呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(19)

  引き続いて、議会委員会の件を書く。まず議会の委員会活動は、全くその内実が知られていない。私自身は長年議会ウオッチャーであったので、自らで議会に陳情を提出し、それが付託された委員会の傍聴に何度も通った経験もある。議員歴は僅か5年であるが、議会ウオッチャー歴は、その3倍以上ある。大学で専攻したのは政治学であり、地元議会がどのように機能しているのかが気になって仕方がなかったのである。私が平成18年の合併後に議会に出した陳情は、

議員の議場での投票行動が分かるよう、議会だよりに一覧表を掲示して欲しい。」

であった。

 これは、陳情趣旨説明にも出席した。当時の議会運営委員会委員長が、岩井優ノ介議員であったので、その辺りのハードルが低かった、と想像している。岩井議員は、良くも悪くも緩いキャラクターなのだ。委員会規則によれば、陳状提出者は、委員長の許可を得て、陳情趣旨説明のために委員会に出席できる、となっている。岩井委員長は、私の陳情趣旨説明の出席希望を受諾したのだ。そこで私は委員会に出席し、陳情の意図は説明できた。委員から私への質問は、別段なかったと記憶している。その後委員会審議が行われた。結果的にはこの陳情は、採択となり、議会だよりに議案毎の賛否が掲載されるようになった。ケーブルテレビによる議会放送も間もなく開始されたので、結局投票行動は可視化されたのだが。だが、明らかに「投票行動結果を議会だよりに掲載する」は、彼らにとって心情的に歓迎するところではなかったのだろう、当時の議会運営委員会委員の一人、宮崎南海男議員から、仰天発言が出た。「議員の議案毎の投票行動は、個人情報に当たらないか。」である。この宮崎発言は、私に衝撃を与えた。聞くところではこの人物は、大正町役場職員出身であるという、そこで増々、私の中で仰天度が跳ね上がった。私は、これを自分一人の胸にしまい込んではおけなかった。総務省行政課に電話して、事実を伝えたのである。ここは旧内務省、つまり日本の地方自治制度の制度設計と運営を担う省庁である。電話を取った総務省行政課の職員は、私にこう言った。「上に伝えます。」私もすかさず「伝えて下さい。」と応答した。「個人情報」は、その後、止めどなく、その概念をいたずらに膨張させ、漏洩を、あってはならない失策と見なされるようになった。「情報公開」とは、行政の保管する公文書へのアクセス権、つまり住民の知る権利を保障するという理念を指す。そして「個人情報」とは、通常人に知られたくないとされる個人の私生活上の秘密事項(企業によって利用されるものを含む)、具体的には収入、資産状況、課税状況、住所、年齢、氏名、病歴、犯罪歴、婚姻歴、交友関係等を指す。これで、議会議員の投票行動は、会議公開の原則に照らし合わせて、初めから公開されている情報であり、本質的に個人情報ではないと判断できる、と私は解釈している。ところが非常に厄介なことに、個人情報には、もう一つの非常に形式的かつ包括的な定義があのだ。「個人が特定される情報」である。宮崎議員の頭の中で、「会議公開の原則」と「情報公開」と「個人情報保護を」がどのように論理構成されて、議員の議案毎の投票行動を議会だよりで公表することが、個人情報保護に抵触することになる可能性に繋がるのかを、是非とも宮崎議員に聞いてみたかったのであるが、委員会規則によって、陳情者が委員に質問する事が禁じられているので、それが叶わなかった。この規則に、議会の権威主義が表出している。最終的な決定権が委員会にある以上、それ以上の形式的な権威を委員会に付与する必要はないと、個人的には思うのだが。質疑応答を経て初めて論点が明確になる、論点を明確にしたくなければ、話は別だが。委員は質問できるが、委員会に呼ばれた人間は委員に質問できない、これは前回書いた、委員会が開催できる公聴会にも適用される規則である。利害関係者が出席し、意見を述べるが、議員には質問できない。これでは議員に何か聞かれても、その質問の意図を確認するための質問もできないのである。議会基本条例が制定されて、本会議の場でも執行部の反問権が創設された。それであれば、これを委員会公聴会にも適用して、意見陳述人にも反問権を付与すればいいのではないか。このことは、論点を明らかにし、議論を噛み合わす上で重要なポイントである。尤も、議員に質問できない規則は、議員側は、答えなくていいのであるから、体面を保つ上では非常に好都合である。当の宮崎氏は、議会を去って久しいが、現況の四万十町議会でも、この委員会規則を改正するという動きはまず出てこないだろうと、私は確信している。過去の私の議会見分が、私に、その確信をもたらしている。その見分とは。 

 ある時、全員協議会の場で、例によって、私が「議会が組織であることを認めない」論争が繰り広げられていた。休憩時間になって、傍聴に来ていた私の知人が、当時の議長橋本保と堀本伸一に対して、「議会が、組織であるという考えは間違っている。」と抗議した。彼ら二人は、全く同様な口調で、「話にならん。我々は町民から選ばれた。従って我々がここ(全員協議会の場)で決めたことは、町民が決めたことと同じである。」と鼻で笑いながら、知人に対して言い放ったのである。全く臆面もなく。全員協議会では議決は行われない。議決が行われるのは、本会議と委員会のみである。議決権が行使されていないものは、単なる申し合わせである。ここで言われている「議会で決めた事」とは、具体的には、2016年3月定例会中終了直後に副町長森武士が、四万十町全職員450名に宛てた通知文を指す。ここに公開したい。

当時の議長橋本保が、副町長森武士に宛てた「議長よりの回答」に基づいて、四万十町議会議員(私、西原真衣を指す)への対応について全職員に宛てた通知である。一言で言えば、職員に対して、「私からの質問に答えなくてもよい。」という事である。電話質問、メール質問はご法度、必ず来庁して、課長が「相互の信頼関係に基づいて簡潔な質問には対応されたい」そうである。これが発覚して、怒り心頭に達した私は、この通知文を持参して、弁護士の所に赴いた。弁護士の回答は、簡潔明瞭であった。「全員協議会の申し合わせに過ぎないものには、他の議員に対する拘束力はない。これは明らかに議長の職権乱用である。」議長権限とは、自治法上は、議場の議事整理権、議事録の調整権、議会事務の統理権に留まる。確かに職権乱用である。ところが、この理屈が、彼らには全く通じない。理解しようとしない。いや理解できないのである。議員報酬引き上げ時の全員協議会での発言を思い出して欲しい。ここに再現する。因みに以下の発言中の「議会で既に決めたこと」は議会運営委員会と全員協議会で、いずれも議決を取っていない。敢て議決せず、決めたことと圧力をかけている。彼らは本質的に非常にずるい、のである。

味元和義「議運で決めたこと(報酬を22%引き上げる要望を町長に出すという申し合わせ)を守らなかった議員には、議会で決めたことを守らなかった西原議員と同様、懲罰を与えるべきである。」

橋本章央[十和では、議運で決まったことには本会議で反対討論をしない不文律があった。黙って反対するという事である。反対討論に立った議運の委員には懲罰を下すべきだ。西原議員に懲罰を下した以上、今後議会運営上の示しがつかなくなる。」

水間淳一「これは基本中の基本である。」

古谷幹夫「反対意見が出たことが不快であった。反対した議員には責任を取ってもらいたい。」

彼らにとって、「議会が利益共同体である(議会組織論)」と「我々は町民から選ばれた。従って我々がここ(議会運営委員会や全員協議会の場)で決めたことは、町民が決めたことでもある」が、何ら矛盾ではなく並び立っているのである。これはある意味、非常に空恐ろしいことである。明らかに矛盾が意識されていない。その証拠に、今回公開した通知文の内容は、四万十町議会運用基準の末尾に書き込まれた。これも、この機会に公開する。

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この基準に違反する懸念もない議会の多勢にとって、私を制するためのこの基準は、何ら彼らの議員活動の妨害要因にはならないのである。彼らには質問の動機がないからである。長年学習塾を経営していた私にはピンとくるものがある。彼らは、勉学に例えれば、「分からないところが、分からない。」ので、質問に至らない。だからこそ、結論として、陳情者や公聴会の意見陳述者に、議員に対する反問権を与えるような規則改正には、決して着手しないのである。質問されたくなく、質問されると窮地に陥るから、質問されることを回避するという利害が見事に一致しているだけである。尤もこれは、副町長森武士とも一致していた。日本の地方議会の特徴は、女性議員が少ないというよりむしろ、高齢者男性に偏っているという事であるらしい。四万十町議会もその典型である。彼らの利害は一致し易く(同質集団の特性)、従って彼らの旧態依然とした、思考停止の御都合主義が蔓延し、結果的に議会が、高齢者男性集団に占拠され、私物化されるのである。これは実に由々しい事である。議会の可視化を唱えて議長になった下元昇議長、いまだに、全員協議会議事録及び委員会議事録が公表されない理由は何か。心辺りがないとは言わせないし、槙野章議員の地元で、槙野議員に本会議欠席中の不謹慎な行動を理由に懲罰を与えないで欲しいという嘆願書が回されているというこの時節、私に下された、「公開の場での陳謝文の朗読」という懲罰は、槙野章議員には、恩赦を施す根回しをするつもりなのか。尤も私は、それを拒否したために、一段重い懲罰、3日間の出席停止になったが、それも全会一致で。あれって、男性高齢者同質集団による、私への決死の抗原抗体反応だったんじゃないのか。アレルギー反応の一種に近い。集団としての生体防御反応と捉えらば、非常に分かり易くなる。けれども間違いなく言えることは、同質性は、多様な視点の欠如によって、視野狭窄に陥り易く、その結果、議論の汎用性と深化を阻害する。まり、彼らの自認とは裏腹に、町民総意から限りなく乖離していく傾向が強い。ここが、最大の問題だ。

 

四万十町議会議員 西原真衣