呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(42)

ああ図書館、されど図書館

「図書館ってどんなところ」

高知県の小学生は「図書館」について、「どんなところか知らない」とされているらしい。「図書館ってどんなところ」というのは、四万十町人材育成センターが「地域つなぐ人材育成事業」の一環で実施した「子供議会」の準備のための総合学習の時間の一部が、四万十ケーブルテレビで報道されていた際に、生涯学習課が、文化施設建設のために雇ったコンサルタント岡本真氏が、窪川小学校6年生の授業に入った際のスライド教材のタイトルである。そのタイトルの下は、「日本各地の図書館」であり、長野県立図書館や、岐阜にあるメデイアコスモスが紹介されていたらしい。早速この2館についてネット検索をしてみた。

長野県立図書館:平賀研也

 館長:平賀研也氏の経歴からして、館長の属人性に頼った斬新なコンセプト狙いの公立図書館づくりを目指している。館長は、中央大学法学部、アメンリカのイリノイ州立大学経営学部、ヤナセ(外車デイーラー)企画、法務部門管理職、NIRA(公益財団法人総合研究開発機構 発刊月刊誌「NIRA政策研究編集、長野県伊那市立図書館という華々しい経歴の持ち主である。

岐阜市立図書館メデイアコスモス

メデイアコスモスという命名からして察するに、あらゆるメデイア(媒介物)を提供する

という趣旨であろう。アナログからデジタル、そして視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感を通じて入って来るあらゆる情報といったところだろうか。その内実はともかく、現代の図書館構想のある種のプロトタイプ(原型)であろう。

 ところで地元四万十町では、四万十町議会教育民生員会が招集されていた。事件に、「複合施設」とあったので、傍聴に出かけた。会場は議会図書室である。ここは、議会だよりの編集と会議の場としてしか活用されていない。設置目的は、「議員の調査研究のための資料の収集」となっているのだが、彼らは調査研究していないのだろうか。

委員会審議内容からどうも、新たに土佐市の複合文化施設を視察したらしい。以下が概略である。

岩井優ノ介議員:今までに視察した県外の図書館に比べると、住民参加という面で各段に見劣りがする。町立図書館は子供の利用が少ないと聞く。子供の動線は、学校配置かららして学園通りなので、立地は学園通りが良いのでは。

村井真菜議員:緑林公園周辺地が、中高校と近くて、高校の存続面からもいいのでは。

一方、対等合併だったはずなのに、十和地区と、窪川、大正知己には教育格差がある。

旧庁舎跡は、交流の場、駄馬と言う感じはない。十和では、旧昭和中学校跡地利用で図書館やアート作品の工房づくりができないかと働きかけたが、振興局に利用予定があると一蹴された。

酒井祥成議員:合併時に教育基本法に基づいた計画が織り込まれていればよかったが、その余裕がなかった。旧昭和中学校は、高齢者住宅利用が言われていたが、自宅の管理ができなくなるという理由で、自分が一般質問で止めた。十和の診療所も老朽化している。現況では、行政側の動きが分からない、議会に報告がない。予算計上まであと2年、総事業費16億で、合併特例債が財源らしいが、全員協議会で、委員会からこれまでの経緯を報告しなくては大正、十和の議員は図書館に関心がないまま議決になりかねない。

緒方正綱議員:学生目線に立てば、緑林公園周辺地への用地買収をしたほうが良いのでは。旧庁舎跡は、鉄道が近く学童の安全確保上に問題がある。

村井真菜議員:「子ども議会」で、図書館内に障碍体験コーナーを設置することに全員が賛成したことに感銘を受けた。旧庁舎跡は、近所で聞いてみれば誰も、複合文化施設予定地とは知らなかったし、今職員の駐車場に使われているので、ここに文化施設ができれば職員が駐車場を別の所で借りなくてはならなくなるので、職員に経済的負担がかかることになるのは好ましくないと思う。

それぞれが感想、実感を述べている。審議というより、座談会である。

「行政から報告がない」のは、行政を議事説明員として委員会に呼ばないためでもあり、それ以前に各議員が担当課に問い合わせたり、検討委員会の議事録等読まないためであり、各議員の「自己責任」である。さらに、酒井議員の、「十和、大正の議員は図書館に関心を持てない」は、上記の窪川小学校で児童に見せられたスライドの表題と同様に、図書館らしきものがない環境下で育っているので、何歳になっても、「図書館ってどんなところか知らない。」ので、「関心などまず持てない。」と教育民生委員会の長老酒井祥成議員は、赤裸々に語っているのである。おまけに旧昭和中学校を高齢者住宅化する子ことに関しては、「自分が一般質問で止めた」という自画自賛振りである。実態は異なる。大正、十和で開催した住民説明会の場で、十和地区の住民意見の趨勢は、「何のためにそのようなものがいるのか。」であったからである。酒井議員が、「自分が一般質問で止めた。」と言うのは、酒井議員本人が文献(住民意見を集約したもの、健康福祉課が作成)に疎く、文献に当たる習慣を持っていないことから来る事実誤認である。これは、議会の長老としては、実にいただけない。我々は、文字文化を生きているのである。口承による部族社会の住人ではない。ましてや行政とは、文字、文書によって正当化された統治機構の事である、その監視役である議会が、文書のありかに疎くては、監視は全く不可能なのである。これは、国会を見れば一目瞭然である。文書のありかこそが、説明責任のありかである。その意味では四万十町議会の長老を自認していると思しき酒井祥成議員には、そろそろ、ダグラスマッカーサー元帥の残した名言「老兵はただ去るのみ」で有終の美を飾ってもらいたいところである。さて、

図書館に関心がないのは、

①.図書館が身近にない(実際はある)。

②.本人に読書週間がない。(学校には読書の時間がある。図書室もある。)

③.①②と連動して親が図書館に行かないし、自宅で本も読まない環境下で養育された。

なんだか、どっかで見た子供の「貧困」調査と項目がダブってきたが、要は経済的背景と余暇の問題が、読書習慣図書館問題の背景には必ずあるのではないか。その意味では村井真菜議が発言したように、十和に図書館がないというのは、「親の貧困と子供の貧困が教育格差を媒介して連鎖する。」という側面からの、図書館環境における教育格差の現れであることは間違いがないと思う。養育環境とは、世代を跨いで原因ともなり結果ともなる。酒井議員は村井議員からすれば父親というより祖父に近い年齢であろうが、村井議員は知らないだろうな、と私は思うのである。私が議員の時に、「議会図書室」について、一般質問通告を出したら、当時の議運営委員会は、これを認めず、却下した。理由が振るっていた。「議会図書室は、議会内部の問題であり町の一般事務ではない。」

議会図書室は、断じて議会の占有物ではない。議会図書室は、地方自治法上に明記された、議員の調査研究目的で設置が義務付けられ、一般人も利用できる議会内に置く公共施設なのである。そもそも、地方自治法は地公共団体に議会を置くと規定している。議会とは地方公共団体内の意思決定を担う最終意思決定機関なのである。それであれば、議会に内部などあるはずもない。これを理解しなかったのが、当時の議会運営委員長堀本伸一議員であり、議長酒井祥成議員であったのだ。「西土佐生まれ四万十育ち」をキャッチフレーズに選挙を戦った村井真菜議員は、地元出身議員のかような認識、判断が教育格差の原因なのか、結果なのかに、今や頭を悩ますべき時が到来しているのである。人は皆な悩んで大人になったのであるから、ここは大いに悩んでもらいたい。

この教育民生員会には、複合文化施設検討員会の公募委員である酒井紀子氏も傍聴に来ていた。酒井氏は、3人の子供の子育て間最中で、子供のため(もちろん子供だけではないが)の図書館環境作りに積極的に関わっている。酒井氏は、図書館基本構想と図書館基本計画策定公募委員として過去4年間関わり、今は新しい図書館運営に町と対等な立場で関わる住民パートナー組織として「図書館基本計画って何」というてテーマで住民懇談近く開催する予定とのことでもある。その積極性と行動力が実に頼もしい。私としては、傍聴人が一人より二人の方が実に好ましいという内実もある。窪川小学校に戻って、人材育成事業の一環で開催された「子供議会」の準備には、複合文化施設コンサルタント岡本真氏が、事業委託を受けたNPOlifeの企画で関わったということらしいが、CATVで放映された子供議会を締め括った岡本氏の言葉に、私としては、強く反感を覚えたのである。

岡本氏:ホテルに併設された図書館は、箱根の「本箱」にしても利益を追求することが目的の民間企業がやっています。ここは一点抑えておくべき点であるかなと。だから行政側の答え(図書館が併設された図書館を作ると、人件費が増額するし、職員の労働時間が長くなって働き方改革にも逆行する)は、致し方ないのかなと思います。けれども民間と違って町がやる図書館の目的は町民を幸福にする事です。だから図書館行のバスを出すことも出来るし、図書館でお泊り会だってできるんですよ。

確かに、コンサルタントの言う通り、箱根の図書館付きホテル「本箱」は、ホテルに図書館機能を付けて、ホテルを差別化する、ホテル経営の新たなビズネスモデルとして紹介されていることが多い民間企業の取り組みである。けれども、子どもがバスに乗って図書館に行きたいと思うだろうか。図書館でお泊り会をしたいと思うだろうか。私は、違うのではないかと思う。子供は、子供達だけで、監視されず、叱られず、気がねなく、飲み食いしながら、寝そべりながら、心ゆくまで、友達とゲームをしたり、漫画を読んだりできる「空間」が近場(徒歩や自転車で行ける距離)に欲しいのではないだろうか。「ホテルに併設されている図書館」とは、子供たちが日常の中ではなかなか見いだせない、学校でも家庭でもない、大人の監視から逃れた自由な時空間に本があるといい、という隠れたメッセージではないかと、私は思ったのである。町が本当の意味で町民の幸福に意識が向いていれば、コンサルに言われるまでもなく、子供の発言から気が付くことではないだろうか。村井真菜議員が発言したような、「子供議会」で、図書館に障碍体験コーナーを設置するに全員が賛成したなどは、おそらく(私は、子供議会をつぶさに見る機会がなかったの、確信をもっては言えないが)、今時の子供たちが晒されている大人環境の空気を鋭く読んだ挙句の「ポリテイカルコレクトネス」発言の類ではないかと、私は想像する。尤も議会内部における最年少の子供である村井真菜議員自身が、議会内長老の受け狙い的なポリテイカルコレクトネス発言をたびたび弄している。大人になるための修練は、かようにエンドレスである。そのような中で、上記の子供議会発言に実にのうのうと及んだコンサルタントの岡本氏は、昨年7月に開催された図書館フォーラム(出席者の大半が生涯学習課職員、企画課まちづくり推進課職員、子供の絵本の読み聞かせサークルのメンバー図書館嘱託職員、一般人は私を含めて2,3人という会合)で、参加者の私が、出席していた生涯学習課課長に対してシンポジストの一人の刈谷委員(酒井氏と同様複合文化施設検討員会の公募委員の一人)が、「図書館は、子供だけでなく、親の私にとっても、継続的に貴重な学びの機会を提供し続けてくれる所であって欲しいと思う。」と発言したのを受けて、私は、出席していた林生涯学習課課長に対して、「生涯学習課課長の林さんは、自分事として、この地でどのような生涯学習の機会を得て来ましたか。それについてこの機会に聞かせてもらいたい。」と発言した。するとしたことか、ファシリテーター役のコンサルタント岡本氏が、「このような場での役場の人の発言が後で、どう言ったこう言ったと、外で言いふらされると、役場の人は何も言えなくなるんですよ。町民と役場が対等な対場で座談会形式でやっていますから、答えたくなければ答えなくても構いません。」と、まるで、議場における議長と見紛うが如き尊大な議事整理をしたのである。その前段では、岡本氏は、「私は役場に雇われていると思っていません。町民に雇われていると思っています。図書館作りは町民の合意形成に時間をかけることが、最も重要です。今日のフォーラムもそのために企画しました。仮に私に任せてくれたら、図書館計画は、1月足らずで完成させることができますよ。」と発言したのである。その後、一呼吸おいて、コンサルタントに手厚く庇護された(雇われ人が雇い主を庇護したのである。)格好の林生涯学習課課長は、何だか気の毒なことに、緊張し、意を決したような面持ちで、「図書館と自分との関わりという事ですが、高校生の時は高知市に居たので、夏場は県立図書館に冷房目当てで行きました。仕事では、大正町教育委員会で図書館担当で、寄贈本の受け入れに関わりました。」と、私の問いかけに答えて発言したのである。ここで問題、

この林氏は、「自分と図書館」というテーマの作文を求められたら上記のように作文するのである。つまり、

「図書館と自分との関わりという事ですが、高校生の時は高知市に居たので、夏場は県立図書館に冷房目当てで行きました。仕事では、大正町教育委員会で図書館担当で、寄贈本の受け入れに関わりました。」

このような回答では、箱根にある「本箱」の支配人には勿論なれないと思う。それは小学生でも分かる事である。それは、読書体験が、その人の内面の糧になることを読書体験を通じて理解していない人であることが、この回答に出ているからである。では、コンサルタントの岡本氏が言うように、利益追求が目的ではない、町民の幸福実現が目的である役場の職員、それも図書館長には、なれるのだろうか。寄贈本は二人の人から、本箱一つ分ずつ寄贈されている。四万十町立図書館大正分館に、この二人の人の寄贈本からなる本棚が二つ並んでいる。その二人とも私設図書館を作るのが夢であったそうである。これらは、大正分館に勤務する嘱託職員の一人から聞い話である。林課長は、職員として、この寄贈本に関わったと発言している。「利益追求ではなく、町民を幸福にする」ために、最も必要なことは、この私設図書館を作りたかったという二人の人の夢の中身に興味、関心を持てるという事なのではないのだろうか。けれども寄贈者の夢の中身の話は、林課長からは出て来ていない。ここが最も重要な点である。林課長の自己責任とまでは言わないが、本来町民の幸福実現のために尽くすべき役場の人が、全体としてそのような姿であるという事は、由々しい事実として直視すべき、重要なことであると私は思うのである。コンサルタントの岡本氏は、その言動から推察するに、小学生だけでなく四万十町役場職員、四万十町民、複合文化的施設検討委員会委員全員が「図書館について知らない」ので、「図書館ってどんなところ」から、教育、啓発しなければならない、と本気で思っているようである。実に尊大な失礼極まる輩ではないだろうか。でなかったら「アカデミックリソースガイド」なんて臆面もない、恥ずかしい自分の会社名つけないと思うのである。公設塾の運営を町から委託されている会社名の「ファウンデイングベース」といい、ああ嫌だ、品位に欠けると思うのが私だけでないことを、ひたすら祈りたい気持ちである。ところで誰が最も品位に欠けるのであろうか。正解は、勿論、これら一連の事業の推進を「公約」と称してはばからない、中尾博憲町長その人である。

四万十町議会議員 西原真衣