呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(72)

       被告準備書面から学術会議を見れば

学術会議の任命を巡って、国会の閉会中審議が中継されている。「学問の自由」というのがこれほど表に出てきたことは昨今記憶にないし、この事件をきっかけに「学問の自由」について自分ながらに考えてみた。今まで特に意識したこともない「学問の自由」である。まずこれは、日本国憲法 第28条 学問の自由は、これを保障する

が根幹にあることは誰も否定できない。自由とは何か。そして保障するのは誰かと基本的なことを考えてみた。保障するのは、国家である。自由とは、自らを由(理由)とするということだろう。婚姻の自由や職業選択の自由や移動の自由、集会の自由や表現の自由も全て「自由」は、「自ずから決定する」という意味を付与されていることは明らかである従って自由とは学問をする側固有の自由である。その意味では、本来は個々の国民固有の学問の自由である。国家が個々の国民に学問の自由を保障するという事である。今回が学術会議という政府機関の会員任命を巡る、「学問の自由」問題提起であるからには、まず憲法で保障されている学者個々の学問の自由から出発して、政府機関として設置されている学術会議の存立根拠をまず確認する必要がある。政府機関として設置されているからには、学術会議の会員は、政府答弁でも引用された、憲法15条に規定される公務員と言えるのだろうか。ここも要確認である。まず憲法15条では、

〔公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障及び投票秘密の保障〕

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。

     選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

と書かれていることからして、一般職の公務員と特別職の公務員が該当する。自治体首長及び議会議員は特別職の公務員である。国会議員も特別職の公務員である。では学術会議の会員は国民固有の権利として任命罷免の対象となる公務員と言えるのだろうか。

以下学術会議法には、

第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を日本学術会議法と称する。
日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。

と規定されているだけである。おまけに、

第三条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。

と規定されているここでの「独立」が政府からの独立であることに異論はないだろう。この「独立」を具現化する上で、国家行政組織法を参照しなければならないらしい。国家行政組織法8条には、以下の規定がある。

(審議会等)
第八条 第三条の国の行政機関には、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律又は政令の定めるところにより、重要事項に関する調査審議、不服審査その他学識経験を有する者等の合議により処理することが適当な事務をつかさどらせるための合議制の機関を置くことができる。
(施設等機関)
第八条の二 第三条の国の行政機関には、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律又は政令の定めるところにより、試験研究機関、検査検定機関、文教研修施設(これらに類する機関及び施設を含む。)、医療更生施設、矯正収容施設及び作業施設を置くことができる。
(特別の機関)
第八条の三 第三条の国の行政機関には、特に必要がある場合においては、前二条に規定するもののほか、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律の定めるところにより、特別の機関を置くことができる。
この8条を一瞥すれば、日本学術会議が、8条の3に該当する合議体の審議会ではなく、特別の機関であることが分かる。事実つまり行政府の諮問に応じて答申を出す審議会委員の任命とは異なり、選任段階で政府の意向が反映されることが位置付的に許容されている機関とは異なるということになる。日本学術会議法にも以下のように明記されている。
第七条 附則第一条第二号に掲げる規定の施行の際、総務省本省に国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第八条の三の特別の機関として置かれている日本学術会議及びその会長、会員その他の職員は、内閣府本府に内閣府設置法第四十条の特別の機関として置かれる日本学術会議及びその相当の職員となり、同一性をもって存続するものとする。
 学術会議法に基づけば、憲法28条に基づき国家によって保障された(国家の介入を受けない)学問の自由の下で、学術会議会員の選考委員会の推薦によって選任された
名簿の形式的任命(任命拒否の排除)が、法律の改正時の解釈であると、国会審議で示されている。以下は、共産党の田村智子議員の質問内容からの抜粋である。
 
「1983年11月24日の参院文教委員会で丹羽兵助理府総務長官は「形だけの推薦制であって、学会のほうから推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」と答弁していた。」
 
これは、昭和58年の学術会議法の改正時、中曽根康弘政権時の事のようである。改正のポイントは、学術会議の会員の選を学者間の選挙制から推薦制へ改正したということである。であれば当然推薦と任命に係る改正時の解釈には、今に至るまでの継続性が当然求められる。ところが今回国家、言い換えれば時の政府が隠然と標的を絞り込んで部分的に任命拒否したのである。だからこれは、「学問の自由とは関係ない」とは決して言えない。その行政権の行使は、憲法に淵源を持ち、学術会議法に具現化された「学問の自由」を簒奪することに他ならない。更にこの機に及んで、憲法15条を持ち出して、政府行為を正当化している。「公務員の任命権、罷免権は国民固有の権利である」の国民固有の部分の解釈が、完璧に抜け落ちているのではないだろうか。菅首相がもし、「学術会議は国庫負担で運営されているので、即ち会員は公務員であり、選挙で選出された国会議員の中から指名された首相である自分が国民固有の権利を行使できない訳がない。」と本気で思っているとしたら、これはかなり空恐ろしいことである。なぜならこの論法は、私が体験した高知県西部の僅か人口17000人の一次産業の町四万十町議会を当時牛耳っていた面々と同一の論法であるからである。これを一般に理解してもうには、まず「議員全員協議会」という会合の位置付を知る必要がある。この会合にはどのような法的根拠があるのか。まず
地方自治法100条12項には

 議会は、会議規則の定めるところにより、議案の審査又は議会の運営に関し協議又は調整を行うための場を設けることができる、とある。これを受けて

四万十町議会会議規則

(協議等の場)

第128条 法第100条第12項の規定による議案の審査又は議会の運営に関し協議又は調整を行うための場(以下「協議等の場」という。)を別表のとおり定める。

2前項に定めるもののほか、協議等の場を臨時に設けようとするときは、議会の議決でこれを決定する。

③前句の規定により、協議等の場を設けるに当たっては、名称、目的、構成員、招集権者及び期間を明らかにしなければならない。

以上のように規定されている全員協議会という場で、実に不埒なことが発言された経緯がある。休憩時間であったので、議事録には残っていない。発言内容は以下である。
 
ある傍聴者:ここでそんなこと勝手に決めていいんですか。
橋本保議長:話にならん。我々は町民から選ばれた立場だ。だから我々がここで決めたことは、町民が決めたことと同じだ。
堀本伸一議員:話にならん。当たり前の事だ。
当時の議長橋本保議員と堀本伸一議員によって展開されたこの屁理屈は菅首相の答弁、
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
故に、国民から選ばれた国会議員からなる政府は国民固有の権利を代行できると同一のものである。この粗雑な認識が孕む危険性とは、全員協議会という単なる協議の場で 議員全員を縛る申し合わせ、不文律が形成されていくという事であり、主権を付託している選挙民からはそれが見えないという事である。菅政権がやっていることはこれである。見えたら困るので見せない、つまり答えないのである。「答えないとは答えれないからであり、答えれないことをやることに自分達だけの意義がある」という事が、橋本保議員、堀本伸一議員発言から如実に分かる。つまり菅政権は四万十町議会と同レベルであると言う事であり、全く持って信じがたいほどに低劣である。いったん選挙で選ばれたからには議会内部で異論が出なければ、勝手に何をしてもかまわない、ということを四万十町議会の面々同様、公然と言っているのである。これが実に空恐ろしい。これは、本質的に議会の私物化そのものである。私物化の果てに議員報酬が一挙に4500円引き上げられたという事を四万十町民は看過できるのであろうか。しかし彼らは再選された。
この陳腐さが、全体主義を醸成させる土壌であるとしたのが、ナチスアイヒマン裁判を全て傍証して「全体主義の起源」を書いたハンナ・アーレントの説であるらしい。
 私は傍聴者ではなく、全員協議会の構成員としてそこに居たので、この出来事が今回想起されたのである。更に興味深い出来事がある。議員報酬引き上げを巡る裁判の被告は四万十町中尾博憲である。今回私が想起した当時の議会が中尾町長に要望書を出して、町長提案で議員報酬引き上げ議案を上程してもらったことは周知の事実である。反対討論に立った議会運営委員会の委員である、中屋康、武田秀義、下元真之、岩井優ノ介の4名に、全員協議会後に「厳重注意文」が手渡された。原告側の谷脇弁護士は、この議会の所作が議会基本条例23条2項の潜脱の証拠と主張している。因みに潜脱とは、望む結果(議員報酬引き上げ)を得る目的で、法律(条例)の規定を意図的に迂回する事を意味する。
議会基本条例23条とは、

(議員報酬)

第23条 議員報酬は、そのあり方を含め、その額が議員の職務及び職責に見合うよう適時に見直しするため、特別職報酬等審議会条例(平成18年四万十町条例第36号)に定める審議会の意見を参考にするものとする。

2 議員又は委員会が議員報酬の条例改正を提案する場合は、専門的知見並びに参考人制度及び公聴会制度を十分に活用し、明確な改正理由を付して提案するものとする。

2項の議員提案であれば、専門的知見並びに参考人制度及び公聴会制度を十分に活用し、明確な改正理由を付して提案」しなければならなくなってくるために、これを潜脱するために、首長に要望を出して、1項の報酬改正手続きに持ち込み、本会議で賛成するよう」議会内部で仕向けたと主張しているのである。その証拠として、

1反対討論者を「厳重注意」した

議員定数を削減しその後に首長提案で議員報酬を引き上げた議会を3箇所意図的に絞り込んで視察に行った。

挙証事実として挙げている。この原告準部書面に対して被告側の町顧問弁護士行田博文弁護士は、以下のように反論している。被告準備書面(2)を公開する。

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視察先選択の理由が、檮原町議会が、報酬報酬改正が議会提案となっているが、これは事実に反する。私は直に檮原町議会事務局に問い合わせていたので知っているのだ。これを長谷部議会事務局長に指摘したら、大慌てで友永書記に檮原町議会事務局に電話で問い合わせて、総務課を通じて行田弁護士に通報したという経緯がある。つまり、町側は、議会事務局を通じて偽の情報を受け取って弁護士に返していたということになる。これは完璧な事実の偽造である。次に「厳重注意が全員協議会の決定に基づき、厳重注意については、条例や規則にはない」と公然と書いている。厳重注意については、まず、前述したように地方自治法と会議規則に照らし合わせて、全員協議会は意思決定の場ではないという基本の脱落がある。「厳重注意」とは懲罰の一種であり、本来本会議の場で議決を経て、懲罰は決定される。会議公開の原則と議会の自律性に照らし合わせて、全員協議会の決定で懲罰が下されることは、本質的に違法である。

地方自治法

第十節 懲罰
第百三十四条 普通地方公共団体の議会は、この法律並びに会議規則及び委員会に関する条例に違反した議員に対し、議決により懲罰を科することができる。
○2 懲罰に関し必要な事項は、会議規則中にこれを定めなければならない。
第百三十五条 懲罰は、左の通りとする。
一 公開の議場における戒告
二 公開の議場における陳謝
三 一定期間の出席停止
四 除名
○2 懲罰の動議を議題とするに当つては、議員の定数の八分の一以上の者の発議によらなければならない。
○3 第一項第四号の除名については、当該普通地方公共団体の議会の議員の三分の二以上の者が出席し、その四分の三以上の者の同意がなければならない。
第百三十六条 普通地方公共団体の議会は、除名された議員で再び当選した議員を拒むことができない。
第百三十七条 普通地方公共団体の議会の議員が正当な理由がなくて招集に応じないため、又は正当な理由がなくて会議に欠席したため、議長が、特に招状を発しても、なお故なく出席しない者は、議長において、議会の議決を経て、これに懲罰を科することができる。
以上懲罰が議決によらなくてはならないことが、明記されている。そして全員協議会とは議決を取る場ではないのである。町の顧問弁護士、行田氏はどうしてここまでいい加減な準備書面を用意できるのだろうか。
   町側弁護士は、やる気がないのであろうか
この裁判は、監査請求を経た住民訴訟であり、訴えの相手、被告は行政トップである。原告は裁判費用を自己負担し、被告側は全部公費で賄うのである。町側の弁護士からすれば、勝っても負けても、弁護士報酬は公費から受領できる。勝てば、増額になる可能性もある。結局やる気も起きないと言う事か。それであれば、この機会に行田弁護士の仕事ぶりについて、自分の経験という視点からの評価を試みたい。学術会議の推薦者の6名拒否について、政府側は、「任命しなければならないとも、任命拒否できないとも書いていない。」と答弁したらしいが、行田弁護士も被告準備書面上で、「厳重注意に係る条例、規定はない」と書いている。「書かれている」ことの額面だけで法の趣旨を推し量るのか。実に苦し紛れである。制定時の趣旨と想定こそが、法の制定目的であり、法益であろうに。この行田弁護士は、私が「西原真衣議会報告」を町立図書館の一角に議会共有スペースを設置して置かせてもらいたいと川上哲夫教育長と辻本明文生涯学習課課長に要望した時も、彼らの相談を受けて「公の施設の貸付け、譲渡に当たるので、条例を制定するか議決がいる。」と回答した。確かに地方自治法には該当する規定が在る。ところが私が総務省行政課に対して「公の施設の貸付、譲渡とは、どのような事例を想定しているのか」と聞けば、「売店や食堂の庁舎内設置」と答えたのである。つまり、法の趣旨は、「営利目的の民間事業者による公の施設の占有時には、条例化も含めた議決(町の意思決定)がいる」である。「西原真衣議会報告」を図書館の一角に置くことは営利目的の民間事業者による公の施設の譲渡、貸付に該当するのだろうか、この回答の不真面目さと今回の被告準備書面の不真面目さは、さすが同一弁護士によるものである。町側の問い合わせに適当に答えていれば、それで済んで来たという事がよく分かる。それもこれも町の職員が不勉強極まりないからである。町の顧問弁護士と町職員の双方が実に町民に対して不真面目である。今回も住民訴訟何するものぞ」という驕りと慢心が書面に現れているような気がしてならないのである。町民が町長を提訴した、この機会に、立法行政、司法の三権分立(中学校の公民で習った)が、真に、権力の抑制と均衡という本来の機能を果たせているかの生きた教材ともいえる裁判が進行中である。人材育成を言うならば、この裁判を主権者教育に使わなくてどうする、などどつい思ってしまうのだが、現実は、若手町職員は新聞を読まず裁判の事実さえ知らないのである。結局、「法治」は文字離れから綻び、滅ぶのだろう。全体主義への道程は多分こういう姿をしていたのではないと想像する。「検索栄えて、国家が綻ぶ」。そう言えば前回の選挙時にも村井真菜陣営に「議員体験を話してくれ」とオファーを受け、それに応じたが、自分が向こうの目論見に沿って「検索」されているよう感じたことを思い出す。「検索」では、菅首相の言うような、総合的、俯瞰的視点は獲得できないだろう。つまり全貌が見えない。視界不良に陥るのである。さらにもう一つのそう言えばがある。被告中尾博憲町長、来客対応や庁内打合わせ時以外は町長席でいつもスマホをいじっている。廊下から丸見えでも平気の平左である。部下も議会議員も新聞など読まないはずである。こんな楽な町長はいない。彼らにとっては、今や職場は、間違いなく楽園であろう。では町民にとっては。間違いなく災厄である。
        
西原真衣