呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(123)

         質疑か陳情か

        武田秀義議員の一般質問の研究

  議会の一般質問に立つ時、議会中継によって町民に見られている感が強いせいか、妙な冒頭挨拶をする議員が多い。時候の挨拶、災害見舞等が一般的だが、議会質問はスピーチではないので挨拶等は本来いらないはずであり、余計な事である。議会とは質疑の場であり、行政監視の真剣勝負の場であるはずが、議会と執行部が実に見苦しく慣れ合う場となり果てている。この雰囲気は、議会中継からは十二分には感知しにくいのではないか。開会前や休憩時間の雑談や会議中の笑い声等はマイクがなかなか拾えないからだ。今回の武田秀義議員の冒頭挨拶には驚かされた。議員歴が浅いころは、「1年生議員」などと前置きしていたが場慣れしてきたせいだろう、今回は以下のように切り出した。

武田秀義議員:思い付きで質問するので、その意を酌んで答えてもらいたい。緊張しているので、そこを慮ってもらって答えてもらいたい。

意訳すれば、「私は不勉強です。思い付きでしか質問できません。執行部の皆さん、配慮してね。でも不勉強ながら緊張するだけの真剣味はあるつもり。そこは分かってくれてるよね。」と執行席についているお馴染みさんに向けてのうのうと言い放った。そこで、つられ笑いをした議員がいた。村井真菜議員である。苦笑いでもなければ失笑でもない、共感から来るつられ笑いという印象の笑いである。このような誰も木戸銭なんか

払う気にもならない場末の演舞場と化した議会の傍聴席は、案の上、地元紙の記者と私だけであった。武田議員の一般質問を傍聴する気になった理由は、通告項目1の、「農地転用の許可権限を県から町に移管できないか」に関心を喚起されたのと、又農業委員長就任したばかりの太田氏の初答弁のチェック目的もあった。

 武田議員は通告通り、まず、農地法4条5及び農業振興農用地除外の概要説明を執行部に求めた「ケーブルテレビを見ている町民の皆さんは詳しくないだろうから、まずは農地法4条5条と農業振興農用地について、執行部の方から分かり易く説明して欲しい。」と切り出したのである。これはNG である。一般町民が詳しくないからと言って、議場を使って貴重な議会質疑の時間を行政広報の場にすり替えてはいけないのである。抑々執行部による制度の概要説明などいらない、むしろ自分の制度理解の簡潔な披歴の上に立って質問を繰り出すのが議場質疑の足場なのである。「自分の制度理解の範疇でしか制度上の有効な質問はできない」という鉄則がある。武田議員の場合、制度理解のための事前勉強が実に不徹底であることにかこつけて、相手側に説明させるという安易極まりない手法に臆面もなく走っている。この辺りは、実は「緊張」からは程遠い。故に、「緊張」とは、実の所は、御馴染みさんに向けて放った、「毎度宜しく」という腰の低さのアピールでしかない。議場は懇親会の場ではないのだが、武田議員は議会に登場した時からその辺の区分けが怪しい人物なのである。更に、長々と執行部答弁が続いた挙句(法律や制度運用の概要説明を議場でしろと言われたら当然長くなる)に、「何が言いたいかというと」と自分の質疑の趣旨説明が始まった。質問通告と執行部による事前の質問取りによって質問の主旨は既に相手側に十二分に伝わっているはずである。その上で議場で「何が言いたいかというと」を連呼された日にはまるで選挙の街頭演説みたいではないか。相手が飲み込みが悪いとでも思っているのか、実のところ本人が自分の質問の趣旨を十二分に整理、理解していない可能性さえあるのである。

 「言いたい事」とは意見であり、質疑によって引き出された事実確認の過程で意見の妥当性を認めさせ、意見の実現に向けた答弁を引き出していくのが議会質疑である」というのが基本である。聞く側の事実及び制度理解の水準が極めて低く曖昧模糊としていれば、一向に有効な答弁を引き出せないのは必定である。その状況を引き摺ったまま、「何が言いたいかというと」を議場で連発するに至っては議会「質疑」「演説」を経過して最終的には「陳情」に変質することは避けられない。議会はスピーチの場でもなく同時に陳情の場でもない、是も武田議員の良く分別する所ではないようであり、武田議員に限らずこのような議会質疑のスタイルが横行しているという無様さである。その証拠に最後まで、「農地転用の許認可権限を県から町に移管できないか」に対して、執行部の、権限移譲の必要性に対する認識は疎か、法制論として、権限移譲が可能かどうかさえ、答弁として全く引き出せなかったのである。質疑応答から分かった事とは、農振農用地除外(ここは自治事務であり、県との事前協議に1年近くかかるという非効率があるらしいー県は標準期間さえ示していない―池上農林水産課課長答弁)を前段とする転用手続きに時間がかかる事(ここから更に標準で3月間かかる。県から市町村への権限移譲は前例(檮原、佐川)があり、県にはそれを阻む意図もないという事だけであった。一等農地は原則転用できないと西田農業員会事務局長答弁井に続いた池上農林水産課長は、実際の転用申請は、一等農地が殆どと答弁し、農業立町という政策目標、農地利用実態(耕作放棄地含む)及び転用需要実態の3要素がどのように複雑に絡んでいるかが全く見えてこない質疑であったのだ。武田議員の質疑では、「農地の住宅転用に係る現状把握に基づく農政上の課題」という全体の構図が一向に見えてこないのである。だからこそ、武田議員は最後に町長答弁を促しはしたが、実に冴えのない「防波堤答弁(できないことの理由付けに終始する答弁)」しか引き出せていない。これこそは、中尾博憲町長本体に「農地の住宅転用に係る現状把握に基づく農政上の課題」認識が欠落していることの証左でもあるが、当時に質疑者にもそれが欠落しているということの証左でもある。ここが、議会質疑に置いて「自分が押さえてないポイントは相手からも引き出せない」という鉄則の作用点なのだ。百歩譲って、答弁者が如何に無知無能であろうとも、質疑が筋道立っていれば、答弁者の無知無能が、誰の目にも鮮やかにあぶり出されて来るのだが、武田議員の質疑の明晰度はか非常に低いと言わざるを得ないので、そこはほぼ期待できない。そこで結果的に、全てがピンボケ状態となり、何を言っているのかが誰にもほぼ分からない最悪の場面となる。西田農業委員会事務局長に事後的に聞けば、高知県事務取扱の特例に関する条例(平成12年3月2日施行条例第7号)」によって市町村から申請があれば原則権限移譲できる」との事であったが、西田事務局長は、「聞かれたら言おうと思って用意していた。そうである。なぜ挙手して発言しないのか。聞いている側(町民)に対して失礼ではないだろうか。西田事務局長は 議場の空気を読むのが精いっぱいという事か。それでは議会答弁に要請されるレベルには到達していない。「反問権」を使って質疑を引き出すこともできるのである。西田事務局長もいささか不勉強ではないか。

 武田秀義議員は、9月に就任したばかりの太田祥一農業員委員長に対しても、にこやかに、はなむけ的な言辞で答弁を促した。この辺の所作も勘違いが齎している。この人物は結局、「機能する議会」というものの見聞を欠いたまま、それを想像する知性も持ち合わせていないが故に、議場を社交デビューのお披露目会のようにしてしまって恥じるところがない。見てい実に恥ずかしさを禁じ得ない。本人自体が議場という社交の場にデビューしたつもりでいるのだろう。

太田詳一農業委員長:(事前に用意した原稿を見ながら)9月に就任しての発答弁となります。(と前置きした上で)県下の他の農業委員会と比べても多い申請案件を抱えており,権限移譲が為されたら職員に負担がかかることが懸念されますが、佐川は柞原の農業委員会の実態について研修し、又最終的には農地最適化委員を含めた農業委員会総会で検討さえてもらいたい。

この人物の「初答弁」とやらは、感想的には、学童の作文の息を出ていない。行政職初学者の学習跡が作文に痕跡露わであるからである。「県内他の農業委員会への問い合わせ(横系列への照会作業)と農業委員会組織内での意思確認作業(縦系列の協議)によって検討する。」という万能処方箋的答弁を早速学習したのだ。「検討する」というのは行政用語的には、「やらない」という事であるが、これでは武田議員の面子が潰れるので誤魔化すときの言い回しの定番である。この中身のなさでは、前任の林幸一農業委員長の方がよっぽどましだったのではないか。この太田新農業委員長答弁には、前川上哲夫教育長答弁を彷彿とさせるものがあった。タイプが似通っていないか。農村の事大主義者というニュアンスである。権威ぶりたいという志向性を強く持っているが、関係者間ではあくまで友好的に振舞うという習性を持つ。自分の権益、権威の保持目的で場面内対立を回避するのである。ここが非常に農村共同体的である。「村の掟」「村の道徳」だろうか、良く分からないが、実に自民党と親和性が高いという感触を持つには私だけか。

中尾博憲町長:権限移譲されれば、人員体制も拡充する必要がある。負担が増える。利害関係の調整を町が担うことになれば、春野の事もあったように、色々難しい問題が出てくる。県という「第三者」に審査してもらう方が望ましいと自分は考えるが、移住定住の促進に絡めた(農地転用による住居の確保)せっかくの議員提案と受け止め「今後調査研究させてもらいたい。」

太田農業員会長答弁と中尾博憲町長答弁は、「職員負担増への危惧を理由に県からの権限移譲を求めない方向付け」完璧に符合している。ここは事前調整していることが露わだが、行政内部の事前調整ならぬ町民間の利害調整こそは、行政本来の仕事ではないのだろうか。中尾博憲にとっての地元の利害関係とは自分の選挙が絡むこととの謂いではないか。オリックス社の風車建設には、「政治家の端くれとして、経済的恩恵を受ける町民の意見も中立的な立場で聞く」と答弁した中尾博憲である。今後に及んで「利害関係の調整は第三者である県に任せたい」とは、聞いて呆れるではないか。「煩わしく、選挙の失点につながるようなことには関わりたくない」と、「次期も町長をやりたい」はこの人物の中で相矛盾なく両立しているようである。結論的にはこの人物は、「公平で公正な行政」という理念からは程遠い行政運用能力しかない「駄犬政治家」であるということである。「駄犬」の特徴は誰にでも尻尾を振るという事であり、同時に「信義誠実」という犬としての普遍的美徳には欠けているというどうしようもなさを意味している。

 昨今の四万十議会は、木戸銭など誰も払わない場末の演舞場と化している。議場の立派さとの対比が実に情けない。この場末演舞場の役者が失業しない理由はたった一つ毎月25万円が、銀行口座に「シマントチョウソウゴウフリコミ」名で振り込まれてくるからである。この演舞会の開場は僅か年間16日間である。その16日間、始終黙っていても一向に構わないし(槙野章議員や吉村アツ子議員はこの口であり、酒井祥成議員も要所々で執行部の対面を保持する目的で議場の流れに釘を刺すような質疑しかしない。御観察あれ。)時折一念発起して一般質問通告しても、「思い付き」「緊張している」が相手に好意的に受け取られると思っているようなお自堕落ぶりである。このような楽な仕事で月額給与25万円とは、議員職とは、選挙さえ済めば、とんだ穴場、地上の楽園である。

 この穴場の造成に、元々無い知恵を絞り尽くした(これこそ自分の金目であるので、真剣に知恵を絞り尽くしたのであり、この部分には、議場ではまず見られない迫真の演出があった)当時の四万十町議会議員の行状、つまり「議員報酬引き上げ条例制定の手続の違法性」の訴えに対する司法の判決が出た。武田秀義議員もこの穴場職場造成に汗を流した議員の一人である。次回はこの判決内容と四万十町職員の判決文の取扱い方をテーマにしたい。この判決文を読み解けば、今の日本で、行政、立法、司法の位置関係がどうなっているかの一端が見えてくる。三権分立とは、権力の均衡と相互抑制のために権力を三分割し、相互不可侵によって、権力が1箇所に集中し暴走しないための仕組みである」と、誰もが義務教育で習ったはずであるが、今この三権分立四万十町行政(監査委員会を含む)と議会にどのように解釈されているか、をテーマでとしたい。議会議員と首長を選出している町民が向き合っているのは、行政と議会の相互不可侵制度、「二元代表制」であるが、まちづくり基本条例や議会基本条例を引き合いに出すまでも無く、行政と議会の二権力が相互抑制や相互不可侵をどの程度、理解、実践できているかも、この判決分から読み取れる。町民は、この二権力の同一付託者である。訴訟に係った(原告ではないが議会資料の大半を原稿側弁護士を通じて裁判所に証拠提供した)元議員、今町民の立場から判決文の内容及び町職員がそれをどのようなものとして扱おうとしているかの2視点から見て行きたい。

西原真衣

 

住民監査請求を経た住民訴訟であった訴訟の判決文中に「監査請求が却下されたことは不適法」との司法判断が示されていたということである。中尾博憲町長は、行政報告中に「原告(四万十町民)敗訴、被告(四万十町長中尾博憲)勝訴」は織り込んだが、「監査請求が却下されたことは不適法」は織り込んでいない。ここが公平さに欠けるのである。時の監査委員は、監査委員長田辺幹夫、議員選出監査委員、堀本伸一である。何度も書き、裁判所にも証拠提出したが、議員報酬改正議案の可決直後の議会運営委員会の場で、「今日は休憩を取らない、全部録音する。」と発言した堀本伸一議員が監査委員の一人であった監査請求却下に対する司法判断が、「不適法」ということである.ここは要注目ではないだろうか。