呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(106)

    「水問題」は政争の具か(その1)

  平成18年の合併以来、いわゆる「水問題」が何回も議会で取り沙汰されてきた。

調査特別委員会による全16回の調査もあった。調査結果により、現職議員田辺哲夫氏の「道義的責任」を問い、全会一致で「辞職勧告」が出された。これが平成24年3月の事である。田辺哲夫議員は辞職しなかった。「今まで一生懸命やって来た。」と議場で泣いたそうである。これには驚く。何という往生際の悪さであろうか。この「水泥棒」犯罪の裏には犯人の、このような性格が潜んでいたのである。ばれないための工作が裏目に出て大きくばれてしまうという展開は、この何とも往生際の悪い性格が齎したものであろうと思われた。調査特別委員会委員長は、山上利嗣議員であり、辞職勧告後に、田辺議員の地元大正地区で、同じ共産党系の地元の人により堀本議員への誹謗中傷的なビラも巻かれたと、耳にしたことは、ある。が、これを令和3年になっても取り上げて一般質問通告するとは、掘本議員ならではの目論見がありそうである。そこで議会中継に目を凝らしてみた。自席の田辺哲夫議員の様子を観察しながら交互に堀本議員の表情も伺った。田辺議員は、実に落ち着かない。資料を手で持ち替えながら、通常とは違って、ソワソワしている。分かりやすい事この上ない。「やはりこの人物は黒である」と誰でも思う様な素振りを見せていた。一方質問者の堀本議員は、落ち着き払って余裕綽々と、「水道の不正使用の疑いに対して正義感を持って調査してきた自分に対する、聞くに堪えない誹謗中傷を受け、ここでは控えるが、議会が済んだら関心のある人は自分の所に来たら内容を教えることもやぶさかではない。検針員という犠牲者も出している。」「町民間にまだ不信が渦巻いている。町民は納得していない。私のとこにも言ってくる。」などと話を展開させたのである。この展開の仕方、言い回しは、この人物の一般質問通告「水問題」の本当の目的が、執行部から答弁を引き出すことで町政の課題を明らかにすることではなく、自分の存在感を議場で見せつけ、執行部と同僚議員の双方に睨みを利かせることにある事ことではないかと私は勘ぐった。直接の標的の田辺哲夫議員ばかりか、前席の古谷幹夫議員の竦みまでが、ケーブル中継場面からありありと伝わって来たのだ。その証拠に、居眠りの常習犯である古谷幹夫議員の目は、この時ばかりは、パッチリと見開かれて、一点凝視状態となっていたのである。実に議会中継動画は雄弁極まりなく、四万十町議会の、どぶ川の底のような水面下の勢力図を見せてくれる。どぶ川の底には、角質化してふやけ、剥がれ落ちるがままに水底に堆積した、「議員脳」の頭皮のフケ状のヘドロが異臭を放っているのである。「議員脳」の新陳代謝は、自己研鑽から必然的に発火する議員間「討論」や執行部への白熱の質疑によってではなく、議場という場における「見せしめ」「恫喝」によって促されるという四万十町議会の本質がここにある。稀に見る酷い、見苦しい議会と言えるだろう。が、同時に議会とはこの方向に退化し劣化するということの生きた実例でもあると思う。体質的に恫喝に弱い行政組織の弱点を巧みに突きながら、利益を引き出すとい政治スタイルが横行し続けている真の理由がどこにあるかを、この町議会は見せてくれるのである。平たく言えば、役人は頭はいいが臆病であり、役人に比べれば、「議員さん」は頭は悪く、柄も悪いのである。この対照性が二元代表制の基底である。議会による行政の「監視」とは、別名睨みを聞かせるという事でもあるからだ。堀本伸一議員はそれを熟知し、実践している。そして議員集団で最も力を発揮し、実質的なヘゲモニーを握るのは、この手の議員であるようである。菅義偉二階俊博甘利明麻生太郎も同類ではないだろうか。以下堀本議員語録である。

※今日は休憩を取らない。全部録音する。(議員報酬引き上げ直後の議会運営委員会で、議会運営委員会委員に対して)

※何にためにこんなことをするのか、野放しにできない。

(堀本議員の委員会発現内容が含まれたチラシ配布に関して全員協議会でチラシ作成、配布者の議員(私)に対して)

※我々は町から選ばれた。ここ(全員協議会や議会運営員会)で決めたことは、町民が決めた事と同じである。我々は町民を指導する立場にある。特に議会運営員会は、議会の上層部である。

以上の発言は全て、本会議以外の場での発言であり、従って一般の住民の耳目に入らない。だからこそ私は、議員発言が記録される全ての議事録の速やかな作成と公表を訴え続けてきたが、恫喝する側とされる側が一丸となってこの要請を拒否するのである。つまり「庇護」をちらつかせた「恐怖心」による支配である。このメンタリテイが、恫喝議会の存立基盤である。ある意味、やくざ組織に近い。家父長制の援用でもある。

堀本議員発言「議会の上層部」とやらの議会運営委員会は、「公開の必要なし、傍聴はさせない。」そうであるが、今議会運営委員会の委員長が田辺哲夫議員であることを勘案すれば、「議会運営のか陰のボスは自分であり、「水問題」のキャステイングボードは依然俺にあると言うことを忘れるな」というメッセージを発信する場は本会議を置いて他にないからこそ、1時間の演説場、格好の見せ場「一般質問」でこれを披歴した、ということになる。この町議会、執行部側は、果たしてどのように受け取って居るのだろうか。真面目さや純真さが残っている若手であれば、士気を失いそうになる位気持を毒されるのではないかという懸念もない訳ではない。私自身がこの恫喝を議会内部で見た時に、正しく士気を失いかけた。「このような所に居るのは金輪際もう嫌だ。」と心の底から思ったのである。が、執行部の人間はこのような議会に対峙するしかない。いやむしろ今までどのように対峙してきたかが問題の本質である。議会と行政は、相互反射、相互参照的に機能してきたはずであり、長年連れ添ってきた夫婦の如くその加害性と被害性は複雑に入り組んでいるはずである。そのような視点から、行政組織が議会にどのように対峙して来たかを今回の堀本議員の「水問題」質疑への中尾博憲町長答弁の内容の検証を通じて次回は明らかにしてみたい。水問題は政争の具か(その2)へ続く

 

西原真衣