呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(23)

      風力発電町有地賃貸証明書

 

15日の四万十町議会全員協会には、風力発電町有地賃貸証明書をオリックス社に提出することが、町にとってどういう意味があるかの再説明が行われた。

中尾町長

「町の最終意思ではない。固定価格買い取り認定申請のために必要な書類であり、オリックス社からの依頼に基づいて発行しようとしている。地権者は全て、同一の依頼を受けている。固定価格認定が取れなかったり、送電線への受け入れ(四国電力との買い取り契約締結)ができなかったり、諸々の許認可が下りなかった場合には、町有地の賃貸、譲渡の義務は負わない。」

堀本伸一議員
「これから町政懇談会等で賛成派意見が出てくると予想する。賃貸証明書の提出が町の最終意思でないという事を議会としても共有し、町民に対して説明しなくてはいけない。」

武田秀義議員

オリックスが実施するヤイロ鳥への環境影響評価を鵜呑みにするのは問題だ。町独自調査をするべきだ。」

橋本章央議員
「ダムの放流による四万十川の汚濁調査の時も、地元の人間は検討委員会からは排除されていた。うがった見方ではあるが。」
中尾町長

「その都度町独自調査を実施して議会に報告する。予算付けも必要である。その時は議会に相談する。議会内部では賛成派、反対派がまだ、未確定と聞く。ずるずるやる考えはない。回避する時は回避する。ただ町には許認可権はないし、意見を述べることができるだけである。」

堀本伸一議員

「町の独自調査と言うのは、中々困難なのではないか。

村井真菜議員

「小さな事業者が受ける経済的恩恵もとても大事だと思う。賛成意見も聞いてみたい。オリックス社がどのくらい地元事業者に工事できるのか、蓋を開けたら地元には発注がなかったなどと言う事はないのか。又町民には、この事業計画が知られていない。町政懇談会で、大藤浮力発電事業経過計画についての説明はあるのか。又固定資産税の増収がメリットと言うが交付税がその分減らされないか。」

中尾町長

「町政懇談会では時間が取れないが、聞かれたら答える。固定資産税の増収の3/4が交付税から減額される。」

林健三議員

「保安林が解除され、コンクリートが打たれると聞くが、コンクリートを打つ面積は分かるのか。」

下元昇議長

全部で70haに絞りこむという事か。」

古谷幹夫議員

「早急に、風車の設置面積と基数を知らせて欲しい、お願いする。」

中尾町長

「分かり次第報告する。」

残りの議員は一言も発言しなかった。中屋康議員、吉村アツ子議員、水間淳一議員、槙野章議員(姿を見せた)、味元和義議員、酒井祥成議員、緒方正綱議員である。田辺哲夫議員は欠席であった。

注釈すれば、「分かり次第報告する」とは、オリックスが実施設計書を作成する風況調査後の2年後である(中井四万十川対策室長談)、古谷幹夫委員長は、大藤風力発電事業の中止を求める請願を付託されて審査中の総務常任委員会委員長である。しかし、早急と言いながら、分かれば、とかお願いする、とか付け加えるので、行政側にとって圧力にはならない。この委員長は、真っ向から審査し、行政に圧力をかける気が、端からないのだ。オリックス社が作成する実施設計書に著作権が設定されないことは考えられないので、議会側は行政から絞り込んで差し出される最低限の情報のおこぼれに、せいぜい2年後に、預かる事しかできないだろう。勿論、絞り込みは中尾町長の利権の確保(反対運動を封じ込め、オリックス発注工事利権を中尾町長の利権とリンクさせる事)が目的であり、それを知り抜いているオリックス社と中尾町長と下元昇議長が脈を通じていることが行間から匂い立ってくる。質疑の何に答えて、何に答えないか、で凡そ判別できる。個別的には、一般町民感覚に近い素朴な質疑が出たのは、新人の村井真菜議員であるとは思ったが、中止を求める請願の紹介議員である割には、八方美人的甘言に走る傾向も見える。総じて論点が分散しているので、インパクトが弱く、結果的に回答を引き出せていない。この全員協議会、全体として見れば、余りにも知らないことが多過ぎる昼行燈状態の議会としか、正直、私には見えないが、それでも、60歳代半ばを過ぎて選挙に出て、行政利権のおこぼれに預かることに余念がない、町議会議員の先生方である。発言者の発言内容から、それぞれの支持基盤と生業に対する関心が匂って来る程度には、覚醒しているのである。例えば、橋本章央議員は、西部淡水漁協の理事であるので、四万十川の汚濁は、淡水漁協の利害に結びつく、が同時に地元土建業者への目配りも欠かせないので、「うがった見方」と言葉を濁している。この橋本章央議員は、典型的な日和見主義者である。林健三議員の本業は、林林業という林業家である。保安林の伐採とコンクリ付設面積は直に自身の生業と地元生コンの資材、業務発注量に結びつく。この人位、徹頭徹尾形而下的な人物で、分かり易い人物もいない。笑ってしまう。単細胞もここまでくると愛嬌ものである。堀本伸一議員は、相変わらず、「議会としては」を連発する。「議会としての意志統一や言動」を議員向けに要請すると同時に、執行部の体面を下支えする発言「町独自調査は極めて困難」も忘れない。この人物にとって、議会とは、自己の策略で運営するものなのだ。下元昇議長発言には、議論を引っ張っていく起動力は感じられない。緒方正綱副議長に至っては、発言もなければ存在感も全くない。下元議長はオリックスと脈を通じている感があるとは書いたが、省エネモードで議長という生業を続行することが、自己目的と化している感もある。だから万時受け身であり、右往左往しながら何も決められない。第一受ける印象が、非常に疲弊している。ここが、実年齢は近くとも、国会議員の先生方とのエネルギー水準の差である。今の日本の人口構成と、社会保障費の増大を背景に、安倍晋三首相は、「勤労意欲のある高齢者が増えている」と言い変えているが、実態は、「働かざるを得ない」高齢者が増えているのだ。議会という業界にも、高齢化の波は押し寄せている。引退しないのだ。この男性高齢者集団の中にあって、おっと、吉村アツ子議員を忘れていた。この人は、全く発言しないので、私の意識の中で忘れ去られている。中にあって、に戻って、32歳の女性議員である村井真菜議員は、高齢者男性を立てることも忘れていない。9月定例会の一般質問冒頭で、「議員になって8か月、矢面に立つことの大変さを痛感しています。町長、副町長の御苦労がしのばれます。けれども、町を歩けば多くの町民の方から声をかけていただけるので、本当に暖かい町だなと感じています。」と挨拶したことからも、その気配りが感じられた。人口が少ない世代の人間は大変だな、上の世代にこれほどの気配りがいるのか、と感じながら、この挨拶を傍聴席で聞いた。同じ少数派の女性議員でも、御年70歳の吉村アツ子議員は、相当モードが違う。吉村アツコ議員は、会議中は寡黙だが、休憩時間時や視察研修時は、決して寡黙ではなかった。休憩時間には、「今朝家を出てきたら、議会に行ったら、寝れるきえいのうと、近所の人に言われた。」などと言って屈託なく他の男性議員と談笑したり、又視察や研修時には、他の男性議員を「真之君(下元真之議員)」とか「秀君(武田秀義議員」とか読んだり、昼食時には「健ちゃん(林健三議員)これ食べる」とか自分の食材を取り分けたりしていたので、いささか気色が悪かったことを覚えている。「気配り」と「お母さん」を実践するのはTPOを問わず、この国では最強の女の処世術なので、議会で臆面なくそれを展開されると、私としては、いささか閉口感があったのである。吉村アツ子議員で言えば、今年2月の改選時、立候補の届け時に、隣の席に座った人が、吉村アツ子候補の代理人であったので、滅多にないこの機会に、と思い、私は、この代理人に対して、「吉村アツ子議員とは、5年間議会で一緒でした。かねてから是非一度、公明党の方に聞きたいと思っていたことがあります。吉村アツ子議員は、なぜ「定期的」一般質問以外に、質疑が一切ないのですか。それを公明党の方は,そもそもご存知なのですか。」と直截に聞いてみた。公明党代理人は、あからさまに憮然とした表情を浮かべ、何も答えず、そそくさと去って行った。「それじゃだめじゃん。」と私は思った。公明党って「それじゃだめじゃん。」私は知っているのだ。昔、田辺哲夫議員の選挙資金収支報告書未提出の報道の件で、全現職議員の選挙資金収支報告書を閲覧したことがある。吉村アツ子議員の選挙資金は全額公明党持ちなのである。だったらやっぱり、どう考えても、吉村議員に票を投じている四万十町創価学会員だけでなく、れっきとした政党である公明党には、共産党と違って、政党交付金と言いう多額の税金が拠出されている訳でもあり、より一層の製造者製造物責任を問われるのは、当然の事ではないか。

 ところで、選挙資金収支報告と政治資金とは密接に絡んでいる。昨夜のこと、我が家に、電話がかかってきた。「高知県知事の尾崎正直です。録音で大変失礼いたします。ご不要の際は、電話をお切り下さい。今回の高知県知事選には浜田せいじ、浜田せいじの応援をよろしくお願いいたします。」という内容の電話である。いきなり、「高知県知事の尾崎正直です。」から始まる辺り、尾崎正直氏の自信満々のほどが伺える。私はかって、租税回避を暴いたパナマ文書に日本の政治家の名前がなかった理由を、「日本は国内に租税回避があるからだ。それが、政治資金管理団体である。」であるということを、高知大学人文学部の塩原俊彦教授から教えてもらった。この人の、「政治と民意の分断はなぜ起きたか」は名著である。塩原教授によれば、安倍晋太郎は息子晋三の政治資金管理団体に5億円を寄付することで、相続税を合法的に逃れた。又、民間税調の代表者、青山学院大学学長の三木義一氏の著書「税のタブー」によれば、小淵恵三氏の長女小淵裕子衆議院議員も、又父親から同様に2億5千万円の莫大な政治資金を寄付され、やはり相続税を回避している。政治資金規正法という法律はあるにはあるが、おそらくザル法であろう。この杜撰さからして、そうとしか思えない。だから「高知県知事の尾崎正直です。」で始まる現職政治家の選挙運動の原資が妙に気になったのである。ここに絡む金銭の動きは、表向きは、浜田せいじ候補の選挙資金収支報告記載事項であるが、尾崎正直政治資金収支報告書自民党本部、支部の寄付金の出し入れを丹念に追わなくては到底、詳細と実態は分からない。おまけに現職だから、他人の選挙資金で、自分の選挙ができなくもない。それにしても、街頭でもなし、尾崎知事の自信満々振りが,さすがに鼻についた。「言葉遣いは低姿勢、思想は官尊民卑」を隠し切れていない、というのが私の感想である。官尊民卑と言えば、人材育成センターのビジネスプランコンテストの打ち上げの懇親会で、代表審査員である高知大学地域共同学部の須藤順教授と話した時に、須藤教授も「高知県人には、東大信仰がある。とにかく東大に弱い。」と漏らしていた。前述の塩原俊彦高知大教授は、数年前「21世紀竜馬会」と銘打って、「竜馬は単独者である」という切口の現代日本政治論の講義を高知市知寄町テラスで数回開催した。私はと言えば、「政治と民意の断絶はなぜ起きたか」を読んで、当時の議会での私の内なる民意と四万十町議会の対応との断絶に悶絶していたので、塩原教授を研究室に訪ね、知己を得てその講座に誘われて、何度かその講座に通ったという経緯があったのである。塩原教授曰く「単独者である」坂本龍馬高知県知事県知事尾崎正直は、高知県産業振興計画総合支援事業フォローアップ委員会の席で、「高知歴史博物館」に言及して、「坂本龍馬を権威ある姿で見せる。」と発言している。私は、高知県産業振興総合支援事業を調査していたので、議事録を読んでいて偶々発見したのであるが、この二人の坂本龍馬観の違いは、実に顕著である。私は個人的には、塩原教授の坂本龍馬観に組みするが、高知県人が極端に東大に弱いのは、辺境の地であり、県民所得や学力レベルが全国的に低位にある事も関係しているのだろう。つまり、根底にあるのは、劣等感である。坂本龍馬に対する塩原発言と尾崎発言の違いから、私が感じたことは、偏差値の高さと教養は別物であるという事である。「坂本龍馬は単独者である。」は、「坂本龍馬を権威ある姿で見せる」より、遥かに分かりにくいかもしれない。ただ間違いなく言えることは、浜田せいじ氏が高知県知事に、尾崎正直氏が衆議院議員になった暁には、両者は決して、政治家として単独者であろうとはしないだろう、という事である。つまり選挙資金収支報告と政治資金収支報告書の出入を自明のものとして振舞うだろうという事である。尾崎氏は、東京大学経済学部卒の元財務官僚であり、浜田氏も東京大学法学部卒の元総務官僚である。私が学生の時に読んだマックスウエーバーの名著「官僚制」には、こう記されていた。「官僚制は増殖する。自己保存のために。」これこそ官僚制の本質である。私が、議員歴5年をかけて躍起になってやった政務調査結果とも完璧に合致する。私は自分なりに、自分のやり方で確かめたのだ。だから、官僚制を、それを運用する官僚達と共に「何か優秀で高等なもの」と勘違してはならない、という自戒の念を持っている。官僚制の本質は、マックスウエーバーの言う通り、「官僚制は増殖する。自己保存のために。」なのである。まあ、自民党にそっくりとも言えるが。発展的解散がないのが、彼らの本質である。志向性がないからだ。「自己保存測」に従っているものには、進化や発展は、本質的に無縁である。

四万十町議会議員 西原真衣