呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

地方議会から日本を見る(3)

  「文化的施設一時休止」を求める署名活動

 当初の16億円から23億円に総事業費が膨れ上がった四万十町文化的施設の規模縮小を求める署名活動が進行中らしい。賛成である。当方も署名したい。残念ながらまだ署名容姿が届かない。署名に賛同している現職議員には下元昇氏。武田秀義理し、古谷幹夫氏等の名前が挙がっている。12月定例会に、上記議員のいずれかを請願紹介議員とシテ議会に請願が提出される予定らしい。12月定例会には、増額分の予算が継続費として計上される予定らしい。賛成と反対が拮抗してきた中で、四万十町民の民意が代表される分水嶺となる議会となる可能性が高い。が翌年1月の改選を控えている以上、今議会の意向が次の議会の議会にどう引き継がれるかは予断を許さない。

 

 署名活動の主催団体名は、「四万十町の未来を考える会」代表者は、浜崎康子さんと聞く。この署名活動の存在を広く町民に知ってもらいたいものである。知人、友人経由で人海戦術で署名を集めて回っていることだろう。大変な労力である。そこで、四万十ケーブルテレビの伝言板を使えないか、所管課の企画課に聞いてみた。ケーブルテレビは町が放送事業者である。町費でインフラ整備、保守点検、機種更新の全てを賄ってきた。通常の運用も毎年3500万円相当の指定管理料で賄われている。元々公社自体、町が設立した公益財団法人であり、設立時の基本財産10000万円も町費から出ている。言わば、四万十町NHKである。それならば四万十町民個々に法的に保障された請願権の発動の機会の拡充、つまり署名活動の告知をすることは、やぶさかではないだろう、と考えたからである。公社本体は期待薄である。独自判断できる力量は怪しい。こう言うのはそれなりの理由がある。まず公益法人は定款尾公表義務がある。定款はHP上で公表されているが、肝心な説明責任を担う「情報公開」に関する条項が、「情報公開規程で別途定める」とある。それであれば、情報公開規程を含めて定款の全貌である。情報公開規程自体もHP上に掲載して欲しいと公社に申しれ入れた。がこれが予想外に難航した。理事会の議題にさえならなかった。結局「判断不能と結論づけるしかなかった。「情報公開規程」を公表して「情報公開による説明責任が求められる機会が増える」ことを回避したいということであろうと推測するしかないではないか。少なくとも先代の農協組合長の経歴を持つN理事、その前の役場退職者と言う経歴を持つN理事長は明らかにその様な態度を取った。今の、地元土建屋の会長職にあるT現理事長になってやっと、「情報公開規程」と「役員報酬の支払基準」が公表された。が、ここに来て昨年6月における役員報酬改定議案が上程された理事会、評議員会の議事録に議案提案理由及び審議過程の記載が一切なかったので、議事録の底にその部分を追加するように申入れたが、これは実質拒絶され、この件に関する理事長の説明を直に求めたが、是は拒絶された。ここまでがこの公益財団法人の説明責任の上限であるらしい。以上が公社絡みの当方の経験値なので、公社の伝言板使用に関する独自判断など到底期待できないのである。ところで四万十ケーブルテレビは町が放送事業者である。開設時のインフラ整備(16億円相当の財政投融資資金が投入)その後の莫大なリプレイス費用も全て町費で賄われて来た。四万十町の公共放送ならではの事である。独占的に町の放送事業を受託している公社には、町に準じた説明責任が議事録の作成と公表面でも課せられているのではないだろうか、ところが元理事は、議題の提出者でありながら、議事に関する必要最低限の説明責任を町民に対して回避したということである。

 

 ここで、署名に戻りたい。文化的施設に関してはこれでもかこれでもかとばかり、ケーブルテレビを活用した行政放送が繰り返されてきた。文化的施設関連の子供議会、ワークショップ開催、住民説明会等が悉く取材、放映の対象となってきた。公共放送は実に町の目玉施策の広報、宣伝、周知に多大な貢献を為しているのである。が、文化的施設には住民間に一定の反対意見が存在する。昨年町に出された嘆願書、陳情書、公にはなっていないが、文化的施設建設の全面的に否定的な内容を持つ要望書の類が、町や議会に届けられた反対意見である。「反対意見は確実に存在している。」町民間にも議会にも、これは紛れもない事実である。そして今回の署名活動である。ケーブルテレビの伝言板に、「署名活動やっています。署名用紙は、どこそこに備え付けています。賛同してもらえる人は、署名をお願いします。」と言う告知を載せられないか、と問いかけたと言う訳である。ケーブルテレビは公器である。町長施策の広報のためにだけあるわけではない。反対意見の可視化でもあり、反対意見を持つ人の意見表明の機会の拡充で機会の提供はむしろ公共放送が担うべき役割ではないだろか。ところが結果どうなったか。結論から言えば、「NO」である。所管課である企画課K課長から示された、伝言板の使用を許可できない理由とは

「放送事業者である町が放送法に則って制定した放送基準にそぐわない」

行田博文町顧問弁護士に相談したところ、「署名活動は政治的行為であるので「放送基準に」ある「政治的公平性」に抵触し、その観点から伝言板の使用は推奨できない。」と示唆された、というのである。どうもその真意は、反対意見のみが掲示されることが「政治的に公平でない」ということらしい。さらに町の顧問弁護士の解釈=町の解釈ということらしい(そうでなかった試しを当方は知らないのだが)かくて、伝言板は使わさないとなった。だが翻って考えてみれば、行政側が、公表放送の放送主体であることをいいことに、文化的施設推進目的の広報、宣伝を公共の電波を使って散々やってきたこと自体が、正しく「政治的行為」その物であり、その「政治的行為」には「政治的公平さ」は求められないのだろうか。ここは全く規制が掛からないのである 公平でないのはむしろこの現状そのものではないのだろうか。反対署名活動の周知はこのアンバランスの是正の機会になり得るのではないか。政治的公平が懸念されるのであれば(公平さにバランスを求めるのはおかしなことではない)伝言番中に、「賛成意見を持った団体の署名活動等があれば、それも告知可能ですのでご活用下さい。」と但し書きをして、政治的中立性、公平さを担保すればいいのではないか。勿論、賛成者は署名活動など通常しないことを承知の上で言っている。通常利害得失が絡む賛成意見とは首長の政治行為と互恵的であり、署名活動等とは本来馴染まないのである。。利害得失という強大な関心の渦中にある彼らは常に権力と意を通じていて一般町民の無知や無関心を出し抜いてもいるし、推進側の町自体がある意味彼らの代弁者(利害得失自体には、表立っては触れない)なのである。是を一般的に「利権構造」と言う。だからこそ、そこにこそ本来の公共放送の出番があるのである。賛成意見と反対意見の各論併記などという見え透いた公平さのまやかしに基づく「反対意見のみの表現の機会の提供は政治的公平さに欠ける」という顧問弁護士による放送基準「政治的公平」の解釈にもまた、中尾町長の意向を酌んだ町顧問弁護士による政治的含意のある解釈の一環なのであり、その意味では「政治的公平さ」などと言うものは、「真空」が存在しないが如くこ存在しないのである。権力は常に中立を標榜しつつその政治的含意を浸透させていくのである。権力とは、有体に言えば、「公金の使徒を一方的に決めれる。」ということであり、同時にその「一方的に決めたことの正当性を広報できる媒体を手中にしている」ということである。この物量戦に常に我々は惨敗する運命にある。が、公文書が我々の文書であるように、公共放送は我々の放送なのであり、公金とは我々が政府に負託している金銭である。この機会に、現況では決して共有できているとは言い難い、この原則を多くの町民間で共有したいものである。この認識抜きに民主主義は機能しない。

 

 嘆願書、陳情書、要望書、今回の賛同署名を求める本文全て、内容、主張、視点は異なれど、特定の利害得失から出てはいない。直に利害得失は絡まずとも、公費を使った大型箱物事業関心を持ち、より納得できる方向性を手弁当で模索しているこの町の一般住民に対しての町の目線や本音がどの辺にあるかが、伝言板は使わせない。」という今回の町の判断からよく透けて見えてくる。ところで「政治的公平さ」の解釈は図書館の選書機能にもついて回る観念である。現状の様な解釈の未熟さ、偏向をもってしては新図書館の「選書機能=図書館の本義及び図書館イベントにおける政治的公平さの実現」に期待する方が無理である。底の浅い政治的公平を標榜する現状と同じ様な未熟な「図書館もどき」が新しい革袋に充填されるだけであろう。その革袋の調達に23億円も使うほど愚かであることを我々は、町によって強要されるのだろうか。方や、町民から出た文化的施設の中止や規模縮小を求める各意見書は町に対して相応の礼節と抑制を持て提示されてきた。ところが町の方は、異論に対して一切真摯に向き合おうとしないのだ。町の側に、異論を知り、理解しようとする気配が全く感知できない。「知ることは、対峙する事。である。町民意見を知り、理解しようとしない、若しくはその能力と意欲共々に欠く町が、住民の知る権利の保障を制度化した「図書館」を作ろうとしていることの暗澹たる事実に目を見開く必要があるのではないか。中尾博憲町長が新図書館について語れることが、ただ二つの単語「森の幼稚園」「寺子屋」であるという悲惨な実態をどの位の町民が知っているだろうか。議事録ウオッチャーである当方は良く知っている。悲惨至極極まりない。無投票2期目通算9年目に入る中尾博憲町長率いる四万十では、これほどまでに文化斫る庁内環境が醸成されてしまった。「中尾博憲による文化的施設」、彼が持ち合わせている「凡庸」「愚昧」という解毒剤(「凡庸」「愚昧」は人に安心感を与える)で毒抜きされた、常温下で存在し役場職員間で増殖を続ける中尾博憲由来の妙な腐敗菌がこれほど立ち込めた施策も近年見当たらない。

 

西原真衣