呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(25)

 四万十町議会槙野章議員の全員協議会謝罪事件を受けて、私の脳裏には、自身が議場で陳謝を命じられた、記憶が実に鮮やかに蘇る。まず、思い出されるのは、平成27年9月定例会の問責決議に至った案件である。平成26年4月の町長選と同期した四万十町議会議員補欠選挙で当選して議員となった私は、前にも書いたが、中尾博憲町長の平気で前言を翻す節操のない言動に非常に腹立ちを覚えていた。二回目の選挙で津選した中尾博憲は、1回目の選挙で、公務員給与の2割削減を公約に、戸別訪問していたらしい。あの公約は、どうなったのかを確かめて欲しいいう一通のハガキが私の所に舞い込んだ。これの複写を町長室の本人の机の上に置いて、「1回目の選挙時の公約を忘れていない人が居ます」とそっと示唆したことを覚えている。ところが最初登壇した中尾町長は、新任の挨拶時に、「選挙時に、公務員給与を下げるという風評が出て、職員の皆様には、御心配をおかけしましたが、公務員給与は現状維持で行く。」と言ってのけたではないか。そのことを本人に後日指摘した所、「言っていない。議事録にも残っていない。」と私に言い切った、という出来事があった。私は心底憤慨しを覚えて(議場で確かに聞いたのだ)、当時の議長宮地章一宛てに、本会議の録音の視聴を文書で開示請求した。非開示通知が来た。そこで異議を申し立てた。宮地章一議長は、情報公開審査会に審査を諮問した。公開でやっている本会議の録音である。視聴できない理由などないはずである。情報公開審査会の当時の会長は、吉永穀一郎という役場退職者であった。私は意地になっていた。そこで、議会事務局の電話を借りて、吉永氏に連絡し、「 異議申立人として、審査会で異議内容を口頭で説明したい。」と申し出た。四万十町情報公開条例によれば、

(意見の陳述等)
第22条 審査会は、審査請求人等から申立てがあったときは、当該審査請求人等に口頭で意見を述べる機会を与えなければならない。ただし、審査会がその必要がないと認めるときは、この限りでない。
2 前項本文の場合においては、審査請求人等は、審査会の許可を得て、補佐人とともに出頭することができる。
追加〔平成28年条例5号〕

と規定されているからである。ところが、審査会長、吉永穀一郎氏は、「その必要はない。呼ぶ考えはない。」と拒絶したのである。そこで、「では傍聴したい。審議過程を知りたい。議会本会議の録音の視聴が、開示請求内容です。個人情報など全くないので、公開でできるのではないですか。」と聞いてみた。「県の審査会も非公開でやっている。我々は今や一町民なので、議員さんに傍聴されたら委縮する。」この吉永氏の必死の抵抗振りがお判りでしょうか。要は審査過程を見られたくないのです。審査会長を引き受けておいてこれであるこの部分は、四万十町議会が、いまだに議会の議事録を本会議以外公開しないのとまったく同じ発想である。見られたくない、知られたくない、言質を取られたくない、批判されたくない。それであれば、初めからその職務を引き受けなきゃいいだけである。一体何をバカバカしく勘違いしているのだろうか。これが事の発端であった。納得できないことは、とことん聞きつのるという、自分の因果な性分が、ここでムラムラ湧いてきたのは、言うまでもなかった。本会議で、この最も腹立たしい、吉永情報公開審査会長のセリフ「我々は今や一町民なので、議員さんに傍聴されたら委縮する。」を引き合いに出して「議員に傍聴された位で委縮する情報公開審査会長っていったいどういう会長なんでしょう。人選のあり方を聞く。」と質疑したのである。これで大騒ぎになった。会議が散会して、帰途につこうとしたら、議会図書室に、当の吉永穀一郎氏と、中川俊英元町民環境課課長が待機していたのだ。中川俊英元町民環境課課長は、別の質疑の中で、町のごみの収集運搬を受託している組織である特定非営利法人しまんと町雇用創出協会の事務局長だったのだが、この人の雇用条件、週3日勤務、月給12万円、賞与年間24万円、職務内容が「ごみ袋の発注と、事務員が銀行に行った際の留守番(中川氏談)」であることを、委託料6614万円にからめて質疑した。このNPO組織の事務局長は、シルバー人材センタ―事務局長と同様、歴代役場退職者の占有物となっているので、その合理的な理由を質疑しただけである。今は、中川氏の後任として山脇和生氏が事務局に就任しているが、彼も町民環境課課長退職後直ちにこのポストに就いた。ここを問題視して、公募がなく、役場退職者の天下り先となっている事を指摘した。そもそも、職務内容が「ごみ袋の発注と、事務員が銀行に行った際の留守番(中川氏談)」であれば、町民環境課課長職とは関係なく誰でもできる職務内容である割には、厚遇ではないか。すべては四万十町予算から拠出されている以上(令和元年当初予算ベース66,149,000円)、その人事と賃金の合理性、合目目的性を議会で問われて当然である。ところが、私の意には反して、彼ら(吉永氏と中川氏)の受け取り方は全くそうではなかった。吉永氏は、「我々は今や一町民なので、議員さんに傍聴されたら委縮する。」と言っていないと、中川氏は自身の給与体系を、「賞与24万円であり、60万円ではない。」と議会に申し立てたのだ。賞与60万円は私の勘違いであったので、賞与24万円と陳謝、訂正に応じたが、吉永氏の、「我々は今や一町民なので、議員さんに傍聴されたら委縮する。と自分は言っていない」は、完璧に事実無根なので、陳謝、訂正に応じなかった。当時の議長は、橋本保だった。会期中に吉永氏と中川氏、私が全員協議会に呼ばれ、事実確認がなされた。その報告書をここに公開する。

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私は、事実確認の場で、橋本保議長から「天下りという言葉は品がない。」と言われたが、賞与24万円が60万円と誤って伝わったことで大慌てで議会に駆けんだこんだり(中川氏)、夜も寝蒸れなくなったなどと苦情を訴え、調整前の議事録を議会事務局に取りに来て、審査会委員に配布したりした(吉永氏)の方がよっぽど品がないんじゃないかと、私は思った。当時は町の補助金交付団体の給与体系を総覧的に調査していたので、シルバー人材センター事務員(実質公募はない)の賞与と取り違えて言ってしまったのだ。これは単純なヒューマンエラーである。だから、陳謝、訂正に応じた。また、全員協議会の席で下元真之議員に、「議会が事実確認できない、又議場で反論できない人間の言動を本会議場で出すべきではない。」ともっともらしく言われたが、それは全く不可解な見解である。私は、吉永氏が情報情報審査会の会長であり、会長としての、会議の公開、非公開の判断の根拠を示す重要な言動であるからこそ、「我々は今や一町民なので、議員さんに傍聴されたら委縮する。」を表に出したのだ。その場で反論できないのであれば、後日議会が公聴会を開催し、私と吉永氏の両方に公述させればいいのである。どちらの言分に信憑性があるかの判断は、その公聴会を見た人の判断の任せればよい。その為の公聴会なのだ。その意味では、下元真之議員は、「議会が事実確認しようとしない」を「議会が事実確認できない」にすり替えているだけである。もし、すり替えでないとすれば、下元真之議員の単なる無知である。ところが、他の議員も下元真之議員に劣らず、軒並みに無知であったので「そうだ、そうだ。その通りだ」という雰囲気が醸成され、結局、私の言い分は通らず、9月定例会最終日に、全会一致で問責決議を受けたのである。その時の問責決議文と高知新聞報道をここに公開しする。

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 この問責決議文と、この前のこのブログへのコメント「町民は、落選して嬉しい。落選してそんなに悔しいか。よくいますよね、落選した途端に暴露をはじめる元議員って。それに誤字脱維持が多すぎるから読み直すべき。」との共通点について解説したい。「多くの町民から指摘を受けた」とあるが、私が目撃したのは、吉永氏と中川氏の二人だけであったし、念のため議会事務局にも、電話での指摘が何件あったかと聞いてが宮地正人事務局長は、何も答えなかった。おまけに、新聞報道後、私の知人女性が、問責決議案を上程し、議場で問責決議文を読み上げた下元昇議員に直に電話をかけて、「多くの町民とは何人か。」と聞いている。その時の問答を紹介しよう。噴飯ものである。

知人女性「多くの町民とは何人か。」

下元昇「これは既に議会で決まったことだ。」

知人女性「だからこそ、議員に説明を求めている。」

下元昇「そこまで言うなら名乗れ、弁護士を立てろ。」

この問責決議文もコメント同様、私の議場発言のどこに、どのような(多くの)町民からの指摘があり、四万十町議会が、それをどう解釈したか、が欠落してのである。「名指しで」とあるが、情報公開審査会長であるから名前を出した。問題があるとは思えない。これほど言動を問われることが怖いながらにその職を引き受ける側の、厚顔無恥が、従前全く問われてこなかったことの証左ではないか。言ったことを言わないという悪癖は中尾町長にもある。自部の言動の事実を認め、その釈明を求められるのは、選挙で選ばれた人間の責務であり、その人間によって設置される諮問機関の長もまた、同様の責務があることが理解できないならば、職務不適格としか言いようがない。問責決議の採決前に、私にはひとまず弁明の機会が与えられたが、弁明直後に、「内閣府に設置されている、国の情報公開、個人情報保護審委員会の設置要綱でも会議は非公開にできるとある」と橋本保議長が、議長席から全議員に向けて言った。その直前、宮地正人議会事務局が、橋本保議長にそっとメモを手渡すのを、弁論を済ませて自席に引き上げる時、私は見逃さなかった。その後、問責決議は全会一で可決された。後日、内閣府に確認した、「非公開にできる」は、「委員長の案件ごとの判断で、非公開にできる裁量が委員長には付与されている」という意味であった。だから最初から言ってるでしょうが。裁量による非公開の根拠不明だって、と私は思った。「県の審査会も非公開でやっている。我々は今や一町民なので、議員さんに傍聴されたら委縮する。」じゃ根拠説明になってはいない。「非公開にできるから非公開にする」は、「非公開にしたい」と言ってるだけで、裁量権限を行使した非公開の判断根拠の説明たり得ていないのだ。恐らく説明できないのである。実にこれこそが、情報公開審査会長に求められる資質であるにも関わらず、である。閉会後、議長橋本保宛ての3通の公開質問状を出したが、3月後に以下の返答があった。ここに公開する。

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 この事件は、平成27年、今から4年前であるが、私は全く水に流してはいない。私は日本人には珍しく、怒りが風化しにくいタイプの人間である、という自認はある。けれども、私じゃなくても、ありとあらゆる政治的言説は、決して水に流してはいけないのだ。今の政権を見れば、一目瞭然ではないか。厳しく政治家の言説を問い続ける、関心と参画のエネルギーの減耗は(少子高齢化で経済的に中間層が崩壊し、若い世代が疲弊しつつある現況では、明らかに政治的関心と参画のエネルギーは減耗せざるを得ない)世襲政治や権威主義をおびき寄せる誘い水であり、全体主義への確実な道程となるのではないかと、私は思う。学生時代に読んだ本に、「第三帝国の言語」(法政大学出版局叢書・ウニベルシタス)がある。「第三帝国」とは、ヒットラー第三帝国を指している。無意識下で起きる、普通の平凡な人間の日々の日常言語の変化を通じて、ヒットラー第三帝国が普通のドイツ国民に徐々に徐々に内面化されていく過程を追った研究書であったと、記憶している。が、日本でも同様の変化が起きてはいないかと、最近強く感じるようになった。まず、無意味な、のべつ幕無しの尊敬語だか丁寧語だか、あらゆる場面で、使用されるようになっている。役所に用があって電話すれば、「今課長が出張されているので」「課長が~とおっしゃったので」などは日常茶飯に耳にするが、TVを見ていて仰天したのは、七五三のお宮参りの帰りの家族に取材した際に、母親が、「今まで何とか健康に育っていただいているので」と言ったことである。自分の子供に「育っていただく」とは何事であろうか、と耳を疑ったが、恐らく敬語と丁寧語の区別がつかないのだろう。若い世代が、丁寧語と尊敬語を区別できないという事は、尊敬語が、場における人間の上下関係の認識の社会的表出であり、丁寧語が、もっと普遍的ないわゆる話法上の選択の問題であるという事がさっぱり分かっていないという事を意味するのではないか。言い換えれば、他者全般に向かう普遍的な自己と、個別具体的な他者との関係性における自己の区分けがないという事である。取り合えずその場で失敗しないためには、ことさら入念に「上司が会議に出ていらっしゃるので」とか、「子供に健康に育っていただいているので」とか尊敬語を無定見に多用して、「丁寧な話し方をする自分」を不特定多数の他者に対して演出し続けなければならないと思い込んでいるとしたら、この彼らの、恐怖心に満ちた過剰適用こそは、民主主義国家の国民ではなく、全体主義国家の臣民に、自ら意識せずに、自分の意志で自発的に近づいていっているという現象ではないかと、つい勘繰りたくなってくるのである。この流れを組むものに、教育委員会の「挨拶運動」がある。町内小中高校学校校門前で、先生だか生徒だかが、道行く見知らぬ人間に対して、「おはようございます。」を作り笑いで連発するのだ。私にとっては、「何となく気持ちが悪くて、居心地が悪い。」としか思えない、空々しい朝の光景である。かって、議場で、全く関係ない文脈で、川上哲夫教育長は、何を思ったか、「西原議員は挨拶をしない。」と私の議場外態度を批判した。その時の質応答内容には何ら関係ない突然の発言であった。当時私が極めて意識的かつ個的に展開していた「挨拶をしない運動」及び「挨拶運動に巻き込まれない運動」が、「挨拶運動」に対する私のアンチテーゼの表出である、という事を見抜けるだけの洞察力をこの人物に期待するのは、端から無理な話ではあるが、けれども、この「洞察力に端から欠ける人物」が、四万十町教育長になった経緯だけは書いておく必要があると考える。平成26年4月、現職町長高瀬満伸は、田辺建設との談合の噂や新庁舎建設建設を巡る散財や不透明な資金の流れ及び田辺哲夫議員の西の川取水問題の不決着で、対立候補中尾博憲に負けた。当時の議会は、多勢が高瀬派であったので、中尾への反感から、中尾人事をことごとく蹴った。中尾人事とは、選挙事務所に連日出入りし、一緒に個別訪問していた水間淳一を教育長に、又元十和村役場職員で、既に退職していた伊藤哲郎氏を副町長にという人事案であったのだが、この双方が蹴られた。これは、松葉川温泉で根回しが行われたという話である。そこで困り果てた、中尾博憲は、当時の土地改良区で土地換地士として勤務しており、又改良区の事業終了に伴う解散によって失職する予定であった川上哲夫(当時は教育委員でもあった)の就職斡旋を買って出た、当時の四万十町議会議長であり、土地改良区会長でもあった宮地章一の、川上哲夫教育長再就職斡旋を丸飲みしたという訳である。これこそ、現職議長による、「町の重要人事に介入した」政治倫理条例違反事例だと思うが、当時はまだ、条例が制定されていなかった。しかるに、宮地章一議会議長の「全体の奉仕者」からは程遠い振舞いではあることだけは揺るがない。そして、副町長は、元企画課課長の森武士が選任された。川上哲夫教育長は、このような経緯で、一挙に一介の土地改良区の土地換地士から教育長という大役に就任し、突如として、月給577,000円、賞与年間1,924,295円を受領する身分を獲得したのである。この恩義を彼は決して忘れてはいないのであろう。教育委員会付属機関である教育研究所の教育相談員や教育支援員、補導センターの指導員に川上氏のマラソン仲間が多いのは、果たして偶然であろうか。又町の人事に介入したと、私を政治倫理条違反に問うてまで(議場で最初に切り出したのは、川上哲夫教育長である)、当時の教育委員会次長の岡澄子氏を退職後の教育研究所所長に斡旋したのも、果たして偶然であろうか。私は当時、知人経由で、岡氏が親戚の人間に対して、「退職後も嘱託で働き続けたいが、やりにくくなっているので悩んでいる。」と漏らしたらしい、という話を既にキャッチしていたのである。無論ここには、公募はない。教育相談員や教育支援員、補導センターの指導員は、全員元学校教員である。この前初めてSSW(スクールソーシャルワーカー)職求人をハローワーク求人情報誌で見た位である。SSWは薄給(時給1300円程度)で業務量も多い、元学校教員でもない。従って情実人事のうま味がないのであろう。しかし、元々教育委員会委員には高満伸のマラソン仲間が蝟集していたのである。教育委員長であった谷脇健司氏もその一人である。彼の肉声を議場で初めて聞いたのは、退任時の挨拶時であった。「初めての答弁です。」と、挨拶を切り出したのに驚いた。答弁とは質疑への応答なのであるが、彼の頭の中では、挨拶と答弁の区別がどうもないらしい。議場外で彼に一度質問したことがある。「谷脇さんはなぜ議場で一切答弁に立たないのか。」彼は、川上教育長と並んで毎議会答弁者席に着き、一度も答弁しなかったのである。谷脇健司氏の答は、「教育長に任せている。」であった。私は、「ここは、自分が是非とも答弁したいと思ったことは、一度としてないのか。」と追加質問をした。谷脇氏は、困惑の表情を浮かべ、一時の間を置いて、こう私に言った。「なんて答えたらいいのか。」ここで終了である。そんなこと自分で考えろ、なのであるが、極論に聞こえるかもしれないが、学校で虐め自殺があとを絶たない背景は、実はこれである。教育とは、成育過程における洗脳の別名でもある。児童生徒はかような大人の言説、つまり、決定権と言う権限がありながら、そこに思考と脈絡と論理と理念がない大人の言説に学校で日々晒されているのである。「主体的な学びを保障するアクテイブラーニング」「チーム学校」「挨拶運動」この三種のスローガンを並べてみれば、谷脇健司氏の発話と同様、その間をつなぐ論理構成が支離滅裂であることが、分かる。このブラックジョークのような世界は、学校に身を置くしかない児童、生徒にとっては、ブラックジョークどころか、地獄であろう。かような環境に、小、中、高の12年間身を置いた児童、生徒はやはり、自分が生き延びるために大人に迎合するであろうし、その迎合こそが彼らの言語と精神の雛形になるだろうことは目に見えている。であるからして、私の「第三帝国の言語」的視点からも、特に教育委員会関連人物の発話、これは、要注視分野なのであり、私の研究課題にも、自分の中で昇格させているのである。

四万十町議会議員  西原真衣