呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(107)

    「水問題」は政争の具か(その2)

 議会のフィクサーを自認するー堀本伸一議員の久々の「水問題」質問に対して、中尾博憲町長は、どのように答弁したか。以下である。

中尾博町長:「水問題」は時効でもあり、過料も課した。行政側としてはこの問題は処分済みである。

町長答弁には当然信憑性が求められる。町長がどのような嘘付きであってもである。まず「時効」に対する窪川署の回答は以下であった。

窪川署刑事課:平成23年に高瀬満伸町長が、窪川署に「水道メーター」の盗難届を出した。当然捜査に入った。が、有力な証拠は出てこなかった。盗難の時効は7年である。従って平成30年で時効は成立している。

結局盗難者は不明のまま時効になった。ちょっと考えれば分かる事であるが、水道メーターを盗む動機なぞ持っている人間は誰か。メーターを見られたくない人間である。メーター紛失後、違法改造(水道管への違法接続)が発覚している。違法改造者と、メーター紛失者は同一人物であると推測するのが最も合理的ではないか。動機が合致する。この水問題のあらましを理解するには、西の川ハウス取水問題調査特別委員会の議事録を読むに限る。全16回、全部公開で開催している。この調査特別員会が設置されたのが、平成23年11月2日である。不審に思った西ノ川地区の地元住民からの要望を受けての設置であった。この調査特別委員会の調査過程は、当時高知新聞の池本記者(地元出身)が熱心に取材し記事を連載していて地元の関心も高まっていた。実は、私西原の所に、今年の3月頃一枚の匿名の封書が届いた。

内容は、「槙野章議員町職員夫婦の妻との不倫事件で槙野章議員が責任を取っていない(取らされていない)「水泥棒事件」の田哲夫議員が、同じく全く責任を取っていない(取らされていない)ことへの憤り」であった。私はこれを議会事務局に届けて、全議員への配布を求めた。長谷部事務局長の一存で全議員に配布された。だから堀本伸一議員が6月定例会で「水問題」を一般質問通告した背景にはこれが大きく作用している可能性があると見ている。堀本議員は、まだ「水問題」は町民間で風化していない、「ネタ」にできると踏んだ可能性がある。私は、このような匿名の封書に対しては、複雑な思いを持つ。直に議会に対して「槙野章議員不倫事件及び田辺哲夫議員水泥棒事件の再調査を求める陳情ないしは請願」を出せばいいと思うからだ。それをしない理由は何か。おそらく、匿名性への固執である。誰かに何とかしてもらいたいという、依存心とまで言えば語弊があるだろうが、徹底的に受動的な姿勢である。憤懣を晴らしたいが、矢面には立ちたくない、という心理である。このような匿名の封書が突然舞い込む私自身の本音は、このような疑念は、自分の出自を明らかにした上で、「事実解明と納得の行く処分を」と直に「議会」に対して訴えてもらいたいのである。その「議会」である。今までに解明された事実関係が網羅されている調査特別委員会議事録は、議会HP上では見れない。私が、議会HPへの掲載を求めれた所、長谷部卓也議会事務局長は、「議会が判断することだ」と応答した。その「議会」は、私の出した陳情「議会の見える化を求める陳情」を全会一致で不採択にしたような議会であることを承知の上での応答である。つまり町長答弁の信憑性を自分で確認したければ、調査特別委員会議事録を「開示請求しろ」という意味である。議長味元和義、議長の諮問機関である議会運営委員会で堀本議員の一般質問通告「水問題」の質問を許可したが、その質問が引き出した町長答弁の信憑性に係る議会資料は、その文書の存在を自ら探知した上で、開示請求しろという姿勢を示しているのだ。これは、本質的にイカサマ」ではないだろうか。

さて、町長答弁「過料を課した。」である。過料とは、刑事罰である科料と異なり行政罰であり、四万十町給水条例40条と41条がこの過料に言及している。引用する。

四万十町給水条例

第8章 罰則
(過料)
第40条 次の各号のいずれかに該当する者は、5万円以下の過料に処する。
(1) 第9条第1項の規定による申込みをしないで給水装置工事をした者
(2) 第11条第1項の規定による指定を受けないで給水装置工事をした者
(3) 第11条第2項の規定による設計審査を受けないで給水装置工事をした指定給水装置工事業者
(4) 正当な理由がなく第35条の規定による給水の停止を拒み、又は妨げた者
(料金を免れた者に対する過料)
第41条 詐欺その他不正の行為により、料金、メーターの使用料又は手数料の徴収を免れた者は、その徴収を免れた金額の5倍に相当する金額(当該5倍に相当する金額が5万円を超えないときは、5万円とする。)以下の過料に処する。
「過料を課した。」発言の根拠資料を探す目的で、まずは、堀本議員の質問通告に基づいて答弁を用意した環境水道課小嶋課長に問い合わせた。
小嶋課長:調査特別委員会の議事録を議会にもらいに行った。

ここでてっきり、調査特別委員会本体の議事録と解釈した。違っていた。本会議調査特別委員会委員長山上利嗣議員が報告した調査特別委員会報告部分の議事録であった。報告がなされたのは、平成24年3月定例会の本会議である。この部分は、議会HPから検索できる。我々町民には議会HPか開示請求しか文書の閲覧手段がない。方や執行部は、ただ議会事務局に文書をもらいに行けばいいだけである。問う側と答える側の元代表制は、実はここで底が抜けている。底が抜けた二元代表制の残骸物とは、「臆病で小賢しい執行部」VS「頭と柄の悪い議員集団」である。そうとしか思えなくなってくる。本題に戻って、「過料を課した。」の信憑性である。この調査特別委員会報告部分には 過料についての記載は一切なかった。では過料はいつ発生したのか。議会HPで会議録検索すれば、平成26年12月行政報告がヒットした。引用する。

 ■ 西ノ川地区ハウス取水問題の経過について              
9月議会定例会の一般質問に対して答弁いたしました過料の処分ついて、その後の経過を報告いたします。
 まず処分先である「農事組合法人四万十Pot」の状況でございますが、当該法人は平成24年3月31日に解散を行い、現在、清算整理中でありますが、清算人が死亡している状況となっておりましたため、これらの状況を含めた対応を顧問弁護士と協議し、平成26年10月28日付で新たな清算人を選任し、変更登記を行うよう理事に依頼を行ったところでございます。
 この依頼により新たな清算人が選任され、平成26年11月4日に登記されましたことから、平成26年11月21日付で「過料決定通知書」により、過料113,300円を科した処分を通知いたしました。
現在、当該過料については、納付が確認できておりますので、今回の過料処分をもちまして、町といたしましては、本問題についての行政処分を終了したところであります。

過料決定通知を入手した。過料113000円の決定に係る判断が記されている。公開する。

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次いで調査特別委員会報告書から時系列で整理した事件のあらましも公開したい。これは自作の物である。

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上記二つのドキュメントから、浮かび上がってくるものは何だろうか。田辺哲夫議員のしばらっくれ振りと、行政の不作為と怠慢ではないだろうか。大正町時代から合併後にまで持ち越された、「水泥棒」の明らかな共犯者は、田辺哲夫議員ではないだろうか。過料を課された「四万十ポット」が田辺哲夫議員からハウスを借りた平生21年以前から量水器の存在は誰にも確認されていない。用水路への接続もない。量水器の紛失と止水後の水道接続と不正使用は一連の目的によって利害共有者によってなされているとしか推理できない。利害共有者とは、「四万十ポット」代表松本氏(故人)と田辺哲夫議員である。だが町は、未だかって田辺哲夫議員に水道水不正使用に係る行政罰である、過料を課したことはないのである。不正使用を知ってから5年が経過すれば、その間は過料が時効になるらしい(地方自治法236条と231条の3)。5年間遡れば、1030x60x5=309000円を追加で課すことが出来たはずである。平成7年の記録33立法メートル使用料は4980円と試算できるので、基本料金超過分3950円を追徴すれば、追徴過料は、3950x(22+60)x5=1619500円となる。四万十ポットの理事であった田辺哲夫議員にこの追徴過料を課せば、町民感情としては、「水泥棒事件」にある程度決着がつくかもしれない。未だに町民に、水問題への不信感が渦巻いているのは、田辺哲夫議員への不信感に留まらない、議会と行政の狎れあいが強く感知されているからである。その証拠に、過料決定通知書を見れば、過料を課された側が黒塗りである。行政報告によって既に相手が「四万十ポット」であると明らかになっているにもかかわらずである。黒塗りの意味がないではないか。今話題の赤木ファイルも文書改竄の支持を出した側の使命が黒塗りで、指示を受けた側の氏名は黒塗りではなかったと報道されている。「悪い奴ほどよく眠る」とは財務省屋その忖度を受けた官邸の事だろうが、小嶋環境水道課課長は風貌的には悪い奴には程遠い。が、この胡乱さや文書を議会にもらいに行ったなどという発想は、全くいただけない、この人物の前任職が総務課の人事、契約、入札担当であったことを想起すれば、四万十町政は絶望的に定材適所の人事が行われていない。この際、年功序列で管理職になることも再考すべきではないか、と強く思う。おまけに、この小嶋課長は、過料の時効の法的根拠を最初は会計法の30条と私に言ったのである。ネット検索したことを私に対して「調べた」と表現した。ネット検索は誰でもできる。行政罰を執行する際の法令を間違えてはいけない。それは、不法行為に近い。公務員に課せらているのは、法令に基づく文書の作成と保管であるという基本中の基本を理解していない節がある。庁内で、そのような教育が為されていない証拠である。文書の在りかは説明責任の在りかである。法治とは詰まるところ、そういう事ではないと思う。それがなし崩しにされる時、我々納税者は説名責任を果たす気がない首長と官僚組織と議会の三方から、なぶりものにされ、愚弄され続けることになる。そして「税」という同じ釜の飯を囲んだ放埓でいかがわしい縁者間の宴が続くのを横目で見るしかなくなるのである。

 

西原真衣

 

 

 

風力発電と蠢く町政(106)

    「水問題」は政争の具か(その1)

  平成18年の合併以来、いわゆる「水問題」が何回も議会で取り沙汰されてきた。

調査特別委員会による全16回の調査もあった。調査結果により、現職議員田辺哲夫氏の「道義的責任」を問い、全会一致で「辞職勧告」が出された。これが平成24年3月の事である。田辺哲夫議員は辞職しなかった。「今まで一生懸命やって来た。」と議場で泣いたそうである。これには驚く。何という往生際の悪さであろうか。この「水泥棒」犯罪の裏には犯人の、このような性格が潜んでいたのである。ばれないための工作が裏目に出て大きくばれてしまうという展開は、この何とも往生際の悪い性格が齎したものであろうと思われた。調査特別委員会委員長は、山上利嗣議員であり、辞職勧告後に、田辺議員の地元大正地区で、同じ共産党系の地元の人により堀本議員への誹謗中傷的なビラも巻かれたと、耳にしたことは、ある。が、これを令和3年になっても取り上げて一般質問通告するとは、掘本議員ならではの目論見がありそうである。そこで議会中継に目を凝らしてみた。自席の田辺哲夫議員の様子を観察しながら交互に堀本議員の表情も伺った。田辺議員は、実に落ち着かない。資料を手で持ち替えながら、通常とは違って、ソワソワしている。分かりやすい事この上ない。「やはりこの人物は黒である」と誰でも思う様な素振りを見せていた。一方質問者の堀本議員は、落ち着き払って余裕綽々と、「水道の不正使用の疑いに対して正義感を持って調査してきた自分に対する、聞くに堪えない誹謗中傷を受け、ここでは控えるが、議会が済んだら関心のある人は自分の所に来たら内容を教えることもやぶさかではない。検針員という犠牲者も出している。」「町民間にまだ不信が渦巻いている。町民は納得していない。私のとこにも言ってくる。」などと話を展開させたのである。この展開の仕方、言い回しは、この人物の一般質問通告「水問題」の本当の目的が、執行部から答弁を引き出すことで町政の課題を明らかにすることではなく、自分の存在感を議場で見せつけ、執行部と同僚議員の双方に睨みを利かせることにある事ことではないかと私は勘ぐった。直接の標的の田辺哲夫議員ばかりか、前席の古谷幹夫議員の竦みまでが、ケーブル中継場面からありありと伝わって来たのだ。その証拠に、居眠りの常習犯である古谷幹夫議員の目は、この時ばかりは、パッチリと見開かれて、一点凝視状態となっていたのである。実に議会中継動画は雄弁極まりなく、四万十町議会の、どぶ川の底のような水面下の勢力図を見せてくれる。どぶ川の底には、角質化してふやけ、剥がれ落ちるがままに水底に堆積した、「議員脳」の頭皮のフケ状のヘドロが異臭を放っているのである。「議員脳」の新陳代謝は、自己研鑽から必然的に発火する議員間「討論」や執行部への白熱の質疑によってではなく、議場という場における「見せしめ」「恫喝」によって促されるという四万十町議会の本質がここにある。稀に見る酷い、見苦しい議会と言えるだろう。が、同時に議会とはこの方向に退化し劣化するということの生きた実例でもあると思う。体質的に恫喝に弱い行政組織の弱点を巧みに突きながら、利益を引き出すとい政治スタイルが横行し続けている真の理由がどこにあるかを、この町議会は見せてくれるのである。平たく言えば、役人は頭はいいが臆病であり、役人に比べれば、「議員さん」は頭は悪く、柄も悪いのである。この対照性が二元代表制の基底である。議会による行政の「監視」とは、別名睨みを聞かせるという事でもあるからだ。堀本伸一議員はそれを熟知し、実践している。そして議員集団で最も力を発揮し、実質的なヘゲモニーを握るのは、この手の議員であるようである。菅義偉二階俊博甘利明麻生太郎も同類ではないだろうか。以下堀本議員語録である。

※今日は休憩を取らない。全部録音する。(議員報酬引き上げ直後の議会運営委員会で、議会運営委員会委員に対して)

※何にためにこんなことをするのか、野放しにできない。

(堀本議員の委員会発現内容が含まれたチラシ配布に関して全員協議会でチラシ作成、配布者の議員(私)に対して)

※我々は町から選ばれた。ここ(全員協議会や議会運営員会)で決めたことは、町民が決めた事と同じである。我々は町民を指導する立場にある。特に議会運営員会は、議会の上層部である。

以上の発言は全て、本会議以外の場での発言であり、従って一般の住民の耳目に入らない。だからこそ私は、議員発言が記録される全ての議事録の速やかな作成と公表を訴え続けてきたが、恫喝する側とされる側が一丸となってこの要請を拒否するのである。つまり「庇護」をちらつかせた「恐怖心」による支配である。このメンタリテイが、恫喝議会の存立基盤である。ある意味、やくざ組織に近い。家父長制の援用でもある。

堀本議員発言「議会の上層部」とやらの議会運営委員会は、「公開の必要なし、傍聴はさせない。」そうであるが、今議会運営委員会の委員長が田辺哲夫議員であることを勘案すれば、「議会運営のか陰のボスは自分であり、「水問題」のキャステイングボードは依然俺にあると言うことを忘れるな」というメッセージを発信する場は本会議を置いて他にないからこそ、1時間の演説場、格好の見せ場「一般質問」でこれを披歴した、ということになる。この町議会、執行部側は、果たしてどのように受け取って居るのだろうか。真面目さや純真さが残っている若手であれば、士気を失いそうになる位気持を毒されるのではないかという懸念もない訳ではない。私自身がこの恫喝を議会内部で見た時に、正しく士気を失いかけた。「このような所に居るのは金輪際もう嫌だ。」と心の底から思ったのである。が、執行部の人間はこのような議会に対峙するしかない。いやむしろ今までどのように対峙してきたかが問題の本質である。議会と行政は、相互反射、相互参照的に機能してきたはずであり、長年連れ添ってきた夫婦の如くその加害性と被害性は複雑に入り組んでいるはずである。そのような視点から、行政組織が議会にどのように対峙して来たかを今回の堀本議員の「水問題」質疑への中尾博憲町長答弁の内容の検証を通じて次回は明らかにしてみたい。水問題は政争の具か(その2)へ続く

 

西原真衣

 

 

風力発電と蠢く町政(105)

「情報公開」が鬼門となる人々を税金で養っている

  四万十町総務常任委員会は、議会関連基幹情報である以下の文書についての見解を示した。

委員会議事録:製本まで10ケ月かかり、開示請求しなければ閲覧できない。開示請求者には、文書の特定が要求される。ぞれにもかかわらず、委員会の開催日時と議事内容は、文書目録化されていない。因みに農業委員会議事録(西田事務局長談)、教育委員会議事録(東学校教育副課長談)共に、開催月1回、所要時間2~3時間、議事録作成にかかる日数、1~2ケ月であった。同じくつき月1回開催の議会委員会議事録は、作成に10ケ月かかる、それで情公開は進んでいる方(味元和義)というのだから、低能、機能不全、議会の体を為していないというべきである。単に選挙を制した(投票率30%)

老人天国か。国会もしかりである。

議会運営基準:公表されていない「議会の内規であるから公表の必要なし」で全会一致。

議会の内規とする「議会運営基準」で規定される「反問権」に言及し、執行部に対し「反問権を使ってアイデア出しをしてくれ」と橋本章央議員は、3月定例会で本会議発言した。内規であるから町民に知らせる必要なし、町民の知らない議会運営基準を援用して議会発言する。そして依然、内規であるから公表の必要なし、と来る、議会としてすでに崩壊している。当人である橋本章央議員は、この総務常任委員会委員である。狂っている。若しくは頭が悪過ぎないか。

委員会条例:町の例規集に含まれているので議会HPに出す必要なし、と全会一致

会議規則:同上

議会議員報酬条例、期末勤勉手当条例、費用弁償条例:同上

注釈:議会関連法規を網羅的に一覧できるようにする気さえないと言う事である。

「町の例規集の中にあるからいいだろう。町民の皆さん知りたかったら勝手に探し出して下さい。」と言う訳である。これは後述する、四万十公社の中平克己理事長の「そこまでせんでもええろう。」に通じる発想である。中島親近現理事長も「できるだけやっている。」の一点張りであった。町民に知らせないことが利権(楽して議員や理事をやる)の温床であると体感している人間から出てくる言葉であることは間違いない。出せないことの合理的理由の説明は一切なし。説明できないのである。けれども議員や理事をやり続けたいのである。これを一般的に利権という。

非公開委員会開催周知(非公開理由を明記した上で):定例会前の議会運営委員会は議案審査があるので、非公開が当然、周知の必要なし

注釈:議案審査は議会の調査権の発動で議決が前置される。議決は公開の場で行われる。非公開理由に該当しない。議会関連法規の理解がない。空恐ろしい事である。

執行部からの申出で、議案についての事前説明が為されるのは全員協議会の場である。これは議案審査ではない。明らかに事実に悖ることを平然と主張している。誰も異論を挟まない。#「認知症議会」拡散希望上記のような議論を聞く限り、彼らは決して「選良」ではない。議員としての知的レベルが低過ぎる。この様な議会を持っていることは、町民にとって厄災である。

6月定例会の最終日には、私が提出した「議会の見える化を求める陳情」が議決される。6月10日の総務常任委員会で、審査報告書内容の確認が議事となった。委員長、緒方正綱が、各委員の言い訳に等しい意見を読み上げた、全て一行である。

※議会運営委員会は非公開なのは仕方がない。

四万十町は情報公開が他の議会に比べて進んでいるので十分である。

※できるところはやっている。

※議事録作成の迅速化は念頭に置くべき。

緒方正綱委員長:以上で審査報告としたいが、皆さんこれでいいですか。

反対なし

小学校の学級会レベル以下である。「情報公開」を進めることで議会が可視化され、町民の監視の目がより届くようになることが、ただひたすら恐ろしいのである。情報公開の推進は、何としてでも避けたいという一心で内心一致しているので、詭弁を弄するところまでも到達未遂状態で、「一言感想」を各委員が何とか絞り出して、収集、羅列し「委員会審査報告」に替えよういう、緒方正綱の魂胆が丸見えである。感想→意見→議論という段階で言えば、感想段階に留まっているのでは、「井戸端会議」の域を出ないことになる。百歩譲って「町民座談会」である。これでは到底議会とは言えない代物である。議員としては、「余りに能力が低い。」としか言いようがない。はっきり言えば全員、議員職には不適任であ。結局、能力が査定されずに議席を得ているという、選挙制度の不備がこのような深刻な弊害をもたらしているのだ。公職選挙法は、政治資金規正法等と同様、議員立法である。議員立法であるが故に、公職の候補者間の討論会が作為的に禁止され、個人演説会のみ開催可能である。本来、選挙管理委員会主催の候補者討論会の開催を法律で義務付けるべきであり、政見放送も全ての立候補者に解禁すべきである(現状は国選のみ、衆議院は、政党所属要件がある)。ケーブルテレビという町の公共放送で、町議会選全立候補者政見放送を放映すればいいのである。そうすれば今回の四万十町議会総務常任委員会のように、議員(立候補者)の言論応力の水準が、一定露わになる。候補者同士の討論会も必須である。これで政治家としての言論能力が査定できる。本来選挙中に査定できなければならないのだ。ところが、情報公開を渋る理由と同根で、政治的言論能力の露見こそが鬼門であるので、議員立法である公職選挙法は立候補同志の公開討論会を禁止している。どう考えても、こんな馬鹿は話はない。いい加減どこかで、この無能力な政治家連中をしか利さない、この悪循環から脱却しなくては、と思うことしきりであるが、一先ずは、この悪循環のループにこそ自身の棲息域を見出していると思しき、「情報公開に完璧に及び腰」な四万十町議会総務常任委員の議員名をしっかり記憶に留めたいと思う。

委員長 緒方正綱、副委員長 村井真菜、委員、岩井優ノ介、味元和義、橋本章央

実は井戸端会議は、人知れず、他にも展開されている、町の外団体である公益財団法人「四万十公社」の理事会が、これに極めて近い。議題はやはり「情報開示」である。公益法人には、法人基幹情報の開示義務が法定されている。まずは定款である。公社HP上の定款中に、「情報公開については、情報公開規程に定める。」と記載されていたので、「情報公開規程もHPに掲示して欲しい」と公社に依頼したら、理事会にかけると言われた。そもそも理事会にかけるような事案だろうか、定款の一部ではないか、普通に考えて、定款中にリンクでも張ればいいだけではないのだろうか。理事会にかけると言うので、理事会の結果である理事会議事録を事後に入手しようとした。ところが、理事会議事録なのになぜか理事の発言内容の記載もない。議案と、賛否だけが記されている。情報公開については議事にもなっていなかった。「その他協議事項:情報公開について」とだけ記載されていた。「協議」というのが味噌である。論点を敢て明らかにしないという意図がここに潜んでいるのだ。「玉虫色に誤魔化して先送り」というやつである。協議結果さえ書いていない。四万十町議会に瓜二つである。因みに、理事会議事録、評議員会議事録、監査報告、役員等の報酬の支払基準が、公表を法律で義務付けられているが。このような議事の記載方法だと殆ど意味のない公表義務となる。骨抜きというやつである。結局「情報公開」に関する理事発言は、監督庁である四万十町企画課への報告メールでしか確認できなかった。実に腹出たしい事この上ない。以下がそれである。

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上記理事発言を見る限り、総務常任委員会委員会と同等レベルである。このレベルの発言、審議で、日当1万円は高過ぎないか。議会議員は、公社理事の比ではない。議員の勤務実態は年間本会議16日、委員会20日、議員派遣45日(視察や行事出席)で合計81日である。議員報酬が平議員で、年間約370万円なので、日当換算で、46, 000円近くなる。公社理事と同レベルの発言力で、実に4.6倍の報酬を受け取っている四万十町民の方々は、あのような低レベルの議会議員に、日当46,000円も支払うことに、憤慨を覚えるべきではないだろうか。委員会を傍聴すれば、10人中9人までが、憤慨の塊となることを請け負う。万時知らぬは禍の元ではないだろうか。

追伸:四万十公社は、町に対しては実に低姿勢で、報告に余念がない。が、町民に対しては、設立時にはHPで公表していた「情報公開規程」も「役員等の報酬の支払い基準」も秘かに削除した。これを先導したのが当時の理事長、中平克己氏であるその時の言い分が前述したように、「そこまでせんでもええろう。」あったとの事である(総務課長、岡林氏談)。公社HP で公表されなくなった「役員報酬等の支払い基準」(公社に赴き、閲覧申請すれば閲覧できる)によれば、常勤専務理事、森雅伸氏の職位は7号給で、月額報酬55万円であり、この金額は高知県庁内にある公財団法人「観光コンベンション協会」の常勤専務理事報酬より高額である。町から毎年6000万円の委託料を受領している公社の役員が、町民に知られないまま高給を食み続けている(職務遂行能力を客観的に査定されることなく)という事象こそ、コロナワクチン接種後の「有害事象」にも匹敵する社会的「有害事象」と言えるのではないか。

西原真衣

 

 

 

風力発電と蠢く町政(105)

「情報公開」が鬼門となる人々を税金で養っている

  四万十町総務常任委員会は、議会関連基幹情報である以下の文書についての見解を示した。

委員会議事録:製本まで10ケ月かかり、開示請求しなければ閲覧できない。開示請求者には、文書の特定が要求される。ぞれにもかかわらず、委員会の開催日時と議事内容は、文書目録化されていない。因みに農業委員会議事録(西田事務局長談)、教育委員会議事録(東学校教育副課長談)共に、開催月1回、所要時間2~3時間、議事録作成にかかる日数、1~2ケ月であった。同じくつき月1回開催の議会委員会議事録は、作成に10ケ月かかる、それで情公開は進んでいる方(味元和義)というのだから、低能、機能不全、議会の体を為していないというべきである。単に選挙を制した(投票率30%)

老人天国か。国会もしかりである。

議会運営基準:公表されていない「議会の内規であるから公表の必要なし」で全会一致。

議会の内規とする「議会運営基準」で規定される「反問権」に言及し、執行部に対し「反問権を使ってアイデア出しをしてくれ」と橋本章央議員は、3月定例会で本会議発言した。内規であるから町民に知らせる必要なし、町民の知らない議会運営基準を援用して議会発言する。そして依然、内規であるから公表の必要なし、と来る、議会としてすでに崩壊している。当人である橋本章央議員は、この総務常任委員会委員である。狂っている。若しくは頭が悪過ぎないか。

委員会条例:町の例規集に含まれているので議会HPに出す必要なし、と全会一致

会議規則:同上

議会議員報酬条例、期末勤勉手当条例、費用弁償条例:同上

注釈:議会関連法規を網羅的に一覧できるようにする気さえないと言う事である。

「町の例規集の中にあるからいいだろう。町民の皆さん知りたかったら勝手に探し出して下さい。」と言う訳である。これは後述する、四万十公社の中平克己理事長の「そこまでせんでもええろう。」に通じる発想である。中島親近現理事長も「できるだけやっている。」の一点張りであった。町民に知らせないことが利権(楽して議員や理事をやる)の温床であると体感している人間から出てくる言葉であることは間違いない。出せないことの合理的理由の説明は一切なし。説明できないのである。けれども議員や理事をやり続けたいのである。これを一般的に利権という。

非公開委員会開催周知(非公開理由を明記した上で):定例会前の議会運営委員会は議案審査があるので、非公開が当然、周知の必要なし

注釈:議案審査は議会の調査権の発動で議決が前置される。議決は公開の場で行われる。非公開理由に該当しない。議会関連法規の理解がない。空恐ろしい事である。

執行部からの申出で、議案についての事前説明が為されるのは全員協議会の場である。これは議案審査ではない。明らかに事実に悖ることを平然と主張している。誰も異論を挟まない。#「認知症議会」拡散希望上記のような議論を聞く限り、彼らは決して「選良」ではない。議員としての知的レベルが低過ぎる。この様な議会を持っていることは、町民にとって厄災である。

6月定例会の最終日には、私が提出した「議会の見える化を求める陳情」が議決される。6月10日の総務常任委員会で、審査報告書内容の確認が議事となった。委員長、緒方正綱が、各委員の言い訳に等しい意見を読み上げた、全て一行である。

※議会運営委員会は非公開なのは仕方がない。

四万十町は情報公開が他の議会に比べて進んでいるので十分である。

※できるところはやっている。

※議事録作成の迅速化は念頭に置くべき。

緒方正綱委員長:以上で審査報告としたいが、皆さんこれでいいですか。

反対なし

小学校の学級会レベル以下である。「情報公開」を進めることで議会が可視化され、町民の監視の目がより届くようになることが、ただひたすら恐ろしいのである。情報公開の推進は、何としてでも避けたいという一心で内心一致しているので、詭弁を弄するところまでも到達未遂状態で、「一言感想」を各委員が何とか絞り出して、収集、羅列し「委員会審査報告」に替えよういう、緒方正綱の魂胆が丸見えである。感想→意見→議論という段階で言えば、感想段階に留まっているのでは、「井戸端会議」の域を出ないことになる。百歩譲って「町民座談会」である。これでは到底議会とは言えない代物である。議員としては、「余りに能力が低い。」としか言いようがない。はっきり言えば全員、議員職には不適任であ。結局、能力が査定されずに議席を得ているという、選挙制度の不備がこのような深刻な弊害をもたらしているのだ。公職選挙法は、政治資金規正法等と同様、議員立法である。議員立法であるが故に、公職の候補者間の討論会が作為的に禁止され、個人演説会のみ開催可能である。本来、選挙管理委員会主催の候補者討論会の開催を法律で義務付けるべきであり、政見放送も全ての立候補者に解禁すべきである(現状は国選のみ、衆議院は、政党所属要件がある)。ケーブルテレビという町の公共放送で、町議会選全立候補者政見放送を放映すればいいのである。そうすれば今回の四万十町議会総務常任委員会のように、議員(立候補者)の言論応力の水準が、一定露わになる。候補者同士の討論会も必須である。これで政治家としての言論能力が査定できる。本来選挙中に査定できなければならないのだ。ところが、情報公開を渋る理由と同根で、政治的言論能力の露見こそが鬼門であるので、議員立法である公職選挙法は立候補同志の公開討論会を禁止している。どう考えても、こんな馬鹿は話はない。いい加減どこかで、この無能力な政治家連中をしか利さない、この悪循環から脱却しなくては、と思うことしきりであるが、一先ずは、この悪循環のループにこそ自身の棲息域を見出していると思しき、「情報公開に完璧に及び腰」な四万十町議会総務常任委員の議員名をしっかり記憶に留めたいと思う。

委員長 緒方正綱、副委員長 村井真菜、委員、岩井優ノ介、味元和義、橋本章央

実は井戸端会議は、人知れず、他にも展開されている、町の外団体である公益財団法人「四万十公社」の理事会が、これに極めて近い。議題はやはり「情報開示」である。公益法人には、法人基幹情報の開示義務が法定されている。まずは定款である。公社HP上の定款中に、「情報公開については、情報公開規程に定める。」と記載されていたので、「情報公開規程もHPに掲示して欲しい」と公社に依頼したら、理事会にかけると言われた。そもそも理事会にかけるような事案だろうか、定款の一部ではないか、普通に考えて、定款中にリンクでも張ればいいだけではないのだろうか。理事会にかけると言うので、理事会の結果である理事会議事録を事後に入手しようとした。ところが、理事会議事録なのになぜか理事の発言内容の記載もない。議案と、賛否だけが記されている。情報公開については議事にもなっていなかった。「その他協議事項:情報公開について」とだけ記載されていた。「協議」というのが味噌である。論点を敢て明らかにしないという意図がここに潜んでいるのだ。「玉虫色に誤魔化して先送り」というやつである。協議結果さえ書いていない。四万十町議会に瓜二つである。因みに、理事会議事録、評議員会議事録、監査報告、役員等の報酬の支払基準が、公表を法律で義務付けられているが。このような議事の記載方法だと殆ど意味のない公表義務となる。骨抜きというやつである。結局「情報公開」に関する理事発言は、監督庁である四万十町企画課への報告メールでしか確認できなかった。実に腹出たしい事この上ない。以下がそれである。

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上記理事発言を見る限り、総務常任委員会委員会と同等レベルである。このレベルの発言、審議で、日当1万円は高過ぎないか。議会議員は、公社理事の比ではない。議員の勤務実態は年間本会議16日、委員会20日、議員派遣45日(視察や行事出席)で合計81日である。議員報酬が平議員で、年間約370万円なので、日当換算で、46, 000円近くなる。公社理事と同レベルの発言力で、実に4.6倍の報酬を受け取っている四万十町民の方々は、あのような低レベルの議会議員に、日当46,000円も支払うことに、憤慨を覚えるべきではないだろうか。委員会を傍聴すれば、10人中9人までが、憤慨の塊となることを請け負う。万時知らぬは禍の元ではないだろうか。

追伸:四万十公社は、町に対しては実に低姿勢で、報告に余念がない。が、町民に対しては、設立時にはHPで公表していた「情報公開規程」も「役員等の報酬の支払い基準」も秘かに削除した。これを先導したのが当時の理事長、中平克己氏であるその時の言い分が前述したように、「そこまでせんでもええろう。」あったとの事である(総務課長、岡林氏談)。公社HP で公表されなくなった「役員報酬等の支払い基準」(公社に赴き、閲覧申請すれば閲覧できる)によれば、常勤専務理事、森雅伸氏の職位は7号給で、月額報酬55万円であり、この金額は高知県庁内にある公財団法人「観光コンベンション協会」の常勤専務理事報酬より高額である。町から毎年6000万円の委託料を受領している公社の役員が、町民に知られないまま高給を食み続けている(職務遂行能力を客観的に査定されることなく)という事象こそ、コロナワクチン接種後の「有害事象」にも匹敵する社会的「有害事象」と言えるのではないか。

西原真衣

 

西原真衣

 

風力発電と蠢く町政(104)

 「裁判記録は重要じゃない」と中尾博憲は言った

四万十町久保川在住の山本たけし氏が、四万十町長中尾博憲を相手取って起こした裁判は、7月 4日に結審する。判決の言い渡しは、9月になるらしい。訴状は、「中尾町長から提案した議員報酬引き上げが違法であり、引き上げ分の返還を中尾町長に求める」というものである。中尾博憲が、四万十町議会の要望書を受け取り、その要望に基づいて議員報酬改正議案を議会に提出し、賛成12反対6可決されたのが、平成30年の12月定例会である。要望書を提出したのが、議長 酒 井祥成、副議長 下元昇、議会運営委員会委員長 堀本伸一であった。そして賛否である。

賛成議員:堀本伸一、酒井祥成、下元昇、橋本章央、橋本保、槙野章、吉村アツ子、林健三、古谷幹夫、水間淳一、味元和義、緒方正綱

反対議員: 西原真衣、岡峰久雄、岩井優ノ介、武田秀義、中屋康、下元真之

議会は行政の監視機関である。町長は行政代表である。その両代表はともに選挙で町民から付託を受けている。その両代表が町民に隠れて裏取引をしている。町民に知らせず何ら説明せず、共謀したのである。これが、元十和村議会5期経験者山本たけし氏を憤慨させた。「そんな出鱈目なことをやっていたのか」と目をむいて、怒り心頭に達したのである。そこで、町民が町長を訴えたと言う前代未聞の町政史に残る事件が起きた。コロナで伸びて、昨年4月に始まった裁判の結果が間もなく出る。この経緯は、是非とも町の歴史的記録として、被告となった中尾町長自らが、裁判所に裁判記録の謄写を求め、今度出来る「文化的施設」とやらで保管し、広く町民が閲覧できるようにすべきではないだろうか。裁判の事は案外知られていないし、知りにくい仕組みがあるのだ。裁判自体は公開で行われるが、傍聴するにも、前もって期日を知って高知地裁まで赴かなくてはならない。期日を知るにも、裁判所が振った裁判ン番号を知っていなければ問い合わせにも応じてくれない。山本氏に証言を求められ、裁判資料の大半を提供した(主に当時の四万十町議会議事録)私の立場でさえ、次回の公判の期日や過去の裁判内容を確認するのに一苦労あったし、傍聴を逃した裁判の記録を見たくても、「原告と被告のみ謄写物の交付を申請できるが、第三者は閲覧のみ、メモも取れない」とか、妙にハードルが高く設定されていて、裁判内容がなぜか非常に把握しにくい仕組みとなっているのである。「裁判官の権威を守るため」一般人のアクセスを故意に遮断しているのではないかと勘繰りたくなってくるような仕組み(民事訴訟法にそう書かれていると裁判所は言う)で運営されているのが、目下日本の司法制度のようである。尤もこれは議会の議事録の扱いにも同じことが言える。「知られないことで辛うじて権威振っていられるので、なるべく知らせたくない。」という集団心理が働いているのである。けれども、公立図書館の設立目的はあくまで「町民の知る権利の保障」である。だとすれば、文化的施設に16億円の多大な公金を投下しようといる中尾博憲は、まずは何よりも「町民の知る権利の保障」に尽力しなくてはならないはずである。ところが、ところが、案に反して、いや案の上と言うべきか。

 中尾博憲:裁判記録は、大して重要だとは思わない!

この仰天発言が、町長室で出たのである。先日のことである。以下その時の会話を再現する。

西原:裁判記録を結審後に高知地裁から取り寄せて、図書館に保管し、広く町民が閲覧できるよう差配する考えはないか。

中尾博憲:即答はできない。

西原:町民が町長を訴えた.それも地方自治法に明記された直接請求権を行使した、住民監査請求を前置させないと提訴できない住民訴訟に対して下される司法判断である。これを、どの程度重要視しているのか。

  中尾博憲:それほど重要だとは思わない。

西原:森副町長は重要だとの見解を示した。 「高知地裁から裁判記録を町が取り寄せて、町立図書館に置くことに賛成だ。」と私に対して明言した。

中尾博憲:聞いている。即答はできない。結果によって考える。

西原:結果(勝訴か敗訴)如何が、判断に影響するのか。

中尾博憲:結果が出てから考える。内部で、協議して判断する。現場の意見も聞かなくてはならない。

中尾博憲:現場とは図書館の事か。では館長(生涯学習課課長瑞穂)と協議するという意味か。もしくは収集資料を決めている「選挙委員会」との協議か、選書権限がどこにあるのか(運営上慣行で、という意味、明確な規定はない)そもそも現場でだ絵が選書んに当たっているのか、知っているのか。

中尾博憲:そこまで知るわけがない。

森武士:自分も知らない。

中尾博憲:元議員であれば分かると思うが(余計なお世話である)、教育委員会に最終的な権限がある。選書に「精通」しているのは教育委員会だ。精通している側の意見を開く必要がある。自分の一存では決めれない。

   大注釈:町長である自分が被告の裁判記録なのに

中尾博憲:「精通」を査定するのは誰か。教育長か。

中尾博憲:そうなる。

森武士:そうなる。(この二人阿吽の呼吸である、金が取り持つ仲か)

西原:それでは、山脇和章教育長を選任したのは中尾町長で、その選任人事に同意したのは四万十町議会である。教育長が、図書館における選書への「精通」を担保する立場であるとすれば、教育長の資質を担保するのが、選任者中尾博憲町長という事になるのではないか。

中尾博憲:そうなる。

森武士:そうなる。(この二人阿吽の呼吸である、金が取り持つ仲であると確信できる。)

上記問答を是非拡散してもらいたい。#低能政治家中尾博憲である。上記問答は完璧にループしている。「精通」を巡る言説が完璧に自己矛盾に陥っているのである。政治家に選書の専門知(精通)本体がなくとも、それを持つ人間の資質を見抜く目がなければ、結局「選書の専門知」など図書館行政の中に実在しえないのである。四万十町長中尾博憲を被告とした裁判の司法判断を町民への説明責任の一環として尊重できない町長に、図書館機能を内包する文化的施設等絶対に作らせてはならない。この人物こそ、町長として「低能」以外ではない。「低能」が「文化的施設を作る」と言っているのだ。

文化的施設の広報戦の一環として開催したシンポジュームのパネラーは、コンサル人脈ん、元長野県立図書館長平賀研也氏、山口県山口YCAM代表渡辺朋也氏、ソニーグローバルエデケーション清水輝第大氏が登壇した、パネラー毎のコメンテーターは、コンサル会社社長岡本真氏、実施設計基本設計受託建築課三浦丈典氏、コンサル会社所属李明喜氏であった(コメンテータとは解説者である。生涯学習課関係職員が解説できないこところが味噌)。そして、二部の討論会(パネラー間)に登壇した中尾博憲町長と山脇和章教育長は、ファシリテーター李氏から発言を促されなかったのだ。討論開始前に、講演の感想を促されただけであった。感想だけだったら誰でも言える。後にCATVの行政放送で、3人のパネラートークが繰り返し巻き返し放送されたが、そこに中尾博憲町長と山脇和章教育長は映っていなかったのである。図書館コンサルタントARGの発刊する季刊誌、LRG( 定価2500円)を教育委員会は、二つ返事で本館用と分館用を定期購入している。選挙委員化は通していないだろうし、第一、中尾博憲町長と山脇和章教育長は、読んでいない(と両人が私に言った、実物を持参して両人に直に聞いたのだ。)自分が読みもしないもの易々と公費で購入しているこの、中尾博憲、山脇和章は、「教育総合会議」の主要メンバーであることを忘れてはいけない。この会議が、「四万十町教振大綱」を作成しているのである。「大綱」に何と書かれていようと関係ない。とにかく、「Academic Rresource  Guide」という全国を股かける図書館コンサルタントが発刊する季刊誌「Library Resourece  Guide」に出てくる「レコメンド(reccomend)」「アドボカジー(adovocacy)」「サイトスペシフィケーション(site specification)」って皆さん分かりますか。地元高校の総合的な探求の時間の年間予定表中のキャリア(carrier)ポートフォリオ(portfolio)、ソーシャルチェンジ(social change )等を遥かに凌駕している外来語の使い手がこのコンサルタントなのである。さすが図書館コンサルは違う。周辺の人間が誰も知ら理解できない外来語で「高スペック」を見せつけているのである。だコンサルタントはさて置き、四万十町民の一人として、何千万円も払って雇ったコンサルタントに、自分が理解できない言葉を使わせたり、書かせたりして町民の前に猫じゃらし宜しくちらつかせる(やっていることが正にこれだ)などは、町長、教育長として、「この上なく悪趣味且つはしたない振舞いである」としか思えない。やはり #低能政治家四万十町長中井尾博憲ついでに#低能教育長四万十町教育長山脇和章の拡散を希望したい。ところで最近面白い逸話を耳にした。私の知人であり、中尾博憲の小学生時代の同級生からである。「中尾君は目立たない大人しい、しゅっちゅう虐められて泣いているような子だった。そんな中尾君が作文に「将来の夢は窪川町長になることだ。」と書いていてびっくりしたことを覚えている。」という逸話である。目立たない、さえない小学生だった中尾君は、「将来町長になってクラスの皆を見返してやる。」と秘かに決意していたのだろう。そして本当に町長になった。成功物語である。だからこそ「すべての子供の夢を叶える」ために町営塾を設立する事は中尾君的には、ごく自然な発想であったのだ。だが間違いなく、肝心の授業は聞いたところで、本人は理解できないだろうし、従って講師の質の査定も無理だろう。中尾博憲町長や山脇和章教育長を、その職務上の言動面で観察する限り、私としては、地方公務員の採用や採用後の人材育成の実態に疑念が募るばかりである、が、「結果を出した政治家職業人」として「選挙という博打に勝つ方法(副題:プレゼンに恥ずかしいは禁物)」や「議会と融和する方法(副題:職場における円滑なコミュニケーションとは何か」)等のテーマで、町営塾で自ら教壇に立ってキャリア教育の授業を実施してはどうだろうか。そうそう町営塾の生徒が、講師に聞くそうである、「先生、役場に採用されたら一生安泰って本当?」現実的には、子供の夢は、叶えられないことの方が多いけど、子供の質問に、真実で応答しなてはいけないと私は思うのだが、中尾君、答えられるかな。

西原真衣

 

 

 

風力発電と蠢く町政(103)

「文化的施設」は「子供の未来への投資」という題目

 文化的施設構想が持ち上がったここ数年、髄文と図書館視察が繰り返されてきた。

四万十町議会教育民生委員会視察先:岡山県瀬戸内市民図書館、岡山県奈義町立図書館、島根県智頭町立図書館、土佐市立図書館、オーテピア、中土佐美術館、四万十町立図書館、美術館である。これ例外にも全員研修で、佐賀県基山町立図書館を視察している。時系列で怪訝に思うのが、町立図書館美術館が最後になっているという点である。普通逆ではないだうか。片方で教育委員会も別途図書館視察を実施している。

教育委員会視察先:佐賀県武雄市立図書館、島根県出雲市ひかわ図書図書館、島根県美郷図書館等である。行政側の動向に沿うべく視察先が決定され.委員自らの問題意識からは程遠い。現に地元図書館で、議会議員や教育委員は殆ど見かけない。事務局主導で視察しても、彼らが一堂に会して、意見交換や情報交換は疎か、白熱した図書館論など戦わせたことは皆無である。いずこでも事務局が黒子としてお膳立てと根回しに走るので、そのようなことは無用の長物と見なされている。視察によって、共通の既視感、イメージ形成を図ってもらえばそれで良いのであ。そして彼ら(事務局)の目論見通りの事が実現する。ここで、訂正、実は生涯学習課林課長によれば、令和元年11月12日に教育委員会、議会教育民生員会合同会議が開催されたと言う。初耳である。それもそのはず議事録も取らず、何も公表されていないから、こちらとしては、知り様もない散々視察に言った挙句意見交換会状の発言を記録し、町民に公表すべしという考えは毛頭ないようである。この時の意見交換会メンバーを記載したい。彼らはこぞって議事録を等閑視する。事務局のお膳立てがなければ、発言の体を為さないと言う事か。

四万十町議会教育民生員会: 委員長:中屋康、副委員長:村井真菜、委員、岩井優ノ介介、緒方正綱、酒井祥成

教育委員:横山順一、坂本惟子、佐々倉愛、石崎豊史 教育長:川上哲夫

結局、

教育委員も議会教育民生委員会も何も期待されていない

という事が頭をもたげるのである。であれば、議員報酬も教育委員報酬も無駄金である。平たく言えば、事務局のシナリオを妨害しないことだけを事務局から期待されているのである、情報と金(予算)を握っている側が常勝するのは世の常である。そして考えようによっては、期待されていないことは、期待されない側からすれば楽勝でもある。こんな楽なことはない、だが、そこには沽券が付きまとう。何せ「議員さん」であることに、こよなく自尊心を擽られている御仁たちである。ここまで来れば、猿が人間の戯画として登場する不朽の名作「猿の惑星」のようでもある。「議員バッジ」に発情している猿集団である。その秘かな仮説を裏付けるかのように、古谷幹夫委員長が口火を切った。委員会室には、説明のために「文化的施設整備推進準備室」全員が、物々しく控えていた。先立っての4月27日の事である。一見猿の家来の如く神妙な風情で控えてはいるが、実は彼らの方が、実質的な社会的身分(地位と報酬)が上である。ここにもあからさまな戯画がある。

古谷幹夫委員長:今、各諸団体への説明会が開催されていると聞いている。住民説明会配布資料にはない資料を別途要求した。委員のお手元にある資料がそれである。今からこの資料について大本政策監から説明してもらいたいと思う。

すかさず傍聴席で配布資料とやらを捲れば、確かに表紙は、「各団体説明会用資料」であり、その中に「住民説明では省略」と右上に赤く印字された6ページの資料が目に入った。

「これまでの経緯①②

「今後の取り組み/広報関係」①②

文化的施設整備事業4~9月の主な業務内容(予定)」

文化的施設整備事業費内訳」

各種団体向け説明会とは1月にやった小学校区下の住民向け説明会とは別に、区長会やPTA等の各種団体の総会等に出向いて行って「文化的施設構想」への理解を求める説明会の事である。今続行中で、全部で30から40団体をしらみつぶしに回る気らしい。

「絨毯爆撃」である。人的資源と予算を惜しみなく町民の頭上に投下し、「ご理解いただきたい」とやるのである。慇懃無礼などという域ではない。戦略なき決死隊いわばインパール作戦である。猿中の猿である中尾町長の特命が、元財政班の大元氏や西尾氏という、数字に強く頭の切れる優秀な職員に下っているのである。ここで中尾町長が君臨する猿の惑星四万十町が、今どのような惨状を呈しているかを別事例を引用しながらお伝えしたい。

1.各種団体の中に、なぜか、「教育委員」図書館協議会が入っていることの怪である。教育委員とは独立行政委員会の執行機関であり、議決機関である合議体である。確かに、「地方教育行政の組織と運営に関する法律」の改正で、「教育総合会議」の設置や、教育長の首長選任が可能になった、だから事実、図書館や美術館を首長部局が所管できるようにもなったのであるが、それにつけても、首長である猿が選任し、猿集団である議会が同意議決した教育長とは、川上哲夫教育長や、山脇和章教育長のような知的レベルを呈してしまうこことは避けがたいのである。実例を挙げよう。

1.川上教育長は、「忌憚なく自由闊達に意見を言える静謐な環境を確保するためには、議事録に発言者名を記さないことが望ましい。」と議会発言した教育長であり、これは究極の無責任体制(職務上の発言の主を曖昧化できる)、つまり「インパール作戦」の精神の体現である。

山脇和章教育長は、ベネッセコーポレーションに委託している英語4技能検定試験の委託契約書に、「契約締結の事実を第三者に開示、漏洩しないこと」という、実に理不尽な秘密条項があることを完璧に見逃していた。川上哲夫教育長や、山脇和章教育長のような本人の「読解力」が実に疑わしい教育長の下での「文化的施設」が、どのようなものになるかは想像に難くない。「プログラミング教育」云々前に、「読解力」が無ければどうしようもないのである。安倍晋三首相や菅義偉首長の国会答弁が、国民にとって実に「読解に苦しむ」ものあった、あることの国民的既視感の共有こそが今最も重要ではないのだろうか。この現象をシンクロニテイ(同時発現性)というらしい。翻って議会教育民生常任会、新しく組成された教育民生員会の構成は、以下である。

委員長:古谷幹夫、副委員長 武田秀義、水間淳一、田辺哲夫、堀本伸一

以下議事を概ね拾ってみた。

大元政策監:今各種団体向け説明会を実施している全部で30~40団体を回る予定である. 図書館協議会では、「文化的施設設置条例の中には、施設設置目的を書くべき」との意見をもらっている。

注釈:文化的施設の「中身」を考案できるような意欲及び能力は、今や猿の惑星である四万十町には皆目ない。よって「中身」は外注である。コンサルタントに外注した「中身」は極めて不評である。基本構想も基本計画も、「意味不明」と誰もが言っている。具体性が全くないのだ。コンサルタントが注入した実質のない空虚なレトリック(修辞)を引き下げて、猿の「部下」はひたすら辻褄合わせに奔走するしかないのである。さぞやストレスが溜まるであろう。そして達成感など持てないであろう。猿に仕える悲哀である。IT(information techonology),DX(desital tarnsformation), STEAM教育(science, technology、engineering、art、mathematics)という外来議は、意味が分からないからこそ有難いのである。これこそ最強のレトリックである。コンサルタント「Academic Resourece Guide」 発刊の季刊誌[Library Resourece Guide」を教育長室に持ち込んで、その中に書かれていたアドボカシー(dvocacy)とレコメンデーション(reccomendation)の意味を山脇教育長に聞いてみた。答えられなかったことは言うまでもない。意味不明の中見をコンサルタントに外注して町民の頭上にばらまくことの悪戯について考える能力がなければ、その職責は果たせない。はっきり言えば、教育長としての職務遂行能力が低過ぎるのである。では四万十町議会議員教育民生委員会の職務遂行能力はいかがか。

田辺哲夫:嘆願書が出ていると聞くが、反対する意味が分からない。嘆願書の内容は一体どような物か。嘆願書のその後の動きは。

注釈:嘆願書の写しは既に全議員に配布されている、紛失か、失念か若しくは読んでいない。この杜撰さと多弁の組み合わせが、この議員の議会質疑の特質である。恐らく発言すること自体に個人的意義を見出しているのであろう。

大元政策監:団体説明会でも、反対意見があると伝えている。内容までは踏み込んでいない。

武田秀義:嘆願書には町としてどう対応する考えなのか。

大元政策監:嘆願書には、内容を精査した上で、町の考え方を整理した上で、文書回答を考えている

注釈:実は、当初は嘆願書には文書回答で応じない方向で庁内で調整が為されていた。「町民からの問いかけにに答える」方向性ではなかったのである。

堀本伸一:住民説明会での反対意見への反応はどのようなものかを聞かせてもらいたい。

 大元政策監:施設のランニングングコストへの懸念に対する説明は必要であるという意見は出ている。

古谷幹夫:過去の議会質疑の中でランニングコストについて川上教育長が答弁している。今までの議会でのやり取りが嘆願書提出に繋がっている。

 水間淳一:議会質疑で答弁しているのがここに出ている数字、7000万円か(古谷委員長を見ながら聞く)

注釈:議員最高齢の水間淳一議員は、常に委員会の場で他の議員から情報を得ようとする。その情報のついばみで、自分の議会質疑の内容を用意し、議決の判断に繋げる腹づもりであろう。実に安直、粗略である。今回は、文化的施設維持管理費用7000万が、議会答弁されたかどうか確認している。田辺哲夫議員と同様に、議会質疑の記憶が飛んでいる。行政職員の気力、体力、知力に対抗できなければ、行政監視は覚束ない。議会とは、選挙と選挙のインターバルに「票の行方探知情報を交換する場」をやる所ではないが、むしろ、それしかもはやできない「老害政治」の生きた見本がここにある。尤もこれは政権中枢もしかりである。

 大元政策監:平成29年度の決算認定議案質疑の中で行われた自由討論の場で、川上教育長が答えている。基本設計が完成したので、ランニングコスト試算や住民説明会での住民意見を踏まえて併せて、意見公募を実施する予定である。今準備室が策定中のサービス計画の策定目的で、基本構想や基本計画策定時のような検討委員会を正式に立ち上げる予定はないが、その代わりに同じメンバー(かっての検討員会メンバー)に数回集まってもらって、ヒアリングをしたい。6月定例会には、その為の費用弁償(日当)を計上する意向がある。基本設計は完成しているので、住民説明会での意見も踏まえ併せて、意見公募を6月中旬に実施したい。9月定例会で、実施設計を予算計上する意向である。

注釈:議員全員が嘆願書(文化的施設建の再考或いは中止を求める嘆願)を非常に気にしていることが伺われる。705筆もの署入りでは無視できない。それで住民説明会の場における嘆願書への住民反応を探ろうとしている。因みに武田秀義議員議員は、嘆願書提出代表者に同行し、町長室に赴き一緒に嘆願書を提出している。嘆願書を提出した団体は、6月定例会に同趣旨(文化的施設建設の再若しくは中止を求める)の陳情を四万十町議会に提出予定だそうである。委員会質疑を総括すれば、「文化的施設への町民反応を探りながら、町民から反感を買わない手法(議会としての対応)を委員会内で申し合わせ、文化的施設案件を議会として決着させる方向性を見出すという姿勢に尽きる。町の文化施策に踏み込んだ質疑は皆無であった。何とも貧層極まりない委員会である。この後、興味深い一幕があった。トイレ休憩時の事である。私の傍聴仲間のK氏が、古谷委員長に質問したのだ。

K氏:古谷君よ。四万十町の文化施策がどうあるべきかの議論が全く聞こえてこないことを君はどう捉えているのか。

古谷幹夫議員:ここは、そんなことを言う場じゃない。どんどん事業が進んでいる。状況把握をして「議会としての」対応を決めなくてはいけない場面である。文化施策はそれから後のことである。

注釈:この発言がすごい。私も経験した。自分が設定した議事外の感想、意見は傍聴者に対して「言うべきでない」と封じようとするのである。自分の議事設定や委員会審議内容への批判を全く受け付けることができないとという、驚くべき「容量」の小ささである。老化現象ともとれるが、議員である以上本質的には、「議員脳キャパシテイ」の問題であろう。議員としての「問題意識メモリ」を格納するストレージ容量に問題があるのである。その意味では、委員会全体が同列である。「票読み」は議員脳の脳幹部分、つまり本能的な生存欲求部分であり、これを否定しはしない。が、脳幹でしか反応しない議会を税金で維持する必要が果たしてあるのだろうか。脳死寸状態と言えなくもない有様である。これが、委員会質疑を見なければ、実態把握できない四万十町議会の実態である。

だから委員会議事録を速やかに作成、公開しろと言って来た、我々町民にはこの惨状を知る権利がある。

最後に、議員限定のページを公開したい。行政サイドは、このような内容で、妙な「議員特権(議員にしか知り得ない情報提供をする)」を醸成してはいけない。それは間違いなく「老害政治」への加担に繋がるからである。

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西原真衣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(102)

      学校が見せたがらないもの

           学校訪問記(窪川高校編)

 昨今の学校と行っても、実の所たった二つの地元四万十町の県立高校、窪川高校と四万十高校である。この2校は自分の出身校ではない。出身校は追手前高校である。ここも見せたがらないものがあった。授業である。長年英語塾をやっていたので、母校の英語の授業を、随分な時を経てふと参観したくなったのである。それも時の校長が、Iという私の同期であったのだ。結果から言えば、断られた。解せない。全く解せない。腹立紛れに高知県教育委員会とメールでやり取りした。「なぜ、校外の人間(保護者以外を指す)が授業参観ができないのか。公教育とは社会全体の物ではないのか。」と今と全く同じ語調で主張したのだ。メールの返信内容は、以下のようなものであった。「受験を控えて高校生がナーバスになっている時期なので配慮願いたい。それに授業を見られることは生徒の個人情報の侵害になる懼れがある。」実に道理が通らない理屈である。部外者に授業を見られたぐらいで削がれる集中力であれば、どの道、受験で大した成果は出せないだろうし、それにそもそも授業参観でなぜ、生徒のプライバシーの侵害になるのか、さっぱり分からないではないか。個別の成績を探りたいなどと言ってる訳ではないのである。この過剰反応にして過剰防衛はどうだろう。何だか無意味に窮屈で敷居が高いこと、尋常ではない。この時、偶々追手前の同期に高知県医事薬務課課長Nがいたので、県庁を訪ね、彼女にコメントを求めてみた。つまり「あの同級生のI君の母校追手前の学校運営どうよ。」という意味である。彼女はさすが優秀な官僚であった。Iの学校運営個別事案には言及せず、曰く、「学校は非常に手強いところである。献血車さえ、校内に入れない。」ウワッ、ではないか。「治外法権」の世界だったのか。ここまで来るとさすがに異常の領域である。が、執念深さでは人後に落ちない私は、それでも食い下がった。学校近くのコンビニで見かけた追手前の男子生徒に聞いたのである。「授業を部外者に参観されたら、プライバシーを侵害されたように感じるか。」である。その子の答えは簡潔明瞭であった「別に、そりゃノートとかじろじろ見られたらいやですけど。」が、その答え振りからして、学校を訪問した誰かにノートをじろじろ見られた経験がありそうであった。恐らく授業研究とか何とかで授業参観に来た他校の教員等にノートをじろじろ見られたことがあるのであろう。じろじろ見たのが教員である限り、これは全く生徒のプライバシーの侵害にはならないらしい。とにかく学校は部外者を入れたくなく、部外者からの評価、批判を病的に忌み嫌っているのである。地元高校は少人数校であり、さらに追手前のような進学校ではない。人数が少ないことは、「生徒の特定化につながる」と、個人情報保護を楯に、対外的に情報を遮断しがちである。正しく過去に町営塾の成果を聞き出そう試みた時にも、「成績は上がってきているが、個別の数値は出せない。生徒の特定化につながる。」と応答されたことがある。応答したのは現教育長、当時政策監官兼人材育成推進センター室長山脇和章氏であった。山脇氏は、「成績はしっかり上ってますから。」と付け加えたが、元来疑い深い私は、実物を見なければ信用できないのである。成績チャート一覧を作ればいいのではないか。生徒名の記載がなければ、生徒と面識がない私には、特定化は不可能である。年間5千万円相当の町費を投じてやっている事業である。成果数値の検証は必要である。そこは保護者や本人に事前に了解を取ればいい。町営塾開設時には、わざわざ議場まで来させて、両校の代表生徒に、「私達のために町営塾で支援してもらって有難うございます。」なんて議員に向かって、挨拶させたことを思い出す。「支援」とは四万十町費の投入であり、全ての補助事業は成果を問われるのであり、町営塾が、例外、聖域ではないということ位高校生は理解するはずである。私に英語の授業を見せたがらなかった追手前高校は、実は部外者に、授業本体を査定されることが嫌なのではないか。校長には授業の質の担保責任があるのである。とすれば町営塾も同様である、「生徒のプライバシー」にかこつけて実は、町営塾事業の成果や質を問われること自体を忌避しているのは町本体ではないだろうか。ところで学校は、授業を見せたがらないばかりか、「総合的な探求の時間」の全体計画表や年間予定表さえ、部外者には見せたがらないという驚きの事実が発覚した。少なくとも地元四万と高校と窪川高校はそうであった。町営塾「じゅうく」教室長によれば、同じ人材育成推進センターに席を置くコーデイネーターが両校に派遣され、「総合的な探求の時間」の企画立案に少なからず係わっているという。町費が入っているのに、そもそも県費で運営されているのに、地元2高校の管理職の面々は、非常に警戒心が強く、「閲覧させるが、持ち出しは困る」との一点張りを崩さなかった。仰天もののガードの堅さである。窪川高校は、総合的な探求の時間の企画立案に、町から派遣されたコーデイネーターが「総合的な探求の時間の企画立案」に全面的に係り、その上「教育と探求社」という教育コンサルタントによるプログラムを導入している。プログラム名は、「ソーシャルチェンジ(SC)」である。ネット検索すれば、

部門紹介⑥ソーシャルチェンジ | QUEST CUP 2020 / 教育と ...

https://questcup.jp › program-sc
社会課題探究コース「困っている人を助け、笑顔にするために考えた企画」部門 「ソーシャルチェンジ(SC)」は、 自ら課題を発見し、その解決を探求するプログラムです。生徒たちは、困っている人を助け、笑顔にするために考えた企画を発表します。
がヒットした。「困っている人を助け、笑顔にするために考えた企画」という部分に引っ掛かりを覚える。困っている人を助けたいとして、それが簡単であれば、人は簡単には困らないのではないか、とか、誰もが困っている人を助けたいと思うとは限らない(他人に不幸は蜜の味)とかの、人間社会や」人間性の真実がすっぽり覆い隠されているからである。子供に嘘をついてはいけない。嘘は泥棒の始まりである。論より証拠、「私達のために町営塾で支援してもらって有難うございます。」なんて地元高校生から謝辞を述べられた四万十町議会の面々は、それから間もなく、町民を丸ごと騙して、裏でこっそりまんまと給料を45000円分多く、町の金庫から泥棒したのである「困っている人を助け、笑顔にするために考えた企画」は、アクテイブラーニンング(主体的な学び)と呼ばれている。給料をこっそり巻き上げた四万十町議会の面々(高校生からすれは祖父のような年齢)は、年代的にはアクテイブラーニンング(主体的な学び)の受講体験は0であるが、実に主体的な「アクテイブシニア(活動的な高齢者)」振りを発揮しているのである。この45000円は、誰に教わった訳でもない、ただひたすら、選挙という手仕事で長年町内をはいずり回っているうちに身に付いた、生活に密着した知恵ともいえる、自ら取得した町民騙しのスキル(技能)が齎した成果物でもあったのである。それはそれとして、気になるのが、「ソーシャルチェンジ(SC)」という言葉のすわりの悪さである。窪川高校K教頭言わく、「「ソーシャルチェンジ(SC)」とは「教育と探求社」が提供している課題解決型のプログラム名です。」それ以上の質問を受け付ける考えは一切ないというこわばった表情で説明されたのである。「木で鼻を括った」という表現がぴったりの対応をするK教頭であった。ざっと見た全体計画や年間予定表中には、外来語が頻発していたので、気になったので、一々聞いた。意味が了解しにくいからだ。これってごく普通の感覚ではないだろうか。
※ポートフォリオ(提出物)
注釈、資産構成というのが元来の意味で、ここでは生徒の活動の個別構成内容を指しているらしい。その活動歴構成を記載したものの提出を求めると言う事である。ビジネス用語の教育界浸潤傾向が著しい。「教育と探求社」社長は元日本経済新聞社社員、なるほど、なるほど。
※ソーシャルチェンジ
注釈:辞書には社会変動、社会変革とある。高校生がどの程度、家族血縁共同体から地域社会、一般社会、市民社会等で使用されている曖昧多義な「社会」という概念を理解しているかが非常に心もとない。課題の発見の前に「社会」の定義の発見が必要なのではないか。そのそも学校教員が、学校社会専属所属員ではないのか。その社会への帰属は教員と生徒とでは、態様が全く異なる。教員と違って生徒は学校社会の通過者である。そして学校によって否応なく評価される。
※コーデイネーター
注釈:調整役か、「連絡、調整、協議」は役所の三種の神器である。この三種の神器の統合概念が「連携」である。翻訳すれば、「内部で万事宜しくやっているから、部外者立入り不要」である。特に教育委員会という名の役所がこの傾向が強い。この仮説を裏付けるかのように、K教頭は、教育委員会内部では用語が通じるけれども部外者には切り取りが生じ、誤解を招く恐れがあるので、文書を交付できない。」と言ったのであった。この教頭は、教育委員会村に心の住民票(忠誠と連帯)を置く種族であり、私とはどうも種族が異なり、従って言語体系が異なるということらしい。異なる言語は紛争の元という解解か、このようなタイプの平和主義の副作用である「視野狭窄」は、議会の病理でもあったことを思い出す。
それでも、元々語源が気になるタイプである私は、「もともと英語ですよね。それがどのような意味合いで使用されているのか。」と用法及び意味を聞いた。K教頭は、わざわざ語句を指さして、「カタカナですよね」と、私に聞き返して来たのである。この文字が英語がカタカナかというところに、なにがなんでも収斂させたいという強固な意志のようなものを感じた。いやはや、である。忠誠のなせる業か、自尊感情が非常に強いタイプなのか、目下判断できない。所でやはり気になるソーシャルである。使用例からsocialの語感を探ってみれば、
social  action :  社会運動
social climber:上流階級に入り込もうとする人
socila l contract:社会契約
social  democracy:社会民主主義
socila distanace: 社会的距離も一躍人口に膾炙するようになった。是もいち早くコロナかに見舞われたのが英国であったせいであるだろうし、英国は検査と感染者の追跡が日本と桁違いに徹底しているらしいし、コロナウイルスの変異の遺伝子解析技術も高度なものを持っているらしい。間違いなく日本よりコロナ対策が抜本的により科学的ではあるのだろう。そのコロナ対策の陣頭指揮を執ったボリス・ジョンソン首相だ。この人こそ自身が感染し、本当に困り、本当に助けられ、本当に笑顔になった人」でもある。この人首相になって間もないころにコロナに感染し、イギリスのNHS( nationa health center)傘下の病院の集中治療室で回復したのである。ボリス氏は、この回復時に、「社会は本当にあった。」と叫んだのだと言う。NHSの医療従事者の献身的な治療によって文字通り命拾いをしたこの首相の叫び「社会は本当にあった。」の「社会」は、同じ保守党のかっての党首にして首相であったマーガレットサッチャー首相の言葉、「社会というものはない。あるのは、自己責任である。」の「社会」を指していると言うボリス・ジョンソン首相は医療従事者を、エッセンシャルワーカー(essential worker、必要不可欠な働き手)と呼び、 国民に彼らへの感謝を呼びかけた。丁度その頃、四万十町役場の線路上の通路にも地元高校生による、ブルーカードに感謝の言葉が記された、「医療従事者に感謝しよう」運動が展開されていたことを思い出す。日本社会における医療従事者への感謝の背景には、医療従事者への誹謗中傷や、失政による医療現場の疲弊の報道があったと記憶するが、医療現場の疲弊と医療現場への誹謗中傷がなぜこのタイミングで重なり合って出てきてしまうかは、「課題の発見と解決」のようにはいかない、長い長い、複雑に入り組んだ英国とは異なる日本社会特有の歴史的文脈というものがある。「感謝」と同時に高校生に発見を促すべきは、本来は、この実に込み入った一筋縄ではいかない日本社会の「政治(間接的な意思決定)と人の感情や心情(センチメント)に係る現象の相互関連的応答的脈絡とでもいうべきもの」言い換えれば「日本的社会関係」の発見なではいのだろうか。それ抜きで、教員が生徒に対して「課題の発見と課題解決、主体的な学び、アクテイブラーニング」を提供すこと自体が新たなる消費活動にしかならなく、ひたすら空虚なだけである。教員自身の中に、自らが身を置く学校社会の社会的文脈を発掘するほどの探求心と虚心坦懐さがあれば、そこに教育コンサルタントなどの出番は本来ないはずではないか。「文化的施設」も同様である、図書館コンサルタントARGの岡本真氏も、外来語を不必要に多用する人物である。我々四万十町民は、高校生から大人まで、例外なく東京からやってくるコンサルタントに英語起源の目新しい外来語を、まるで知育玩具なんかみたいに提供してもらい、あやしてもらっているのに違いない。とすれば、我々は、皆な保育園児であり、官は官業の存続のためのエッセンシャルワーカーである保育士を、コンサルタントと称して公金で雇い続けているということになるのではないか。外来語によって慰撫されているのが本当の所誰であれ、官と官が次々と繰り出してくる官業の元手は税金である。これだけはくれぐれも忘れてはならない。高校生に教えるべき社会の仕組みの根幹であり、骨格はこれであると、私は確信している。「我々に課せられる税金によって、我々の住む社会をどう運営されたいか。」これを自分の言葉で表現できる力こそ、学力の到達点である。この力こそ、主体性の礎でもあり、また同時に主権者教育の目的地でもあるのではないか。その意味では「文化的施設」こそ主体性なき行政の本質の現れなのである。だからこそ、それを逆手に取って、主権者教育を「総合的な探求の時間」を使って高校生に提供できる恰好の機会が到来しているのだ。その趣旨で、今までの行政側のスタンスを再整理する。
1文化的施設基本構想検討員会に窪川高校T校長が委嘱されていた。
2.文化的施設中高校生ワークショップやSTEM教育関連で小学生向けプロフラミング教室が開催された。
3.町の文化的施設広報には、「子供たちの未来への投資」としての文化的施設建設が強調され続けている。文化的施設では、STEM教育を実施すると書き切っている。
つまりそこまで、「文化的施設」は、小、中、高校生をターゲットにしているのである。それでは、手始めに、地元2校で、「総合的な探求の時間」に上記三種の教材を持ち込んで生徒に自由討論させたらどうだろうか、という企画である。今現在進行中の町の最重要政策課題について、三様の視点を提示した文書を教材に主権者教育を実施するのである。
教材(a):町が広報している文化的施設チラシ
教材(b):750筆の署名入りの文化的施設建設の再考若しくは中止を求める嘆願書
教材(c):文化的施設建設への批判的チラシ
教材は揃っている。主権者教育提供の格好の機会が到来している。生きた教材である。
四万十町議会本会議場を使うのが望ましい。昨年は「子供議会」であった。今回は「中高校生議会」である。オブザーバーは、「文化的施設整備推進準備室」と「四万十町議会教育民生委員会」と「教育委員会(狭義の4名編成の合議体としての」)である。中高校生間の自自由討議の後半は、オブザーバーとの意見交換会である。これをケーブルTVで中継する。どうだろうか。誰か話に乗ってもらいたい。それこそ学校にも議会にも町にも新しい風が入るのではないか。学校も議会も町も、いずれも大がかりな喚起が必要ではないかと思うのである。学校と議会と町を一堂に会してシャッフリングするのである。そうすれば同一部族内部でしか通じない言語体系は「環境の変化」により変容を余儀なくされる。変革の前提は意識の変容である。これこそが本当の社会変革(social change )への可能性の道筋ではないだろうか。今「地域未来留学」の広告が、私のPC画面に頻出している。「地域未来留学」を主宰している「地域・教育魅力化プラットホーム」という一般財団法人の理事長は、リクルートキャリア初代社長である。「越境」が人を変えるというタイトルの対談動画の広告である。私見では「越境」は、物理的な移動を必須要件とはしていない。自治体や学校が「元リクルート社上がりの起業人(町営塾の受託者ファウンデイングベースを含む」ベネッセコーポレーション」「教育と探求社」等の顧客であり続ける限り、そこに身を置く生徒達は「越境者」などになろうとは決してしないだろうと思う。コマーシャルにより社会的に差別化された商品(学歴、職歴も含む)への購買欲へと自らのアイデンテイを同化させていく過程に既に組み込こまれている身辺の大人達(親や教員その他)から、暗黙の「社会的価値」を注入され続けて育ってきたからである。彼らは決して「越境者」など志向しないだろう。彼らは大それたことを内実化はしない。自己否定しないで済む(ただし他者との比較において)普通のただの「消費者」に甘んじるだけの謙虚さを既に自己の中に確立していると、想像するのだ。
注釈:「地域未来留学」というのは 四万十高校が導入している高校生全国募集制度の事である。都市圏の高校生が過疎地の高校に入学することを「越境」と評し、その刺激によって人間的に成長できると謳っている。少子化を背景とする「全員入学」と「学力低下」の実に裏をかいた巧妙な差別化、商品化である。因みにこの「地域未来留学」で起業したリクルートキャリアの初代社長である颯爽とした風貌の水谷智之氏が代表理事を務める「地域・教育魅力化プラットホーム」という一般財団法人は、過去に法定の貸借対照表のHP記載のないまま、HPで広く寄付を募っていた。それを指摘すれば、「今後公表します。」だったが、今またHPから消えている。法定の「役員等の報酬の支払い基準」をいつの間にかHPから削除していていたこの地の「四万十公社」と同様の行動形態である。彼の地とこの地という異なった地で発現している同質の行動形態の発見、これもまた、社会の新たなる側面の発見ではないのだろうか。発見は続く。
西原真衣