呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(114)

   「文化的施設」一般質問を傍聴した

令和年度四万十議会第3回定例会、9月14日午後1時古谷幹夫議員の一般質問だけ傍聴した。1問目は人口減対策である四万十町の集落単位の人口減予測と要因分析を「地域活性化センター」に委託したと言う事から始まった。一般財団法人地域活性化センター」への委託理由を大本政策監は以下のように説明した。

「国や都道府県からの出向者で構成されている信頼のおける機関」である総務省事務次官天下り先であるとは言わなかったが、事実天下り先であり、「地域おこし協力隊事業や地方創成絡みの調査研究とやらを自治体から受託している機関である。運営原資の最たるものは宝くじ交付金であり、総務省の所する「公営宝くじ事業」「地域おこし協力隊事業」「地方創成関連事業」で市町村に交付される国庫補助金都道府県府補助金から「調査研究」事業を受託するのである。これをマッチポンプという。大本政策監は、ひたすら「国や都道府県からの出向者で構成されている信頼のおける機関」だから調査研究を委託したと経緯を説明したが、この言葉から、大本政策政策監には自分もその末端を担う官僚制度への絶大な信望が内在しているに違いない。が、私には違和感がの残る。昔マックスウエーバーの「官僚制」を読んで、「官僚制は増殖する。自己保存のために」という言葉にえらく触発された経験があり、それが今に至る違和感の淵源となっているようだ。結局古谷議員は、最後に「人口減対策を最優先課題として取り組む姿勢」を中尾穂博憲から引き出し、「大いに安心」したと述べたが、この人物は自分が何を知り、どう判断すべきかではなく、何が「心配」で、どうなれば「安心」かに固執している。故に議場でも「心配」「安心」が多発する。「心配」「安心」は、古や幹夫議員の思考回路における寄せては返す波のような「脳内自然現象」なのだろうかが、政治家に政治を託している、波打ち際の蟹集団の一人として、古谷幹夫議員的「安心」から引き出せるものは極めて乏しい。取り分がないのである。

2問目は、私の傍聴の本丸「文化的施設」であった。古谷幹夫議員は、文化的施設の中止及び見直しを求める陳情」が付託された教育民生常任委員会の委員長であり、陳情賛成の立場を6月定例会の場で示ししている。そこで勢い、今議会の「文化的施設」一般質問でも陳情の趣旨に沿って、「規模の縮小」をテーマに質疑が繰り出された。実に分かり易い構図である。以下が、質疑応答要旨である。

古谷議員:現況の3倍の規模はどこでどのように決定されたのか。

大元政策監:検討委員会が策定した基本計画中に規施設規模示されている。基本計画意見公募にも規模反対意見は出なかった。これを踏まえてプロポーザルを実施して設計者を選任し、基本設計が策定された。

古谷議員:図書館、美術館の利用者の意見をどのように把握したのか。意見の中には「今のままでいい」という意見も見られる。

大元政策監:図書館、美術館でアンケ―トを実施した。検討委員会にも公募委員の他利用者の代表も委員として参画していた。住民説明会にも利用者の参画を期待していたが、そのような発言は聞けなかった。

古谷議員:アンケート結果が手元にある。意見の中には「今のままでいい」という意見も見られる。年間利用者は13000人でありこの人達は新施設も利用すると思われるが、新規利用者の増加が本当に見込めるのか。幅広い層のニーズ調査を求める声もある(意見公募で提出された受付番号10の意見)。

大元政策監:受付番号10は「図書館の縮小と交流スペースの拡充」とあるので単なる規模縮小意見ではないと解釈した。日本図書館協会作成「日本の図書館」中のデータ(人口規模別施設規模の水準や、本の貸出密度年(間貸出冊推計額÷サービス人口)に基づき、規模を設計した。利用者の意向把握は、図書館員が日々利用者と接する中でも実施している。図書館機能、美術館機能機能に限らない、展示機能、コミュニテイ機能の新設が新施設の特質である。

古谷議員:中土佐美術館の視察時にも、来館者の1割しか地元住民がいないという話があった説明資料中に参加型美術プログラムとあるがほんとに人が来るのか疑問が残る。規模に関しては、過去の町長答弁でも、「決して規模ありきではない。十二分に精査する」との答弁が為されている。最後に町長の意向を確認したい。

中尾博憲町長:規模の調整は可能な範囲でしたいが、言葉は悪いが文化的施設は「まちづくりの武器」「人材育成の拠点」と捉えている。自分には提案権、執行権がある。是非とも、この事業に御理解頂きたい。

この最後の中尾博憲町長答弁は「圧巻」であった。どうい意味で「圧巻」かと言えば、空疎という面でこれ以上は考えられないほどの圧巻ぶりである。町民の生活に密着した課題解決を町政に望んでいる、未来への投資ではなく今を生きている一般町民の目線からすれば、この「まちづくり」と「人材育成」ほど空疎な言葉はないのである。おまけに、言葉が悪いと前置きをした「武器」とやらの仕様や性能をこの町長が具体的に説明できるとは全く思えない。受付番号10の意見中には、「STEAM」教育の有用性の説明を求める記述もあった。「STEAM」教育とは、何やら人工知能時代の理数教育に重きを置いた未来型教育、人材育成の理念であるらしいが、自ら「武器」などという言葉を持ち出すからには、その機能や性能を具体的に説明できなければならないのではないだろうか。増してや町長である。中尾博憲町長の頭の中でその部分、具体的な中身が全くの空白であることを町職員も、町民も知り抜いているからこそ、「文化的施設」建設反対なのである。中尾博憲という人物は、その34年間に渡る役場職員歴の中で「執行権」と「提案権」とやらに長年懸想して来たのだろう。だから3期の出馬表明にも繋がったのだろう。誰か「文化的施設建設中止」を公約にして町長選に出て欲しいものである。「権力に発情した知性なき老いたる雄」がどれほど醜悪かを際立させられるような「成熟の香気漂う知性と意志を併せ持つ本物の男」を感じさせてくれるような候補者を切望する。

追記:大元政策監答弁内容を、自己の知っていることに基づいて個人的に訂正したい。

「規模」を言い出したのは、基本計画策定中の検討員委員会の場のコンサルタント岡本真である。議事録に残っている。検討委員は、誰も反論できなかった。そして検討委員会で決めたことにされた。内田純一座長は「この会にはおそらく立地や予算の決定権はないと思います。」などとうそぶいているが、ないに決まっている。首長の「提案権」や「執行権」を抑制するのは、議会の仕事である。議会が情報収集力、分析力、機動力に丸ごと欠けるので、空疎で愚劣な町長提案が実現してしまうのだ。この様な無為無策な老いたる議会に議場を占拠させていてはいけない。若い世代の未来は若い世代が自ら作るしかない。老いぼれ政治家の所作そのものが若者を食い潰しているという気がしてならない。

西原真衣