呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(94)

        覚えがめでたい人

 私は昨今変じゃないかと思ったことが幾つかある。まず少し前のことになるが、教育委員会に傍聴に行ったら、会議資料として配布された教育研究所運営委員会の名簿に、教育委員の石碕豊史氏の名前があったのである。教育委員会とは合議体の執行機関にして議決機関である(という一先ず建前)でと規定されている。執行を委任している教育長の監視機関であり、議決権によって監視機能を果たすという建前なのである。教育研究所とは教育長をトップとする執行を委任された機関である、教育委員会学校教育課の付属機関である。教育研究所運営委員会とは付属機関教育研究所の諮問機関なのである。非常に面倒ではあるが、こうやって延々と辿って行けば、「教育委員石碕豊史氏は、執行機関と執行機関の諮問機関に同時に席を置いている」ということになる。実態的には、失行や監視や指紋が形骸化して機能不全を来しているので、教育委員会という事務事業を司る組織が全てお膳立てをすることで、見かけ上は全てが滞りなく回っているのである。

         が,

全て物には限度というものがあり、許容できることとできないことがある。許容範囲にしてはいけないと感じたので、教育次長の浜田氏に指摘した。結論的には、石碕氏を運営委員から次回から外すという玉虫色的なものであったが、制度上の人選ミスは認めた形となった。本来は運営員委員を石碕氏本人が下りるべきである。この辺の判断に欠ける人物として石碕氏の印象が、私には残った。学校教職員上がりにはこの種の人が多い。石碕豊史氏は、学校教育退職者であり、教育研究所の教育相談員を長年務めた挙句、教育研究所退職後には教育研究所運営委委員会委員となり、そのまま教育委員となり、本人的には何ら疑念なく二つのポストに就任していたのである。委嘱する方も方だし、委嘱される方も方である。「官僚制」オートノミーとでも言いたくなる現象であり執行、監視、諮問が手に手を携えて質的に劣化しながら総崩れしていく状況から生み出されるているのでは、と感じるのである。極論すれば、今論者が言っているように、安倍政権以降の法治主義ではなく人治主義への退行である。石碕氏は結局、二つのポストに充当されるくらい、当局の覚えがめでたかったのであろう。川上哲夫教育長時代の教育次長岡澄子氏の教育研究所長への退職後の斡旋辺りから法治主義から人治主義への流れが生まれたのではないかと推測する。岡澄子教育研究所所長は、この人事ミスに気がついていなかった、彼女の制度理解のレベルが露呈したとの見方も成立する。畢竟、人治主義では、適材適所は実現し難いのである。

 次の事例はごく最近の遭遇事である。今私が最も注視している文化施設関連の人事である。平成29年から平成31年にかけて文化施設基本構想検討員会とそれを引き継いだ基本計画検討委員会が設置されていた。公募委員枠に酒井紀子氏と刈谷明子氏がいた。刈谷明子氏にはこの間、図書館協議会委員検討委員会公募委員の兼任状態が発生していた。検討委員会には図書館協議会から会長林一将氏が委員として委嘱されていたので、通常なら図書館協議会委員は、公募脇からは除外するのが常識ではないだろうか、というのが私の感覚である。文化財保護委員会代表、美術館運営員会代表、図書館利用者代表、学校図書館関係者代表という委員構成であったのだから。不思議なことにこれが問題視されなかったらしい。図書館協議会代表の公募枠で委員となり、今は会長となっ竹村君子氏は常々、図書館協議会の場で、文化施設検討委員会の議事内容が、全くと言っていいほど図書間協議会に伝わらないと、苦言を呈していたのである。その場に刈谷明子氏は同席し、それにはノーコメントであったことも思い返せば妙であった。因みにその時には林一将氏は会長を退任し、竹村君子氏が会長職に就任していた。実は刈谷明子氏にはもう一つのポジションがある。高知市の認定特定非営利法人高知こどもの図書館の理事」というポジションである。一昨年永国寺町の勤労会館の一角から高知公文書館(元県立図書館)に移転したこの「高知こどもの図書館」は、絵本の読み聞かせの先進的な取り組みで全国的に有名であるとのことだ。その組織の理事である人が、四万十町立図書館設置条例第7条における「家庭教育の向上に資する活動を行っている者」の立場で図書館協議会委員に委嘱されていること自体に特段違和感はない。むしろ適任だという印象を持つ、が、問題はここからである。「高知こどもの図書館」は四万十町立図書館から、絵本の読み聞かせボランテイア要請講座を受託してるのである。この講座は、「高知こどもの図書館」の収益事業である。図書館協議会とは、図書館から事業報告を受けてそれを評価し、館長に意見を述べるための機関なのである。評価者である以上、まずは、事業の委託先と自分の関係性は事前に明らかにしておかなくてはならないと思う。委託金額が僅少であろうとなかろうと、事の本質は、利益相反なのである。だからこそ、この辺りの区分は重要視すべきである。石碕豊史氏と刈谷明子氏の2例から得られる教訓は以下であろう。

町が設置するすべての審議会委員名簿には所属欄を付し、名簿本体を町HPで公表するべし。執行機関の内部独自判断に委ねてはいけない。

 最後の一件は、一般社団法人いなかパイプである。この組織の代表者は佐々倉怜於氏でその妻は佐々倉愛氏で、佐々倉愛氏は、今現職教育委員である。「いなかパイプ」は十和振興局長富田氏によれば、旧広井小学校と旧古城小学校でシェアオフィス事業(この事業の収益は「いなかパイプ」のものでありながら町が補助金36万円を「いなかパイプ」に交付している。)カフェ運営事業、いなか体験事業、インターンシップ事業等を展開している。これらは全て「いなかパイプ」の収益事業である。この両小学校は旧十和村が建設した小学校であり、現在休校中で「普通財産」と位置付けられた町の所有物であり、町に管理責任がある。旧広井小学校にオフィスを構える株式会社四万十ドラマは、電気光熱費見合いとして月額定額6万円を町に納めている。いなかパイプは、同様に、年100万円相当額を町に収めている。そもそも電気光熱費は、使用者負担が原則である。公共の建物を使用しているのに、どうして町が使用料を取れないのか。実はこれには理由がある。窪川地区の旧丸山小学校には、二つの町内進出企業が入居している(コンタクトセンターNIC障碍者雇用のパーソルチャレンジである)が、町が家賃各月額6万7千円と6万円を徴取している。が、旧広井小学校と旧古城小学校は、旧丸山小学校とは異なり、建築時の町の起債の償還期限が到来していないので、起債者である町が起債の目的(小学校の建設)外で収益を上げてはいけない、という規定があるのである。それで、町は公共の施設の使用者から使用料を取れないのだ。なるほど、と一瞬思ってしまいそうになる。けれども非常にすっきりしない。

    そうだ、確か、地方自治法施施行令中に

オリックス社の大藤風力発電事業計画関連で、事業実施予定地に含まれる町有地をオリックス社に貸すという契約を町が正式にオリックス社と交わす際に適用される「町の財産の貸付譲渡の際には、無償であれば議決がいる」という下りがあったはずである。町の所有物である二つの旧小学校を長年、株式会社四万十ドラマと一般社団法人田舎パイプに無償で貸し付けていると言う事案がこれに正に該当するのではないか。つまり、「建設時に起債し、その起債の償還期限の来ていない公共財産である小学校を貸して家賃相当を取って町が収益を上げてはいけないが、田舎パイプや四万十ドラマにしているように町が無償で貸し付けている場合には、町有地と同様に議決がいるのではないか」という事である。「収益を上げれないので使用料金を町が取れない、からと言って、無償長期貸付時の議決は排除できない。」と私は解釈したのである。電気光熱費は実費であり、これは家賃でもなく、町にとっての収益ではない。町に請求される電気光熱費を後から町が使用者に請求しているだけのことである。そして建物自体長期無償占有状態である。この辺が実に曖昧に長年放置されてきたのではないか。町が使用料金を取れないと説明されても、町民的に全く判然としないのは、「なぜ使用料が発生しない公の施設の占有者が四万十ドラマやいなかパイプであり、更に彼らがその公の施設を使って収益事業を行っていけるのか。」という事である。富田振興局長には、「十和地域に事業を通じて貢献してくれている、という地域住民の認識も振興局側にあり、それが公の施設の無償貸与に繋がった」という認識もあるようであったが、折しも四万十ドラマから独立したという「株式会社とおわ」が、令和3年4月1日から十和道の駅の指定管理者として、十和道の駅の運営者となる。その「株式会社とおわ」取締役の一人が刈谷明子氏の夫君であるとの事である。十和道の駅公募時の提案書には、「公平公正な道の」駅の運営と振興局と連携した人材育成」を謡っていたことが記憶に新しい。町の「普通財産」の無償貸与を受けて収益事業を展開している「いなかパイプ」の代表佐々倉怜於氏の妻佐々倉愛氏は特別職の地方公務員である四万十町教育委員である。この両夫妻の町政とのかかわりの実態からしてもやはり、「四万十ドラマ」と「いなかパイプ」へ「普通財産」の長期無償貸与には、あらためて議決が必要とされるのではないか。それを放置し続けたことは、行政の不作為である。「特定の事業者と町との利害関係は町民全体の眼に明らかにすべきである。」さらに平成29年5月の広報誌には、「佐々倉愛氏、酒井法子氏、刈谷明子氏の三人が「さんまの会」を主宰して、時には中尾町長との懇談会も持っている」という記事が掲載されている。「さんまの」会が中尾町長に懇談を要望すれば、町長がわざわざ十和の旧広井小学校まで出向いて懇談の場を持ったということである(森武士町長談)。これら十和在住の子育て中を何かアピールしている三人の女性達は、森武士副町長の覚えが非常にめでたいと言っても過言ではないだろう。この人の十和贔屓は度を越している。数年前に四万十ドラマが阪急ホールデイングズと共催で、阪急駅で「四万十町物産展」を開催した時に、四万十町職員7名を公費で現地派遣して「四万十ドラマ」を手伝わせたのも、この森武士副町長である。一人当りの出張費は7万円で、合計49万円が四万十町予算から拠出されている。この辺り、一般町民的には、「住民監査請求」に値するような公費の使われ方ではないだろうか。中尾町政もあと1年、この辺りの精査が是非とも必要とされているのではないだろうか。それ抜きで大型箱物「文化施設」にゴーサインを出すべきでないことだけは明らかだろう。

西原真衣