呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(88)

       体罰教員名は非開示

2月5日に高知地裁の藤倉徹也裁判官が下した判決に目がいった。高知県教育委員によってなされた「高知県公立学校の体罰事故に関する報告書」を開示請求した神戸大学馬場健一教授が起こした取り消し訴訟である。高知県教育委員会が下した処分は部分開示であり「体罰教員名の開示」が争われていたという。判決は、目覚ましいものであった。「プライバシー保護の範囲を拡大することは、知る権利を過大に制約しかねない」 というものであったからだ。この知る権利とプライバシー保護の権益を均衡させようとする姿勢は非常に重要である、とかねがね自分自身が考えていたことがあり、更にこの藤倉徹也裁判官は今係争中の、四万十町久保川在住の山本たけし氏が四万十町長中尾博憲を提訴した「議員報酬引上げは、手続きに瑕疵があり、無効である。」という訴状の裁判の裁判長でもあり、その二重の意味でこの判決結果には目を奪われたのである。「知る権利」に考慮する裁判官であれば、判決はおのずと公平公正なものになるのではないか、と期待したい気持ちも一方でありながら、町長提案で議員報酬引き上げ議案を議会に提出するこ自体は違法でもなく、開示請求に対する部分開示という行政処分でもないので、行政処分取消訴訟という内容でもないから、この藤倉徹也裁判官の判決にぬか喜びも出来ないというのが実情である。それはそれとして、この判決に対して、何と高知県教育委員会教育委員会を開催し、高裁への控訴を決定したという。しかもその理由が、体罰教員名を公表すれば被害者生徒が特定化され、その特定化によって被害生徒に対する虐めを誘発する怖れがある。」というのだから、私はすっかり高知県教育委員会の頭の中身を疑ってしまったのである。被害生徒とその保護者は体罰教員名を既に知っているはずであり、その体罰の発生事由は、その教員の職務遂行行為であり、職務遂行為がもたらした重大な結果の公表は、プライバシーの公表には該当しない、というのが順当な判断ではないか、と私は考えるのだが、ここで個人情報の定義がある。私が理解している範囲では、「個人が特定される情報であり、特定されることによって、一般社会通念上その個人が社会的に不利益を被る怖れがある情報」である。体罰の加害教員名を公表できない唯一の正当な理由が、「被害児童が特定化され得る怖れが具体的な推論に基づく蓋然性及び特定化により、その特定化された児童が所属する学級での虐めに繋がる具体的な推論に基づく蓋然性の立証責任は、教育委員会にあり、異議申し立てを受けて審議し、教育委員会の部分開示(学校名、教員名、部名、部員へのアンケート結果非開示)決定を認めた高知県公文書開示審査会にある」と私は考える。ここで審査会の委員構成が気になったので高知県HPを検索しても見つけることができなかったので、審査会答申176号の問い合わせ先である高知県法務文書課に問い合わせてみた。自分では探し出せなかった審査会名簿は、情報公開制度の概要説明中にあった公文書開示審査会の説明部分に偶々掲載されていた、当時の委員名簿である。審査会答申176号の公表日時は、2013年1月5日である。何と8年前である。提訴した人は神戸大学馬場健一教授で、神戸大学の研究者紹介欄には、研究テーマ、「裁判利用、司法制度、現代社会の法化、子どもと法といった問題を、法社会学的かつ複眼的視点から捉えようと試みてきた」とあった。どうも、研究者の研究リサーチの一環としての取り消し訴訟のようである。研究費用で裁判の手数料が支弁されたのか、などどふと考えてみたが、いずれにせよ開示請求に対する高知県教育委員会の判断は、高知地裁判決で否定され、その結果は、地元紙高知新聞で報道され、私を含めた多くの県民の関心を引くことになったのである。この件についてネット上で情報を得ようと試みれば2019年11月20日付けの高知新聞電子版で以下の記事が見つかった。

教員不祥事に歯止めを 高知県教育委員会が臨時学校長会

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 相次ぐ教員の不祥事を受けて高知県教育委員会は27日、高知市内で臨時の県立学校長会議を開き、不祥事の発生防止へ綱紀粛正を求めた。
 
 県内では本年度、公立中の男性教員が強制わいせつ容疑で逮捕されたり、県立特別支援学校の男性教員が児童ポルノ動画を所持して停職処分を受けたりするなど6件の不祥事が起きている。...
 
 
 だったら名前を公表すればいいのではと私は思う。氏名の公表によって、採用権者の採用責任を問うのである。職務上の犯罪行為における氏名公表が無いなどということが、社会通念上納得できるのか。一般人は、酒気帯び運転等の道路交通法違反や、コンビニでのささやかな窃盗行為めいたものでも容赦なく実名や顔まで出されて報道されているのではないか。学校関係者は特例待遇なのか、教育公務員であれば、一般人に比較してその社会的責任はより重いはずであるにも関わらず、どう考えても不合理な「被害児童の個人情報保護のため」を持ち出して、加害教育名を非開示にするというのは根本的に倒錯しているとしか思えない。とどのつまり、教員名の秘匿は採用、任命責任者の責任回避行為ではないか。公立学校教員であるからである。高知県教育委員会の威信に関わるからではないか。馬場教授も異議申し立て文の中で言っているように、「加害教員情報を得ることは、児童生徒やその保護者にとって有益である。」これは正論である。「被害者の個人情報保護」は、根本的に虚偽である。馬場教授の異議申し立てを却下した高知県公文書開示審査会は空虚な多弁を振るって、教員名を特定化しうる情報をいかに非開示情報とするかに苦心している。「個人を特定化できる情報及び照合によって個人を特定しうる情報は個人情報とみなす」という解釈、枠組みに異様なまでに固執している。一例として、部名を開示すれば、その部がある学校名が特定化され、学校名が特定化すれば、県立図書館にある高知県教職院名簿等との照合で教員名が特定化される怖れがあるなどという教員名開示拒否への、異様なまでの執着ぶりである。この「教職員名簿」である。これを作成しているのは高知県教育委員会教職員福利課である。配布先は高知県教育委員会全課、教育委員会出先機関、全県立学校、知事部局、児童家庭課等であるらしい。市町村立の小中学校は全て市町村教育委員会の傘下にあり、その教職員の服務と人事に係る内申書は、市町村教育委員会から高知県教育委員会に上程される仕組みがある。市町村の学校教職員は全て「県費負担職員」と呼称される。全員が高知県教育委員会によって採用、配置され、高知県の歳費から給与が支給されている。この非常に分かりにくい複雑な制度が一体誰のためにあり、誰の役に立っているのか。私にはさっぱり理解できないが、少なくても児童、生徒や保護者のためではないという事だけは感知できる。その証拠ともいえる事実がある。この教職員名簿は、高知県庁の地下にある生協で売っているらしい。過去に四万十町教育委員会の一角で目にしたこともあった。市町村教育委員会には配布されていないようなので、高知県庁地下の生協で購入したのだろうか。よく分からない。ただ業務上教職員名簿は当然必要だろうからそこ教育委員会にあったのである。この名簿について昭和14年生まれの知人から聞いた話しでは、かっては名簿に並んで備考欄に出身大学が記載されていたそうであるが、ある時からそれが消えたという。高知県教育委員会に出身大学名が消えた理由を尋ねた所、「教職員の個人情報保護のため」であると言う。私は、教職員の出身大学が個人情報だとは、ついぞ知らなかった。「出身大学の偏差値と授業力には一定の相関関係がある」という仮説を立ててそれを検証すべきは学校の本来の使命であり、その情報を教育委員会にフィードバックし、採用時や昇給の考課材料にするのが本来のあるべき姿である。学力の養成が学校の使命である以上、学校教職員の学力の証である学歴は、まかり間違っても個人情報などではない、職務遂行に係る有能性を測る確固たる基準値の一つなのである。この事実を公認できない理由、背景に何が潜んであるか。ずばり、教職員採用に係る利権である。高知県世襲教員比率が非常に高いという悪評がある。教職員名簿にまで言及し、体罰教職員名の公表を頑なに拒否する背景は、採用利権の温存にあるとも言える。私が過去に議員辞職勧告を受けた際にも、政治倫理条例違反の疑義1は、「議員の地位を利用して町の人事に介入した」であったが、この人事とは、具体的には学校教育課の付属機関である教育研究所の所長人事であった。この時の所長は戸田昌秀氏でこの人物の父親も学校教員であった。戸田氏は教育研究所所長であり、事務統括を担う立場でありながら文書管理票(組織保管公文書・文書目録大分類に相当)を作成できなかったのである。うかつな私は、この事実を知った直後、この著しい業務遂行能力の低さを町長室で指摘した上でそれならばと、休職中の知人を所長に推薦したが、名前は出さず、公募を了承した。人事介入の斡旋利得の意図が初めから毛頭なかったので、公募を了承したのである。その上で、政治倫理条例違反に問われたのである。親が教員であったことと併せてやはり能力を度外視した縁故採用に始まる情実人事の結果がこの著しい業務遂行能力の低さなのであったのだ。この事実を私に伝えた人物が、教育研究所所長岡澄子氏である。この人こそ、私にしてみれば、町の人事への介入の糸口、誘い水となった人である。
岡澄子:簿冊管理票は所長が私に提出してきたが、とてもじゃないが外に出せるようなものではなかったので、今研究員に作成させている。研究員が今夏休みを取っているのでもう少し待ってほしい。
音声データが残っていなのが残念であるが、これは真実である。この岡澄子氏は、現在教育研究所と補導センターの所長を兼任している。四万十町西庁舎玄関先前に張り出された意見書に以下があった。
「改善センターの中にある教育研究所と補導センターが何をしているか全く分からない。天下りであれば廃止しもらいという直截な意見である。
回答が全くなっていなかった。「何をしているか分からない」に対して双方の設置要綱を書き写して対応しただけであったのだ。回答したのは、学校教育課課長西田典夫氏と生涯学習課課長林瑞穂氏である。教育研究所運営員会と補導センター運営員会が存在し、議事録が公開されているのにである。毎年その委員会で教育研究所も補導センターも委員に対して活動実績報告がなされている。「何をしているか」にはこの運営委員会「議事録」の公表案内で対応するのが筋である。ところが、この度、補導センター運営委員会が議事録を取っていないことが、発覚したのである。それでは何をやっているか誰も知りようもない。「何をしているか分からない」のは当然である。所長の岡澄子氏は、教育委員会次長で退職し、退職直後教育研究所所長にそのまま天下った人物だが、「前述のやり取りを政治倫理審査会で証言して欲しい」という内容の私から彼女に宛てた手紙を川上哲夫教育長に預けて退職したのである。このことが臆面もなく、私の不当な行為というニュアンスで、政治倫理審査会の場で川上哲夫教育長によって言及されている。実に素晴らしい一糸乱れぬ一致団結振りではないか。このような教育行政職トップの不見識に遭遇するとやはり、会議の公開や議事録を取ることの重要性に対する無自覚、無理解が、即ち対外的説明責任への無自覚、無理解に直結していることがありありと分かるのである。川上哲夫元教育長や現教育研究所所岡澄子氏のような議事録の重要性が理解できない人間は、本来教育行政を担うんは不適任であると、私は確信する。そのような人物は、究極的には、社会的責任感を持つ人間形成に貢献する仕事、つまり教育に携われる資質があるとは思えないからである。この岡澄子氏は退任の挨拶を閉会後の議場でやった。
岡澄子氏:職員の皆さん。これからも一致団結して職務に励んで下さい。
目前にいるのは、町議会議員である。町民選出の町議会議員である。にもかかわらず、職員に向けてのメッセージだけがこの人物の口から出たのである。それも「一致団結」である。「一致団結」はこの人にとっては、疑いを挟む余地のない美徳であり、場に応じた至極穏当適切な言い回しなのである。退任のあいさつの場で、職場の「一致団結」しか視野にないことが露見したのである。何という貧相さだろう。結局今回の高知県教育委員会が「体罰教員名の開示」を求めた藤倉徹也高知地裁裁判官の判決に対して、最終的に議事録も公開しない非公開の場で協議し、高裁に控訴することを決定したのも、実にこの岡澄子氏が言うところの「一致団結」が完璧に機能した結果ではないだろうか。岡澄子氏の「一致団結」には町民が不在であり、その意識は、教育行政への町民参加など全く望んでいないことの現れである。同様に高知県教育委員会体罰を受けた児童生徒や保護者の教育行政への参画など全く望んでいないのであろう。だからこそ、我々の知る権利をここまで蔑ろにできるのである。実に厚顔無恥である。それでいて、「主体的な学び」とか、「多様性」とか、「社会的包摂」とか、「持続可能な開発目標」とかの実体のない題目が、学校現場ではこれでもかこれでもかと雲霞の如く垂れ流されているのである。まともな神経をしていたら学校に行きたくなくなり、ひきこもりたくもなるのではないか。児童生徒を追い詰めていくのは、この教育行政を担う人間集団の度外れな鈍感さ、貧相さである。因みに教職員名簿の配布先である高知県児童家庭課の作成資料によれば、高知県内の引きこもりの数(就学年齢からから38歳まで)は, 5000人である。これも児童家庭課が設置した児童福祉審議会の議事録から知った事である。議事録は重要である。それが理解できない人々は、公の仕事には不適任だろう。端から公、つまり我々に関心が持てないのだから。公という概念には、少なくとも会議を傍聴し議事録を読む人間は包摂されているはずである。最後に今回判決と控訴に係る意思決定の場にいた審査会委員名簿と高知県教育委員会委員名簿をここに公開したい。
因みに高知県公文書開示審査会答申176号は、高知県HP上に掲載されているので、関心のある向きは是非ご一読いただきたい。
 
西原真衣