呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(132)

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四万十町HP「町長の部屋」より転載
   落選運動-中尾博憲町長候補ってこんな人です

  「文化的施設」の裏側が語る中尾博憲像

その1.教育委員会の実態

岡澄子教育は、委員会半年欠席でも満額報酬を受け取っている。文化的的施設整備推進準備室との重要協議に半年間出席していない。四万十町教育委員会は形骸化の一途を辿っている。選任されても発言皆無の委員もいる。月額報酬47000円は全額我々の税金、議会教育民生常任委員会との意見交換会、文化的施設整備推進準備委員会との意見交換会(準備室は毎月のように定例会に説明に赴いているそれとは別に意見交換会を設定、この2つの意見交換会は、非公開で議事録なし、理由不明な、「忌憚ない意見交換」のための非公開化である。忌憚ない意見が非公開でしか出ない教育委員会などは、単なる追認機関で無用である。特に岡澄子氏は、教育委次長、教育研究所所長、教育委員を歴任した人物、とは言え教育委員になってからの発言はほぼ皆無である。「簿冊管理表」を作成できななかった前々教育研究所所長のT氏の職務遂行能力に疑義を呈した私は、政治倫理審査会にかけられ辞職勧告を受けた、この岡澄子氏は教育委員会次長時代に「所長が簿冊管理表を私の所に出してきましたが、とてもじゃないが外に出せるようなものではなかったので今研究員に作成を命じています。」と私に告げた張本人である。教育研究所事務分担票の所長欄には、「事務統括」と書いている。T氏は町内小学校校長上がりであった。教員退職者の退職後の教育研究所情実採用の証拠がここに現れている。能力が問われていないのである。政治倫理審査会で、「所長が簿冊管理表を私の所に出してきましたが、とてもじゃないが、外に出せるようなものではなかったので今研究員に作成を命じています」を証言して欲しいと私信で依頼したが、岡澄子氏はそれを川上哲夫教育長に預けて退職し、自分自身が教育研究所所長の後釜に座った。教育委員となってもほぼ発言皆無で半年欠席でもお咎めなしという特別な扱いを受けている。

これが中尾町政下の教育委員会人事行政の実態である。

その2.教育委員会生涯学習課による図書館行政の実態

館長は生涯学習課課長が兼任、図書館員は全員時給で働く非正規公務員である。唯一正規職員である副館長は議事録の重要性を認識せず、「館長に意見を述べることができる」立場の図書館協議会の議事録の作成と公表は、1年近く放置されてきた。これで3度目である。つまり議事録の重要性、作成目的を理解しない職員副館長として長年図書館に配置されてきたということである。町政に関心があれば町政の意思形成過程である議事録の重要性を理解でき、議事録作成を怠る事にはならないだろう。だがその様な職員は過去に図書館に配置されことはない。非正規職員の図書館職員に至っては、その様な正規職員に目一杯の敬語を常時使いつつ、四万十町公文書コーナー」の資料を説明する言葉は、唯一「役場の人が持ってきてくれたもの」あるという有様である。四万十町行政文書について、まともな研修を受ける機会もなかったということである。研修は必要であるし、研修を受ければ、その内容を理解するだけの能力のある職員本来図書館には配置されるべきである。かねてから図書館に据えられている意見箱に投函された意見は、集計されたことも分析されたことも公表されたこともない。ところが、平成28年に文化的施設構想が立ちあがってから急遽、検討委員会や、意見公募やアンケートがこれ見よがしに実施されるようになったのである。突然の変貌である。町長中尾博憲の「文化的施設を作る」という特命が下ったからである。これらの流れの中で常に町に対して迎合的な意見を述べる3名の子育て世代の女性が現れた。全員十和地区の居住者で、地元出身者ではない。彼女たちの動きはなかなか興味深いので紹介したい。一人目は教育委員の佐々倉愛氏である。二人目は、図書協議会委員兼検討委員会公募委員の刈谷明子氏である、3人目は検討委員会公募委員兼四万十町総合振興計画公募委員である酒井紀子氏である。この3名は発言力と積極性で群を抜いている。現職議員の村井真菜氏よりむしろ発言内容が印象に残る位である。議事録から、私にとって印象的であった発言内容を若干紹介したい。

佐々倉愛委員:パブリックコメントは批判のある人がするものというイメージがある。「期待してます」や「楽しみにしています」という応援型のパブコメもできるというメッセージを準備室から伝えて欲しい。私もパブコメするつもりでいる。

大元政策監:佐々倉委員のおっしゃる通りで、その様にしていきたい。

注釈:上記発言は直近の教育委員会定例会でのもの。

刈谷明子委員:町長部局への移管のどこが問題なのか分からない。人口減で財源も不足してる中でクラウドファンデイングを取り入れるというのはどこも普通にやっている。

注釈:図書協議会の場で、社会教育施設の中核の図書館を町長部局へ移管することへの違和感が、竹村明子会長、武内文治委員、金子仁委委員の3名から提示された際の発言。武内文治委員が、クラウドファンデイング等は、公共の図書館に馴染まない。税金を財源とするからこそ公共の図書館であり、それゆえ選書と蔵書構成の在り方が問われる」と、実にオーソドックスな図書館論を展開した。刈谷委員の、クラウドファンデイングへの言及はそれを受けてのもの

酒井紀子委員:四万十町の子供が、外から元から頭が悪いと思われないためにもSTEAM教育を文化的施で積極的に提供して欲しい。

ARG 岡本真氏:今は現実問題として学歴で生涯賃金に大差が出る時代であり、四万十町の子どもがDNAレベルで頭が悪いと思われないようにするためには、STEAM 教育を初め、情報リテラシーの習得が避けて通れない。四万十町文化的施設構想に、STEAM教育を取り入れますと明記することは素晴らしい。日本初の物となる。

注釈:平成28年に立ち上がった文化的施設検討委員会での発言である。準備室も教育委員会や図書館協議騎回の場で、文化的施設へのSTEAM教育の導入理由について聞かれたら、検討委員会から出たものであると説明し続けている。が、ここには実は裏事情があった。図書館コンサルタントの岡本真氏の登場は、平成28年の事である。この時参集した検討委員達は、何を決めれるかの権限(施設の立地及び規模、裏付けとなる予算措置並びに内容)があるのかさえ不分明な状況下で、ひたすら町長中尾博憲の文化的施設を作りたいの民意醸成アリバイ作りに奉仕させられたのである。岡本真氏は総務省の地域情報化アドバイザーである。これが布石であり、準備室はごく最近になって、地方分権改革の第11次答申に含まれている、「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」を議会や教育委員会に対して資料提供し始めた。この答申内容こそが岡本真氏のアドバイスの内容その物であった。曰く、人口減少、財政難時代に置ける観光や町づくりと一体的に整備する図書館、美術館等の社会教育施設伝々である。society5.0時代の情報リテラシーの向上も内包されている。この情報の出し方の欺瞞性の背景にあるのは、概念装置は常に国家が造成し、知識に乏しく物分かりの悪い地域住民の民意の集約には、コンサルタントによる難しい言葉を排除したファシリテーテイングが必須であるとでも思っているのであろう、明治以来の中央集権国家のスタンスである。そして財政に通じた四万十町役場の精鋭(と町長部局が見なしている職員集団)を結集した文化的施設整備推進準備室はこの情報の出し方を自ら議会、住民に向けて演出、実践している。最初は町直営で指定管理(民間委託)も視野にあると最近になって言い出した準備室である。彼らの目線がどこを向いているかは明らかではないだろうか。一頃一世を風靡し、行政や議会の視察が絶えなかった佐賀県武雄市TUTAYA図書館が、郷土資料の廃棄やTUTAYAから回ってきた中古本の大量配備等の問題を抱え、本の分類も支離滅裂、「新しいライフスタイルの提案」等という中身のないキャッチフレーズだけが跋扈する、得体の知れない図書館となり果て、住民訴訟まで提訴されていることを準備室は知っているだろうか。地方分権改革や指定管理について、その様な先行事例こそが伝えられるべきではないだろうか。四万十町教育委員会は、武雄市TUTAYA図書館に視察に行っており、そして、今図書館の町長部局への移管にも全会一致で異存がないという事である。図書館協議会の方がよっぽどまともな審議が展開されている。取り分け、竹村明子会長、武内文治委員、金子仁委員の3名が、「図書館、美術館の町部局への移管には違和感がある。」と発言している。方や山脇和章教育長は、教育委員会の席で「一般町民には、町長部局とかの用語はまず分からない。」などと発言し、一般町民の行政知識の乏しさを指摘しているが、当の用語を運用している人間が、町民にする用語説明の責任を負うている。とも思わないところが、そもそもの山脇和章教育長の認識を疑う話ではないか

 さて万全の根回しで臨んだ四万十町議会3月定例会の場で中尾博憲町長は、行政報告中で、パブコメの結果は意見提出が3名、項目は24項目に渡った。」と発言した。実際のパブコメ結果資料を見れば、内容は全体的な好印象を語りつつ、枝葉末節的な細部の手直しを提案するとうというスタイルであり、それこそ「応援してます」的なメセージが横溢していた。佐々倉愛氏発言「私もパブコメを書こうと思っている」からして、3名の中には、佐々木愛教育委員は含まれているだろうし、あくまで推測であるが、刈谷明子委員も含まれていそうである。もう一人の検討委員会の公募委員であり、活発に発言していた酒井紀子委員も含まれていそうである。この3名は全員十和で子育てをしている。車で1時間かかるところにできる文化的施設にそこまで期待できる理由が正直私には分からない。検討委員会の場でも刈谷委員と酒井委員の並々ならぬ熱意に圧倒された。コンサルタントの岡本氏ともフェイスブックのチャット機能を使てよくやり取りをしていた位の入れ込みぶりであったらしい(関係者談)。中尾博憲町長は、就任以来人材育成をモットーとしてきた。がここに来て、何だか、中尾博憲町長直属の人材育成センターが実施している町営塾の講師たちの発想や思考も、何だか、「DNAレベルで頭が悪い」や「学歴で生涯賃金格差が生まれる時代」発言の図書館コンサルタン岡本真氏に似通っていると私は気付いた。

その3.「町営塾」の実態

中尾博憲町長が人材育成を目玉に町営塾が設立された。町営塾運営を委託しているファンデイングベース佐々木社長の思考と文化的施設のために町に呼び込まれた図書館コンサルタント岡本真氏の思考にはある類似性がある。以下塾関係者と私とのやり取りである。

西原: 公費が投入された町営塾には成果である進学実績は、より数値化して公表すべきではないか。進学先名だけでなく一般入試か推薦か、進学先の偏差値とかの情報がないのは、成果情報の提供面で、余りにもお粗末ではないか。

塾長:進学先は偏差値的にはごく普通のレベルなので、大手前高校から一橋大学へ進学とかなら別ですが。

注釈:窪川高校や四万十高校からの進学先の偏差値は、ごくごく普通なので公表する価値があるのか、宣伝公開が期待できない、と言わんばかりの応答である。偏差値信仰はさておき、偏差値は、大学入試制度上、ひとまず現況では無視できない評価指標であり、公費で運営されている町営塾の成果発表に進学先の偏差値が示されないのは不当だと指摘したつもりであったが、塾長から帰ってきたのは上記の言葉であった。

塾講師:「じゅうく」は独自企画した総合的な探求の時間で、ファッションを切り口に、高校生に「生業」「世の中」の仕組みについてい今までにない視点で考えさせる授業を展開している、今、日常身に着ける大半の服は人件費の安い東南アジアで作られているので値段を安くできるとかを教えている。

注釈:町営塾が単独で企画した「総合的な探求の時間」的授業を塾生に対して実施しているとの情報を得て、その授業内用を聞いた際の応答

西原:この地にもかっては縫製工場や製材工場がたくさんあって町の人の一大雇用の場場になっていた。経済のグローバル化に伴う地場産業の衰退という視点が地元高校生には有益ではないか。地元と世界を繋げる視点である。

塾室長:地元の事は関係ない、外の世界、地球レベルの事を教えたい。

西原:「世の中」と簡単に言うが、「世の中」「外の世界」「地球」「社会」「世界」の概念をどのように使い分けているのか。それらの概念と「地元」は関係づけられていないのか。

塾室長:そんなこと考えて何かいいことあるんですか。

注釈:「なんかいい事」とは、自分や生徒にとってのメリットという意味であろうか。地元産業が、工場立地やサプライチェーンの分散化、グローバル化によって多大な影響を受け徹底的に衰退したというう経緯こそが、地元と外の世界を繋ぐ認識上の糸口なのである。縫製工場も製材工場も壊滅し、替わって介護施設ばかりが乱立し、高齢化率も上昇の一途である。その状態に打つ一手が、「子どもたちの未来への投資―文化的施設」としたら、こんな不見識はないだろう。公務員の世界だけが、この環境から人工的に切り離され、国家のデフォルト、財政破綻に及ばない限りは守られている「身分と待遇の聖域」なのである。この環境に首まで使って生きて来た中尾町長(政治任用された森武士副町長も含む)の「不見識」「無定見」こそが、この様な、学力基盤自体の怪しい、はすっぱで短絡的な思考しかできないコンサルタントに採用された若者を呼び込んでいるのである。「宣伝価値」「DNA」「生涯賃金等の指標を東京経由で、この地の住民や高校生に齎すために税金を投入していることの救い難い愚劣さと醜悪さを指摘したいが故に実際のやり取りを実写した。これが、中尾博憲町長の目玉政策である「人材育成」「文化的施設」の正体である。それは取りも直さず町長中尾博憲の正体である。その証拠に、ファンデイングベースが採用面接を行って町が追認した講師によるコンサルタントを使う立場にある人材育成センターに所属する四万十町正規職員たるや、講師による授業の評価もできず、授業で使用している教材の把握さえなく、塾の開始前には帰途についているという有様である。かくて「町営塾」は都会の大学生活や会社勤めから骨休めのためにこの町に疎開してきた若者の楽園と化している。因みに彼らの待遇は、就任1年目は月給18万円、2年目は19万円、3年目は20万であり、住居は全て町の借り上げである。塾の稼日数は週3日、開塾時間は、午後4:50から8:50までである。彼らの学歴は、知っている範疇で九州大学筑波大学関西学院明治学院といったところである。人口減、財政難時代の大型箱物の維持費(推計年7000万円)が子供の未来の負担となることを懸念する「文化的施設建設の中止及び見直しを求める嘆願書や陳情」を蹴ってまで推進している文化的施設構想の目的は、当の「子どもの未来への投資」だそうである。が、生憎私の目には、今の町営塾の講師たちの実像こそが地元の子供達の近未来像に見えて仕方がないのである。結局田舎の自治体の楽勝町長が提供してくれる生活環境に勝る環境は、彼らのかっての都会での生活環境にはなかったのではないか。町長中尾博憲は、一挙に議員報酬を45000円も引き上げて四万十町議会議員の生活環境も請われるがままに改善したではないか。この税金大盤振る舞いが中尾博憲の鉄壁の支持基盤、人気の源である。おまけに威圧感0、威厳0である。実に使い勝手の良い町長ではないか。間もなく無投票で3期目に突入するだろう。今後増々の御健勝を祈願したい。

西原真衣