呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(55)

 性教育の必要性について、教育長の言動から考えてみた

女子中学生との個人的な親交がSNS上で発覚し、20代男性講師が懲戒免職になった事件の報告を受けた。生徒の個人情報保護のため「決して口外しないように」と念を押された、講師名、生徒名は共に伏せられていた。男性講師側の女子生徒に対するパワハラともセクハラとも思えなかった。女子生徒が、実質的な被害者であるとも言い切れないと感じた。20代男性講師が、食事や車でのデートに複数回応じた女子中学生に車の中で、ハグ行為に及んだために相手が泣き出して狼狽して母親に発覚し、学校に知られ、結果男性講師が懲戒免職になったという顛末の事件であった。一般社会通念上は確かに教員の生徒に対する極めて不適切な行為である、が、事情からして恐らくその男性講師は、その女子中学生に本気で恋愛感情を持っていたのではないか。けれども女子中学生は男性の自然な恋愛感情から来る身体接触への願望を予見し切れない。男性に車の中でハグされたらパニック状態になり泣き出すのが積の山である。車で遠出し食事に誘い、何回目かのデートで身体接触に及ぶ、これは、外見上はごく普通の男性の交際相手の女性への行為形態である。この事件の報告を受けた時に、この男性がもし正規教員であっても懲戒免職になるだろうかという思いがまず頭をよぎった。戒告程度で済ますのではないか。講師(今臨時教員をこう呼ぶらしい)であったからこそ、教育委員会は、この事件を教員による生徒に対する不祥事として迷わず即刻に首を切って事態の収束を図ったのではないか。そして最後に議会に報告して「未成年の個人情報保護のため」と銘打って緘口令を敷き、なかったことにする、というニュアンスガ物々しい川上教育長の口調には、なんだか妙に漂っていたのである。女子中学生とは、大人でもなく子どもでもない、かなり厄介な存在であることは間違いない。中学生相手の塾を長年運営してきた私には、彼女達が如何に生気と好奇心に溢れ、同時に性的に成熟しつつある若い女性の匂うような色香を否応なくその場に発散させているのかを体験してきたし、この独特の初々しい色香を、男性がどのように感知しているかは想像に余りあるのである。けれども、である。双方にとって不幸なことに、この20歳代の若い男性講師にとって、彼女の魅力と彼女の心の成熟のギャップは、全く想定外であったのだ。恐らく彼は社会経験と女性経験の両方が、圧倒的に乏しかったのである。そして女子中学生の方も同様に想定外であったのだ。双方にとても危険な幼さを感じた私は報告後、教育長室に赴いた。先日偶々聞きに行った、近森病院県民公開講座の講師の先生を紹介しようと思い立ったからである。当時の塾での女子中学生との接点から、彼女たちの好奇心の強さとネット環境の組み合わせに、かなり危ないものを感じていた矢先に偶々新聞で見た講演のタイトルが「大好きって相手の幸せを考えること―10代の性、デートDV、LINEについて」であったので、聞きに行ったのである。講師は、高知県土佐高校出身の産婦人科医の上村成仁先生、岡山市の駅前で上村ウイメンズクリニックを開業しながら、土日を使って全国の中、高校で性教育の講演を精力的に実践しているという人であった。岡山大学の女子学生とコラボして10代の性に関する悩み質問にも応じているらしい。以下が近森病院の広報誌で紹介されていた講演の記事である。

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川上哲夫教育長にこの人物を紹介し、地元中学校での性教育の講演に繋がればと思いついたのである。何より私はこの上村先生の人を引きつける話術の巧みさと、10代の性の切実な悩みに心底寄り添う人間性に、すっかり魅了されていた。上村先生曰く、「中学校では、全国的に一クラスに一人は、性同一障害の子供、そして学年に1人は堕胎経験をした子がいます。そのような環境で、命の大切さを教える授業をしてはいけません。その子はその授業を受けたら死にたくなります。」私は、まずその事実に驚いたが、それ以上に感銘を受けたのが、上村先生の中学生を見る眼差しの大人として慈しみ、優しさである。性同一障害の子供は元より、男性の性欲についての知識もなく、避妊知識もないままに、偶発的、事故的に妊娠してしまった女子中学生とは、車の中でハグされてパニック状態に陥り泣きだす中学生と同一平面上にいる女子中学生である。このような体の成熟と精神の成熟の著しいギャップは、思春期の女子児童、生徒をして、好奇心や無知や無防備さが相まって、望まない妊娠という最悪の結果をもたらす危険性を内包している。私は自分の運営する塾を通じて、女子中学生との接点があったので、男性一般にとって、彼女たちがどれほど生気に満ちた若い女性としての性的な魅力を放っているかをある程度想像できたがゆえに、彼女達の身に起こり得る危険性を感じ取っていたのである。このような性的魅力を放ち、かつ妊娠可能な女の子たちには、男性の性欲について教えるべきではないかと、まずは考えた。男性一般の女性に対する恋愛感情と性的欲望の関係性についてであり、女性にとっての性の発露は男性にとっての性の発露とは、発達段階における発露の機序が全く異なるという生物的な事実を、妊娠可能な年齢の女子児童、生徒には教えるべきではないかと、事件の報告を受けた際に真っ先に思ったのである。そこで、教育長室に直行し、教育長に上村先生を紹介した。「今の時代、子供たちを性的な情報から遮断することは、インターネット環境に晒されている以上現実的ではなく、その結果女子中、高校生が無知と幼さから性的な事件に巻き込まれる危険性が高まっている。だからこそ、学校で正しい性の知識の伝授が必要とされているのではないか。」というような言い方で、教育長に、自分の意図を伝えようとしたのを覚えている。実際のところ、私は、上村先生から、「田舎の女子中学生は安全なんてことは全くない、SNSで知り合った成人男性が、週末車を飛ばして遠路その子に会いに来るなんことはざらだ。」と聞いていたのである。私の話に、一見熱心に耳を傾けながらメモを取るしぐさをしていた川上哲夫教育長は、私の話を聞き終わるやいなや、最後にたった一言、私にこう言った。「そりゃ確かに、セックスしたらいかんとは言えませんよね。」この一言で、私は、自分の試みが全く無駄であったことを一瞬にして悟ったのである。「そりゃ確かに、セックスしたらいかんとは言えませんよね。」この一言は、川上哲夫教育長自身の極めて即物的で貧相極まりない、性に対する意識、言い換えれば彼の女性観を表していると、私には映った。上村先生とは実に対照的である。10代が男女とも性に目覚め、男子生徒の側は性欲に翻弄されもするだろうし、女生徒の側には不安や戸惑いもあるだろうし、その過程を通じて性自認を内包した自我を確立していく事への深い理解と洞察が、上村先生の側にあるとすれば、川上哲夫教育長の側にあるものは一体何だろうか。女性という他者に対面し、思春期以降の長い自己への問いかけを経て性自認を内包した自我を構築してきたらしき形跡がこの人からは全く感じ取れなかったことの驚愕と絶望感。このような人がよりによって教育長なんて。実に質の悪いジョークのような世界ではないか。残念ながらこれは、川上教育長に限らないことは、疑いない。学校現場で頻発する若い男性教師の女子生徒への「ワイセツ」事件として報道されているものの本質には、体制側つまり学校側の性に対する無理解と無教養をやはり濃厚に感知してしまうからである。しかしながら、「そりゃ確かに、セックスしたらいかんとは言えませんよね。」が、川上哲夫教育長の私への唯一の反応であった事は、実話である。実話であるからこそ、「生徒の個人情報保護のため」口外禁止と抑止されても、これを書こうと思い立ったのである。一つには、このような際の咄嗟の言動には、教育長の教育長としての資質が濃厚に表出していると確信するからであるし、もう一つは、このような事案が生徒の個人情報として保護されるより、むしろ学校に置ける思春期の性の行動形態の発露の事例として、教育行政に係る大人を含めた周辺の大人が、情報を共有し、ここから学んだ方が遥かに健全であると思うからである。論より証拠、私は自分の塾で二人の男子中学生に対して上村先生の受け売り授業を早速実践してみた。「男子の体では一日でに5億子の精子が作られている。だからかわいい女の子を見たら、触りたいと思うのは自然なことらしいよ(私が男じゃないのでこう言うしかない)。決して変態じゃない。でもね好きな子は大事にしなきゃいけない。だからね、上村先好き先生が言ってたけど、好きな女の子とデートする前には、マスターベーションを2回はしていけばいいって。」ここまで私が言った時の、二人の中学生の男の子の顔に浮かんだ恥じらいと安堵がないまぜになったような、実に可愛らしい、初々しい表情を見た時に、私は、自分自身が男性の性をいかに理解していなかったかにはたと気づいたのである。男とはこんなにも切ない生き物だったのかと、恥ずかしながらこの時生まれて初めて思ったことを白状する。結局、大人社会におけるセクハラ対策は、ここから始まるのではないか。牽いては、男女共同参画社会の実現のためには、男女双方の互いの性に対する相互理解に向けた教育が思春期から開始される必要があるのだろう。さて、これを書いているうちに、5月11日に開催された臨時議会を経て,川上哲夫教育長は退任、新たな教育長として、人材育センター室長であった山脇光章氏が選任された。新教育長の性意識やいかにと思いつつ(もちろんそれだけではないが、男性である以上性自認と自我意識は分かちがたく結びついているはずである。)、早速教育委員会定例会に傍聴に行くつもりである。

 

西原真衣