呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(100)

  少数民族・地元高校生の悩み(四万十高校編)

周りの大人がほっといてくれない、過干渉が過ぎる、じっと大人しく素直な良い子を演じる以外に道がないという諦念を持つに至った仮想四万十高校生のつぶやき

※入学すれば、早速地域の人から入学祝の「心のこもった手作りお弁当」が届けられる

それを学校で食べている姿をケーブルテレビが取材に来る。マイクを向けられたもちろん、「とてもおいしかったです。周りの地域の方の心がこもったお弁当に感謝の気持ちで一杯です。」というしかない、それ以外の事がコメントできるとは想像できない。

※「地域未来留学生」は全員寮に入る。自分も実は東京、名古屋福岡、大阪で開催される「地域未来留学フェア」の会場に親に「せめて高校だけは出ていなければ社会で通用しない。」と脅されて無理やり連れていかれて、抵抗するすべもなくこの高校に来てしまった一人である。「自然がいっぱい。地域の人が温かい。」とキャンペーンされて。まるで観光案内みたいと思いながらも取り合えず、3年間だけ我慢したら、親元から離れるチャンスかもと、ついつい魔が刺してしまったことが今では悔やまれる。来たみて分かったのは、生徒数に比べて先生の数が異常に多いことである。全校生徒が61人しかいないのに、教職員23人もいる学校で息が抜ける訳がない。寮は木造できれい給食も悪くないけど、土日の休みの日まで、なぜか学校にいる教員でもない若い「コーデイネーター」と名乗る人と地元の役場の人がやって来て、まるで保育園の遠足みたいに、下津井というところに蛍を見に連れて行かれたりするのが嫌でたまらない。休みの日位寮で一日中ゆっくり漫画でも読んで過ごしたいのに。彼女もいないし彼女と出かけるところもない、マックもなければツタヤもない。あるのは山と川だけだ。あーこんな所に来るんじゃなかったと思ってももう遅い。3年間の辛抱だと自分に言い聞かせている。

注釈:「コーデイネーター」とは四万十町が非正規職員の待遇で雇している町営塾「じゅうく」スタッフであり、学校に常駐し、地域未来留学の引率、寮生の生活指導、土日の活動支援等の任務についている。因みに地域未来留学の引率、寮生の生活指導には教員も関わる、本来教員の仕事であるところにコーデイネーターを配置するのが中尾町政の特性である。全て「人材育成」で一括りすれば、庁内外から文句は来ないという現状がある。弛緩の極みである。四万十高校の寮生を下津井の蛍狩りにいざなった「役場の人」とは、大正振興局限定のポスト「四万十高校振興対策監」のことである。過去に問題視された裏の公務員給与体系、通称「峯渡」(職位が上がららなくても年功序列で昇給さす)の復刻版と言えなくもない。中尾博憲町長は、この峯渡世代であることに注意。少ない子供にたかる多くの大人達、その大人の占めているポストに就く報酬を視座に据えると、少子高齢化の淵源的行為を依然何ら反省もなく少子化対策、地方創成」の名目で実施しているという破廉恥さに目を覆いたくなるのが正直な思いである。ケーブルテレビの番組編成もその傾向に拍車をかけている。ここで一言、ケーブルテレビを運営する四万十公社の中島親近理事長は、公社例規集の読解力に余りに乏しいので理事長として不適任であるいう認識を私は持っている。それは専務理事森雅伸氏も同様である。この専務理事の月額報酬は、7号給の月額55万円であり、県が設立した公益財団法人「高知県観光コンベンション協会」の専務理事の月額報酬額50万円を凌駕している。「高知県観光コンベンション協会」は役員等の報酬支払い基準をHPで公開している。四万十公社はしていない。月に55万円も取っていることを外部に知られたくないからである。知られたくないので、法によって公表すべしとされている、過去にHPに掲載していた「役員等の報酬支払いの基準」をHPから削除したのである。これを先導したのが、中平克己元理事長である。専務理事の給与は利益から捻出されたものではない、町に出す見積もり積算根拠の一つとして月額55万円が組み込まれているのである。町から公社に支払われる指定管理料総額6千万円の内訳数の一つであるということである。中島理事と森専務理事が執行役員あるような公社の番組編成の一端が地元高校取材番組である。四万十公社は町が設立した公益財団法人である。公社の独立性は皆無である中尾町長には、町の公共放送どうあるべきか論はない。それどころか、自己が本質的に汚職体質なのであろう。あぐり窪川駅長出向時代に残業代月額30万円の噂が飛び交った人物であることが思い出される。公社を所管する企画課課長川上武史氏には、この事実高知県観光コンベンション協会の専務理事(月給50万円)より四万十公社専務理事森雅伸氏(月給55万円)の方が月額報酬が高い」は報告済みであるので、企画課課長川上武史氏が今後これをどう差配するかを注目して頂きたい。ただしここでもう一言、ケーブルテレビが過去に取った視聴者アンケートの自由記帳欄には、地元の園児、児童、生徒の姿を見るのが、とても嬉しいという高齢者の声も多々ある。その気持ちは分からないでもない。高齢者は一般的にテレビが伴侶になりがちであり、知っている人や孫が写っていると文句なしに嬉しいものらしい。が、このアンケートも公開されていない。ここが最大の問題点ではないか。町政本体の「独り善がり傾向」である。その「独り善がり傾向」で大勢の大人に近づいて来られたら、少数民族である高校生には、なすすべもない。

※総合的な探求の時間は、「キャリア教育」に重点化されている。工科大学オープンキャンパス見学もあれば内閣府「リーサス」を使った調べ学習もある。就職時の面接予行練習を視野に入れた「自分の長所、短所」を見つめる時間もある。自分たちの卒業後の進路選択のための、首尾一貫した「キャリア教育」で総合的な探求の時間の年間予定表が埋め尽くされている。この高校に来てよかったと素直に思えるのは、総合的な探究の時間位である。自分が住んでいた地元の高校は、四万十高校のような少人数ではないので、ここまで至れり尽くせりの「キャリア」教育は提供してもらえないかもしれない。確かに周辺には自然しかない田舎の高校だが、「キャリア教育」「就職合同説明会」「町営塾」と至れりっ尽せりの進路支援がある。一人一人に手をかけてもらっている。学校偏差値は37と高くないので、在学中にいい成績を取って学校推薦で工科大学進学もありだし、進学しなくても、高卒で四万十町に採用されている先輩も珍しくない。中尾博憲町長は地元高校卒業生を優先して採用しているらしい。

注釈:上記内容は四万十高校を探訪して、宮地校長と上岡教頭から示された「令和3年度総合的な探求の時間年間予定表」に基づく説明内容を基にしている。「リーサス」を授業に取り組んでいる理由は、「統計を見る目を養うことがこれからの社会人には必要だ(宮地校長談)」からだそうだが、「ひと、まち、しごと、地方創成人口ビジョン」作成目的で内閣府地方創成局において開発された、域内域外産業別収支の統計「リーサス」を教材にしているというであった。この年間予定表、興味深かったので一部コピーもらえませんかと頼めば、拒否されたのである。それも「何に使うんですか」と聞かれたので「総合的な探求の時間の授業内容に関心があるからもらいたいだけです。」と答えても依然拒否の姿勢だったのである。四万十高校の宮地校長や門脇教頭には、「公教育とは社会全体の物であり、学校の物ではない。」との認識が乏しいのではないかと訝しく思ったことであった。地域住民からの「入学祝い弁当」「寮生への休日活動支援(と呼称されている)」や地域おこし協力隊と協働した「四万十高校マルシェ」等には何ら抵抗がないということか。県立高校と地方公共団体自治体の正式名)と地域住民以外の、得体の知れない妙な関心で近づいてくる異物的地域住民(私の事)にはなるべく学校の文物を手渡したくたくないということだろうか。高校性にとってこの周辺の大人達(学校教員と地域住民の一部)に散見されるこのような「仲間意識と排他性」はどう映っているのだろう。「統計の知識」とは、科学的な知見に基づいて、討論する力、つまり対外的説明力を養うためのものではないのだろうか。それなのに、宮地校長と門脇教頭の「それ何に使うんですか」応答には、実に「説明力」が欠けていたのだ。高知県高等学校課には、所管する県内県立高校全校の「総合的な探求の時間」の全体計画及び年間予定が提出されている。高知県に開示請求すれば手に入ると予想するが、そもそも開示請求しなくてはならないような物だろうか。学校HPに掲載すればいい代物である。学校の独自性をPRして「地域未来留学」を促しているのじゃなかったのか、ところが、高校支援課の職員にまで「それ何に使うんですか」と言われたのには仰天した。町営塾「じゅうく」の塾長高橋氏は、窪川高校と四万十高校に頻繁に出入りして、窪川高校では、「総合的な探求の時間」の全体計画に関わり、四万十高校では、「総合的な探求の時間」の企画立案に局所的に関わっている(じゅうくスタッフ談)という。「じゅうく」に四万十町は年間5千万円を拠出しているのである、両校に常駐させているコーデイネーターは町職員である。川上武史企画課課長に対して、両校の「総合的な探求の時間」に町営塾が関わっている以上、両校の全体計画と年間予定位町が入手したらどうかと促してみたが、反応は鈍かった。関わる以上情報入手が必要なのは当然であり、地域振興と地元高校振興を絡めて、役場内ポストを増やす、事業を増やすばかりが能ではないはずである。これらの実態からは、ただひたすら中尾博憲町長の「地元住民向人気取り施策」が透けて見えるのだ。隣の黒潮町は昨年町営塾を開設したばかりであるが、町内在住の高校生すべてに門戸を開き、大潟高校の教室を使い、土佐塾から4人の講師を交替で招いて、年間4百万円で、週2回英語と数学の授業を提供しているという(黒潮町企画調整課)。一方「じゅうく」は、一斉事業は英語のみ、過去にあった数学の一斉授業が廃止された理由を私に説明してくれたのは、休学中の現役大学生である「じゅうく」スタッフであった。大正振興局内に教室を持つ四万十高校生対象の「じゅうく」で数学の一斉授業が成り立たなかったの数学の一斉授業を廃止したというのである。A、B、C、自然コースとランク分けが必要であり、その単位の人数では授業が成立し難かったということである。つまり元々生徒数が少なく尚且つ数学の学力差が顕著であるということを示唆している。この説明が今まで聞けた「じゅうく」実態に迫る最も情報価値の高い情報であり、今の今まで、人材育成推進室に配置された四万十町正規職員、山脇和章政策監(センター長)、武田氏、横山氏からはこように具体的な説明を受けたことは一切ない。議場でも議場外でもである。実に異常な事態と言える。この異常事態の発生源は、

要因1.正規職員は、5:15分で帰途に就く、一方「じゅうく」開塾時間帯は、4:30~8:30であり、その間正規職員は誰もいない。正規職員が授業実態をおぼろげにしか把握していない。日誌のような物の提出もおそらく要請していない。出席人数の把握程度が積の山ではないか。彼等には抑々町営塾の仕様など書けないのである。

要因2.四万十町職員は、物事の理解に疎く見識に欠け、さらにそれを恥じる神経を持たない中尾博憲町政の下で気が緩みすっかり「仕事を楽にする」くせがついてしまった。辞令を交付する町長に「業務遂行能力」査定力がなかったらどうなるか。「湯水のように我々の税を怪しげなコンサルタントに投下しつつ、自らは無為無策の上にかいた胡坐状態で日々をやり過ごす町職員を大量に培養してしまった。」のである。人材育成推進センター職員が、私に対して一々帰り際に「有難うございました。」などと言うところが全く頂けない。いい年をして、「どうぞお手柔らかに。」だろうか。そのような甘言で人を操れるとでも思っているのだろうか。そのような体たらくだからこそ、コンサルタント「founding base ]からの出向者であり、塾長である高橋氏(月給30万円)に、高知県知事の浜田省二氏に対して、「高知の人はお酒が好きで、私もお酒が好きで、職場も温厚な人たちばかりで、毎日楽しく暮らしてしています。全高校生にタブレットを無料で支給してもらって、本当に四万十町って豊かな町だと実感しています。」などとヌケヌケプレゼンをされてしまうのである。詐欺にあっているのはどっちか、考えなくても分かる。女は詐欺師に向いている。ヌケヌケ詐欺にあってもニコニコしている温厚な現教育長山脇和章氏が統括する教育委員会にも、もう一人の、詐欺師とは言わないが、「それ何に使うんですか」発言の主がいる。教育委員佐々倉愛氏である。こちらもコンサルタントに破格の大盤振る舞いが続いている「文化的施設整備推進準備室」統括監である、大元学政策監が提供した「行政出前講座」について若干の質問をしただけである。「予算書の勉強会をやりました。大本政策監が講師で来てくれました。目からうろこでした。」とのSNS発信を見て、会場が「こいのぼり荘」という十和のゲストハウスで経営者が教育委員の佐々倉愛氏であり、この講座出席である、というSNS上で知り得た情報に基づいて、「どのような所が目からウロコであったか教えてもらえないか。」と問いかけただけで、「それ何に使うんですか」と応答したのが佐々倉氏であった。つまり高知県高等教育課職員や四万十高校管理職と思考回路が似ているのである。私見では、このような思考回路の根源にあるのが、「公」についての概念の混濁である。「公」とは「行政」ではなく、主権者である我々自体である。我々は我々の主権を民主的な選挙によって選出された代理人に付託しているのである。この原理原則に照らし合わせたならば、代理人(首長)によて辞令を交付された人間には、「選んだ人間(有権者)に対する説明責任」が課せられている。だからまず言うべきは、決して「それ何に使うんですか」ではないはずある。それを理解しない人々が施す「キャリア教育」とは一体どのようなものになるのだろうか。因みに佐々倉愛氏は、教育委員同意議案書中の経歴には、愛媛大学法文学部在籍中から「キャリア教育」に関わる、と記されている。四万十高校管理職によれば、キャリアとは、「人生そのもの、自己実現(門脇教頭談)」だそうである。「人生そのもの、自己実現のガイダンスをまさか高校で受けれるとは、私などついぞ想像したこともなかったのであるが、今や人生そのもの、自己実現が、高校時代に習得可能な実務スキルと化しているようである。これはパラダイスか地獄か、そしていつまで続くのか、(いつになったらスキルアップ圧力から解放されるのか)四万高校生にプライベートで聞いてみたい所である。高校生とはかっては、習得することと感じることが緊迫感をもって拮抗していた悩みの季節であった、と記憶する。

西原真衣