呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(113)

 「文化的施設」は、中尾博憲の政治家延命策である

四万十町議会9月定例会が9月8日に開会される。この9月補正予算には「文化的施設建設継続費1545801千円」が計上されるという。「継続費」とは何か。注意が必要である。手持ちの財政用語辞典によれば、「継続費」とは以下である。

地方公共団体の経費をもって支弁する事件でその履行に数年度を要するものについて、予算の定め るところにより、その経費の総額及び年割額を定め、数年度にわたって支出することができる経費を いう(地方自治法第212条)

期間は3年間で、令和5年までに合計1545801千円の予算執行権限を議会が執行部に与えることになる。来年令和4年4月22日に任期満了を迎える中尾町長にとって、令和5年までの予算執行を確約させて令和6年を予定する開館まで持ち込むことが可能になる。言い換えれば、次期町長選の争点にさせないような専横的な予算措置である。

この予算措置が如何に専横的か判断するには、財政面の若干の知識がいる。予算編成の原則は、「単年度主義」である。これはその年に必要な歳出(財政支出)はその年の歳入で賄うというものであり、当初年毎の議決が予算執行の前提となり、予算のコントロール権を議会に付与するという意味で「財政民主主義」の基盤となり、実質的な予算膨張=財政赤字の増大の抑止力となっている。が実態として、算額がそもそも大きく、事業実施が複数年度に及ぶ事業、今までの四万十町の事業事例を挙げれば合併後の「本庁者建設」や、平成26年度の吉見川氾濫による市街地浸水を受けて策定さ「吉見川ポンプ場建設」等が「継続費」予算計上された経緯がある。加えて今回の「文化的施設」である。今般、人口の高齢化に伴う社会保障費の増大傾向に歯止めがかからない。現役世代の社会保険料は増大の一途を辿りその分現役世代の可処分所得を減らしている。結果、彼らは消費は疎か、結婚や出産に極めて慎重になる。少子高齢化と経済の低成長化の相乗効果が日本社会の活力を著しく削いでいると誰もが実感している。この町の普通の人々の感覚もそれに近い。だからこそ、6月定例会に文化的施設の中止若しくは見直しを求める陳情」が750筆の署名を添えて、四万十町議会に提出されたのである。ところが四万十町議会はその陳情を9対6で不採択とした。この議会判断の不見識さは目を覆うばかりである。中尾博日着る執行部は、その議決を追い風にして、9月議会に提出される補正予算中の「継続費」として、1545801千円を計上し、一挙に建設工事費まで議決させようと目論んでいる。「文化的施設」は「新庁舎」「吉見川ポンプ場」と比べての政策上の不要不急度が低い。それを同じ「継続費」で計上し、議会が最終決定をしたという既成事実をこの9月定例会で一挙に作ろうとしているのである。このやり方こそ、「ごり押し」であり、機敏性と機動力を失った肥満体に矮小で姑息な脳を持つ超絶小物政治家、中尾博憲の政治家延命策の実相である。その我欲の醜悪さは目を覆うばかりではないだろうか。かって中曽根康弘は「この顔が嘘をつく顔に見えるか」と言い放ったらしいが、中尾博憲ならば差し詰め、まずは、「この顔が賢いように見えるか」である。ある程度の賢さがなければ真偽の判断もつかないことは言うまでもない。聞くところでは、担当職員による受託収賄容疑により「ふるさと納税」事業適用除外措置を取られた奈半利町について、返礼品業者の会合の席で、中尾博憲町長は、「一刻も早い奈半利町の復活を願っている」とだけ挨拶の中で述べたということである。議員報酬引き上げ議案上程時にも議場で、「まな板の上の鯉でいて欲しかった」などと発言し、又10月末に高知地裁で判決が出る「中尾博憲を被告とする議員報酬引き上げの議会基本条例違反の疑義に基づく議員報酬増額分の返還請求」裁判に対しても、「裁判記録」を町が地裁から取り寄せ広く住民に公表することに全面的に及び腰である。このような人物に、真偽が見分けられるとは到底思えない以上あの顔は、嘘をつくとか以前の、知的レベルの現れなのである。「馬鹿を町長にしていていいのか」これが今四万十町民に問われている。政治家の馬鹿は厄災の前触れである。コロナ禍における政権中枢にいる政治家の無知無能はダイレクトに国民に厄災となって降りかかっているではないか。政治家には「馬鹿」のレッテル張りが必要とされている。ただし理由を明示して。以下理由を明示したい。

1.合併特例債は起債期限が令和7年である。「文化的施設」に対する町民側の需要把握ができていない段階で事業に着手すべきではない。

2.合併特例債の残り枠は、14億1800万円である。この中使途が決まっているのは防災倉庫建設1800万円だけである(財政班に確認済み)、合併特例債の趣旨は、合併後の住民の一体感や融和の促進及び旧市町村間の格差の是正と記載されている。「文化的施設」建設によって融和が生まれるとも、格差是正に繋がるとも思えない、陳情文中に合った提言の一つ「十和地区に図書館の分館を建てる」であれば、教育環境の格差是正に確実に繋がるだろう。旧昭和中学校跡の改修であれば1億円で可能である(建設課確認済み、因みに家地川小学校改修費用は1億3千万円である馬鹿町長の政治家延命瀬策よりよっぽど「陳情」内容の方が賢いのである。議会は陳情文を全て議会HPで公表すべきである。

 最後に中尾博憲の貧相は頭の中身よりよっぽどまともな内容を持つ陳情内容を不採択にした議員の投票行動の動機付けについての解釈を試みたい。

水間淳一議員: 旧庁舎跡の活用は自分が過去に一般質問で促した(その時の提内容は、老人ホーム)手前反対しづらい(発言内容)。

教育民生常任委員会委員でただ一人陳情採択に反対した。今回の案件と自分の過去の質疑を結びつける理由は特にない。単に旧庁舎跡地利用案件だから賛成というのでは、陳情内容の論点把握ができていないことになる。謹厳実直ぶってはいるが、これでは頭の中身がお粗末すぎる。

橋本章央議員:質疑なしで反対した。6月定例会での一般質問内容で、政治倫理条例違反領域の、「自分が事業実施主体である補助事業の補助率拡充」を訴えた位である。今回の中尾博憲町長施策への賛同が、今後の自己都合に合致すると判断したのであろう。この議員には、財政上の知見と連動した政策評価は皆無のようである

吉村アツ子議員:直前まで賛成の意向を示していたとの議会筋情報がある。がこの議員に自分の意見があるとは思えない。単にその場の空気への迎合であろう。一般質問は公明党が用意し、その原稿の漢字にはルビが振ってあるという事実が全てを物語る。公明党は、政党交付金を適切に処理していると表向きは言っているが、議席に執着するあまり人選が杜撰極まりない。因みに吉村アツ子議員お選挙資金収支報告書によれば、選挙費用は公明党から全額拠出されている。適切な処理とは、人選外の事か。今般の公明党の行状は、議会制民主主義の綻びを表徴している。

槙野章議員:この議員にも知見というものはない。典型的な付和雷同型である。

家地川小学校の集落活動センター化で、地元に補助金と雇用を引き込むことに成功し、地元評価スコアを上げたばかりである。ここは町長与党に徹するのが得策だと判断し、陳情採択は反対した。この議員も陳情内容の論点の把握は皆無である。

林健三議員:文化施設建設に反対する理由がない。内装に四万十檜をふんだんに使用する予定の文化的施設は四万十町森林組合の大幅な受注が見込まれる。子弟が森林組合職員であり自身も理事である。自己の利害得失は、陳情採択反対側にある。それ以上の思考はこの議員には困難である。

岩井優ノ介議員:なぜか不採択に回った。後日、本人の意図を質した共産党籍の人物によれば、「文化的施設がた立たなくなるといけないと思ったから。」だそうである。陳情文の読解力に著しい困難を抱えていると言わざるを得ない。学童レベルで言えば、「放課後学習支援」が必要なレベルである。四万十町議会を見る限り、公明党共産党も、一体どういう人選及び人材育成をしているのか、甚だしい疑念が残る。

緒方正綱議員:この人物は、過去に私が、「図書館」に関する陳情を出した際の教育民生常任委員長であり、委員会採択議決前に陳情者である私に退場を命じた人物である。この行為が意味することは、「緒方正綱議員は、議員でありながら、自分の投票行動を守秘しようとする位厚顔である」ということである。本会議場ではケーブル中継が入るので守秘できない、だから多勢に紛れ込んで、自分の投票行動の与える影響を緩和しようとしたのである。この辺りの内容のなさ、日和見振りは、水間淳一議員と双璧をなす。徹底的に姑息な保身体質に大真面目ぶった謹厳実直風の粉飾を施す、実に不真面目極まりない。

酒井吉成議員&中屋康議員:この二人はこの際一括りにする。両方が自民党員であることと酒井議員の職歴が、元JA 幡多職員であり、中屋議員は大正の郵便局長である。おまけに中屋議員の「選挙資金収支報告書」によれば、選挙時のポスタは離島の人役は全て田辺建設からの寄付である。これで、彼ら二人が土建屋の大型公共工事受注機会に反対しない理由が分かる。

 

追記:「選挙収支報告書」は、選挙管理員会で閲覧できる。3年間の保存と閲覧が公職選挙法によって義務付けられている。ただし登庁する必要がある。デジタル庁が真っ先にすべきは政治と金のデジタル開示ではないだろうか。四万十町もしかり。「先進的な文化的施設」などという戯言の前に、町民の知る権利の保障と拡充に繋がるより先進的なデジタル技術を駆使した町HPの運営を期待したい。

西原真衣