呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(6)

      

   方法書の著作権には情報公開開示請求で対抗

オリックス社の方法書の中で、工事に伴って排出される土砂の処理方法の記載部分と、2026年運転開始、2046年運転終了後の風車の撤去方法についての記載部分を開示請求した。土砂災害を懸念する、建築に詳しい知人からの要請があったからだ。担当課は、事前にオリックに打診して、オリクス側に異議がなかったので開示に踏み切ったという事である。開示請求書と開示された文書を公開する。

 

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一連の問い合わせ作業を通じて判明したのが、

オリックスは、著作権を設定している環境影響評価図書は、

〇自社のHPでは縦覧期間以外は公表しない。

〇関係行政機関のHPでの公表は、断る。

〇担当課には、なるべく地域住民に見せないようお願いする。

〇開示請求があれば、あきらめて、異議を唱えない。

という手法であるという事だ。ここで「お願い」が最も気になる所である。話法として、「情報が切り取られて独り歩きをする。」という、どこかで聞いたようなことを連綿と述べたらしい(四万十町企画課長山本氏)。まるで風評被害を受ける側のような言い分である。多岐に渡る行政庁の許可が必要とされている開発行為なのである。切り取られて、誇張され、歪められたた情報を訂正するのもまた、開発行為を行う事業者に課せられた社会的責務なのではないのか、と私は思う。考えの基本が甘くないか。それに、かような稚拙な話法にそのまま乗せられてしまっている担当課課長の姿も、ここで再度浮かび上がってくる。この課長は、最初、四万十町に送付された配慮書や方法書を、「公表できるものはありません。」と当初、私に対して言い切っていた。環境影響評価法と情報公開条例を丹念に読めば、そんなことは言えなくなるはずである。なぜなら、環境影響評価法6条で、事業者が作成した環境影響評価図書の都道府県と関係市町村への送付が義務付けられており、7条で、公告及び縦覧、住民説明会が事業者に義務付けられている。更に、情報公開条例上、開示請求対象公文書の定義は、「職員が職務上、入手、作成し、組織的に用いるもの」なので、オリックス社から四万十町に送付された方法書は、開示対象公文書に該当し、たとえ、それに作成者の著作権が設定されていようと、条例の規定に基づき開示、部分開示、非開示を決定しなければならない。非開示にしたくとも、ここでまさか、「企業の競争上の正当な地位を脅かす怖れがある」とか、「関係機関の意思決定の中立性を損なう怖れがある」とか「現在及び将来の行政の円滑な運営に支障をきたす怖れがある。」を根拠にはできないであろう。そもそも著作権とは、企業の競争上の正当な地位に関わるものであるのは、明らかなので、この条項の適用に当たっては、「正当な地位」が、ここでは、環境影響評価法の趣旨に照らして、具体的、客観的に担保されなくてはならないはずである。このように、必要最低限、法律と条例を読めば、決して「事業者が公表してくれるなと言っているので、公表できるものはありません。」発言は出てこないはずである。ところが、十分読んでいないのである。若しくは、読んでいても、理解していないのである。私が、町役場の課長に法律と条例の基礎的読解力を求めて止まないのは、このような実態があるからである。議員時代も、私の質疑に答えないという現象が、本会議で多々起きた。「答えがないなら答えなくてもよい。」という、実に安直で、その場しのぎの議事整理をしたのは、酒井祥成議長である。「答えがない。」は、答えの一種である。その視点がない、考えたことがない、という「答え」である。「その視点についての答えがない。」という事実を確定するのが議長の仕事のはずである。従って「答えがない。」を明瞭に露見さすべきである。議会を、行政側に立って、自己完結させてはいけない。それでは議会とは言えなくなる。が、そこまで議長の意識が届いていない。ここで、ブレグジットの紛糾が続くイギリス議会をTVで見ていてハタと気が付いた。誰も原稿を読んでいないし、居眠りをしていない。全員が長椅子に座り、質疑に意識を集中させている。口角泡を飛ばしながらの舌戦が続く。非常に精力的であり、かつ長丁場に耐えようとする気概が感じ取られる。首相のボリス・ジョンソンが離脱に反対する議会勢力を封じ込める目的で議会閉鎖した時も、早速違憲訴訟が提訴され、最高裁は、違憲を認め、議会が再開された。このスピード感、リアル感は、正に、我々、普通の日本人からすれば、議会制民主主義及び三権分立が機能している感である。機能している議会では、男性議員は、通常のスーツ姿だが、女性議員達は、ワンピースにジャケットと、服装も簡素である。翻って、日本の国会議員の女性達は、妙にけばけばしいスーツ姿が目立つ。特に高市早苗総務大臣のけばけばしさが際立っているし、「放送法4条の発動も辞さない。」発言のおどろおどろしさや、自民等右派の寵愛を受けているという、「LGBTは生産性がない。」発言の杉田水脈議員が野次る姿の品のなさを目にする際にわいてくるのは、日本の国会が、イギリス議会との比較だけでも、グローバル水準からは、隔絶しているという実感である。むしろ、進化から取り残された、ガラパゴス諸島の生物みたいなグロテスクな政治家たちが、イグアナ風に睨みを聞かせて、我が物顔で跋扈している異様な空間、と形容したい。グローバル人材の育成を唱えて、小学校の英語を教科化したのは文部科学省であるが、その文部科学省は、加計学園問題で国会であれだけ追及されて、果たして事態の本質の究明に協力したか、否である。因みに、今回、非開示理由として想定して、列挙した「企業の競争上の正当な地位を脅かす怖れがある」とか、「関係機関の意思決定の中立性を損なう怖れがある」とか「現在及び将来の行政の円滑な運営に支障をきたす怖れがある。」は、最近、報道された、愛媛県が、加計学園関連で今治市補助金を出した時の、開示請求に対する、「黒塗り忘れ」謝罪事件の後始末目的の部分開示の理由でもある。これは、今治市民ネットワーク共同代表の村上治氏の執念の開示請求が明るみに出した。ネット上で公開されてるので、ここに転載する。

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愛媛県は、文書開示請求者村上氏に対して最初は、全部開示通知を出していたので、これは、決して「黒塗り忘れ」などではない。だから、部分開示と部分開示理由は、事後処理目的のつじつま合わせである。前川喜平氏の言う通りであり、行政が今後に及んで、一般市民に対して歪められ続けている。行政がここまで私物化されているのである。それも無意識化で。それが、報道された、愛媛県地域政策課の謝罪時の言葉に表れている。「関係機関に迷惑をかけて申し訳ない。」の謝罪の弁は、補助金の原資を徴収されている、我々国民は、関係者ではないと言っているに等しい。そして、愛媛県職員は、そのことに気付いていない。四万十町企画課課長の「公表できるものはありません。」発言と同様の思考回路である。加計学園文部科学省も、森友学園の近畿財務局も首相官邸に迷惑をかけてはならない一心で動き、その忠誠心が、官僚組織の自己保存をも完結させたのだろう。その間、密かに脱ぎ捨てられ、放棄されたのが、「説明責任」とか「知る権利」と呼ばれる、ついぞ関係者にはなり得ない、我々不特定多数の国民のたゆまぬ努力によって支えられるしかない、民主主義を成立させるための、政治理念であり、政治倫理である。主権者は我々である。主権者には、知ろうとする意志と努力が求められるのではないか。今治市民ネットに感謝したい。彼らは私物化からは無縁である。

四万十町議会議員 西原真衣