呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(10)

 風車病とは何か(超低周波音に起因する健康被害

 今回は、風車病について書いてみたい。風車病とは便宜的通称で、風力発電設備立地地でのみ報告される、近隣住民の身体に表れる不定愁訴の事らしい。頭痛や不眠が典型的症状で、風車から同じ距離にある家に居住する夫婦でも、片方が症状に悩み、片方は、全く無症状であったりするので、医学的因果関係の特定が非常に困難を極めているという。けれども、風車を離れれば、症状が漏れなく消失するということが、疫学的には立証されているので、一義的に「住民の生命と財産を守る」責務のある行政には、ここの事実をまずは、率直に認めることが要請されていると思う。大藤風力発電事業の申請事業者オリックス社は、意見公募で提出された、複数の四万十町民からの風車病への懸念に対して、

「騒音及び超低周波音」については、「風力発電装置から発生する騒音に関する指針」(平成29年5月環境省)を踏まえ、祭祀の知見に基づいた調査、風力発電機からのパワーレベル等の情報を基にした定量的な予測及び評価を実施し、その結果を踏まえ、環境影響をできる可能な限り回避又は極力低減できるような配置を含め、保全措置を検討してまいります。なお、低周波音の健康被害については、最新の環境省発表資料に置きましては、風力発電健康被害との因果関係は確認されておりませんが、超低周波から受ける影響については、個人差があり、未解明な部分も多いことから、国内外における最新の事例や、可能な限り最新の知見を参考にしながら、調査・予測及び評価を実施いたします。

と回答している。

「可能な限りの国内外の知見の収集に基づく健康被害の低減、回避努力、保全措置を講じる」と、回答しているが、この、低減、回避、保全措置は、すべての環境影響評価図書に現れる定型的、免罪的言い回しであり、あくまで事業者の努力意図の表明であり、結果責任に係るものではない。環境省が公式に示す、「風力発電装置から発生する騒音に関する指針」を基本的ガイドラインとして遵守するのが、事業者としての最大限の措置である。また同時に、「なお、低周波音の健康被害については、最新の環境省発表資料に置きましては、風力発電健康被害との因果関係は確認されておりませんが」と医学的因果関係に基づく,事業者の対被害者補償上の免責を再確認した上で、「超低周波から受ける影響については、個人差があり、未解明な部分も多いことから」と留保し、「国内外における最新の事例や、可能な限り最新の知見を参考にしながら、調査・予測及び評価を実施いたします。」と環境省の基準以上の誠意ある対応を示唆して締め括っている。この最後の、調査、予測、評価の評価書が、大月町HPで周知されていた。以下がそれである。

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「なお、閲覧期間以外での閲覧も可能ですが、協議が必要となるため申請から閲覧まで日数をいただくことがあります。」を文字通り読めば、申請すれば、閲覧可能であり、閲覧時期は、協議で決定と解釈できる。ところが、その旨電話で確認したところ、「協議結果による、閲覧を保障できるものではない。」とのことであった。結局、事業者は見せたくないのだし、役所はそれを忖度せざるを得ないという事か。それであれば、実に曖昧な、玉虫色の表現である。影の主役は、やはり著作権である。知人によれば、一昨日発効したTPPの知的財産権を巡る関係諸国間の取り決め内容と、この環境影響票評価と図書に設定できる著作権は関係しているらしいが、それであれば、グローバルな事業展開を目論む企業の利益が、国土の保全や国民の健康被害に優先することになるという価値観を政府が、自ら選択しているという事でしかない。最低限、図書を事前、事後に自由に閲覧できてこそ、環境影響評価に関する知見が蓄積されるのである。本気で環境影響評価を実施することと、この著作権の設定、どう考えても両立しない。時の政府の浅はかな選択に、高知県や大月町はどう対応しているのだろうか。因みに、高知県環境共生課は、9月9日に開催された、オリックス社の大藤風力発電事業の方法書について審議する高知県環境評価技術審査会の会議録をまだ県HPに掲載していない。大月町まちづくり推進課は、長周新聞の健康被害の記事を持っているが、健康被害を直に町役場に申し出ている地域住民は、一人だけであり、その人とは協議を重ねているとの事である。高知県職員に、議事録はタイムリーでなければ情報価値を失うと指摘しても、ピンときているようには見えなかった。とりあえず、高知県環境共生課は、議事録作成を急ぐ、大月町は、環境省の騒音基準で、最終的には判断せざるを得ない、と締め括った。私としては、実にすっきりしない。そんな中で、北海道大学大学院工学研究院に籍を置く、松井利仁教授の論文(長周新聞、2017年7月28日掲載)に出会って、頭の靄が晴れた。この論文を一読すれば、環境省の言っていることが極めて非科学的であることが、私のような素人でも十二分に理解できる。一言で言えば風車病の原因は、騒音でなく振動であるという事である。だから騒音基準を持ち出しても、物差し自体が間違っているということである。裏を返せば、これは環境省の故ある作為である。それに唯々諾々と従えるほど、我々は情報リテラシーが低くない。侮るなかれ、である。とりあえず、風車病に半信半疑の人は、是非「風車騒音の健康影響 北海道大学大学院工学研究院教授 松井利仁」を検索してもらいたい。頭がすっきりすること間違いないので、お勧めする。法律はなべてすっきりと、分かり易く、納得できるものであらまほしいが、通常その真逆である。けれども、所詮人間が作ったものである限り、ありとあらゆるシステムには、バグがある。バグにはパッチが当てられる。そうやってシステムが進化するように法律も進化し得る。法とは言語システムである。勿論、退化もし得る。人間が作ったものである以上,これは免れない。だから、法の合理性と合目的性は、運用の場において、常に検証され続けなくてはならないと思う。でなければ、我々は徐々に、法の正当性の名に置いて、管理され、統制され、支配され、自由と自律を失い続けるに違いないと直感するからだ。法は、政治家と官僚と、それらにぶら下がった財界の私物ではない。改めて、思い起こすべき、国民主権とは、それではないか。

四万十町議会議員  西原真衣