呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(104)

 「裁判記録は重要じゃない」と中尾博憲は言った

四万十町久保川在住の山本たけし氏が、四万十町長中尾博憲を相手取って起こした裁判は、7月 4日に結審する。判決の言い渡しは、9月になるらしい。訴状は、「中尾町長から提案した議員報酬引き上げが違法であり、引き上げ分の返還を中尾町長に求める」というものである。中尾博憲が、四万十町議会の要望書を受け取り、その要望に基づいて議員報酬改正議案を議会に提出し、賛成12反対6可決されたのが、平成30年の12月定例会である。要望書を提出したのが、議長 酒 井祥成、副議長 下元昇、議会運営委員会委員長 堀本伸一であった。そして賛否である。

賛成議員:堀本伸一、酒井祥成、下元昇、橋本章央、橋本保、槙野章、吉村アツ子、林健三、古谷幹夫、水間淳一、味元和義、緒方正綱

反対議員: 西原真衣、岡峰久雄、岩井優ノ介、武田秀義、中屋康、下元真之

議会は行政の監視機関である。町長は行政代表である。その両代表はともに選挙で町民から付託を受けている。その両代表が町民に隠れて裏取引をしている。町民に知らせず何ら説明せず、共謀したのである。これが、元十和村議会5期経験者山本たけし氏を憤慨させた。「そんな出鱈目なことをやっていたのか」と目をむいて、怒り心頭に達したのである。そこで、町民が町長を訴えたと言う前代未聞の町政史に残る事件が起きた。コロナで伸びて、昨年4月に始まった裁判の結果が間もなく出る。この経緯は、是非とも町の歴史的記録として、被告となった中尾町長自らが、裁判所に裁判記録の謄写を求め、今度出来る「文化的施設」とやらで保管し、広く町民が閲覧できるようにすべきではないだろうか。裁判の事は案外知られていないし、知りにくい仕組みがあるのだ。裁判自体は公開で行われるが、傍聴するにも、前もって期日を知って高知地裁まで赴かなくてはならない。期日を知るにも、裁判所が振った裁判ン番号を知っていなければ問い合わせにも応じてくれない。山本氏に証言を求められ、裁判資料の大半を提供した(主に当時の四万十町議会議事録)私の立場でさえ、次回の公判の期日や過去の裁判内容を確認するのに一苦労あったし、傍聴を逃した裁判の記録を見たくても、「原告と被告のみ謄写物の交付を申請できるが、第三者は閲覧のみ、メモも取れない」とか、妙にハードルが高く設定されていて、裁判内容がなぜか非常に把握しにくい仕組みとなっているのである。「裁判官の権威を守るため」一般人のアクセスを故意に遮断しているのではないかと勘繰りたくなってくるような仕組み(民事訴訟法にそう書かれていると裁判所は言う)で運営されているのが、目下日本の司法制度のようである。尤もこれは議会の議事録の扱いにも同じことが言える。「知られないことで辛うじて権威振っていられるので、なるべく知らせたくない。」という集団心理が働いているのである。けれども、公立図書館の設立目的はあくまで「町民の知る権利の保障」である。だとすれば、文化的施設に16億円の多大な公金を投下しようといる中尾博憲は、まずは何よりも「町民の知る権利の保障」に尽力しなくてはならないはずである。ところが、ところが、案に反して、いや案の上と言うべきか。

 中尾博憲:裁判記録は、大して重要だとは思わない!

この仰天発言が、町長室で出たのである。先日のことである。以下その時の会話を再現する。

西原:裁判記録を結審後に高知地裁から取り寄せて、図書館に保管し、広く町民が閲覧できるよう差配する考えはないか。

中尾博憲:即答はできない。

西原:町民が町長を訴えた.それも地方自治法に明記された直接請求権を行使した、住民監査請求を前置させないと提訴できない住民訴訟に対して下される司法判断である。これを、どの程度重要視しているのか。

  中尾博憲:それほど重要だとは思わない。

西原:森副町長は重要だとの見解を示した。 「高知地裁から裁判記録を町が取り寄せて、町立図書館に置くことに賛成だ。」と私に対して明言した。

中尾博憲:聞いている。即答はできない。結果によって考える。

西原:結果(勝訴か敗訴)如何が、判断に影響するのか。

中尾博憲:結果が出てから考える。内部で、協議して判断する。現場の意見も聞かなくてはならない。

中尾博憲:現場とは図書館の事か。では館長(生涯学習課課長瑞穂)と協議するという意味か。もしくは収集資料を決めている「選挙委員会」との協議か、選書権限がどこにあるのか(運営上慣行で、という意味、明確な規定はない)そもそも現場でだ絵が選書んに当たっているのか、知っているのか。

中尾博憲:そこまで知るわけがない。

森武士:自分も知らない。

中尾博憲:元議員であれば分かると思うが(余計なお世話である)、教育委員会に最終的な権限がある。選書に「精通」しているのは教育委員会だ。精通している側の意見を開く必要がある。自分の一存では決めれない。

   大注釈:町長である自分が被告の裁判記録なのに

中尾博憲:「精通」を査定するのは誰か。教育長か。

中尾博憲:そうなる。

森武士:そうなる。(この二人阿吽の呼吸である、金が取り持つ仲か)

西原:それでは、山脇和章教育長を選任したのは中尾町長で、その選任人事に同意したのは四万十町議会である。教育長が、図書館における選書への「精通」を担保する立場であるとすれば、教育長の資質を担保するのが、選任者中尾博憲町長という事になるのではないか。

中尾博憲:そうなる。

森武士:そうなる。(この二人阿吽の呼吸である、金が取り持つ仲であると確信できる。)

上記問答を是非拡散してもらいたい。#低能政治家中尾博憲である。上記問答は完璧にループしている。「精通」を巡る言説が完璧に自己矛盾に陥っているのである。政治家に選書の専門知(精通)本体がなくとも、それを持つ人間の資質を見抜く目がなければ、結局「選書の専門知」など図書館行政の中に実在しえないのである。四万十町長中尾博憲を被告とした裁判の司法判断を町民への説明責任の一環として尊重できない町長に、図書館機能を内包する文化的施設等絶対に作らせてはならない。この人物こそ、町長として「低能」以外ではない。「低能」が「文化的施設を作る」と言っているのだ。

文化的施設の広報戦の一環として開催したシンポジュームのパネラーは、コンサル人脈ん、元長野県立図書館長平賀研也氏、山口県山口YCAM代表渡辺朋也氏、ソニーグローバルエデケーション清水輝第大氏が登壇した、パネラー毎のコメンテーターは、コンサル会社社長岡本真氏、実施設計基本設計受託建築課三浦丈典氏、コンサル会社所属李明喜氏であった(コメンテータとは解説者である。生涯学習課関係職員が解説できないこところが味噌)。そして、二部の討論会(パネラー間)に登壇した中尾博憲町長と山脇和章教育長は、ファシリテーター李氏から発言を促されなかったのだ。討論開始前に、講演の感想を促されただけであった。感想だけだったら誰でも言える。後にCATVの行政放送で、3人のパネラートークが繰り返し巻き返し放送されたが、そこに中尾博憲町長と山脇和章教育長は映っていなかったのである。図書館コンサルタントARGの発刊する季刊誌、LRG( 定価2500円)を教育委員会は、二つ返事で本館用と分館用を定期購入している。選挙委員化は通していないだろうし、第一、中尾博憲町長と山脇和章教育長は、読んでいない(と両人が私に言った、実物を持参して両人に直に聞いたのだ。)自分が読みもしないもの易々と公費で購入しているこの、中尾博憲、山脇和章は、「教育総合会議」の主要メンバーであることを忘れてはいけない。この会議が、「四万十町教振大綱」を作成しているのである。「大綱」に何と書かれていようと関係ない。とにかく、「Academic Rresource  Guide」という全国を股かける図書館コンサルタントが発刊する季刊誌「Library Resourece  Guide」に出てくる「レコメンド(reccomend)」「アドボカジー(adovocacy)」「サイトスペシフィケーション(site specification)」って皆さん分かりますか。地元高校の総合的な探求の時間の年間予定表中のキャリア(carrier)ポートフォリオ(portfolio)、ソーシャルチェンジ(social change )等を遥かに凌駕している外来語の使い手がこのコンサルタントなのである。さすが図書館コンサルは違う。周辺の人間が誰も知ら理解できない外来語で「高スペック」を見せつけているのである。だコンサルタントはさて置き、四万十町民の一人として、何千万円も払って雇ったコンサルタントに、自分が理解できない言葉を使わせたり、書かせたりして町民の前に猫じゃらし宜しくちらつかせる(やっていることが正にこれだ)などは、町長、教育長として、「この上なく悪趣味且つはしたない振舞いである」としか思えない。やはり #低能政治家四万十町長中井尾博憲ついでに#低能教育長四万十町教育長山脇和章の拡散を希望したい。ところで最近面白い逸話を耳にした。私の知人であり、中尾博憲の小学生時代の同級生からである。「中尾君は目立たない大人しい、しゅっちゅう虐められて泣いているような子だった。そんな中尾君が作文に「将来の夢は窪川町長になることだ。」と書いていてびっくりしたことを覚えている。」という逸話である。目立たない、さえない小学生だった中尾君は、「将来町長になってクラスの皆を見返してやる。」と秘かに決意していたのだろう。そして本当に町長になった。成功物語である。だからこそ「すべての子供の夢を叶える」ために町営塾を設立する事は中尾君的には、ごく自然な発想であったのだ。だが間違いなく、肝心の授業は聞いたところで、本人は理解できないだろうし、従って講師の質の査定も無理だろう。中尾博憲町長や山脇和章教育長を、その職務上の言動面で観察する限り、私としては、地方公務員の採用や採用後の人材育成の実態に疑念が募るばかりである、が、「結果を出した政治家職業人」として「選挙という博打に勝つ方法(副題:プレゼンに恥ずかしいは禁物)」や「議会と融和する方法(副題:職場における円滑なコミュニケーションとは何か」)等のテーマで、町営塾で自ら教壇に立ってキャリア教育の授業を実施してはどうだろうか。そうそう町営塾の生徒が、講師に聞くそうである、「先生、役場に採用されたら一生安泰って本当?」現実的には、子供の夢は、叶えられないことの方が多いけど、子供の質問に、真実で応答しなてはいけないと私は思うのだが、中尾君、答えられるかな。

西原真衣