「夢を語ろう」とかの「抽象的なビジョン」づくりが中心で、「何ができるか」「何がしたいか」と図書館コンサルタントARG岡本真主導で焚きつけられるだけで実の所地元選出の検討委員達は困惑の色を隠せなかったという実態があったのだ。この辺は議事録に詳しい。私は、今まで散々この実態を「事業中身の外注」と表現してきたのだが、実は大型製材工場事業主体の高幡木材センターは令和元年地のプロポーザル直後時点で、町に対して「文化的施設の全面的木造化」の要望書を出していたということが、分かった。それを受けて、令和2、3、4年に跨った基本設計、実施設計策定のための庁内会議の場で、建設課課長や元農林水産課林業振興室長後に総務課契約担当者が会議に出席し、「文化的施設の全面的木造化」を実装した実施設計のやり直しを設計者に対して提案していたというのである。その時の設計者スターパイロット三浦丈典氏の対応が、

「構造計算のやり直し」は納期の問題もあって好ましくない、及び広々とした空間デザイン上、構造材が木材では強度上問題なしとは言えない。

というものであったらしい。が、元々非住宅大型木材建築用の構造材に使える材である。耐えうる強度が保障されているのではないか。そもそも空間デザインは地元事情に合わせて改変可能ではないか。むしろ改変すべきではないか。納期も変更できない訳ではないだろう。設計者自体の仕事の効率、コストパフォーマンスへの拘りがないとは言えないだろう。結局その提案は会議の場で受け入れられなかったということらしく、結果として地元要望や事情より設計者の意向が優先されるという結果になったらしい。私にとっては非常に怪訝な印象しか残らない結果、会議の事の顛末である。これが、ごく最近知った会議参加者による裏話の内容である。これでは、町とコンサルタントのどっちが雇用主か分からない。そもそも地元満足度の高いものを作るのが設計者の本来の責務ではないのだろうか。尤も、是も繰り返し書いてきたが、「図書館コンサルタントや設計コンサルタントに主導権を握られているのは、町が主導権を握られるような町であるからである。」町職員全員が、とは言わない、が趨勢が、特に町長中尾博憲を初め彼が設置した「文化的施設整備推進準備室」の面々の内面に巣食う漠然としたコンサル(専門家)信仰のようなものから来る及び腰が醸し出す会議の場の雰囲気が、コンサル主導という事象を生み出しているのは間違いないだろう。「与しやすい」コンサルタントに見なされている町長や町職員を持っているということで、我々町民は、町とコンサルタントによって2重に愚弄されているような気がしてならないというのが私の正直な思いである。そしてそれに輪をかけて、コンサルタントの抗弁の口真似のような否決理由しか繰り出せない四万十議会がある。コンサルタント、町執行部、議会と実に三つ巴で我々町民は愚弄されているのではないだろうか。だからこそ町議選を控えて、まずは「言動」で議員を選んで欲しいと思うのである。政治は言語でできている。政治の実質成分は、言語である。だからこそ政治家志願者の発する言語に耳を澄ませて欲しいと心の底から思う。政治家も町職員も我々町民が雇用主である。雇用主である町民の意に沿わない被雇用者のふるまいの唯一の抑止力は、我々町民の持つ彼らの言語への監視力や注意力である。結局この監視力や注意力を維持し、パワーアップさせなければ、民主主義の中身は充填しようもなく、その結果我々の税が我々のために使われないということが起きるのは必定ではないか。11億円(四万十製材所)と23億円(文化的施設)の相互経済波及効果さえ生み出せていないのだから。

西原真衣