呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(126)

         判決文の行方

 「判決文は町民に公表すべきである」と考えた。これは住民監査請求を経た住民訴訟であるからであり、公用車で起こした事故の損害賠償とか、税の滞納督促に関する当事者間の訴訟の類ではないからである。ところが、これを提案すれば、それを全く理解しない管理職だらけであった。住民訴訟の結果、司法判断に対する彼らの認識は以下である。

問:判決文全文を町HPに掲載、若しくは広報誌掲載の考えはないか。町づくり条例及び議会基本条例に基づく町政運営(議員からの要望を受けて議員報酬を引き上げる議案を上程したこと)ができているかの司法判断であると考えるが。

熊谷敏郎総務課長;その考えはない、必要がないと考える。

問:なぜ必要がないと考えるのか。

熊谷敏郎総務課長;必要がないからである。

これでは説明になっていない。同義反復である。熊谷敏郎総務課長は、「思考停止」という蓑を着て、蓑虫状態で定年までぶら下がっている腹づもりであることが推測される。町役場という宮仕え苦節40年で獲得したのが「思考停止」という蓑の纏方であるとすれば、もはやそのような総務課長を頂く四万十町は、人材育成事業などはおこがましい。中止するべきである。

森武士副町長:町のHPに掲載するという提案ですね。町長と協議してみます。

問:安芸市議会は、今般、議員定数削減と議員報酬削減議案を継続審議としたが、安芸市総務課は、議案提出前の報酬等特別審議会向け資料に、「議員報酬は生活給と見なすべきでない」という自治省通知を2通出しているが、それに反して四万十町報酬等審議会答申は、「議員報酬だけで子育てができる生活給」という自治省通知から逸脱した内容であったが、四万十町報酬審議会答申に今さらながらに疑義が残る。

森武士町長:その通知文、コピー取らしててもらっていいか。

(2週間が経過)

中尾博憲町長:自治省通知も判決文の公表も、副町長から何も聞いていない。

森武士副町長の処世術は、「人の話を聞くふりをする」ということに尽きる。その後のフォローは一切なし。あった試しはない。実に姑息にして誠意に欠ける人物と言えよう。この分では町長中尾博憲に対しても、一遍の敬意も持っていないことが伺われる。だから町長の意向確認などしないのである。中尾町長と森副町長はただの「報酬利益共同体」なのではないか。その証拠に、彼らには、判決文を町立図書館が収集し、地方自治の本旨、二元代制等の理念に関連して、それらの制度の導入目的や運用実態についての知見の構築に資する町民のための生きた資料とする意向などまるでない。その意識を欠けば、地方自治や2元代表制など、戦後アメリカが日本統治のためにらもたらした、「民主主義の擬制」を上塗りして底固めする事ことにしかならないし、主体性とは無縁のバラマキ行政に終始するしかない。現状を見れば一目瞭然である。

問:「判決文」は町歴史上の重要な文献ではないか、町立図書館の収集資料とすべきではないか。

生涯学習課課長兼図書館長林瑞穂:総務課に判決文があるなら、総務課から「もらえるか」先ず総務課と協議する。

(協議後)

総務は積極的には出さないという意向であるのでこちらも積極的には求めない。

問:原告から得た判決文の複写物を町立図書館に寄贈したいが、寄贈物として収集する意向はあるか。

生涯学習課課長兼図書館長林瑞穂:寄贈物としてであれば収集する。

 町立図書館館長、林瑞穂生涯学習課課長は、「判決文を総務課からもらえるかを総務課と協議」と咄嗟に応答した。四万十町長が公費60万円で応訴した裁判結果は、れっきとした四万十町公文書であり、それを総務課から「もらわ」なくてはならない町立図書館長がいるという事である。案の上、過去に町立図書館員に対して「公文書コーナー(例例規集、予算、決、議会議事録、町計画書等)」にある資料の説明を図書館員に求めたら、複数の図書館員が一様に首をかしげて、「役場の人が持ってきてくれたものなので、それ以上のことは!」と応答したのである。注目すべきは、このような職員体制を放置したまま更に16億円を投下して、図書館、美術家を融合させた「文化的施設」を作ろうという町民を愚弄する施策が着々と進捗しているという事である。町民はこのような愚者に愚弄されて腹が立たないのだろうか。計画の中止及び見直しを求める嘆願書も陳情書も無視されたというのに。

 「四万十町公文書」の定義付けさえも怪しい公務員が、図書館資料全般のレファランスサービスやレファラルサービス(利用者アンケートの設問に登場、関係機関及び専門家の紹介という意味らしい)を提供しようというのだから笑止千万である。今パブリックコメント募集中の、「文化的施設サービス計画」の巻末用語説にある、Society5.0、STEAM教育、Vertual Reality (VR)、Augmented Reality(AR)、Reference Service、Referal Serviceなんて、実装しようもない虚構でしかない。せいぜい開館後も、ソニーグローバルエデュケーショから派遣された講師が「プログラミング」ワークショップを提供するだけである。概念を実装できない虚構であることは目に見えている。コンサルに外注したこのような概念の外注コストは7千万円にも登る。以下の問答をどう思うだろうか。

問:Augmented Reality(拡張現実)とあるが、augmentとはどのような意味か。

大元政策監:augmented自体の意味は知らない。Augmented Realityで拡張現実と理解している。

問:「デジタルサネージ」とあるが、「サイネージ」の間違いではないか。「サイネージ」の意味はスペルは。

大元政策監:サイネージの意味は知らない。デジタルサイネージで電光掲示板と理解している 。

 IT系の技術用語の理解は、語源の理解抜きでは困難であると、私は思っている。インターネットテクノロジーペンタゴンから生まれたというのは有名な話であるが、ペンタゴンが源流なら、運搬を生業とする東京のコンサルタントによって遥々運ばれ流れ着いた川下である流域の町役場という名前の河原でそれを「業務上」拾い上げた四万十町職員は、煮て食べるのか焼いて食べるのか、己が食し、己の血肉とする術など持っているようには全く見えないのであり、その証拠に役場界隈では、衆目が優秀と見なす大元学政策監でさえ、「丸暗記」しているだけである。彼の年齢に丸暗記は似つかわしくない。この部分こそがSTEAM教育(これも源流は MIT)のART( Liberal Artを含む)のLiberal Artのoutcome(成果)の部分なのである。実にややこしくも寒々しい光景である。この寒々しさを払拭できない限りは、所詮「文化云々」等おこがましいので止めるべきである。

STEM 教育:科学技術基本計画の中で言及されているSociety5.0を実装してくためのITリテラシ-の構築に資する教育上必須の5項目の事を指すScience,Technology, Engineering, Art, Mathematicsの頭文字で STEAMということである。

日本人の好きな「産学官」で度という長閑なものではないない、アメリカ合衆国の「産軍複合体」文化の中で生まれたIT文化の移殖が、「総務課からもらう」だとか、「役場の人が持ってきてきてくれた」などという認識、思考、言語の土壌で成功するとは思えない。国レベルにおいても同様である。デジタル庁が発注した、コロナの濃厚接触者追跡アプリの「cocoa」も、ワクチン接種証明のアも不具合や個人情報の入力ミスだらけで機能していないというではないか。これらの失敗の真の原因は、アプリケーションの不具合等ではなく、何重もの外部再委託を繰り返す中での開発者間の、情報の共有と意志疎通の障害から来ているのではないか。要するに体制の杜撰さやそれを発生させている人間の意識の問題なのである。ここ四万十町においてもネットショップ推進事業で、協議会から事業を全面的に委託された四万十ノが再委託した先のネットショップ構築事業者andeは、そこから更に数社に外部委託していたということが発覚している。だから、ande作成の業務日誌など存在しなかったのだ。委託料は550万円、納期はわずか23日であった。国家中枢と同じく、四万十町補助金にも正体不明の補助金クラスター(補助金分配人脈」が発生しているという事である。その補助金仲介役が四万十ノや四万十ドラマであるとしたら、町賑わい抄出課は、一体何を把握、指導していたのかということになる。話がかなり脇に逸れてしまったが、一先ずは、国と町の双方で起きていることの「相似性、同質性」を指摘したい。そしてこれは、Society5.0やSTEam 教育が振りかざすITリテラシーの問題ではなく、行政マンとしての普遍的リテラシーの問題なのである。そして「判決文を読む」という作業は、行政マンリテラシーの向上に貢献するはずである。だから、「判決文を公表し、町民のみならず職員も読めるようにしたらどうか」と促がした。ところがその反応たるや、「自らが読む気がない」ことを露わにしただけである。中尾博憲町長に仕える彼等の頭の中身が露わになった。結局「楽をして公務員をやりたい。」だけである。そしてこれは、「楽をして議員をやりたい。と対になっている。「できるだけ楽をして、できるだ多くの金銭を得たい。」が普遍的な人間の本姓であるにしても、給与や報酬の原資が税金である以上は、その職務上の言動は、当然納有権者からの批判の対象となる。ここからは逃れられない。「公職」とはそのような職業である。だから品位を保持できる一定の待遇と手厚い身分の保障があるのだ。だからこそ、それによって正当化され、権限を付与され、運営されている法令の解釈を自らが為さなくてはならないのである。四万十職員は誰もが、「判決文を読んで自分の頭で考えて解釈を示せ、少なくともそれを試みるべきである」というのが、私の本旨である。

 さて、判決文の公表について、森副町長からやっと以下の回答があった。話を持ち込んでから優に3週間は経過している。

森武士副町長:先ほど町長とも話したが、町のやり方に問題が綯っなかったことが裁判で認められれ、その結果を町民に対しても行政報告で簡潔に報告した。町が敗訴していれば別だが、判決内容のこれ以上の開示は必要がないという結論に至った。判決文を読みたい人には開示請求してもらえば良いという考え方である。

「役場が公表した以外の事は、町民に知られたくない。」と本音を吐いた。是を裏返せば「自分に都合の悪いことは公表しない。」となる。行政報告では敢て触れなかった役場側の失点である「住民監査請求の却下は不適法」部分は、不問に付したかったのだろうし、

「議員報酬引き上げ分の差し止め請求」は却下、理由は、既にしくされている財務行為であり、訴えの利益がない

「条例制定手続が違法」は棄却:理由は、条例制定の手続きを定めた法律も規則もないので違法とまではいえない

上記2点の結論の提示が「町のやりの正当性」を裁判所が認めたと自己正当化して幕引きとしたいのである。では森武士副町長の言うように仮に町が敗訴していたら、森副町長は判決文を町民に公表したのだろうか。否、なおさらしないだろう。実の所彼ら二人は、高を括って、「都合の悪いことは外に出さない」の1点張りで、町民を統治できると踏んでいるのである。「国民はすぐ忘れる」うそぶいたのは安倍晋三らしいが、彼等も同類である。町民が「知る」ことによって生まれる町民からの批判から逃げたい一心の、中尾、森には絶対図書館など作らせてはいけないのということが、これで確定した。図書館とは、知る権利を保障するための公的施設である。中尾博憲のように「知る権利」を尊重できない政治家が図書館とは、おこがましいにもほどがある。止めるべきである。

 議会筋の情報によれば、一部で「森武士排斥論」が出てきているという。ネットショップ関連の補助金の有り様が出何処のようである。森武士と補助金クラスター」との良好な人間関係から、補助事業が予算化されてきたことへの疑義、警戒心が生じているという事か。分配のパイの絶対量が大幅に減った日本経済が陥っている病を「縁故資本主義」と称しているのは、金子勝立教大学特任教授であるが、森武士副長は、その本性から縁故資本主義=縁故補助金主義を役場内で実践してきた人物ではないだろうか。その縁故補助金の作用が地元贔屓を通じて自己保全に繋がるという政治感覚の持ち主でありそうである。この政治感覚は、公平、公正、透明性とは縁遠い。森武士も十和出身だが、大元学同様、LIberalArtの痕跡に乏しい。森武士の事は、一先ず補助金交付権限を蓑とした蓑虫と名付けておこう。この蓑虫への警戒感は、議会内部では十和界隈筋の外から出てきているようである。やはり、「合併」こそが、本当の問題なのだ。この際、議会本会議場で、窪川、大正、十和でチームを組んで、「四万十町補助事業のあり方」をテーマに、debatでもやったらどうか。議会で森武士が良く言うように、議員の皆さんは「選良」なんだから。無理だろうけど。

西原真衣