呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(126)

         判決文の行方

 「判決文は町民に公表すべきである」と考えた。これは住民監査請求を経た住民訴訟であるからであり、公用車で起こした事故の損害賠償とか、税の滞納督促に関する当事者間の訴訟の類ではないからである。ところが、これを提案すれば、それを全く理解しない管理職だらけであった。住民訴訟の結果、司法判断に対する彼らの認識は以下である。

問:判決文全文を町HPに掲載、若しくは広報誌掲載の考えはないか。町づくり条例及び議会基本条例に基づく町政運営(議員からの要望を受けて議員報酬を引き上げる議案を上程したこと)ができているかの司法判断であると考えるが。

熊谷敏郎総務課長;その考えはない、必要がないと考える。

問:なぜ必要がないと考えるのか。

熊谷敏郎総務課長;必要がないからである。

これでは説明になっていない。同義反復である。熊谷敏郎総務課長は、「思考停止」という蓑を着て、蓑虫状態で定年までぶら下がっている腹づもりであることが推測される。町役場という宮仕え苦節40年で獲得したのが「思考停止」という蓑の纏方であるとすれば、もはやそのような総務課長を頂く四万十町は、人材育成事業などはおこがましい。中止するべきである。

森武士副町長:町のHPに掲載するという提案ですね。町長と協議してみます。

問:安芸市議会は、今般、議員定数削減と議員報酬削減議案を継続審議としたが、安芸市総務課は、議案提出前の報酬等特別審議会向け資料に、「議員報酬は生活給と見なすべきでない」という自治省通知を2通出しているが、それに反して四万十町報酬等審議会答申は、「議員報酬だけで子育てができる生活給」という自治省通知から逸脱した内容であったが、四万十町報酬審議会答申に今さらながらに疑義が残る。

森武士町長:その通知文、コピー取らしててもらっていいか。

(2週間が経過)

中尾博憲町長:自治省通知も判決文の公表も、副町長から何も聞いていない。

森武士副町長の処世術は、「人の話を聞くふりをする」ということに尽きる。その後のフォローは一切なし。あった試しはない。実に姑息にして誠意に欠ける人物と言えよう。この分では町長中尾博憲に対しても、一遍の敬意も持っていないことが伺われる。だから町長の意向確認などしないのである。中尾町長と森副町長はただの「報酬利益共同体」なのではないか。その証拠に、彼らには、判決文を町立図書館が収集し、地方自治の本旨、二元代制等の理念に関連して、それらの制度の導入目的や運用実態についての知見の構築に資する町民のための生きた資料とする意向などまるでない。その意識を欠けば、地方自治や2元代表制など、戦後アメリカが日本統治のためにらもたらした、「民主主義の擬制」を上塗りして底固めする事ことにしかならないし、主体性とは無縁のバラマキ行政に終始するしかない。現状を見れば一目瞭然である。

問:「判決文」は町歴史上の重要な文献ではないか、町立図書館の収集資料とすべきではないか。

生涯学習課課長兼図書館長林瑞穂:総務課に判決文があるなら、総務課から「もらえるか」先ず総務課と協議する。

(協議後)

総務は積極的には出さないという意向であるのでこちらも積極的には求めない。

問:原告から得た判決文の複写物を町立図書館に寄贈したいが、寄贈物として収集する意向はあるか。

生涯学習課課長兼図書館長林瑞穂:寄贈物としてであれば収集する。

 町立図書館館長、林瑞穂生涯学習課課長は、「判決文を総務課からもらえるかを総務課と協議」と咄嗟に応答した。四万十町長が公費60万円で応訴した裁判結果は、れっきとした四万十町公文書であり、それを総務課から「もらわ」なくてはならない町立図書館長がいるという事である。案の上、過去に町立図書館員に対して「公文書コーナー(例例規集、予算、決、議会議事録、町計画書等)」にある資料の説明を図書館員に求めたら、複数の図書館員が一様に首をかしげて、「役場の人が持ってきてくれたものなので、それ以上のことは!」と応答したのである。注目すべきは、このような職員体制を放置したまま更に16億円を投下して、図書館、美術家を融合させた「文化的施設」を作ろうという町民を愚弄する施策が着々と進捗しているという事である。町民はこのような愚者に愚弄されて腹が立たないのだろうか。計画の中止及び見直しを求める嘆願書も陳情書も無視されたというのに。

 「四万十町公文書」の定義付けさえも怪しい公務員が、図書館資料全般のレファランスサービスやレファラルサービス(利用者アンケートの設問に登場、関係機関及び専門家の紹介という意味らしい)を提供しようというのだから笑止千万である。今パブリックコメント募集中の、「文化的施設サービス計画」の巻末用語説にある、Society5.0、STEAM教育、Vertual Reality (VR)、Augmented Reality(AR)、Reference Service、Referal Serviceなんて、実装しようもない虚構でしかない。せいぜい開館後も、ソニーグローバルエデュケーショから派遣された講師が「プログラミング」ワークショップを提供するだけである。概念を実装できない虚構であることは目に見えている。コンサルに外注したこのような概念の外注コストは7千万円にも登る。以下の問答をどう思うだろうか。

問:Augmented Reality(拡張現実)とあるが、augmentとはどのような意味か。

大元政策監:augmented自体の意味は知らない。Augmented Realityで拡張現実と理解している。

問:「デジタルサネージ」とあるが、「サイネージ」の間違いではないか。「サイネージ」の意味はスペルは。

大元政策監:サイネージの意味は知らない。デジタルサイネージで電光掲示板と理解している 。

 IT系の技術用語の理解は、語源の理解抜きでは困難であると、私は思っている。インターネットテクノロジーペンタゴンから生まれたというのは有名な話であるが、ペンタゴンが源流なら、運搬を生業とする東京のコンサルタントによって遥々運ばれ流れ着いた川下である流域の町役場という名前の河原でそれを「業務上」拾い上げた四万十町職員は、煮て食べるのか焼いて食べるのか、己が食し、己の血肉とする術など持っているようには全く見えないのであり、その証拠に役場界隈では、衆目が優秀と見なす大元学政策監でさえ、「丸暗記」しているだけである。彼の年齢に丸暗記は似つかわしくない。この部分こそがSTEAM教育(これも源流は MIT)のART( Liberal Artを含む)のLiberal Artのoutcome(成果)の部分なのである。実にややこしくも寒々しい光景である。この寒々しさを払拭できない限りは、所詮「文化云々」等おこがましいので止めるべきである。

STEM 教育:科学技術基本計画の中で言及されているSociety5.0を実装してくためのITリテラシ-の構築に資する教育上必須の5項目の事を指すScience,Technology, Engineering, Art, Mathematicsの頭文字で STEAMということである。

日本人の好きな「産学官」で度という長閑なものではないない、アメリカ合衆国の「産軍複合体」文化の中で生まれたIT文化の移殖が、「総務課からもらう」だとか、「役場の人が持ってきてきてくれた」などという認識、思考、言語の土壌で成功するとは思えない。国レベルにおいても同様である。デジタル庁が発注した、コロナの濃厚接触者追跡アプリの「cocoa」も、ワクチン接種証明のアも不具合や個人情報の入力ミスだらけで機能していないというではないか。これらの失敗の真の原因は、アプリケーションの不具合等ではなく、何重もの外部再委託を繰り返す中での開発者間の、情報の共有と意志疎通の障害から来ているのではないか。要するに体制の杜撰さやそれを発生させている人間の意識の問題なのである。ここ四万十町においてもネットショップ推進事業で、協議会から事業を全面的に委託された四万十ノが再委託した先のネットショップ構築事業者andeは、そこから更に数社に外部委託していたということが発覚している。だから、ande作成の業務日誌など存在しなかったのだ。委託料は550万円、納期はわずか23日であった。国家中枢と同じく、四万十町補助金にも正体不明の補助金クラスター(補助金分配人脈」が発生しているという事である。その補助金仲介役が四万十ノや四万十ドラマであるとしたら、町賑わい抄出課は、一体何を把握、指導していたのかということになる。話がかなり脇に逸れてしまったが、一先ずは、国と町の双方で起きていることの「相似性、同質性」を指摘したい。そしてこれは、Society5.0やSTEam 教育が振りかざすITリテラシーの問題ではなく、行政マンとしての普遍的リテラシーの問題なのである。そして「判決文を読む」という作業は、行政マンリテラシーの向上に貢献するはずである。だから、「判決文を公表し、町民のみならず職員も読めるようにしたらどうか」と促がした。ところがその反応たるや、「自らが読む気がない」ことを露わにしただけである。中尾博憲町長に仕える彼等の頭の中身が露わになった。結局「楽をして公務員をやりたい。」だけである。そしてこれは、「楽をして議員をやりたい。と対になっている。「できるだけ楽をして、できるだ多くの金銭を得たい。」が普遍的な人間の本姓であるにしても、給与や報酬の原資が税金である以上は、その職務上の言動は、当然納有権者からの批判の対象となる。ここからは逃れられない。「公職」とはそのような職業である。だから品位を保持できる一定の待遇と手厚い身分の保障があるのだ。だからこそ、それによって正当化され、権限を付与され、運営されている法令の解釈を自らが為さなくてはならないのである。四万十職員は誰もが、「判決文を読んで自分の頭で考えて解釈を示せ、少なくともそれを試みるべきである」というのが、私の本旨である。

 さて、判決文の公表について、森副町長からやっと以下の回答があった。話を持ち込んでから優に3週間は経過している。

森武士副町長:先ほど町長とも話したが、町のやり方に問題が綯っなかったことが裁判で認められれ、その結果を町民に対しても行政報告で簡潔に報告した。町が敗訴していれば別だが、判決内容のこれ以上の開示は必要がないという結論に至った。判決文を読みたい人には開示請求してもらえば良いという考え方である。

「役場が公表した以外の事は、町民に知られたくない。」と本音を吐いた。是を裏返せば「自分に都合の悪いことは公表しない。」となる。行政報告では敢て触れなかった役場側の失点である「住民監査請求の却下は不適法」部分は、不問に付したかったのだろうし、

「議員報酬引き上げ分の差し止め請求」は却下、理由は、既にしくされている財務行為であり、訴えの利益がない

「条例制定手続が違法」は棄却:理由は、条例制定の手続きを定めた法律も規則もないので違法とまではいえない

上記2点の結論の提示が「町のやりの正当性」を裁判所が認めたと自己正当化して幕引きとしたいのである。では森武士副町長の言うように仮に町が敗訴していたら、森副町長は判決文を町民に公表したのだろうか。否、なおさらしないだろう。実の所彼ら二人は、高を括って、「都合の悪いことは外に出さない」の1点張りで、町民を統治できると踏んでいるのである。「国民はすぐ忘れる」うそぶいたのは安倍晋三らしいが、彼等も同類である。町民が「知る」ことによって生まれる町民からの批判から逃げたい一心の、中尾、森には絶対図書館など作らせてはいけないのということが、これで確定した。図書館とは、知る権利を保障するための公的施設である。中尾博憲のように「知る権利」を尊重できない政治家が図書館とは、おこがましいにもほどがある。止めるべきである。

 議会筋の情報によれば、一部で「森武士排斥論」が出てきているという。ネットショップ関連の補助金の有り様が出何処のようである。森武士と補助金クラスター」との良好な人間関係から、補助事業が予算化されてきたことへの疑義、警戒心が生じているという事か。分配のパイの絶対量が大幅に減った日本経済が陥っている病を「縁故資本主義」と称しているのは、金子勝立教大学特任教授であるが、森武士副長は、その本性から縁故資本主義=縁故補助金主義を役場内で実践してきた人物ではないだろうか。その縁故補助金の作用が地元贔屓を通じて自己保全に繋がるという政治感覚の持ち主でありそうである。この政治感覚は、公平、公正、透明性とは縁遠い。森武士も十和出身だが、大元学同様、LIberalArtの痕跡に乏しい。森武士の事は、一先ず補助金交付権限を蓑とした蓑虫と名付けておこう。この蓑虫への警戒感は、議会内部では十和界隈筋の外から出てきているようである。やはり、「合併」こそが、本当の問題なのだ。この際、議会本会議場で、窪川、大正、十和でチームを組んで、「四万十町補助事業のあり方」をテーマに、debatでもやったらどうか。議会で森武士が良く言うように、議員の皆さんは「選良」なんだから。無理だろうけど。

西原真衣

 

 

風力発電と蠢く町政(120)

     「維新」小学校長に訓告する

 大阪市立木川南小学校、久保敏校長の「提言」は維新松井一郎市長によって「訓告」対象となった、という報道がなされたのは、2021年月21日付の朝日新聞である。 コロナ禍で、学校閉鎖と授業のオンライン化が急迫状態となり、ギガスクール構想が前倒しとなった。が現実は、インターネット接続環境の家庭間格差格差を始め、学校間格差(接続環境と教員のITリテラシーの両方)が存在している、そのような格差を置き去りにしたままで、一挙に児童生徒に一人一台の端末が、前倒しで配布されたらしい。それに、検温や集団生活上のソーシャルデイスタンスの確保、給食対応や分散登下校への対応等、保護者自身のテレワーク環境整備状況の格差と相俟って、さながら学校現場の日々は悩みに悩む試行錯誤の連続に忙殺されたことだろうと想像できたので、「オンラインが基本」と通達されても、その通りにはやれない現状理解に基づく対応の手直しを求める目的で、松井一郎大坂市長と大阪市教育長に宛てて、同じ内容の手紙を書いた。この校長は、手紙を市長と教育長に向けて発送する前に知人数人に見せ、コメントを求めた。その後知人一人が本人の許可を得たうえで、SNS上にこの手紙の内容を投稿した。投稿に気付いた大阪市教育委員会が、当該校長を招致し事情聴取した上で、訓告処分とした、というのが、事件のあらましである。訓告理由は、「頑張っている学校現場を愚弄する内容の文章をインターネット上に無断で掲載し、大阪市の教育行政に対する不信感を醸成した」というものであった。この校長は、教育委員会による事情聴取に応じ、SNS上の拡散実態について無知であった。」と謝罪しているが、同時に、訓告理由については、「学校現場を愚弄しているのは、むしろ教育委員会、教育行政側である。」と小気味良く反論している。

 この報道に初めて接したときに感じたことは、教育委員会、つまり行政側が学校現場の把握に乏しいという事を全く認めようとしない姿勢が根本にあり、尚且つ「頑張っている学校を愚弄」とは、通達を発出した行政側の無謬性を正当化するための、「学校分断」的言辞ではないだろうか、という事だった。例えて言えば、親が子供を叱る時に、なぜその行為がなぜいけないかを一般的、説得的に子供に対して説明せずに、「他の子は言いつけ通りやれている。やれていないのは自己責任だ。勝手な言い分を外で吹聴するなどもっての他だ。」式な親の沽券をひらけかした屁理屈その物である。全体主義者は常に権威主義的な親のように振舞う(支配と庇護のバブルバインド)が、維新とは、市民を子ども扱いできる全体主義者なのだろう。親と子どもは端から対等ではないが、対等ではない子供と、社会的な価値や行動原理が関わる要所々で、対等に向き合える親を含めた周辺の複数の大人こそが、他者と対等に向き合える人間を育てられるのではないのだろうか。その意味で、全体主義者維新には、他者=外部=社会が存在していない。平たく言えば、公を担う立場でありながら市民社会に対する信任を一片たりとも持ち合わせていないのだ。職員に対してもそうではないか。大阪市の職員に取って維新の支配とはどのようなものだろうか。この前の衆院選維新派議席を大幅に増やした。野党共闘連合とも自民党とも別の回路で維新の声は多くの国民の保守中間層に届いたのである。大市立小学校の校長がコロナ禍で、学校現場への理解を求める提言を維新がどう受け取ったか。一大阪市民の開示請求によって表に出た、驚きを禁じ得ないほどの黒塗りの多さであった。黒塗りとは非開示である。以下を見てもらいたい。

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そこで黒塗り理由について大阪市教育委員会に直に聞いてみたところ、

 久保校長に対する事情聴取議事録(信用失墜行為の疑い)

1、日時  令和3年6月24日(木)10:00~11:10

2. 場所  折衝室

3.出席者(市教育委員会)上田課長、池本、大竹野総括指導主事

木川南小)久保校長

全51項目にも渡る事情聴取の使用時間は、70分であった。黒塗りは全7箇所であった。黒塗りの個別理由を質した。地方自治体が制定している情報公開条例には雛形があり、大阪市情報公開条例も雛形通りで特段の独自性は何もない。通常6条か7条で非公開にできる情報区分を例示している。非開示根拠に挙げられた最多条項は、以下の第5号-エである。

(5) 本市の機関又は国等が行う事務又は事業に関する情報であって、「公にすることに
より、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適
正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの」

エ 人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ

校長の職務上の行為に対する懲戒処分を審査するための事情聴取であり、議事録を作成し、開示請求に基づいて公開しているという事実に基づけば、なぜその一部だけが黒塗りなのかが不可解である。その箇所限定で、「公にすることにより、次に掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ」中の 「人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれ」が生じるなという事なのか。発言が部分的に黒塗りなので、文脈が分からない。校長の行為自体は報道され、もうすでに知れ渡っている。これは懲戒処分の審査に先立つ事情聴取の場である。当局の認識に基づく対象者の認識を問う場である。ところが当局の認識に該当する部分が黒塗りである。当局の認識を守秘することは、当局のどのような認識をもって対象者の行為認識を問うのかを不明にするということである。実に異様な政治感覚である。選挙に大勝した後の維新は、「政治道徳」の勝利と喧伝していると聞く。彼らの政治道徳とは、どうもこれを見る限りでは、自らの基準を示さずに相手に懲罰を課すという、ブラック企業まがいの悪徳商法のような実態を持っているようである。事情聴取に当たって対象者に提示された資料中に弁護士に対する相談記録があった。弁護士回答部分が黒塗りである。更に地方公務員法中の該当部(公務員の非違行為の定義部分)も全部黒塗りであった。

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黒塗り理由は以下であった。

大阪市教育委員会池本氏:根拠法等を示すと、今後発生し得る職員の懲戒対象事案に関して「潜脱行為」が生まれる可能性があるから、弁護士解釈や根拠法を公にしないという判断をした。

潜脱行為とは、簡単に言えば、法のすり抜けである。法のすり抜けが起きるから根拠法を明示しないというのは法治主義からの逸脱を超えて、やくざ組織との類縁性を持つ恐怖政治の類である維新が首長となれば、「本人以外に理由を明示せず、懲戒処分に付す」という独善的で専横的な人事行政が執行されるということである。松井市長が良く口にする「ルールに従わない職員には辞めてもらう」「ルール」とは外部に明示されない「ルール」の謂なのであり、社会全般で共有されて初めて「ルール」だという意識に乏しい。維新に外部、社会が欠落していることの証左でもある。

更に事情聴取部分の聴取する側の言動が、上記情報公開条例7条5号エの他に、

(1) 個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、
当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別するこ
とができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することがで
きることとなるものを含む。)又は特定の個人を識別することはできないが、公に
することにより、なお個人の権利利益を害するおそれがあるもの

によって非開示とされている箇所もあった。その区分さえ分かりかねるが、いずれにしても意味不明である。職権に基づく事情聴取時の質問内容がなぜ、秘匿すべき個人情報なのか、理解できる人がいるだろうか。重ねて聞けば、「職員個人の思想信条の自由に配慮した」というではないか。この倒錯は、物凄い。事情聴取する側(権力側)の職務質問が、権力側の思想信条の自由に基づいているとされている。職権に基づく事情聴取の場は、職員の思想信条の自由に基づく「表現の自由」が行使される場であり、大阪市民に対する公表から生じる市民による検証(検閲でとは言わないだろう)から自由であるという倒錯である。良識ある公務員からすれば、地獄の職場環境であろう。その地獄の職場環境から、雌伏10年大石あき子という衆議院議員が誕生した。何でも橋下徹は彼女を執拗に攻撃しつつも敗退の色を隠せないという。女性議員の強みは体面と序列意識から自由であることである。それはとりもなおさず雄同士の縄張り争いという権力闘争からも自由であるという事である。女性には、雄集団の行動原理を内面化していないが故の強さがある。その分「猿集団」から遠いところまで行けるのである。つまり「議会を進化させることができる。」グレタトウンベリを生んだスエーデンでは、「ブルドーザ」のあだ名を持つ女性首相が誕生し、そのブルドーザーによってトランスジェンダー(男性から女性へ性転換)を公言する学校担当相が指名されたという。文化的施設整備推進準備室が主宰したパブリックコメントを書いてみよう」高校生向けワークショップのプロジェクターには、グレタトウンベリが写っていたが、スエーデンでは、小学生が政党員になれ、社会の授業では各政党のマニフェストが教材化され、小学生が、隣のクラスの党員に質問し、小学生同志で討論するという。グレタトウンベリは、一日にして成らずということではないか。方や日本では、どうも「政治的意見を述べないことが政治的中立性と見なされている」ようである。最近話す機会のあった21歳の大学生は、18歳の時1回だけ選挙に行ったという。国会中継を見れば罵り合っているようにしか見えないとも言う。パブリックコメントを書いてみよう」ワークショップの主催者は、「政治的意見を述べないことが政治的中立性と見なされている」学校現場とパブリックコメントの距離を計測しながら、高校生の本音の政治的意見(パブリックコメント・公共の意見)を引き出せたのだろうか。仄聞するところでは、町営塾「じゅうく」の生徒たちの、「じゅうく」でのキャリア教育の授業時に出た本音の質問は、「役場に採用されれば、一生安泰って本当ですか。」ということらしい。これこそ、町内官民格差を高校生の親がどう捉えているかが、高校生の口を借りて表出した一瞬ではないか。役場に採用される過程が極めて不透明である以上、公平で公正な採用結果というよりむしろ政治家との縁故が作用していそうである。その限りでは、町役場四万十町も維新同様、外部、パブリックがないのである。それでパブリックコメントを書いてみよう」とは青少年に対して非常に欺瞞的である。第一四万十町職員の懲戒処分の指針中には、

「庁内で政治ビラを配布する行為」が懲戒処分に該当すると明記されているではないか。政治体中立性についての定見のなさの現れではないだろうか。何とも退化しているとしか言いようがない。誰しも多用な政治的意見に接することで自己の政治的意見を構築してこなかっただろうか。パブリックコメントとは、一定の施策に対する公共(我々の側)の見解(意見)の表明である。「公共」とは本来「行政(執行権力)」ではないもんもとして歴史的には定義された来たと考えるが、同時にこの認識が日本では広く市民社会で共有されているとは思えない。ここ何十年か新自由主義思想=自己責任論が生み出した格差から生じた大衆迎合主義的なプロパンダの絶大な影響力によってここまで上り詰めた維新という「公党」は、職員に対して「民意」を代表している自分が「ルール」であると言ってはばからないというではないか。私には、この倒錯に既視感がある。四万十町議会議員の時に、全員協議会の場で、傍聴者に向かって、堀本伸一議員と橋本保議員による以下の発言があった。

「我々は選挙で選ばれた。我々がここで決めたことは町民が決めた事である。」

維新的なものは蔓延している。彼らのロジックを援用すれば、「議員報酬引き上げは我々がここで決めた。我々は町民から選ばれた。だからこれは町民が決めた事である。」となる。これに異を唱えた人は敗訴した。私はこの判決には異議がある。次回は「判決文を読む」をテーマにしたい。

西原真衣

 

風力発電と蠢く町政(125)

  

      「判決は棄却」だが「監査請求却下は不適法」

  住民監査請求を経た住民訴訟の判決が出た。原告(四万十町民)の訴えは棄却(退けられた)された。被告(四万十町長中井博憲)の言い分が認められ勝訴した。私はこの結果が意外でもなく特に憤慨も覚えなかったが、ただその呆気なさに、何だか力が抜けた。この裁判が何を求めた裁判かを言えば、平成31年12月定例会で議員報酬引上げ議案が試行部から提出され、可決されたことを受け、「議会基本条例23条1項の潜脱として、手続きに瑕疵の有る議案提出、議決に基づく違法な公金の支出の差し止めを求める」裁判であった。が、分かりにくいだろうから、一般的な表現に変換すれば、「議員が自分たちの報酬を自分達で裏工作して町長に要望書を出し、町長提案という形で議案上程させ、自分達で申し合わせ通り可決した。」ということが、町民を裏切る行為で実にけしからんから、この引き上げ分を町に返還させることを中尾博憲に求めた裁判だった、ということである。残念ながら、結果的に高知地裁は議会基本条例1項の潜脱を認めなかった。「条例制定手続を定めた法律も規則もない」と判決文には書かれていた。従って議員報酬改正条例は適法に定められているので、「条例に基づいて支給された議員報酬も違法な公金の支出には当たらない」という理屈である。であればもっと早く結審していたってよさそうなものではないか、というのが、判決に接した時の私の真っ先の感想であった。あの議決を見た町民は直感で真実を見抜いていたと思う。「議員が自分たちの給料を自分達で勝手に上げた。」という直観による解釈である。この直感は、当たっている。平成25年に実施した町民アンケートで議員定数は減らすべき、議員報酬現状維持若しくは下げるべき」というのが、町民の多数意思であったのだから、それを突き付けられた議員達は、「町民の目を盗んで裏工作して報酬を上げるしかなかった」のであり、逆に言えば、そこまでして「報酬を上げたかった」のである。定数と報酬という既得権益(と彼らが認識している)をトレードオフにして(トレードオフの根拠もない)、定数で譲った権益を報酬で取り戻す裏工作をやった、というのが実情である。議会運営委員の場でこの裏工作は進められた。定数削減後に報酬を上げた議会の視察にも議会運営委員会で行った。視察先三か所は全て執行部にお願いして執行部提案で報酬引き上げ議案を上程してもらっていた。視察目的は、露骨なまでに明らかである。その手口を学びに行ったのである。当然の事ながら、その視察経費は全額公費である。

 今回の裁判で被告側訴訟代理人は町の顧問弁護士である行田博文弁護士であったが、弁護士報酬として町は総額60万円を支払う用意であるという(手付30万円、成功報酬30万円、四万十町総務課による)当時の議会の報酬を引き上げてくれという要望を快諾し、町民から訴訟が起これば町顧問弁護士に、60万円を公費から追加支出した愚劣な町長中尾博憲は、案の状、令和3年度12月定例会で、「町の言い分が認められて勝訴した」とは行政報告したが、地方自治法上、住民訴訟の提起前に必ず前置すべき住民監査請求の請求結果が却下であったことは不適法である」という判決内容には一切触れなかった。四万十町監査委員会は、住民監査請求が起こされた時、田辺幹夫監査委員、堀本伸一議会選出監査委員という構成であった。堀本伸一委員は改選後とは言え、当時の議会運営委員会委員長の立場で、当時の議会議長酒井祥成と共に「議員報酬引き上げの要望書」を町長中尾博憲に提出した本人であるから、「利益相反」と言えば限りなく利益相反的な立場の監査委員だった。つまり堀本伸一委員においては、事実関係として「自分の行為の当否を自分が監査したのである。」公文書を改竄した財務省が内部調査をした森友学園と同一の構図と言える。やはり上が腐れば下も腐るのか。まず裁判所が「不適法」と判事した、監査委員会が請求人に通知した「住民監査請求却下通知文」を見てもらいたい。

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却下」とは、要件不適合により受理しない、監査対象としないという意味である。「棄却」とは「監査の理由がない」ので、請求の趣旨を認めないということである。監査委員会の出した結論は、「却下」であり、その「却下」「不適法」とされたのだ。つまり監査請求は適法で監査の対象となったという事である。却下通知によれば、却下理由が2項目列挙されている。

1.条例の当否は監査の権限外である

2.特定の財務行為が適示されていない

1は、条例は、執行部提案によるもので議会で議決された。監査権限は議決の正当性の判断には及ばない。従って有効であり、監査権限外にあるという理屈である。

2は、特定の財務行為が示されていない。従って監査不能であるという理屈のようである。この理由2に裁判所の物言いがついたのだ。財務行為は議員報酬引き上げ議案の可決によってその後に支出された財務行為である。財務行為は明確に特定化されておりその発生も十二分に予測可能であると書かれていた。1の「条例の当否は監査の権限外」は判決文は言及していない、訴訟の争点部分で「条例制定の手続きの正当性を担保する法律も規則もない故に、条例制定の手続は違法とまでは言えない(判決文)」と制定された議員報酬改正条令自体の違法性は明確に否定されている。裁判所の判決を総括すれば、「住民監査請求却下は不適法、改正された議員報酬改正条例には違法性はないが、財務行為は特定されており監査対象となる」である。とすれば監査委員は、議決を経て改正された条例通りに支給された財務行為の不当性や不法を、条例の正当性に係る他の条例の解釈に照らし合わせて監査できると含意していると推測できないだろか。判決は、一般論として「条例改正の手続きを定めた法律、規則はない」と判事しているが、議員報酬の改正の手続について規定した議会基本条例23条がある。一般論としてなくても議員報酬改正には、ある。議員報酬は、地方自治法上、

第203条 普通地方公共団体は、その議会の議員に対し、議員報酬を支給しなければならない。
普通地方公共団体の議会の議員は、職務を行うため要する費用の弁償を受けることができる。
普通地方公共団体は、条例で、その議会の議員に対し、期末手当を支給することができる。
④ 議員報酬、費用弁償及び期末手当の額並びにその支給方法は、条例でこれを定めなければならない

四万十町議会基本条例

(議員報酬)

第23条 議員報酬は、そのあり方を含め、その額が議員の職務及び職責に見合うよう適時に見直しするため、特別職報酬等審議会条例(平成18年四万十町条例第36号)に定める審議会の意見を参考にするものとする。

2 議員又は委員会が議員報酬の条例改正を提案する場合は、専門的知見並びに参考人制度及び公聴会制度を十分に活用し、明確な改正理由を付して提案するものとする。

判決のように「条例改正の手続きを定めた法律も規則もない」とは言えない、この判決部分には個人的に大いに違和感を持った。原告側が提示した争点は、2項の潜脱目的で1項を「要望の提出」によって偽装したという事であった。私は、この論点を全面的に支持していた。議会内部で見た光景と完璧に合致していたからである。1項に「議会が、議会内部で意思統一を図って、要望書を町長に出し、首長提案の改正議案を上程してもらう」ことの想定はない。議員報酬引き上げ議案は首長が上程できる、報酬等審議会は首長の諮問機関である。議会に法的に付与された権能上、「報酬等審議会」の答申を参考に議員報酬について審議する、という事が望ましいと1項は述べているだけである。議案上程権限は2元代表制の下では、執行機関と議決機関の双方にある。2項を潜脱するために1項の手続を議会側から裏工作したというのが明々白々たる事実なのだ。裁判官は、1項は正当な手続きの例示であり、視察先選択を1項の手続を踏む上での目的としても、逸脱とまでは言えないと判事した、その一方で条例制定上の手続を定めた法律、規則はないと判事している。一方では手続きからの逸脱ではないとし、片方では手続き自体がないとしているので裁判所は大いに矛盾していないか、裁判官の議会基本条例の解釈本体がおかしい。概ねこの判決は被告側弁護士の言い分を援用している。裁判官は面倒になったのか、悩んで迷った挙句、やっつけ仕事的に被告側弁護士の準備書面をコピペして結審してしまったのか、裁判官とは言え人間だからそのようなことも起こるのかもしれないが、裁判官には地方議会への関心や期待が本質的に薄いのではないか。最高裁判所長官が議員に出自を持つ総理大臣によって任命されている以上、選挙や議員や議会についてもっと明晰な知見を裁判官には本来期待したいと、この判決に接し改めて思った。

2の監査却下理由に戻る。「条例の当否は権限外」の根拠に最高裁判所判例(昭和37年3月7日)を挙げている。この判例をネット検索すれば、何と「議決を経た条例の当否は監査権限外」とした大阪高裁の判決を最高裁は、「議決を経た条例の当否は権限外としても、条例解釈の適法性、不法性は監査権限外ではない」とある。

www.courts.go.

四万十町監査委員会は、「条例の当否は監査権限外」だけ切り取り、「条例解釈の適法性、不法性は監査権限外ではない」には言及していない。実に恣意的ではないか。

住民監査請求時に、議員報酬改正条例の当否ではなく、議会基本条例23条に基づいた

条例の適法性、不法性は監査できたのである。この住民監査請求は、合併以降の初めての住民監査請求である。合併以前にも旧窪川町、大正町、十和村で住民監査請求が為された記録は残っていないという事であり、請求の却下を受けての訴訟の提起であったのだ。原告は敗訴した。裁判費用は原告負担と言い渡されている。裁判費用には、弁護士への報酬は含まれない。裁判所に支払った事務手数料の謂いである。7万円相当らしいし、原告側弁護士報酬も、原告から教えてもらったところでは町が支払った弁護士報酬と大差ない。自分の意志とは言え、そこまでの金銭負担を個人的に覚悟しての訴訟であったのだ。町政史上初めての住民監査請求でありながら、1番目の却下理由が、最高裁判例の本旨が反映されているとは言い難い。監査委員長の田辺幹夫氏に、「監査の却下は不適法」に対する受け取り方を聞けば、

田辺幹夫監査委員長:最高裁判例には条例の当否は監査権限外であるとないの二種類あるが、議員報酬改正条例は違法ではないという判決が全てである。

という木で鼻を括ったような回答が返って来た。

判決文中の「監査請求却下が不適法」部分の解釈だけを聞いている。上記は答えになっていない。却下ありきの拙速な判断だったとしか思えないのだ。田辺委員長と合議体を構成していた堀本伸一委員は、報酬改正議案の審議の場で賛成討論に立って、「これは議会で決まった事であると、町民から聞かれたら説明しなくてはならない。議員には説明能力がいる。」と演説した。議決の前に「議会で決まったこと」と余裕綽々で述べたのだ。実にグロテスクな光景であった。法や制度への抜本的な無知が背後にありそうである。が今後に及んでは、その「説明能力」とやらを田辺幹夫監査委員長と並んで、本人に発揮してもらうしかないと考えている。訴訟本体の結果の是非はともかく「監査請求却下は不適法」という判決部分に対する監査委員会の釈明を申し入れたい。町が拠出した訴訟費用(弁護士報酬)60万円も監査委員報酬、二人分年間97万4千円の出何処も町民の税金(町民の懐)である。

西原真衣

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(124)

 

   一般質問の研究第2弾・林健三議員編

  執行権は執行部にしかありませんから町長答弁を!!

 四万十町議会12月定例会で、林健三議員の一般質問を全部傍聴した.実に物好きな話であると我ながら思うのだが、この林健三議員は、私にとっては謎の人物なのである。何が謎かと言えば、

1「議員なのに」漢字を読めないことに恥じの意識や危機感を持たない。―これは麻生太郎も同じ

2 状況次第で、血相、表情、態度が変わる。

3 質疑の場で執行部答弁に全く影響を受けない、動揺しない。

このような様子を観察した挙句、ある仮説を立てた。日本の地方議会にはよくいる類型で、珍しくもないかもしれないが、個人的には、このような類型に属する議員になぜ票が入るのか、実に謎なのだ。勿体ぶる必要一切ないその仮説とは、

 林健三議員にとって議場はカラオケステージである

議会に登壇するだけで意識を高揚さす働きのある神経伝達物質である「ドーパミン」が出るのである。「ドーパミン」は、脳の報酬系で作用する物質で、ゲームに夢中になるのにもこの「ドーパミン」が作用しているという。覚醒剤も「ドーパミン」の放出を促すということが知られている。結局、林健三議員は議場で「超気持ち良くなる」ので「選挙に出るのを止められない」という事なのだ。無論この林健三議員を議会に送り込むには票がいる。「議場をカラオケとする愛嬌者へのご祝儀」として票を投じているのが半分で、残りの半分は、「山持山師が当地の有力者の端くれであれる、旧大正町の産業基盤から来る土地柄の影響」ではないかと睨んでいる。確かに林健三議員は、議員ではなく山師と見れば腑に落ちる。一般的に山師が品が良かった試しもない。その山師議員林健三の決めセリフは、

 執行権は執行部にしかありませんから町長答弁を!!

である。今回は5回出た。町の事務事業について質問するにも、何分漢字の基礎学力に問題がある以上、「思い付き提案型」質問しか選択肢は残されていない。それでも決まって最終幕で「執行権は執行部にしかありませんので」とぶち上げて興をそそろうとするのだ。本人は、ひたすら意気揚々としている。議場は、長年の慣れもあり、又飽きもあって特に反応しないが、傍聴席でこのセリフを聞くと、執行部=執行権に対する「忠心」のようなものを感じて、いつも妙な気分になる林健三議員が、その単純さで内面化している「執行権への忠心」は、その「忠心」を見せ金に「議決権」というサイコロを転がす博徒の様な風情を議員集団に与えている「何か妙なもの」でもある気がするし、同時にその「何か妙なもの」は、彼ら議員集団を餌場に蝟集した猿の群れのようにも見せているのである。まず、彼らは一向に不勉強を恥じない、それが多勢であれば、漢字が読めなくても居心地も悪くはならないのだろう。が、私はここはどうあっても譲れない。漢字が読めないという事は即ち、その漢字熟語=言葉が持つ概念に無縁ということになり、その概念を含む事象の審議に支障が出るというということにしかならないからである。通常、概念を組み立てて事象の理解を試みる営みを、思考する(考える)と称する。思考を構成する単位である概念数が少な過ぎれば、執行部の有様に対する批判的思考(有様を相対化する)が成立するとは考えられないので、批判的思考とは無縁であるこの林健三議員においては特段に、執行部に対する批判=監視は成立不可能とならざるを得ない。同じく大正町出身の現議長味元和義議員が、自分の立ち位置を示す時の決まり文句は「町長与党」であるが、不思議なことに、味元議員の「与党」は、対立概念としての「野党」と対照的に用いられることはない。味元和義議員の「町長与党」「町長」とは政権交代を視野に入れた政策集団ではなく、誰が町長であってもそこに帰属する「予算提出権=金目」を指しているからである。つまり「町長与党」とは、「予算提出権に翼賛する者」ということになる。その意味では、林健三議員と味元和義議員は、「議場という餌場に蝟集した猿の議会」の由緒ある正規会員である。本題の林健三議員の質疑に入る。

林健三議員:地域おこし協力隊を林業現場に赴任さす考えはないか。 

池上農林水産課課長;四万十町は県下で随一の林業事業体数を誇っている。林業事業体向けに、森林環境譲与税を活用した「緑の雇用」という人材確保事業も実施している。又移住定住相談会の場でも林業部門への就職希望が増えていることも耳にしている。

中尾博憲町長:協力隊は現在19名いるが, それぞれのミッションがある。が、せっかくの林議員の提案は重く受け止めたい。林業部門のミッション化は今後「調査研究」させて欲しい。

 林健三議員;自分の所に協力隊が3人ほど来たが後が続かない、是非前向きな検討をお願いしたい。

池上農林水産課課長は、林業部門の人手不足対策面で、地域おこし協力隊の林業現場への投入は目下必要ないと明確に答えているが、これが全く林健三議員に影響を与えてないことが見て取れる。そして中尾博憲のいつもの「調査研究」ベンチャラ答弁で幕引きとなる。林-中尾間のやり取りは、白昼の与太話である。

「まじめにやれ、中尾博憲と林健三の与太話は気が済むまでラーメン屋でやれ!!」

と野次を飛ばしたくなる場面である。

林健三議員:婚活事業の実績を聞く。婚活サポータに報奨金を出したらどうか。成婚率が高まるのでは。

川上武史企画課課長:婚活事業は県の事業で、婚活サポーターはボランテイアという位置づけである。婚活事業の実績値は、マッチング成功20件、交際に至ったのが5件、成婚まで至ったのが1件である。

林健三議員:大正町では郵便局員が配達時に、婚活系の情報提供をしていて、四万十高校の先生の結婚に繋がった例があり、後からその先生に非常に感謝された。その様な仕組みづくりを是非やってもらいたい。

林健三議員の頭の中では、「出会いがないから結婚しない。結婚しないから少子化が進む」が一向に揺るがないのが見て取れる。時代背景、情勢の変化を見越した状況判断が成り立っていないことが分かる。成り立ってない事例をもう一つ

林健三議員:決算特別委員をやらしてもらったが欠損不能額(滞納による未徴収税額の総計)を減らすには、昔あった前納報奨金制度(固定資産税と住民税を一括で払えば前納報奨金が出る)を復活さす考えはないか。

吉岡範満税務課長:前納報奨金制度は、戦後納税意識の高揚目的で創設された制度である。戦後とは時代背景も様変わりし、住民税における前納報奨金制度は、普通徴収にしか適用されず、特別徴収との不公平があるという指摘をがあり、又固定資産税は、一括前納できる富裕層に有利になるとの指摘があり平成24年廃止された経緯がある。徴収率の面でも現況では、固定資産税と住民税の徴収率は97,8%近辺で推移している。欠損不能金に繋がる滞納者は、生活保護に近い貧困層や「行方不明者」であるので、前納報奨金制度の利用者と所得階層が異なり、前納報奨金制度の復活による滞納欠損金の減少効果は、ほぼ期待できないと考える。

林健三議員:4回が5回で払う税金を1回で払えば報奨金をもらえるというのは、納税意欲が間違いなく高まると思うので、是非前納報奨金制度を復活させてもらいたい。

執行権は執行部にしかありませんので、執行権のある町長答弁を求めます!!!

中尾博憲町長:失業や病気も税金の滞納に繋がります。前納報奨金には、廃止された経緯があり、廃止になったものをにわかに復活させる考えは現時点でありませんが、尚議員提案を受けて「調査研究」させてもらうという事でご理解頂きたい。

上記質疑の着目点は、まず1点目が吉岡税務課長答弁内容を林健三議員が全く理解せず、故に何ら影響を受けないという点、2店目が「調査研究」の結果を決して問われることがないと踏んでいる中尾博憲が「調査研究」で相手の面目を保ちつつ、実に安易に幕を引くという点、そして3点目が、担当課長答弁中の、生活保護レベルの貧困者」「行方不明者」という部分を直後に答弁に立った中尾博憲が半ば条件反射的に「失業」「病気」で上書きしているところである。「失業」「病気」は、税の軽減措置の対象でありそこから滞納に繋がることはあるだろうか、生活保護レベルの貧困者」「行方不明者」が与える「だらしない、怠慢、無能」という一般社会通念上の印象(と中尾博憲が想定する)を「失業」「病気」という「誰にでも起こり得る止むを得ない不測の事態」という印象で置き換える必要性があったのである。中尾博憲が条件反射する町民反感回避策答弁である。おそらく旧窪川町はこの様な発想を持つ公務員が自動的に人材育成されてしまう職場環境であったのではないか。中尾博憲には34年間の窪川町役場職員歴がある。

 いずれにしても林健三議員は、答弁内容に全く揺るがないのである。全く軌道修正が起きない。そして同じ提案を繰り返し堂々と述べる。従ってこれは質疑ではなく、演歌の歌唱に近い。結論的にはやはり、最初の仮説「議場がカラオケステージである」の裏付けとなっている。はっきり言えば、林健三議員は、「真正馬鹿」という他ないのである。林健三議員票がどこから来るのかは、正直な所、私には難問過ぎる。大正にはカラオケファンが多いのではないか。それと「金目=補助金過敏体質」もありそうである。なぜそう思うかと言えば、旧大正町が、地の利からそれしか選択肢が無く取り組み続けたであろう「林業立町」は、おそらく補助漬けであり、オリックス社の大藤風力発電事業計画への抑止力を狙った「ヤイロチョウのさえずる町づくり条例の制定を求める請願」も議会で採択されたはいいが林業に支障が出ない範囲で」などと実質骨抜きとなった経緯も、長年の林業行政における作業道開設や間伐が補助金漬けであることと決して無縁ではないように思われるのだ。実際の所、請願採択議決直前場面で、林業に支障にならないように言ってくれと地元から頼まれた」と発言したのは、林健三議員であったのだ。補助金なくして林業なしというのが実態であれば、林業立町」が生み出した補助金観」は、林健三議員の一般質問にも脈々と息づいているのが見て取れる。「区長報酬の引上げ」「婚活サポーターへの報酬創設」「出産祝金増額」等々などである。有体に言えば、彼等にとって「執行権」とは補助金ATM」である。体験的にも、議員報酬引き上げ議案可決の直後、議員控室で、私が反対討論に立ったことを「パフォーマンス」だと林健三議になじられた。私の反対討論内容は、「議員の実働日数の少なさ(年間本会議16日、委員会8日、議員派遣(研修や来賓式典出席で本来の業務とは言えない)45日)と町民の議会に対する評価の低さ(アンケートに示された)を理由に議員報酬引き上げに反対」という、単刀直入にして簡潔明瞭でなものであったのだが、議員控室等では、いつもはヘラヘラ、ニヤニヤしている林健三議員が、この時に限りいつにない険しい表情で、「パフォーマンスだ」と私に喰ってかかってきたのだ。確かにこの人物、今思い出してみれば、自分に直結した「金目」(議員報酬引き上げ)に係る議場の裏工作場面では、鳴りを潜めて実に大人しく、逆らわず、追随を決め込んでいたと記憶している。林健三議員、自分に直結する「金目」で豹変するのは、やはり山師が正体なのである。

 それにしても、「執行権=補助金「議決権=補助金引出権」という恒等式で頭が埋まっている議員が旧大正、十和村から一定数出ているということを見聞するにつけ、町村合併とは、まるで不幸な結婚の様なものであると、私はつくづく思うのである。食性が違えば結婚生活は容易に破綻するらしい。産業基盤構造からくる食性の違いという事か。舌は記憶に結びつき容易には変わらないらしい。確かに食性は脳と無縁ではないだろう。「合併」の難しさである。本音を言えば離縁したいと思うのは、果たして私だけか。

西原真衣

 

風力発電と蠢く町政(123)

         質疑か陳情か

        武田秀義議員の一般質問の研究

  議会の一般質問に立つ時、議会中継によって町民に見られている感が強いせいか、妙な冒頭挨拶をする議員が多い。時候の挨拶、災害見舞等が一般的だが、議会質問はスピーチではないので挨拶等は本来いらないはずであり、余計な事である。議会とは質疑の場であり、行政監視の真剣勝負の場であるはずが、議会と執行部が実に見苦しく慣れ合う場となり果てている。この雰囲気は、議会中継からは十二分には感知しにくいのではないか。開会前や休憩時間の雑談や会議中の笑い声等はマイクがなかなか拾えないからだ。今回の武田秀義議員の冒頭挨拶には驚かされた。議員歴が浅いころは、「1年生議員」などと前置きしていたが場慣れしてきたせいだろう、今回は以下のように切り出した。

武田秀義議員:思い付きで質問するので、その意を酌んで答えてもらいたい。緊張しているので、そこを慮ってもらって答えてもらいたい。

意訳すれば、「私は不勉強です。思い付きでしか質問できません。執行部の皆さん、配慮してね。でも不勉強ながら緊張するだけの真剣味はあるつもり。そこは分かってくれてるよね。」と執行席についているお馴染みさんに向けてのうのうと言い放った。そこで、つられ笑いをした議員がいた。村井真菜議員である。苦笑いでもなければ失笑でもない、共感から来るつられ笑いという印象の笑いである。このような誰も木戸銭なんか

払う気にもならない場末の演舞場と化した議会の傍聴席は、案の上、地元紙の記者と私だけであった。武田議員の一般質問を傍聴する気になった理由は、通告項目1の、「農地転用の許可権限を県から町に移管できないか」に関心を喚起されたのと、又農業委員長就任したばかりの太田氏の初答弁のチェック目的もあった。

 武田議員は通告通り、まず、農地法4条5及び農業振興農用地除外の概要説明を執行部に求めた「ケーブルテレビを見ている町民の皆さんは詳しくないだろうから、まずは農地法4条5条と農業振興農用地について、執行部の方から分かり易く説明して欲しい。」と切り出したのである。これはNG である。一般町民が詳しくないからと言って、議場を使って貴重な議会質疑の時間を行政広報の場にすり替えてはいけないのである。抑々執行部による制度の概要説明などいらない、むしろ自分の制度理解の簡潔な披歴の上に立って質問を繰り出すのが議場質疑の足場なのである。「自分の制度理解の範疇でしか制度上の有効な質問はできない」という鉄則がある。武田議員の場合、制度理解のための事前勉強が実に不徹底であることにかこつけて、相手側に説明させるという安易極まりない手法に臆面もなく走っている。この辺りは、実は「緊張」からは程遠い。故に、「緊張」とは、実の所は、御馴染みさんに向けて放った、「毎度宜しく」という腰の低さのアピールでしかない。議場は懇親会の場ではないのだが、武田議員は議会に登場した時からその辺の区分けが怪しい人物なのである。更に、長々と執行部答弁が続いた挙句(法律や制度運用の概要説明を議場でしろと言われたら当然長くなる)に、「何が言いたいかというと」と自分の質疑の趣旨説明が始まった。質問通告と執行部による事前の質問取りによって質問の主旨は既に相手側に十二分に伝わっているはずである。その上で議場で「何が言いたいかというと」を連呼された日にはまるで選挙の街頭演説みたいではないか。相手が飲み込みが悪いとでも思っているのか、実のところ本人が自分の質問の趣旨を十二分に整理、理解していない可能性さえあるのである。

 「言いたい事」とは意見であり、質疑によって引き出された事実確認の過程で意見の妥当性を認めさせ、意見の実現に向けた答弁を引き出していくのが議会質疑である」というのが基本である。聞く側の事実及び制度理解の水準が極めて低く曖昧模糊としていれば、一向に有効な答弁を引き出せないのは必定である。その状況を引き摺ったまま、「何が言いたいかというと」を議場で連発するに至っては議会「質疑」「演説」を経過して最終的には「陳情」に変質することは避けられない。議会はスピーチの場でもなく同時に陳情の場でもない、是も武田議員の良く分別する所ではないようであり、武田議員に限らずこのような議会質疑のスタイルが横行しているという無様さである。その証拠に最後まで、「農地転用の許認可権限を県から町に移管できないか」に対して、執行部の、権限移譲の必要性に対する認識は疎か、法制論として、権限移譲が可能かどうかさえ、答弁として全く引き出せなかったのである。質疑応答から分かった事とは、農振農用地除外(ここは自治事務であり、県との事前協議に1年近くかかるという非効率があるらしいー県は標準期間さえ示していない―池上農林水産課課長答弁)を前段とする転用手続きに時間がかかる事(ここから更に標準で3月間かかる。県から市町村への権限移譲は前例(檮原、佐川)があり、県にはそれを阻む意図もないという事だけであった。一等農地は原則転用できないと西田農業員会事務局長答弁井に続いた池上農林水産課長は、実際の転用申請は、一等農地が殆どと答弁し、農業立町という政策目標、農地利用実態(耕作放棄地含む)及び転用需要実態の3要素がどのように複雑に絡んでいるかが全く見えてこない質疑であったのだ。武田議員の質疑では、「農地の住宅転用に係る現状把握に基づく農政上の課題」という全体の構図が一向に見えてこないのである。だからこそ、武田議員は最後に町長答弁を促しはしたが、実に冴えのない「防波堤答弁(できないことの理由付けに終始する答弁)」しか引き出せていない。これこそは、中尾博憲町長本体に「農地の住宅転用に係る現状把握に基づく農政上の課題」認識が欠落していることの証左でもあるが、当時に質疑者にもそれが欠落しているということの証左でもある。ここが、議会質疑に置いて「自分が押さえてないポイントは相手からも引き出せない」という鉄則の作用点なのだ。百歩譲って、答弁者が如何に無知無能であろうとも、質疑が筋道立っていれば、答弁者の無知無能が、誰の目にも鮮やかにあぶり出されて来るのだが、武田議員の質疑の明晰度はか非常に低いと言わざるを得ないので、そこはほぼ期待できない。そこで結果的に、全てがピンボケ状態となり、何を言っているのかが誰にもほぼ分からない最悪の場面となる。西田農業委員会事務局長に事後的に聞けば、高知県事務取扱の特例に関する条例(平成12年3月2日施行条例第7号)」によって市町村から申請があれば原則権限移譲できる」との事であったが、西田事務局長は、「聞かれたら言おうと思って用意していた。そうである。なぜ挙手して発言しないのか。聞いている側(町民)に対して失礼ではないだろうか。西田事務局長は 議場の空気を読むのが精いっぱいという事か。それでは議会答弁に要請されるレベルには到達していない。「反問権」を使って質疑を引き出すこともできるのである。西田事務局長もいささか不勉強ではないか。

 武田秀義議員は、9月に就任したばかりの太田祥一農業員委員長に対しても、にこやかに、はなむけ的な言辞で答弁を促した。この辺の所作も勘違いが齎している。この人物は結局、「機能する議会」というものの見聞を欠いたまま、それを想像する知性も持ち合わせていないが故に、議場を社交デビューのお披露目会のようにしてしまって恥じるところがない。見てい実に恥ずかしさを禁じ得ない。本人自体が議場という社交の場にデビューしたつもりでいるのだろう。

太田詳一農業委員長:(事前に用意した原稿を見ながら)9月に就任しての発答弁となります。(と前置きした上で)県下の他の農業委員会と比べても多い申請案件を抱えており,権限移譲が為されたら職員に負担がかかることが懸念されますが、佐川は柞原の農業委員会の実態について研修し、又最終的には農地最適化委員を含めた農業委員会総会で検討さえてもらいたい。

この人物の「初答弁」とやらは、感想的には、学童の作文の息を出ていない。行政職初学者の学習跡が作文に痕跡露わであるからである。「県内他の農業委員会への問い合わせ(横系列への照会作業)と農業委員会組織内での意思確認作業(縦系列の協議)によって検討する。」という万能処方箋的答弁を早速学習したのだ。「検討する」というのは行政用語的には、「やらない」という事であるが、これでは武田議員の面子が潰れるので誤魔化すときの言い回しの定番である。この中身のなさでは、前任の林幸一農業委員長の方がよっぽどましだったのではないか。この太田新農業委員長答弁には、前川上哲夫教育長答弁を彷彿とさせるものがあった。タイプが似通っていないか。農村の事大主義者というニュアンスである。権威ぶりたいという志向性を強く持っているが、関係者間ではあくまで友好的に振舞うという習性を持つ。自分の権益、権威の保持目的で場面内対立を回避するのである。ここが非常に農村共同体的である。「村の掟」「村の道徳」だろうか、良く分からないが、実に自民党と親和性が高いという感触を持つには私だけか。

中尾博憲町長:権限移譲されれば、人員体制も拡充する必要がある。負担が増える。利害関係の調整を町が担うことになれば、春野の事もあったように、色々難しい問題が出てくる。県という「第三者」に審査してもらう方が望ましいと自分は考えるが、移住定住の促進に絡めた(農地転用による住居の確保)せっかくの議員提案と受け止め「今後調査研究させてもらいたい。」

太田農業員会長答弁と中尾博憲町長答弁は、「職員負担増への危惧を理由に県からの権限移譲を求めない方向付け」完璧に符合している。ここは事前調整していることが露わだが、行政内部の事前調整ならぬ町民間の利害調整こそは、行政本来の仕事ではないのだろうか。中尾博憲にとっての地元の利害関係とは自分の選挙が絡むこととの謂いではないか。オリックス社の風車建設には、「政治家の端くれとして、経済的恩恵を受ける町民の意見も中立的な立場で聞く」と答弁した中尾博憲である。今後に及んで「利害関係の調整は第三者である県に任せたい」とは、聞いて呆れるではないか。「煩わしく、選挙の失点につながるようなことには関わりたくない」と、「次期も町長をやりたい」はこの人物の中で相矛盾なく両立しているようである。結論的にはこの人物は、「公平で公正な行政」という理念からは程遠い行政運用能力しかない「駄犬政治家」であるということである。「駄犬」の特徴は誰にでも尻尾を振るという事であり、同時に「信義誠実」という犬としての普遍的美徳には欠けているというどうしようもなさを意味している。

 昨今の四万十議会は、木戸銭など誰も払わない場末の演舞場と化している。議場の立派さとの対比が実に情けない。この場末演舞場の役者が失業しない理由はたった一つ毎月25万円が、銀行口座に「シマントチョウソウゴウフリコミ」名で振り込まれてくるからである。この演舞会の開場は僅か年間16日間である。その16日間、始終黙っていても一向に構わないし(槙野章議員や吉村アツ子議員はこの口であり、酒井祥成議員も要所々で執行部の対面を保持する目的で議場の流れに釘を刺すような質疑しかしない。御観察あれ。)時折一念発起して一般質問通告しても、「思い付き」「緊張している」が相手に好意的に受け取られると思っているようなお自堕落ぶりである。このような楽な仕事で月額給与25万円とは、議員職とは、選挙さえ済めば、とんだ穴場、地上の楽園である。

 この穴場の造成に、元々無い知恵を絞り尽くした(これこそ自分の金目であるので、真剣に知恵を絞り尽くしたのであり、この部分には、議場ではまず見られない迫真の演出があった)当時の四万十町議会議員の行状、つまり「議員報酬引き上げ条例制定の手続の違法性」の訴えに対する司法の判決が出た。武田秀義議員もこの穴場職場造成に汗を流した議員の一人である。次回はこの判決内容と四万十町職員の判決文の取扱い方をテーマにしたい。この判決文を読み解けば、今の日本で、行政、立法、司法の位置関係がどうなっているかの一端が見えてくる。三権分立とは、権力の均衡と相互抑制のために権力を三分割し、相互不可侵によって、権力が1箇所に集中し暴走しないための仕組みである」と、誰もが義務教育で習ったはずであるが、今この三権分立四万十町行政(監査委員会を含む)と議会にどのように解釈されているか、をテーマでとしたい。議会議員と首長を選出している町民が向き合っているのは、行政と議会の相互不可侵制度、「二元代表制」であるが、まちづくり基本条例や議会基本条例を引き合いに出すまでも無く、行政と議会の二権力が相互抑制や相互不可侵をどの程度、理解、実践できているかも、この判決分から読み取れる。町民は、この二権力の同一付託者である。訴訟に係った(原告ではないが議会資料の大半を原稿側弁護士を通じて裁判所に証拠提供した)元議員、今町民の立場から判決文の内容及び町職員がそれをどのようなものとして扱おうとしているかの2視点から見て行きたい。

西原真衣

 

住民監査請求を経た住民訴訟であった訴訟の判決文中に「監査請求が却下されたことは不適法」との司法判断が示されていたということである。中尾博憲町長は、行政報告中に「原告(四万十町民)敗訴、被告(四万十町長中尾博憲)勝訴」は織り込んだが、「監査請求が却下されたことは不適法」は織り込んでいない。ここが公平さに欠けるのである。時の監査委員は、監査委員長田辺幹夫、議員選出監査委員、堀本伸一である。何度も書き、裁判所にも証拠提出したが、議員報酬改正議案の可決直後の議会運営委員会の場で、「今日は休憩を取らない、全部録音する。」と発言した堀本伸一議員が監査委員の一人であった監査請求却下に対する司法判断が、「不適法」ということである.ここは要注目ではないだろうか。

 

 

風力発電と蠢く町政(121)

 「四万十ノande間委託契約書」は実態を語っている

 委託事業者名はandeという。会社登記簿によれば、資本金は5万円である。四万十ドラマのHPや地栗ストアの構築実績があり、畦地氏の紹介があったという。議会議事録によれば、地栗ストアの売上は、昨年で5100万円というから、andeが構築したストアは、素晴らしい成績を上げている(因みに四万十ノは過去3年間で486万円と明らかな落差がある。)が、四万十ノとande間の業務委託契約書を見れば、実に不可解な条項が、四万十ノからandeに一方的に突き付けられている。以下契約書である。

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不審点は以下である。

ネットショップ公開日が、令和3年4月10日に設定されている、にもかかわらず納期が5月31日に設定されている。通常、納品→検品→公開というのが順当な手続きではないか。百歩譲って実証的に公開してから手直しを重ね、最終的な完成品の納品とするという事か。それでは実証期間を50日間にも設定したのか、それでは、andeの過去の実績が泣くだろう。ネットショップ構築の実績を買われて委託されているのである。おまけにこの契約内容に違反すれば、

1.公開日より、一日につき1万円の損害賠償金を支払え。

2.5月31日の納期に間に合わなければ委託料の30%(150万円)の損賠賠償金を支払え。

とある。この内容からすれば実証的に一旦公開といういう意図は見えてこない。又令和2年度の実績報告書では、事業(ネットショップ構築)の実施期間が、3月8日から3月31日とある、委託契約と実績報告書で納期が一致しない上に、ネットショップ構築に26日間は常識的に考えて異常な短さである。これは出来上がったもののピンキリとは、直接関係ない。26日しか納期を与えない業務の委託料が500万円という異常さであり、作り込み方によって構築料金にはピンキリがある(議会答弁)という話ではないのである。補助金の概算払いの次期を早めるための算段で、敢て4月10日に公開したのであり、5月31日が真の納期であったのではないかと疑える根拠になる。更に四万十の自社ネットショップの売り上げが3年間で486万円であるということは、年平均売上げが162万円である。これではやっていけないだろう。だからこそ、四万十ノ主導で新たな補助事業の提案がなされたのではないかという状況証拠になる。それにしても、異常なまでに短い納期設定の上で、公開日以降の損害賠償の可能性が仄めかされているという脅迫ぶりである。

このような粗雑にして脅迫的な悪徳業者まがいの業務委託契約に使われた委託料は、500万円丸ごと四万十町補助金である。補助金を原資にここまで損害賠償の発生可能性を示唆している委託契約内容となっている。ネットショップが中止に追い込まれたのも頷ける。

このようにやり方に問題があり過ぎる事業者を町が随意契約の相手としたことが、そもそもの町側の階段踏み外し的行為であったのだ。なぜこのようなことが起きたのか、要因を探ってみれば、

1役場職員は、事業提案に「免疫力」がない

2役場職員は「事業者所得の向上(町民所得の向上)」という口上に弱い

3役場職職員は「ITCに疎い」

以上3点の弱点を併せ持っているために、そこに攻め込まれて、攻め込んだのは四万十ノと四万十ドラマという自称地域商社であるが、役場は瞬く間に敢え無く陥落し、令和2年から3年にかけて4600万円の補助金を棚ぼた状態で彼らに投げ与えてしまったのである。投げ与えた挙句、事業は中断に追い込まれた。自称地域商社2社は、目下責任を相手に擦り付け合いながら血相を変えて逃げ惑っているらしいが、「生産者所得の向上(町民所得の向上)」の為10/10という異例の補助率で獲得した補助金は全額懐に収めたまま、新規補助事業創設の名目にされた町内事生産者への説明責任は、自称地域商社は全く果たしていないのである。実に不届きではないだろうか。この自称地域商社2社は実に町内生産者を愚弄しているが、元を質せば彼らの跋扈を許したのは町である。町担当者は、事業提案に「免疫力」がないために、「対案」も出せず、従って「事業の制度設計の精緻化」もできず、同時に「専門性の対価の査定」もできず、植村有三前賑わい創出課課長議会答弁にあるように「経済活動(収益事業)は民間にやってもらうしかない」という考えに基づき、自称地域商社2社という民間に、補助金4600万円を獲得するという経済活動の門戸を全面開放してしまったのである。彼らの真の狙いは生産者所得の向上に繋がる顧客獲得ではなく、手っ取り早い補助金獲得であったことは、その杜撰で横暴なやり方から十二分に推察できる。このような経済活動を民間2業者に許してしまった町の、町内生産者のみならず町民全体に対する責任は非常に重い。このネット販売推進事業の財源は以下である。

令和2年リバーノート構築費:890万円 ふるさと支援事業(一般財源

令和2年リバーストア構築費、リバーノート運営費:1540万円(ふるさと支援基金

令和3年リバーノート、リバーストア運営費:1890万円(地方創生交付金1/2、ふるさと支援基金1/2)

ふるさと支援基金都は、ふるさと納税の寄付金から経費を差し引いた残りを基金に積み立てた物であり、町民が稼ぎ出し、町に蓄えられた貯金である。町内生産者の商品が、寄付者に訴求して寄付金となって積み上がった町の貯金であり、これが投入されたネットショップは休止状態に追い込まれ、結局今までに支払われた3700万円余りが水泡に帰したということになる。返礼品に魅力があればこそ寄付が集まるのである。だからふるさと納税維協議会会員もネット販売推進協議会会員も(両者は町内事業者であるので重複している)本来もっと怒るべきではないか。ところが、「四万十ノが勧誘した事業者からは苦情の声が多く聞かれ、四万十ドラマの方はそうでもない。(町町森武士談)」別筋からも四万十ドラマの畦地社長は、補助金が出ているという事や協議会の事は事業者には伝えている。理解してもらっていると思っている。」と抗弁しているらしい。けれども畦地氏は、私が出席した9月21日の「ふるさと納税推進協議会全体者会」の場でネット販売推進協議会会長岡村厚志氏が令和2年度の1540万円の使途をしどろもどろ状態で協議会員に対して説明している時も終始無言で、副会長としてのフォローは全くなかったし、「ネット販売推進協議会総会」の場でも出席した知人によれば、「畦地氏からは明確な説明は全くなかった」との事である。会員の前では無言であり、近しい町側の人間や自分の顧客にだけはいい顔をして見せるという畦地氏の特質が露わではないだろうか。又、地栗加工工場のオープンイベントの挨拶中で、畦地社長は、「行政の補助金は入っていない」とスピーチしたらしいが、四万十ドラマは、農林未来基金政府系金融機関農林中金」が100%の基金造成)から3年間で1億円の助成金を得ている(因みにこの助成金は人件費にも使える助成金である)。仮にこの助成金が加工工場建築費に充当されていたとして、確かに行政からの補助金ではないだろうが、助成金交付金補助金は全て返還を求められない「贈与」の性質をもつものである以上、「行政からの補助金は入っていない。」と敢てスピーチする辺りは畦地氏特有の印象操作を狙った演出であるとしか思えないのである。この人物は、彼の判断による要所要所で対面者に良い印象を与えるプレゼンテーションに実に長けているのである。今までの補助金

獲得実績もこの才能に大いに起因しているのだろう。しかるに、「経済活動は民間に担ってもらいつつ生産者所得の向上を図る公益性の高い事業(だから補助率特例10/10)であり、他に替えがたいネット販売スキルの持ち主である四万十ノとサポーターの役割を担う四万十ドラマの2社を補助事業者に選定した」と議会説明し、議会を通して4600万円を交付した四万十町賑わい創出課は、今後に及んでは四万十ノをサポートする考えなど毛頭ないように見える四万十ドラマと、悪徳商法の見本のようなキャンセルポリシーや他契約書二つを作成してきた四万十ノの選定責任をどう取る考えでいるのだろうか。この事業の創設時の賑わい創出課課長は植村有三氏(退職後再任用で現在給食センター勤務因みに再任用者の月額給与は27万円で期末勤勉手当も支給される)現課長は、小笹義博氏である。そして「過去に四万十ドラマが阪急ホールデイングスと共催で「四万十町物産展」を開催した時にも、森武士副町長裁量で町若手職員7人を派遣(出張旅費一人当たり7万円)した位四万十ドラマ畦地社長への個人的信任が厚い」ことからしても、森武士副町長こそが、事業者選定責任とネットショップの今後の動向の鍵を手中にしているように見えて仕方がないのである。

西原真衣

 

 

 

風力発電と蠢く町政(119)

古谷幹夫教育民生常任委員長ー重要な会議の非公開理由が、不可解です。

去る10月18日に教育民生常任員会が開催された。議会事務局掲示板に張り出された委員会開催通知によれば、議事は、四万十町社会福祉協議会との意見交換会、その他」とある。そして、「会議は非公開」とある。

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四万十町社会福祉協議会へは毎年町から3800万相当の委託料が支払われている。健康福祉課の業務の一部が通年で委託されている。同時に介護保険法上の事業者でもあり、保険料収入による収益事業も行っている。社会福祉協議会とは、社会福祉事業法という1951年に施行(平成12年社会福祉法に改正)された古い法律に設立根拠を持つ「相互扶助や助け合いの社会事業化」を目的とした、民間とは言え半ば公的な組織であり、全国社協都道府県社協、市町村社協という階層の構造を持ち、行政区単位の乱立を防ぐ仕組みを持っている。その意味で商工会や森林組合、農協等に近似した福祉部門の実働部隊組織である。そのような社会福祉協議会と議会の常任委員会意見交換会の場がなぜ非公開なのか、全く理解に苦しんだ所以である。聞けば、社協から議会への意見交換会への申し入れがあったという。最近のコロナ禍で、職員の専門性や職員体制が万全ではない中で、生活困窮者向けの特例貸付等の窓口業務等が複雑化、多忙化している関係で(因みに社協は役所ではなく金融機関でもなく、従って資産照会権限もなく、貸付後のフォローも出来ない。)そのような現状理解を求めての社協からの意見交換会の申し出ではないか、と推測できたのである。案の定、社会福祉協議会事務局長長谷部氏を訪ねて確認すれば、その推測は外れていなかった。おまけに長谷部局長本人が、「個人情報が出てるような案件ではない。」と明言したのである。そこで、その旨を議会事務局に伝えて、会議の非公開の見直しを要請した所、

「個人情報が、意見交換会のなかで、いつどのような形で出て来るか予測できないので、非公開とする。」という唖然とするような古谷幹夫委員長判断が下されたのであり、これにはかなりの憤慨を覚えつつも、「それでは、その非公開理由を付してケーブルテレビの文字放送と、議会HPで委員会開催日時と議事内容を周知してくれ」と譲歩すれば、「委員会は原則公開ですから」という実に意味不明な返答が長谷部事務局長から帰って来たのである。原則公開だからこそ、原則の例外事由を有権者に対して明示するべきだ」と言っているのに、この人物は、「猿の議会」の執事に過剰適用している内に、ついに人間としての論理的思考ができなくなりつつあるのか、と危惧を覚えたのである。この前の「議会の見える化を求める陳情」でも指摘したように、今回の教育民生常任委員会社協との意見交換会の議事録は、①議事録作成に10月かかる。②議事録は公開されない。3、開示請求すれば会議の非公開を理由に非開示となる。という展開が目に見えている。たかが意見交換会、されど意見交換会ではないか。この馬鹿げた非公開措置によって、社会福祉協議会にコロナ禍の生活困窮者支援の窓口を押し付けている厚生労働行政の問題点を洗い出し、制度改善への道筋を考え抜く力量が議員に備わっているか否かを有権者が知る機会が封鎖されたのである。社協には、資産照会権限もなく、困窮者のフォローアップも出来ないことの問題点を明らかにして、制度設計や運用の改善につなげていく作業に地元議会は本来尽力すべきである。ところが、「生活困窮者向け特例貸付(緊急小口貸付)の窓口業務が抱える課題等」と聞いただけで、「個人情報の漏洩に繋がりかねないので念のために非公開で」と条件反射する古谷幹夫議員は、現況制度下で社協が現在置かれている状況に対して余りに無知なのだろう。意見交換会の場で必然的に例示されなくてはならない個人情報など先ず存在しない。」とういう推測が、古谷幹夫委員長の中では明かに成立していない。これは現行制度設計が現場にどのような弊害をもたらしているかの社協から議会へのヒアリング要請なのである。古谷幹夫委員長にはこの社協申し出の趣旨理解の根本が欠けている。では副委員長武田秀義議員はどうだろうか。想像するだに悲惨である。昨年の決算特別委員会を傍聴した際に、説明に訪れた生涯学習課に対して、

村井真菜議員:図書館協議騎会委員の構成は。

武田義理議員:個人名は出せないのでは。

田辺哲夫決算特別委員会委員長:後で村井議員に委員名簿を渡して欲しい。

という質疑が展開されたことを私は目撃している。個人情報の理解レベルがこの程度であるという事は議員としては悲惨であるとしか言いようがない。絶望的である。教育委員会が教育長名で委嘱する、図書館長の諮問機である「図書館協議会」の委員名を、公式の場で言及すべきでない個人情報と見なす議員とは、とんでもない低学力の公費で設立した「還暦からの生涯学習、身近な町政を知ろう、成人学級」の構成員のようなものである。この学力レベルでは、本来議員はしてはいけない。この様に異様に低学力な議会こそが、その低学力の限りで行使した議決権によって、ネット販売推進協議会補助金、実質四万十ノと四万十ドラマへ補助金4600万円の予算執行を可能にしたのである。ついでに言えば、16億円の文化的施設の予算も通過させた。

 私は最近、ネット販売推進協議会の事務局四万十ノが作成した「リバーストア」紹介文を賑わい創出課から入手した。以下である。

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この短い日本文に、早速間違いが2箇所見つかった。

検案→「懸案」の間違い。検案とは, 

  • 死体について死亡の事実を医学的に確認すること、だそうである(ネット検索)

頂だいて→頂いての間違い、送り仮名の初歩的な間違い。

この短いちらし中にある、このようなレベルの間違いを賑わい創出課は気に留めなかったのだろうか。ネットショップとはインターネット上の仮想店舗である。そこでは商品説明文と画像だけが店の構成要素である。このレベルの日本語活用能力しか発揮できない会社、四万十ノは、自社ネットショップで、果たして稼げているのだろうか。多大な疑問が湧いてくる。実際ここの送料説明を何度読んでも分からない、という惨憺たる状態なのである。学力は経営能力の全てではないにしろ基礎であることを疑う人はいないだろう。その基礎部分が疑わしい会社に多額の補助金を交付した四万十町賑わい創出課は、同様に学力が極めて疑わしい四万十町議会の行政監視力など心底侮れるのであろう。その結果、我々の貴重な財源が、四万十ノと四万十ドラマとWebデザイナーandeに流れたのである。その額4600万円である。この部分を曖昧にしたままで、若干の運営体制の手直し位でネットショップを再開したところで、うまくいくとは到底思えない。問題の本質はそこにはない。賑わい創出課は今後楽天(地方創成アドバイス部門を創設)」や、「WebコンサルISSUN」をアドバイザ―に迎えようと目論んでいる。が私は、まずは、今までに4600万円の公費を投入した「リバーノート」と現在休止状態のネットショップ「リバーノート」をインターネット回線から遮断した状態でプロジェクター上に再現し、ふるさと納税推進協議会代表者会のメンバー10社に公開の場で論評してもらいたいと思う。代表者会メンバー10社は自社の投資で自社ネットショップを構築し、自社製品を販売しているのである。人間は、「自腹を切ったことにかけては、その投資結果について経験上の一家言があるはずである。」その知見を収集することが町産品のネット販売を事業化した賑わい創出課がまずやるべき事ではないだろうか。楽天やネットコンサルの助言が如何に素晴らしくとも、その受け皿である地元事業者間に蓄積された知見の質と量が、その助言効果を最終的に決定するのではないか。ここまで問題視され、町民が注視している町産品のネット販売事業である。これ以上無駄な補助金を投入しないためには、公共事業としてやって来たふるさと納税によって培われた町内事業者が持つネット販売面での知見の蓄積はどのようなもので、町はそれをどのように審査したのか、この機会に町民の目に可視化すべきではないだろうか。ネットショップの再開の是非は、それから後の話ではないか。ふるさと納税で14億円(昨年ベース)の寄付金を集められる返礼品が揃っている四万十町である。ふるさと納税推進協議会代表者会には、四万十ノも四万十ドラマも席を連ねているのである。彼らが4600万円の補助金を原資に当事者として構築に関わった「リバーノート」と「リバーストア」を、他の代表者の面前でどう論評するか、また他の代表者が同一のものをどう論評するか、ここを町民の目に明らかにする必要があるのではないか。その場には無論賑わい創出課も同席している。補助金を交付した行政側がその論評を総括するのである。因みに賑わい創出課地産外商室長佐竹氏によれば、四万十ドラマ社長畦地履正氏は、佐竹室長に対して、「ドラマのネットショップも開設から10年間は赤字であった。」と発言したそうである。それならば、補助事業2年目にして休止状態になった「リバーストア」の10年後への構想が畦地氏の中でどのようなものであったか。そしてその事業構想について、リバーストアの9月17日の休止以来、なぜ全面的に口を閉ざしているのか、是非そこも協議会会長兼事務局兼会計の岡村厚志氏と共に、代表者会の場で、町民の目に明らかにしてもらいたいものである。「町民の目」とは財源を拠出している「納税者」にして「有権者」の目、つまり「主権者」の目である。その意味において、全ての補助事業の最終的な評価者は町民である。

西原真衣