呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(76)

 スターパイロットの三浦さんの講演を聞きに行った

 昨日スターパイロットの三浦さんの講演を聞いた。後半半分だけであったが。案内パンフレットにはこう書かれている。

    子どもに絵本や読書の橋を架ける連講座第3回

     今はまだない世界を見つけるために

このタイトルを見てすっかり行く気がが失せていた私であったが、偵察目的で重い腰を上げた。案の上であった土曜日の午後2時~4時という時間帯ながら、関係者しか来ていない。生涯学習課職員と図書館職員及び子供のお話会メンバーである。検討委員会の公募委員の二人と知人の武吉夫婦と私位が関係者以外の聴衆であった。子供の読書は、「自分の住んでいる町を面白がり、誇ることができるようになることから始まる」そのためには町の大人が黒子に徹して、周辺を巻き込んで面白い出来事を創作していく必要がある。大人が町を否定しちゃだめだ、子供は町を誇れなくなる。未来の子供を創ることは町の未来を創る事である」というような趣旨の講演だった。この人は確か、公開でやったプロポーザルの時にも、「町にいるお姉さんやお兄さんと子供たちが自然に交流できる仕掛」とか「窪川、十和、大正の町の歴史それぞれの暮らしの記憶のアーカイブを、町の子供たちの共有知にしていく試み」とか何とかそのようなことを言っていて、その内容が審査員に受けて?、実施設計と基本設計の事業者として最高得点で選ばれたという経緯がある。けれども けれども私には、妙にひっかっかるところがあったのである。審査員構成が元瀬戸内市民図書館館長(教育委員会と議会教育民生委員会の視察先図書館)、検討委員会座長の高知大学地域共同学部教授の内田純一先生、森武士副復町長、川上哲夫教育長、という面々であり、このプロポーザル自体が複合文化施設総合アドバイザーARG(岡本真)によるものであり、更に、スターパイロットのヒアリング先が、森林組合の林伸一工場長(四万十町議会議員林健三子息)や、居酒屋さくらというものであり、プレゼン席には、美馬旅館木のホテルの設計をした無垢設計(高知市)が同席していたのである、おまけに、

森武士副町長:本当に1650万円でいいんですね。

スターパイロット:そんなこと言っちゃっていいんですか。

等という一幕もあったのである。明らかに事前に話が出来過ぎている。「公開プロポーザル」と称してはいるが、実態は、ARGとすでに内定していたスターパイロットの町民向けお披目、宣伝ショーであった可能性が高い。現職は公費で選挙ができるとよく言われるが、生涯学習課は、公費でコンサルタントの商売に協賛し、中尾博憲記念館となる新図書館構想を黙々と沈痛な表情で石積みしているのじゃないかという印章を受ける。彼らの鈍感さと従属意識が何だか職権乱用的な様相でこれでもかこれでもかと恥知らずににこちらに雪崩落ちてくる感触である。しっくりこないのは勿論だが、何だかこちらがカモにされているような不快な感じが始終付きまとう。私は、何としても、この不快感の正体を突き止めたい。

三浦氏の講演終了後、図書館司書である女性職員が、「長い時間をかけて、さらに長い自分達のこれからの物語についてのお話をしていただきました。本当にありがとうございました。」と謝辞を述べた。

分達の物語を東京から来たコンサルタントに、じっくり時間をかけて上手に読み聞かせてもらって、本当にありがとうございました(うっとりしました、三浦さん素敵!!)」という訳である。一見何気ないけれども、事前に協議、調整されたとしか思えないこの謝辞であるが、四万十町教育委員会は、小中学校の卒業式にも学校教育課の職員が用意した一律の祝辞を教育委員に読み上げさせているような教育委員会である。このくらいは朝飯前であろう。この教育委員会主催の連続講座「未来の子供と未来の街づくり」はどのような内容であったのか。

三浦氏はスライドを駆使して、「未来の子供と未来の街づくり」の実践事例の幾つかを紹介した。

事例1.東京の木場にあるプレスクールの屋上にイギリス式のオーソドックスな劇場の完璧な1/4縮小版を作り、こそこでプレスクールの子供たちの演劇を上映する。するとママたちが最前列に陣取り自分の子供を撮影し興奮のるつぼと化す。その上映を見たママたちの口コミでプレスクールの応募者が数倍に増えるというシナジー効果がもたらされた。

事例2.プレスクール内にママたち用のカフェがある。まずこのカフェを日本で一番英語の絵本もあるカフェと触れ込み、さらにプレスクールにいる外国人教員たちに数時間残業してもらっこのカフェで働いてもらう。プレスクールのお迎え時のママがこのカフェで子供を待っている時や子供と一緒にいる時に外国人教師に英語でママや子供に話しかけてもらう。生の英会話ができるカフェという事で差別化でき、これもママたちの口コミでプレスクールの応募者増につながった。

事例3.同じく東京木場に親子カフェを創る。全国の親子カフェは通常2、3年でことごとくつぶれている。理由は明解で、回転率が悪過ぎるからである。コーヒー一杯で一日居られれば、経営が成り立たない。そこでオーガニックなランチを出す、単価は、いくらだと思いますか(ランチを画面いっぱいに見せる)、2500円です。これでもぎりぎりで月によっては赤字というのが現状だが、この施設周辺への集客には成功している。

1,2,3の事例は全て、独自性の演出によって差別化し、なおかつ滞留時間を計算に入れた経費を賄うために必要な収益から逆算した客単価を設定するという経営の基本であって、それをわざわざ東京から来たコンサルタントに今さら教えてもらう必要などないと思うのだが。自分は単なる建物の建築家ではなく、経営や運営に関わる総合的なプロデューサーであると三浦氏は喧伝しているのだろうが、そもそものアイデイアが、本当に斬新なんだろうか。第一私は聞いていても、ちっともワクワクしないのである。一切合切が、ネットに溢れかえっている、どっかで聞いたような話でしかない。ところが、ところが、である。(講演開始時に、「質問はスマホ画面で受け付けますので、事前にこのアプリをダウンロードして下さいというような」指示があったらしい。)スマホ画面で読み取った質問に三浦氏が答える最後の場面で、

「 三浦さんが演出した島根県のイベントに関わった女子高校生やママたちにはどのような声掛けをしたのか。また補助金をどっかから取って来たのか。」

三浦さんのヒーローって。どんな人ですか。」

が読み上げられたのである。同じ会場にいて肉声でやり取りしないって、実に病的である。デジタル化によってフィルタリングされた肉声は、演者である東京から来た新進気鋭の建築家のようなものが孕むイメージを増幅もさせず減衰もさせず、会場内に浮揚しさせた挙句、妙な空虚感だけを残して跡形のもなく消滅した。

「一体ここにいる人達は何をしようとしているのだろうか。」

「一体ここにいる人達は何をしたいのだろうか。」

この会場の光景をドキュメンタリーフィルムに収めて、外から上のようなキャプションを付けて、コメントを募ってみたいと、私はふと思ったのである。

ここにいる人達の大半を占めていた図書館関係者の女性達(男性は、林生涯学習課課長のみ)は、実はこのような機会には、このように従順で大人しくひたすら協賛に徹している。ところが、別の機会には妙なコンピタンス(機動性、能動性)を自らが発揮するのである。それも、究めて主体的に。この奇妙さは私にとって注目に値する。なぜならそこに、彼女たちの内なるジェンダーの発露の独自の文脈が立ち現れるように感じるからだ。この部分こそが、地元カルチャーの真髄ではないか。

コンサルタントにはかくまで従順で協賛的な彼女たちの一部は、ある時は全く異なる顔を私に見せてきた。議員の時に図書館内に美術館が有るので、そこだけ入場料200円が発生する。私はそれが長年じゃま臭くて仕方がなかった。他の来館者がそれをどのように受け取っているかをリサーチする目的で、図書館カウンターで「入館料に対する来館者の反応を教えて欲しい。議会質問に繋げたい。」と切り出したことがある。当時は、既に複合文化施設構想が持ち上がっていた。こちらの意を十二分に酌めなかったのか、「65歳以上は無料ですから」などとトンチンカンな対応の挙句、後からその女性職員は、自分の意志で、「西原さんにこのような事を聞かれました。 議会で質問すると言っています。」と林課長に報告したのである。直近にも,コンサルタントARG(Academic Resourece Guide)が発刊しているLRG(LibraryResourse Guide)という季刊誌を2019年(コンサル導入時)から町立図書館が定期購入していることを知って、2冊借り出し、図書館長、教育長、町長に現物を見せて、彼らが読んだかどうかをチェックしようと思い立った。コンサル導入定期購入のきっかけであれば、生涯学習課の担当者たちがこのコだけではなくンサル刊行物を業務上、組織的に用いたか否かを聞く必要があると思ったのである。選書という図書館運営上の基幹部分とこの複合文化施設構想におけるコンサル導入の接合点でもあり、コンサルタント教育委員会のインターフェースの様相がここに表出しているはずだと予感したからでもある。案の定であった。コンサル導入側の町側は、誰も読んでいない。教育長だけが外出中で、学校教育課の女性職員(過去に図書館臨時職員歴がある)に教育長の予定を聞いた挙句、「図書館から借りた本で、明日取りに来るので、教育長に見せて、読んでるかどうかを確認してもらいたい。」と依頼した。彼女は、「また貸しになる」と懸念を示しつつも、ひとまず受け取って依頼に応じたように見えた。ところが、事後、私に無断で図書館に電話し、「西原さんが図書館で借りた本を学校教育課で預かっている。」と自分の意志で報告したのである。「また貸しが気になって」と後から電話して聞けば、報告した理由を「西原さんの責任問題になりますから、念のため。」などと説明した。電話を受けた副館長の女性も「報告として受け取った。彼女は、心配してた。彼女は悪気がなかったと思う。」と応答した。つまるところ私は報告を受けただけ、と言いたいらしい。ここで言及した、教育委員会所属の3名の女性職員は、一人は三浦氏講演で謝辞を述べ、一人はシンポジュームで司会役を割り振られ、そして最後の一人は、図書館に常駐する副館長である。副館長は刊行物の存在さえ知らなかった。因みに選書会で購入決定したか否かは覚えていないそうである(司書の女性職員)。季刊誌とは言え、一冊2500円である公費で購入しながら、彼らはなべて、その意図も周知も活用も極めて不明瞭で、何一つ満足に町民に説明できないのである。新しい図書館もそうなることは目に見えている。コンサルタントは本来、公立図書館のこのような運営実態をコンサルテイング(指導、改善)すべきではないだろうか。それが彼らの本来の職業的良心のありかではないだろうか。不可能を承知で言っている。そのような動機付けは決して働かない。なぜなら金銭が動かないからである。結論的には、コンサルタント等いらないのである。役所が雇ったコンサルごときに「住民自治」だの「財政民主主義」だの、「自主財源比率」だの毛頭言われたくない。教育委員会の職員をコンサルテイングしつつ、日々目に見えない図書館を作り上げているのは、町に在住し、図書館に関心を寄せる町民なのだ。

西原真衣