呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(3)

知人がface book に投稿した、一枚の写真には目を見張った。オリックス社が町に送付してきた「方法書」とに記載されている、「風車の立地点及びその影響圏の等距離線圏内(4km まで)にある家屋、公共施設等」の図である。知人はこの地図に、海洋堂ホビー館と馬の助神社を上書きプロットしてくれていたので、ああこの辺りかと、やっと飲み込めた。両方とも行ったことがあるので、自分の身体感覚として理解できるのである。それでなけれは、位置感覚がつかめないだろう。林業従事者か登山者ぐらいではないか、山を見分けることができるのは。とにかく、この巨大風力発電所の出力は、147000kwと、原発一基分に相当するそうだ。私は、率直に言って嫌である。できて欲しくない。理由は、私の中ではかなり明確である。まず、手続きのプロセスに透明性が決定的に欠けているので、事業者にも行政にも信頼を寄せることができないからである。オリックス社は、四万十町内にある、四万十川の景観保全や清流保全をミッションとし流域8市町村が負担金を拠出して運営している「公益財団法人四万十川財団」を、現地入りした際には決まって訪問しているらしい。そして財団事務局長の神田修氏に対しては、

利益追求だけが目的と思われている。」

「土砂災害を出すようなことはしない。」

再生可能エネルギーの普及は必要である。誰かがやらなくてはならない。とにかく地元ではやるな。どこか他でやってもらいたいという、今、全国展開されてる「風車ネットワーク」のような反対運動につきものの住民エゴ的なものには正直うんざり感がある。」等言っているらしい。(神田氏から聞いたまま)

しかし、それであれば、なぜオリックスは、山本康夫企画課課長に、「方法書を公表してくれるな。」とか、高知県環境共生課の坂田チーフにも、環境影響評価技術審議会の議事録掲載ページにも「方法書は高知県HPに載せてくれるな。」と言ったのだろう。決して利益追求だけではない、社会的ミッションを負っているという自認が、オリイックス側に本当にあるならば、そのような、著作権を楯に取った、みみっちい振舞いはしないはずだと、私は思う.再生可能エネルギーの普及はさて置いても、四万十町にとっては、約40年前の窪川原発に匹敵するような巨大な開発行為であることは間違いない。山本企画課課長は、議会閉会後、自身の答弁内容について、私に、以下のように説明した。

「既存の作業道(林道)を使うと事業者が言っている。」ーオリックス側が、進捗状況(地権者の同意等)報告目的で企画課を訪ねた時の課長への口頭説明

四万十川の土砂による汚濁は、防止措置を講じると事業者が言っている。」-方法書中の記載事項

[排出土砂は、可能な限り、現地で費消する(収支均衡)と事業者が言っている。」-方法中の記載事項

でも、地元住民には、方法書は公表して欲しくない、とオリックスは、同時に言っているのだ。そして、地域住民が、現在方法書を閲覧できる環境にないのは、紛れもない事実である。

これらを知って、どう感じるか。これで事業者を信用しろと言うには、無理があり過ぎる。「やっぱり立派な金儲けじゃないのか。情報弱者で免疫不全の行政側が手玉に取られているだけじゃないのか。」としか,思えないのである。おまけに、この風力問題で住民からの質疑の矢面に立たざるを得なくなった、四万十町企画課課長、山本康夫氏は、「原発再生可能エネルギーだと聞いている。」と、今日再び私に明言したのである。「聞いている」とは、一体「誰」から。私は、思わず口走ってしまったが、山本課長は、これは答えなかった。この不明瞭さ、曖昧さは、度し難い。政治家と官僚の癒着が生んだ、既に破綻した詭弁、「原発再生可能エネルギーである。」が、この自然豊かな高知県西部の方田舎で、このように、担当課長の中に、度し難い弛緩を伴って今だ息づいているのを、目のあたりにする時、私は、絶望に近い感情に襲われる。ヤイロチョウは、絶滅の危機に晒されているが、この種の田舎公務員は決して絶滅しない。我々はこのような、くたびれ果てたゴムひものように弛緩し切った行政の、事業者の提出した方法書に対する意見が「考慮」され、住民意見は「配慮」される(明確に言葉を使い分けられているばかりか、住民意見に対応する事業者の意見を記したものは公表されていない、行政が保管するのみである)べしと明記されている環境影響評価法上の手続を通過するだけで、地元の代々営々と受け継がれてきた希少な自然環境を一方的に開発されてしまうのである。実に腹立たしい。配慮の対象でしかなく、公表義務もない「住民意見とそれへの事業者回答」を情報公開開示請求によって、入手したので、せめて、ここに公開する。

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とにもかくにも我々は、このような仕組みの中で暮らし、尚且つこの、巨大開発行為がもたらす環境破壊影響を受ける側なのである。法的権限を持つ公務員各位、自分で情報を取り、自分の頭で考えてくれ。さもなくばその職を退いてくれ。我々は我々が雇用する公務員に、自己の中に構築された知見に基づく、見識と判断を求める。政治は言語でできている。当然言語の読解力が要請される。事業者が発する言語と住民の発する言語の、正確さ及び信ぴょう性を読解、比較せよ。これは、国語の問題である。「聞いている」とは、何事か。そこに示唆される、閉じられた伝達経路が何を意味するか。そのようなものは民主主義とは相入れない。住民に対し、簡潔明瞭な言語を用いて説明せよ。公務員の政治体中立性とは、上意下達の空っぽなレセプタ―と化すことでは、断じてないはずである。それで「地方創成」とは聞いて呆れる。「移住定住促進」とは、聞いて呆れる。「人材育成」に至っては、抱腹絶倒ものである。次回はこれらのテーマで、日本の過疎地の末端行政組織(四万十町を指す)において,実際に何が行われているかを、自己の体験談に基づいて、詳細に書きたいと思う。

四万十町議会議員  西原真衣