呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(100)

  少数民族・地元高校生の悩み(四万十高校編)

周りの大人がほっといてくれない、過干渉が過ぎる、じっと大人しく素直な良い子を演じる以外に道がないという諦念を持つに至った仮想四万十高校生のつぶやき

※入学すれば、早速地域の人から入学祝の「心のこもった手作りお弁当」が届けられる

それを学校で食べている姿をケーブルテレビが取材に来る。マイクを向けられたもちろん、「とてもおいしかったです。周りの地域の方の心がこもったお弁当に感謝の気持ちで一杯です。」というしかない、それ以外の事がコメントできるとは想像できない。

※「地域未来留学生」は全員寮に入る。自分も実は東京、名古屋福岡、大阪で開催される「地域未来留学フェア」の会場に親に「せめて高校だけは出ていなければ社会で通用しない。」と脅されて無理やり連れていかれて、抵抗するすべもなくこの高校に来てしまった一人である。「自然がいっぱい。地域の人が温かい。」とキャンペーンされて。まるで観光案内みたいと思いながらも取り合えず、3年間だけ我慢したら、親元から離れるチャンスかもと、ついつい魔が刺してしまったことが今では悔やまれる。来たみて分かったのは、生徒数に比べて先生の数が異常に多いことである。全校生徒が61人しかいないのに、教職員23人もいる学校で息が抜ける訳がない。寮は木造できれい給食も悪くないけど、土日の休みの日まで、なぜか学校にいる教員でもない若い「コーデイネーター」と名乗る人と地元の役場の人がやって来て、まるで保育園の遠足みたいに、下津井というところに蛍を見に連れて行かれたりするのが嫌でたまらない。休みの日位寮で一日中ゆっくり漫画でも読んで過ごしたいのに。彼女もいないし彼女と出かけるところもない、マックもなければツタヤもない。あるのは山と川だけだ。あーこんな所に来るんじゃなかったと思ってももう遅い。3年間の辛抱だと自分に言い聞かせている。

注釈:「コーデイネーター」とは四万十町が非正規職員の待遇で雇している町営塾「じゅうく」スタッフであり、学校に常駐し、地域未来留学の引率、寮生の生活指導、土日の活動支援等の任務についている。因みに地域未来留学の引率、寮生の生活指導には教員も関わる、本来教員の仕事であるところにコーデイネーターを配置するのが中尾町政の特性である。全て「人材育成」で一括りすれば、庁内外から文句は来ないという現状がある。弛緩の極みである。四万十高校の寮生を下津井の蛍狩りにいざなった「役場の人」とは、大正振興局限定のポスト「四万十高校振興対策監」のことである。過去に問題視された裏の公務員給与体系、通称「峯渡」(職位が上がららなくても年功序列で昇給さす)の復刻版と言えなくもない。中尾博憲町長は、この峯渡世代であることに注意。少ない子供にたかる多くの大人達、その大人の占めているポストに就く報酬を視座に据えると、少子高齢化の淵源的行為を依然何ら反省もなく少子化対策、地方創成」の名目で実施しているという破廉恥さに目を覆いたくなるのが正直な思いである。ケーブルテレビの番組編成もその傾向に拍車をかけている。ここで一言、ケーブルテレビを運営する四万十公社の中島親近理事長は、公社例規集の読解力に余りに乏しいので理事長として不適任であるいう認識を私は持っている。それは専務理事森雅伸氏も同様である。この専務理事の月額報酬は、7号給の月額55万円であり、県が設立した公益財団法人「高知県観光コンベンション協会」の専務理事の月額報酬額50万円を凌駕している。「高知県観光コンベンション協会」は役員等の報酬支払い基準をHPで公開している。四万十公社はしていない。月に55万円も取っていることを外部に知られたくないからである。知られたくないので、法によって公表すべしとされている、過去にHPに掲載していた「役員等の報酬支払いの基準」をHPから削除したのである。これを先導したのが、中平克己元理事長である。専務理事の給与は利益から捻出されたものではない、町に出す見積もり積算根拠の一つとして月額55万円が組み込まれているのである。町から公社に支払われる指定管理料総額6千万円の内訳数の一つであるということである。中島理事と森専務理事が執行役員あるような公社の番組編成の一端が地元高校取材番組である。四万十公社は町が設立した公益財団法人である。公社の独立性は皆無である中尾町長には、町の公共放送どうあるべきか論はない。それどころか、自己が本質的に汚職体質なのであろう。あぐり窪川駅長出向時代に残業代月額30万円の噂が飛び交った人物であることが思い出される。公社を所管する企画課課長川上武史氏には、この事実高知県観光コンベンション協会の専務理事(月給50万円)より四万十公社専務理事森雅伸氏(月給55万円)の方が月額報酬が高い」は報告済みであるので、企画課課長川上武史氏が今後これをどう差配するかを注目して頂きたい。ただしここでもう一言、ケーブルテレビが過去に取った視聴者アンケートの自由記帳欄には、地元の園児、児童、生徒の姿を見るのが、とても嬉しいという高齢者の声も多々ある。その気持ちは分からないでもない。高齢者は一般的にテレビが伴侶になりがちであり、知っている人や孫が写っていると文句なしに嬉しいものらしい。が、このアンケートも公開されていない。ここが最大の問題点ではないか。町政本体の「独り善がり傾向」である。その「独り善がり傾向」で大勢の大人に近づいて来られたら、少数民族である高校生には、なすすべもない。

※総合的な探求の時間は、「キャリア教育」に重点化されている。工科大学オープンキャンパス見学もあれば内閣府「リーサス」を使った調べ学習もある。就職時の面接予行練習を視野に入れた「自分の長所、短所」を見つめる時間もある。自分たちの卒業後の進路選択のための、首尾一貫した「キャリア教育」で総合的な探求の時間の年間予定表が埋め尽くされている。この高校に来てよかったと素直に思えるのは、総合的な探究の時間位である。自分が住んでいた地元の高校は、四万十高校のような少人数ではないので、ここまで至れり尽くせりの「キャリア」教育は提供してもらえないかもしれない。確かに周辺には自然しかない田舎の高校だが、「キャリア教育」「就職合同説明会」「町営塾」と至れりっ尽せりの進路支援がある。一人一人に手をかけてもらっている。学校偏差値は37と高くないので、在学中にいい成績を取って学校推薦で工科大学進学もありだし、進学しなくても、高卒で四万十町に採用されている先輩も珍しくない。中尾博憲町長は地元高校卒業生を優先して採用しているらしい。

注釈:上記内容は四万十高校を探訪して、宮地校長と上岡教頭から示された「令和3年度総合的な探求の時間年間予定表」に基づく説明内容を基にしている。「リーサス」を授業に取り組んでいる理由は、「統計を見る目を養うことがこれからの社会人には必要だ(宮地校長談)」からだそうだが、「ひと、まち、しごと、地方創成人口ビジョン」作成目的で内閣府地方創成局において開発された、域内域外産業別収支の統計「リーサス」を教材にしているというであった。この年間予定表、興味深かったので一部コピーもらえませんかと頼めば、拒否されたのである。それも「何に使うんですか」と聞かれたので「総合的な探求の時間の授業内容に関心があるからもらいたいだけです。」と答えても依然拒否の姿勢だったのである。四万十高校の宮地校長や門脇教頭には、「公教育とは社会全体の物であり、学校の物ではない。」との認識が乏しいのではないかと訝しく思ったことであった。地域住民からの「入学祝い弁当」「寮生への休日活動支援(と呼称されている)」や地域おこし協力隊と協働した「四万十高校マルシェ」等には何ら抵抗がないということか。県立高校と地方公共団体自治体の正式名)と地域住民以外の、得体の知れない妙な関心で近づいてくる異物的地域住民(私の事)にはなるべく学校の文物を手渡したくたくないということだろうか。高校性にとってこの周辺の大人達(学校教員と地域住民の一部)に散見されるこのような「仲間意識と排他性」はどう映っているのだろう。「統計の知識」とは、科学的な知見に基づいて、討論する力、つまり対外的説明力を養うためのものではないのだろうか。それなのに、宮地校長と門脇教頭の「それ何に使うんですか」応答には、実に「説明力」が欠けていたのだ。高知県高等学校課には、所管する県内県立高校全校の「総合的な探求の時間」の全体計画及び年間予定が提出されている。高知県に開示請求すれば手に入ると予想するが、そもそも開示請求しなくてはならないような物だろうか。学校HPに掲載すればいい代物である。学校の独自性をPRして「地域未来留学」を促しているのじゃなかったのか、ところが、高校支援課の職員にまで「それ何に使うんですか」と言われたのには仰天した。町営塾「じゅうく」の塾長高橋氏は、窪川高校と四万十高校に頻繁に出入りして、窪川高校では、「総合的な探求の時間」の全体計画に関わり、四万十高校では、「総合的な探求の時間」の企画立案に局所的に関わっている(じゅうくスタッフ談)という。「じゅうく」に四万十町は年間5千万円を拠出しているのである、両校に常駐させているコーデイネーターは町職員である。川上武史企画課課長に対して、両校の「総合的な探求の時間」に町営塾が関わっている以上、両校の全体計画と年間予定位町が入手したらどうかと促してみたが、反応は鈍かった。関わる以上情報入手が必要なのは当然であり、地域振興と地元高校振興を絡めて、役場内ポストを増やす、事業を増やすばかりが能ではないはずである。これらの実態からは、ただひたすら中尾博憲町長の「地元住民向人気取り施策」が透けて見えるのだ。隣の黒潮町は昨年町営塾を開設したばかりであるが、町内在住の高校生すべてに門戸を開き、大潟高校の教室を使い、土佐塾から4人の講師を交替で招いて、年間4百万円で、週2回英語と数学の授業を提供しているという(黒潮町企画調整課)。一方「じゅうく」は、一斉事業は英語のみ、過去にあった数学の一斉授業が廃止された理由を私に説明してくれたのは、休学中の現役大学生である「じゅうく」スタッフであった。大正振興局内に教室を持つ四万十高校生対象の「じゅうく」で数学の一斉授業が成り立たなかったの数学の一斉授業を廃止したというのである。A、B、C、自然コースとランク分けが必要であり、その単位の人数では授業が成立し難かったということである。つまり元々生徒数が少なく尚且つ数学の学力差が顕著であるということを示唆している。この説明が今まで聞けた「じゅうく」実態に迫る最も情報価値の高い情報であり、今の今まで、人材育成推進室に配置された四万十町正規職員、山脇和章政策監(センター長)、武田氏、横山氏からはこように具体的な説明を受けたことは一切ない。議場でも議場外でもである。実に異常な事態と言える。この異常事態の発生源は、

要因1.正規職員は、5:15分で帰途に就く、一方「じゅうく」開塾時間帯は、4:30~8:30であり、その間正規職員は誰もいない。正規職員が授業実態をおぼろげにしか把握していない。日誌のような物の提出もおそらく要請していない。出席人数の把握程度が積の山ではないか。彼等には抑々町営塾の仕様など書けないのである。

要因2.四万十町職員は、物事の理解に疎く見識に欠け、さらにそれを恥じる神経を持たない中尾博憲町政の下で気が緩みすっかり「仕事を楽にする」くせがついてしまった。辞令を交付する町長に「業務遂行能力」査定力がなかったらどうなるか。「湯水のように我々の税を怪しげなコンサルタントに投下しつつ、自らは無為無策の上にかいた胡坐状態で日々をやり過ごす町職員を大量に培養してしまった。」のである。人材育成推進センター職員が、私に対して一々帰り際に「有難うございました。」などと言うところが全く頂けない。いい年をして、「どうぞお手柔らかに。」だろうか。そのような甘言で人を操れるとでも思っているのだろうか。そのような体たらくだからこそ、コンサルタント「founding base ]からの出向者であり、塾長である高橋氏(月給30万円)に、高知県知事の浜田省二氏に対して、「高知の人はお酒が好きで、私もお酒が好きで、職場も温厚な人たちばかりで、毎日楽しく暮らしてしています。全高校生にタブレットを無料で支給してもらって、本当に四万十町って豊かな町だと実感しています。」などとヌケヌケプレゼンをされてしまうのである。詐欺にあっているのはどっちか、考えなくても分かる。女は詐欺師に向いている。ヌケヌケ詐欺にあってもニコニコしている温厚な現教育長山脇和章氏が統括する教育委員会にも、もう一人の、詐欺師とは言わないが、「それ何に使うんですか」発言の主がいる。教育委員佐々倉愛氏である。こちらもコンサルタントに破格の大盤振る舞いが続いている「文化的施設整備推進準備室」統括監である、大元学政策監が提供した「行政出前講座」について若干の質問をしただけである。「予算書の勉強会をやりました。大本政策監が講師で来てくれました。目からうろこでした。」とのSNS発信を見て、会場が「こいのぼり荘」という十和のゲストハウスで経営者が教育委員の佐々倉愛氏であり、この講座出席である、というSNS上で知り得た情報に基づいて、「どのような所が目からウロコであったか教えてもらえないか。」と問いかけただけで、「それ何に使うんですか」と応答したのが佐々倉氏であった。つまり高知県高等教育課職員や四万十高校管理職と思考回路が似ているのである。私見では、このような思考回路の根源にあるのが、「公」についての概念の混濁である。「公」とは「行政」ではなく、主権者である我々自体である。我々は我々の主権を民主的な選挙によって選出された代理人に付託しているのである。この原理原則に照らし合わせたならば、代理人(首長)によて辞令を交付された人間には、「選んだ人間(有権者)に対する説明責任」が課せられている。だからまず言うべきは、決して「それ何に使うんですか」ではないはずある。それを理解しない人々が施す「キャリア教育」とは一体どのようなものになるのだろうか。因みに佐々倉愛氏は、教育委員同意議案書中の経歴には、愛媛大学法文学部在籍中から「キャリア教育」に関わる、と記されている。四万十高校管理職によれば、キャリアとは、「人生そのもの、自己実現(門脇教頭談)」だそうである。「人生そのもの、自己実現のガイダンスをまさか高校で受けれるとは、私などついぞ想像したこともなかったのであるが、今や人生そのもの、自己実現が、高校時代に習得可能な実務スキルと化しているようである。これはパラダイスか地獄か、そしていつまで続くのか、(いつになったらスキルアップ圧力から解放されるのか)四万高校生にプライベートで聞いてみたい所である。高校生とはかっては、習得することと感じることが緊迫感をもって拮抗していた悩みの季節であった、と記憶する。

西原真衣

風力発電と蠢く町政(101)

     「文化的施設」意見交換会

  先月4月26日に文化的施設意見交換会が実現した。出席者は、私西原真衣、日野地の武吉廣和、貴子陶芸家夫妻、図書館協議委員金子仁氏、まちづくり応援団副団長石坂俊介、元町職員岸本英昭氏である。まちづくり応援団団長岩元寺住職窪博正氏にも声をかけていたのだが、都合がつかなく出席できないと連絡を受けていた。意見交換会の相手方は、大本学政策監兼文化的施設整備準備室統括官、大河原信子室長、西尾準備室主幹の3名であった。大本政策監から「録音していいか」と打診を受けていたのだが、その場で出席者全員が快諾し、こちらも私が持参しICレコーダーの録音機を示して、双方録音OK状態で、実に和やかに意見交換会が開始された。この辺が四万十町議会と大違いである。四万十町議会は中身もないくせに勿体ぶって、傍聴規則で「録音機の持ち込み禁止」などと明記している上に、議員報酬を一気に45000円も引き上げた挙句、委員会議事録の公開さえしようとしない酷い議会なのである。猿並みの頭である。意見交換会時間3:30~4:30の僅か1時間であったので、出席全員に満遍なく発言してもらうために、意見交換会を企画した私が、その流れでファシリテーターを務めることになった。この企画の目的は、岡山県津山市立図書館長を退職したばかりで、文化的施設整備推進準備室長に抜擢された大河原信子氏に対して、彼女の「図書館」を聞き出すことであった。まず私が口火を切った。

西原:今出席している武吉さんと私は、過去の同時期に、「図書館に個人の物は置かない」と告げられて、私の方は「西原真衣議会報告」、武吉さんは「武吉廣和陶芸展」の自作チラシを図書館パンフレットコーナーに置けないと、図書館側から宣告されたという共通の体験を持ちました。あれから5年も経過してはいますが、「図書館に個人の物は置かない」は、公立の図書館としてどうなのか、そこは非常に重要な部分だと捉えていますので、大河原室長の図書館観からすれば、その点どうなのかとまず伺いたいのですが。因みに現館長(生涯学習課林瑞穂氏)の見解は、「主観と憶測が含まれているので図書館に置くのは不適切」といいうことらしいのですが。

注釈:最近制作し、周辺に若干配布した自作チラシ「文化的施設についてのお知らせ」を事前に大河原信子氏に手渡してていた。

大河原信子室長:今の立場は室長であって館長ではないので見解を述べる立場ではないと考えます。

注釈:いかにも事前の打ち合わせ通りと言った答弁である。図書館長として経歴を買われて室長に抜擢されている以上、答えることに特段無理はない。単に「個人的チラシ」という視点で、彼女の図書館観を聞いているのである。組織的対応を志向した、萎縮と自粛が見て取れる。端からいかにも弱弱しい人物である。順応を持って旨とするのであれわざわざ外部登用する必要性もない。いかにも図書館コンサルタント岡本真の就斡斡旋に乗りそうな人物である。主体性が乏しい。この年代(60歳前後)の女性公務員にありがちなタイプである。日本の役所にはジェンダー平等の気風はない。採用から定年まで図書館にじっと大人しく粛々と住み着いてきた人物像が、じわじわと浮かび上がってきた。

大河原信子室長:配布物としては、スペースの問題がまずあると考えます。実際のスペースを確認できていないので、これ以上は答えられません。歴史的資料としての保存価値はあると考えます。

西原:非常に官僚的な答弁であると感じました。歴史的資料という解釈ですが、文化的施設建設は、現在進行形の政策課題です。自分達は住民目線で町の政策課題についての批判点を提示しているのであって、ごく健全な言論活動だと捉えています。町の公式見解を広報したものだけが、図書館にあるというのはむしろ不自然ではないでしょうか。本来の図書館資料である、書籍、著作物と同様に、多様な意見に接する機会を提するのが図書館の使命かと考えますが。

大河原信子室長:応答なし

武吉廣和氏:大河原さんの座右の書について聞きたい。

大河原信子室長:図書館学を学んでいた若い時には、「市民のための図書館」ということが盛んに言われていましたので、私もその方面の本を読んできました。

武吉廣和氏::高知市民図書館の渡辺進館長(注釈「移動図書館サービス」の草分け的存在で、日本の「市民のための図書館」運動史上著名な人物)について知っているか、知っているとすれば、どう評価するか。

大河原信子室長:応答なし

大本政策監:大河原は4月に来たばかりで、まだ十二分に四万十町図書館行政のこれまでについて把握していませんので、そこのとこはご了承いただきたい。

注釈:完璧な助け舟である。けれどもこの大河原氏の唐突な登用についての説明は、非常に貧弱なものであった。岡山県津山市立図書館を定年退職した人物であり、津山市内にある美坂大学等々との連携に実績がある」というものである。「文化的施設についてのお知らせ」にも書いたが、「今まで常駐の図書館長(司書資格保有者)さえ配置しようとしなかった町がいきなり、岡山県津山市立図書館長を外部から登用したのである。そのようなことは一言も基本構想にも基本計画にも書かれていない。検討委員会の議事録にも書かれていない。実に、一言で言えば、「町民不在の政策立案過程」なのである。図書館コンサルタント岡本真氏が裏で暗躍していることは間違いないだろうか、これでは町民は蚊帳の外である。誰が考えても、この様なやり方はおかし過ぎるのだ。ここで壁の時計に目をやれば、残り30分を切っている。そこで、慌てて、まだ発言していない石坂氏と金子氏に発言を促した。

石坂氏:「古書街道」をやっているのは、ただひたすら町をよくしたいという思いでやっている。今日は、批判的な意見に終始している印象を持った、建設的でない。

注釈:「古書街道」というのは高知県商工労働部経営支援課の補助事業で、窪川地区の市街地の空き家を利用した市街地活性化を目的とする補助事業ことである。具体的には商店街の空き店舗で寄贈本による「貸本屋」(インターネット販売も含む)を展開している。この事業の補助事業者が「しまんと街づくり応援団」で実行委員長が岩本寺住職である。石坂氏の「建設的でない」発言の口調は強いものではあったが、石坂氏は住民票を東京に残している移住者でもあり、この町の今までの図書館行政に通じている人物ではないので、いきなりこのような場面に遭遇して「建設的でない」という印象を持ったのでではないかと想像する。

金子仁氏:図書館は、多様な意見を尊重すべしという事には賛同する。図書館協議会の場でも、事務局の説明に「頼りない」という印象はずっとあった。だが批判に終始せず、建設的であることは重要だと自分も思う。だからこそ、せっかく四万十町に来てくれた大河原さんには、今後も頑張ってもらいたい。

注釈:金子氏の温厚さが如何なく発揮されている発言内容である。この「頼りなさ」という表現が意味するところは、図書館協議会の席で、図書館員から事業報告等の説明を受けても、「論理構成」が全く見えないということだろうと推測する。町政塾「じゅうく」の事務局の町職員に塾運営ノウハウがないのと同様、図書館員にも図書館運営ノウハウがないのである。少なくともそれを体系的に理解していない。だから、事業報告がどのようなものになるかは、凡そ想像がつく。私のよく知る素の長年の実態体験が、「今更なんで12億円で図書館なのだろうか」という主張の源になっている。それにしても今回の文化的施設推進準備室メンバー3名プラス生涯学習課林課長で、四万十町議会全常任委員会全てを回った際、私は、総務常任委員会を傍聴したが、委員から殆ど質疑らしきものが出なかったことは、前回書いた。今回の意見交換会の方が遥かにましである。少なくとも相手が答えに窮するような質疑が出ているではないか。本物の関心事であれば必然的にこうなる、が、総務常任委員である村井真菜議員や岩井優の介議員は、過去に一般質問で文化的施設を取り上げてきたのじゃなかったのだろうか。今更ながら思う事は、一般質問とは作文発表会ではないのである。年に4回学芸会で作文発表をやって月に25万円の給料を取れるほど 世の中甘くないはずであるが、なぜかそれが成り立っていることに忸怩たる思いが込み上げてくる。民主主義とはそれほど安易で怯懦なものだったんだろうか。ミャンマーや香港では若者が「民主主義」を求めて命がけで抗議活動に参加している。方や日本の片隅のこの地では、議会という場でさえ若者が、長いものに巻かれて安泰を得ようと、唯々諾々と年配者に従っているのである。「少子高齢化」の原因でもあり結果でもあるように見えるこの光景ぐらい、うら寂しい気持にさせるものはない。中尾町長が強弁する「子供の未来」のための文化的施設なんて、よくそんな破廉恥なことが言えたものだと思う。「若者が議員報酬だけで生活でき、子育てができる議員報酬を」と議員報酬を一気に引き上げた四万十町議会にそっくりな、老獪な高齢者男性がしぶとく居座り続けているであろう日本の津々浦々の「地方議会」とは、生存欲(必ずと言っていいほど「色欲」とリンクしている、雄の宿命か)だけが、老いてますます盛んになる「痴呆議会」でもあり、醜悪にして無能な、今の日本の政治の縮図である、との思いを一層強くした今回の意見交換会ではあった。「大河原信子室長頑張れ」とはさすがに私自身は思わないが、文化的施設を切り口に、四万十町の教育文化行政全般への質疑活動は継続したい。意見交換会第2弾(6月以降に予定)への参加者を広く募ります。

西原真衣

 

 

 

風力発電と蠢く町政(99)

四万十町営塾を運営する「founding  base 」注意喚起論

 四万十町が町を挙げて存続に向けて公費支援している窪川高校と四万十高校の今年の入学者数は、窪川高校28名、四万十高校21名であった。高知県教育委員会高等教育課が設定した、「2年継続して入学者数が20人を切れば両校を統合する」という指針の下、四万十町高校応援大作戦」事業が平成28年11月に開始された。地元高校2校の存続を政策目標としたこの事業の予算額は、経年変化はあるが令和3年当初予算ベースでは以下のようになっている。抜粋する。

町営運営委託料:1860万、委託先株式会社ファウンデイングベース

高校魅力化支援隊用住居借上料金:4, 291,000円

町営塾備品購入費:200,000円

窪川高校教育振興会助成金:8, 666,000円

高等学校通学費助成金:2, 600,000円

四万十高校教育振興会助成金:7,505,000円

奨学金等返還支援事業補助金:6,000,000円

地元高校入学祝金:5,000,000円

総額で、49,596, 000円である。

地元高校2校の存続に年間5千万円を使う事の是非については議論が必要である。記憶する限り、「地元高校から地元国公立へ進学できるような学力の養成」によって地元高校進学率を高めようという意気込みで始まったこの事業である。が、開設から4年が経過した令和3年4月までに未だ地元国庫立への志願者が皆無という実態がある(塾長高橋氏談)。冷静に考えてみようそもそも窪川高校全校生徒68人、教員数26人、四万十高校全校生徒61人、教員数23名という陣容で養成できないで来た学力を学習塾に何ら知見のない町が町営塾によって養成しようという端から無謀な試みなのである。しかも四万十高校に至っては、今年の入学者数21人中8名が県外生であり寮に寄宿せざるを得ない。令和元年から始めた「地域未来留学」という名称の高校生全国募集新制度を通じて政策的に他県の受験生を四万十高校に誘導しているのである。この経費(旅費やマッチング業者へに支払い手数料)に年間90万円が費やされている(四万十高校振興会助成金の内訳)。専ら四万十高校の生徒数確保が目的である。結果的に県外性の増加によって寮が満杯状態となり、使用されていない元信用金庫の社宅を町が買収し、改修後一部を県外生の寮として使用するという施策までが繰り出されているのである。表向きは「お試し滞在住宅」の新設であり、このあたりが、地元大正出身の屋康議員が議会発言中「裏話」と称した所以であろうが、この様なばかばかしい「裏話」は町民を欺くものであり、本来不要であると私は思うのだが、どうだろう。更に「入学祝金10万円制度」までもが令和3年度に新設された。これに反発する地元高校入学者にだけ祝金10万円支給するのは不公平ではないか。という意見が今役場の掲示板に張られている。これだけではない奨学金返還支援金」までが新設されている。実に怪訝である。ここまで来れば、行政が不当な圧力によって歪められていると見るべきではないか。補助金ゾンビ企業を生き延びさせているかの如き感さえしてくるのだ。「地元高校存続」を聖域化すれば、なにが背後ではびこるか、この際まずは、地元高校というより地元高校生を取り巻く進学進路環境における社会、経済情勢をまずは整理しておきたい。

  少子化によって全国の大学は生き残り残りをかけて、入試の推薦枠を拡充している。推薦には指定校推薦(成績基準による校長推薦)と総合選抜推薦(面接や高校時代の活動評価による選抜)の2種類がある。成績とはクラス内相対評価である。窪川高校の偏差値は36、四万十高校の偏差値は37である。因みに新設された須崎総合高校の偏差値は37~39であり、参考までに高知県トップの進学校土佐高校の偏差値は67である。四万十町内小中学生の就学援助(学校給食、修学旅行、学用品への補助金拠出)受給比率が25%(4人に1人)である町の実情を見れば、進学先選択は、生徒数が多く、選択肢も多く若干ではあるが偏差値も高い須崎総合高校となるのは必定である。さらに、先述したように、大学進学のハードルは少子化によっ年々低くなっているのである。が、当時者にとっての高校、大学進学状況本体から離れたところで、窪川高校存続の熱意を遥かに凌駕する四万十高校存続への地元熱意という現象が存在している。合併前に旧大正町で合併の是非と問う住民投票があった事と不合併後の地元高校存続への執念とはおそらく連動している。「せめて地元高校だけは残したい」というセンチメントが充満してるのだろう。これに、論議なし迎合ありの窪川出身政治家中尾博憲が垂涎状態となり、補助金をこれでもかこれでもか繰り出しているというのが実情に近いのではないか。その証拠地元田辺哲夫議員は、四万十高在校生向けに資格取得費用や自動車免許取得時に補助金を出す等の珍妙な支援策を地元票目当てで議会でアピールしてきたし、中屋康も、大正給食センターの存続や寮問題に言及し,地元票を意識した四万十高校振興アピールに余念がないのである。一般に知られていないが、窪川高校振興会の会長は元町議の槙野理恵子氏であり、役員に窪川出身現職議員はいない。方や四万十高校振興会会長は現職議員堀本伸一であり、役員に村井真菜や林健三も名前を連ねている。四万十高校存続の聖域化は彼らの票田の聖域化に直結しているのである。論議なき迎合政治家中尾博憲が動かない訳がないではないか。中尾博憲が金銭(血税)バラマキで議会対策をやる人間であることは、とっくの昔に証明済みである。往年のJリーガー中山ゴンの言い草であった、「俺頭悪いですから。頭脳プレーできませんから。走るだけですから」になぞらえば、中尾博憲バージョンは、「俺頭悪いですから、論議できませんから、補助金ばらまくだけですから。」となる。私は中山ゴンは好きだったが、中尾博憲は心底嫌いである。ゴンは走ってチームに貢献したが、政治家の頭が悪いのは厄災に近いからであり、それでもその地位にとどまり続けるという厚顔さが我慢ならないのである。今回その厄災ぶりを町営塾に焦点を当ててオブザーブしてみた所、想像以上の実態が見えて来たのでここにレポートしたい。

  町営塾の運営は、自治体運営塾コンサル「founding base 」に一任されている。この社員平均年齢30歳に満たないであろう教育関連ベンチャー企業は「founding base 」のHPを開くと、現れるのが、以下である。

 「自由」をUpdateする というMISSIONのもと、地方を軸に事業展開している地方共創ベンチャー企業です。

Updateできる自由とは「founding base 」というベンダーによって簡単にバージョンアップできるマイクロソフトのOSソフトのような物であるらしい。「地方共創」というからには、地方の高校生を自由のUpdateへと誘うMISSIONを担っているという意味であろうか。議会に居た頃広報誌でも紹介された、「founding base 」からの出向者で、月給25万円であった伊藤君(運営委託料2500万円から拠出)が、議場で議員を前に挨拶をした。

「田舎の高校生が普段あこがれている都会の格好いいお兄さん、お姉さんと交流する機会を提供することを通じて広い世界への興味関心を喚起しつつ自分もその格好いいお兄さん、お姉さんのようになる夢を実現する手助けをしたい」

「かっこよさへのあこがれ発、夢をかなえるための勉学意欲の喚起」という理屈である。この伊藤君からもらった名刺には, 「Joint Maker」という珍しい職名が記載されている。とにかく英語表記が好きである。どうも英語だとかっこいと思い込んでいるようである。この伊藤君、広報誌の取材に、「以前勤めていた旅行代理店でパワハラにあった」と答えている。田舎の高校生は都会から来たファッショナブルで高学歴な若者にあこがれ、その憧れをばバネに、自分も後に続きたいと、勉学に励んで夢をかなえていくという実に今風に貧相なサクセスストーリを田舎の高校生に吹き込むと言うならば、それは実に低レベル且つ質の悪い自己啓発セミナー」のようなものではないだろうか。この「founding base 」からの出向者自身が起業家を自認する同世代社長から既に完璧に洗脳されているのではないのか。都会における若い世代の労働環境の劣化(非正規化、低賃金化、労働時間の長時間化)と片方で少子化による大学進学難易度の低下、及び田舎の高校存続への地元住民の執着というファクターの組み合わせにこのリクルート社出身の若き起業家は商機を見出したのである。そのような社会経済情勢が生んだ「学生リクルート」ビジネスがもうかる仕組みとは、運営委託料こそ1830万円であるが、「じゅうく」スタッフ全員の家賃と賃金は全額町持ちである。高校魅力化支援隊用住居借上料金:4, 291,000円と、塾長以外のスタッフの月額報酬は、1年目18万円、2年目19万円、3年目20万円だということである。1年目が3名、2年目が2名、3年目が2名だということなので、報酬合計額は、15, 840,000円となる。家賃プラス報酬で、20, 131, 000円となる。この経費が全て、町営運営委託料1860万とは別に町が出している。委託料830万円から塾長給与年額360万円を除けば、年額1500万円の丸々粗利ビジネスなのである。日本の人口減と少子化に悩む中山間地の自治体の地元高校存続に対する地元熱意への迎合と自治体の教育分野における知見の完璧な欠如につけこんだ新手の教関連ベンチャーと言えよう。この「founding base 」のface book上の求人広告を見れば、この企業が、実に低質な「自己啓発セミナー」まがいの学生リクルーターであることがありありと分かる。

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ここにはないが、新規自治体開拓分野求人も見つかった。この任務は「local producer」と呼称されている。およそまともな英語ではない、珍妙な和製英語の連発である。まともな英語力を持たない雇用主に雇用された講師たちが地元高校生に提供している英語の授業ぐらい、四万十町管理職は自ら見学し、理解を促す授業かどうかを視察し、更に教育委員会に所属する国際交流員(英語と日本語ができる)に授業評価させるぐらいしたらどうなのか。国交流員も月額報酬30万円、住居借り上げではないか。「じゅうく」の塾長高橋氏と同じ待遇である。この塾長、「浜田が参りました」時のプレゼンの場で冒頭で「founding base 」の宣伝をした後に四万十町の人はお酒が大好きで、温厚で、私もお酒が好きなので、毎日楽しく暮らしています。高校生全員にタブレットを無償で配布してくれたり、本当に四万十町は豊かだなと感じています。」と述べたのである。町営塾の塾長に町の豊かさを実感させている四万十町管理職は、この発言をどう聞いたか。豊かであれば、就学援助を4人に1人受けたりしない。3月31日町内居酒屋で管理職総出で総勢27人で2時間の歓送迎会をやったらしいが、彼らは一体税金を何だと思っているのだろうか。そのような体たらくだから平均年齢30歳に満たない悪質なベンチャー企業「founding base 」に易々とカモにされてしまうのである。

西原真衣

風力発電と蠢く町政(97)

「議会の見える可を求める陳情」全会一致で不採択

「見える可」がなぜそれほど嫌なのか、なぜこれほど頑なに抵抗しているのか。自信がないからである。自分の発言が記録され、晒され、批判されることが怖いからである。

実に厚顔である。議員の癖に言質を取られたくないとほざいているのである。この様な議会はいらない。議会解散請求でも出してやりたい位である。本会議は隠せない。ケーブルテレビで議会放送がなされている。いいことである。昨日知人と会話した。議員の発言、しぐさ、態度の全てが有権者の厳しい目に晒されている。当然のことである。だから代表として、その緊張感を抱えて議決しているのである。委員会はそれを免れるとでも思っているのか。思っているとしたら、とんでもない集団である。委員会には執行部がいない。議員同士が対面で議論する。ここで正体が出る。本来の無知と不見識を隠せない場である。2年前に下元昇が議長選で、「議会の見える化」を訴えて議長になった。それからケーブル放送されていない委員会の「見える化」は一歩でも進捗したか、していない。以下が方便集である。以下陳情した「委員会議事録を公表できない」珍答の数々である。この際徹底的に世間の笑いものにしてやろうではないか。

下元昇:不規則発言が多すぎる。議事録を公開するに堪えない

注釈:不規則発言とは、議長や委員長許可を得ない発言である.単なるフライングであり、指摘を受けて毎回改めて許可を得て発言している。全く理由にならない。この辺しかレーゾンデートルがないということである。学級委員並である。どんだけ議員をやっているのか。学習能力を疑う。

味元和義:四万十町議会は、高知県内町村議会で最も情報公開が進んでいる

注釈:情報公開を推進してきたのは行政や一部町民であって、議会議員の発意によるものは何一つない、私はその経緯を熟知している。どの面下げてそんなことが言えるのか。図々しいにもほどがある。

村井真菜:一番茶が飲みたいときもあれば2番茶が飲みたい時もある

注釈:意味不明、頭は大丈夫か、文脈的には「2番茶」とは、委員会年間活動報告会を昨年12月定例会から実施し始めたことを指している。議事録とは、結論に至る審議過程であり一般的な報告とは端から異なる、有権者と審議過程を共有して初めて結論に有権者からの信任が付与される。村井真菜はどうも民主主義の基本、議会の基本が分かっていない。縁側で2番茶でもすすってろ、この無知をもってしては、議会は場違いである。

橋本章央:定例会前の議会運営委員会は議案審議がある。個人情報も出る。何でかんでもは公開できない。

注釈:本会議上程前に議案審議する必要はない。それをするなら本会議で議案委員会付託決議が前置されるべきである。橋本章央は、議員報酬改正議案の賛成を事前に打ち合わせた議会運営委員会の不当行為を十和村議会の習わしとして正当化した位、議会制度の基本が分かっていない。実に姑息かつ「無知」であり「無恥」である。これからは、是非愛の「鞭」でも振るってやりたい。誰か私と組んで「ギインジジイバスターズ」をやる気はないか。出来れば、頭の切れる豪胆で見目麗しい若い女性が望ましい。ターミ ネーターには最適である。広く人材を募りたい。

 結論から言えば、このような議会はいらない、が、いなくならない。図々しく性懲りもなくゾンビのように選挙に出続けて当選してしまう。実にそれが問題だ。ハムレットのように頭を抱えて悩みそうになる。議会の解散請求にも議員の解職請求にも全有権者数の1/3以上の署名を選挙管理員会に提出しなくてはならない。今四万十町の全有権者数は14,445人である。内訳は男6,816人、女7,629人である。人口の高齢化を反映してか女の方が1,000人近く多い。そうだいいことを思いついた。この前私宛に投函された匿名の通報文には、「不貞行為を働いた上に相手の女性を庇う事もなく慰謝料まで請求したと噂されている槙野章議員は、全女性の敵だ。」と書いてあった。人数の多い女性有権者に署名してもらって槙野章に解職請求が出せないか。田辺哲夫議員の水泥棒事件も決着がついていない。大正限定で署名を集めてみようか、でも大正の全有権者数は2,036人しかいない、とても1/3には届かない。こうなったら、有権者数の1/50、つまり僅か280人で済む四万十町議会議員政治倫理条例の審査請求を使えないか、そうなると槙野章と田辺哲夫を同時に狙い撃ちににできる、などとハムレット宜しく頭を掻きむしってしまうのである。けれども、町政(議会を含む)に憤懣がたまっているのは決して私だけではない。最近私に届いた2通の匿名通報文(二通目に槙野章と田辺哲夫問題が書かれている)の内容がそれを物語っている。多くの人に見てもらうために二通ともここに公開したい。

 

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この二通の通報文は、中尾博憲町長と森副町長には見せに行った。総務課長の熊谷敏郎にも見せた。複写してくれと頼んだら、熊谷敏郎は「宛て先が町ではないので、読むだけにしたい。」と応答した。そこで後日中尾博憲町長宛ての複写物を総務課に持ち込んだ。熊谷の言い分「宛て先が町ではないので、読むだけにしたい。」とは骨の髄までの保身である。議会放送で総務課長として答弁に立つ熊谷敏郎は、このような人物である。議会を含めた町政への町民意見を読み返し、熟考してみようという考えが毛頭ないのである。まるで降りかかって来た火の粉を振り払う様な実にエゴイステイックな挙動ではないか。議会事務局長の長谷部卓也は同じものを見せたら「コピーを取らしてもらっていいか。」と私に聞いてきた。槙野章と田辺哲夫の実名があったからであろう。議会事務局長長谷部卓也にとっては「議会情報の収集」であり、総務課長熊谷敏郎にとっては、「関知したくない通報文」なのである。さてどちらが町民にとって有能な官吏であるか、二人とも農林水産課課長歴を持つ。四万十町の農業者2500人の皆さんを始め官吏の雇用者である我々町民は、この二人の元農林水産課課長をどう評価すべきであろうか。町は歴代最も答弁能力のある人間を農林水産課課長に配置してきた。理由はいたって簡単である。最も多額の補助事業を抱えており、町民の利害が最も大きいからである。政治とは利権の配分を巡る利害の調整である。その結果にどれだけの町民が納得できるか、これにかかっているのだが、利権の配分と調整の実態が町民にほとんど知られていない、ので町民は判断不能の状態に長年置かれているのである。だが、考えてみれば、それもそのはずである。町民が、「議会の見える化」にここまで抵抗する議会しか選出できていないからである。「議会の見える化」に抵抗する議会が「町政の見える化」に貢献できるだろうか。できるわけがない。だから町勢の疲弊が止まらないというのが私見である。問題の根本はここにある。

西原真衣

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(96)

「選択的夫婦別姓の法制化を求める請願」不採択、賛成2、反対5

賛成議員:村井真菜、岩井優乃介、反対議員:味元和義、橋本章央、中屋康

 昨日4月14日に四万十町議会総務常任委員会を傍聴した。「選択的夫婦別姓の法制化を求める請願」の紹介議員は村井真菜議員と岩井之介議員であった。紹介議員として彼らにはどのような発言力が見られたのだろうか。

村井真菜:人権問題である。選択的であるので、同夫婦同姓を否定するものではない。夫婦別姓を選びたい人がそうできるようにするということだ。(注釈:請願尾趣旨本体である。これh亜既に請願者前回説している。他の委員尾物分かりの悪さを理騎して敢て言っているのか、若しくは自分自身が趣旨を反数刷るために行っているのか。おそらく後者であろう)

岩井優乃介:僕は賛成です(注釈:だから請願紹介議員になったんだろう。いい加減にしろ。)。選択的だから誰も困らないことだからいいんじゃないか.(注釈:善意の塊のつもりか、愚鈍の極みか、救い難い政治的不感症である、利害を察知できない)

橋本章央:夫婦同姓のどこが問題なのか理解できない。「家族の一体感が失われる」自分の周辺の人間も全員同じ考えだ先だって息子に稼業を継がない、地元に戻らないと宣言されたそれでも 息子は、橋本姓を継いでくれている、孫にもその次の代にもずっとは橋本性を継いでもらいたい。(注釈:宣言とは大袈裟な、自分の心情と社会通念と世論の動向との間の分別も泣なければ距離感もない)

村井真菜:徐々に考え方が変わってきている。長男が稼業を継ぐという考えは廃れてきている、一方で、自分の家の場合、相続の時に全部父親の名義となった。家父長制が残っている。多様な考え方や価値観が受け入られないから若者が地元に居つかないという結果が生まれているのではないか。選択できるという事で逆に地元に帰って来る人も出て来るのでは。(注釈:明治31年に制定された民法では、家制度と家督相続権が一体化されて規定されていた。戸主が家長であり、戸主以外の家族を支配し、庇護する。婚姻によって妻は夫の家に入るという「家制度」言い換えれば「家父長制」が文字通り法制化されていた、が、日本国憲法24条の創設により民法から家と家族が廃除されたにもかかわらず婚姻法と戸籍法置いて、筆頭戸主と、同一戸籍内(実質家族)内の同性が実質として残った、という不整合や矛盾についての理解、説明が不十分極まりない。本来請願紹介議員になる時点で押さえておかなければならないことである。)

味元和義:法制化する必要を感じていない。夫婦同姓が嫌な人が一定いる。その人たちの為という考えを否定する気持ちはないが、それでも自分の当たり前感覚とはどうしても相入れない。家族の一体感が失われる。兄弟で性が違うなど想像できない。女の方の家に男が入れば、女の方の姓に、その必要がなければ男の姓にという事でずっとやって来た。それで問題が特に生じているとは思えない。(注釈:目をしばしばさせている。よっぽど心情的に受け入れがたい事態が発生しているのである。)

岩井優之介:味元さんは、だったら賛成しなくてはならないのじゃないか。

味元和義:迷った時は支持者の意見を聞くことしている。住民代表だから当然である。周辺の人間で賛成したのは誰もいなかった。

注釈:完璧な詭弁である。議員報酬引き上げ時には決して周りの意見を聞かなかった。この時は、迷いが全くなかったのである。自分に都合がいい時だけ住民代表となる。このような「ポンコツ田舎詐欺師」議席を与えても百害あって一利なしである。ご用心あれ。

橋本章央:法制化までの必要を感じない。(味元和義が意を得たりという表情で橋本を見る、席の下で手でも握り合っているんじゃないかと勘繰るような一連托生振り)

村井真菜:すごく言っていることは分かるんでけど、(注釈:相手が何を言っても一先ず「理解できる」と条件反射的に述べる当たりは、中尾博憲のそっくりさんである。共に迎合人間と解釈できる障碍者の事もそうですけど、法制化され、法律に明記されることで、心理的に救われると言う事もあると思うんです。

橋本章央:真菜さん、障碍者のことと選択的夫婦別姓と同じように言うべきじゃない(注釈:断固とした口調で、人権意識の高さを演出している模様、いくら口調が十八番の詰問調であっても、人権教育研究会の理十和支部の理事会、余りに欠席が多いので、行政枠の充て職を役を外してまで別の人を選任したと言う事実も知っている私としては、「オワコン田舎詐欺師」にしか見えないのである。このような爺さん相手に、「タイニーハウス」でコラボして、調子を合わせなくてはならない元協力隊Yの苦労が偲ばれる)

村井真菜:沈黙(注釈:ここで黙ってどうする。根性なし)

味元和義:子どもの姓兄弟で別々になるとどういうことになるのか想像もつかない。

緒方正綱:墓は一体どうなるのか。法制化して後々に禍根を残さないようにしなくてはならない。

岩井優之介:法制化しても大多数が同性を選ぶので多勢に影響はないと思う。

味元和義:国が決めることヲわざわざ町議会の名前で出す必要があるのか。

(注釈:国が決めることは、地方議会が立法機関ではないと言う事と同義であり、陳情請願制度の趣旨を全く理解していないことの現れである.ここまで無知にしてこの議員歴である、この人物は勝手町長選にも出た。オワコン田舎詐欺師は向かう所敵なしである。地元の疲弊の最大要因ではないか。若者世代はかような「オワコン田舎詐欺師」を駆逐すべしである。選択的夫婦別姓如きが怖いのである。駆逐してやれ。)

村井真菜:小さな所から出していくことも大事だと思うんです。

中尾康:小さな所から出していくことも大事だという事は理解するが、全体の動向(注釈:全体の動向ではなく自民党の最終決定を待つという意味である)を見てからの方がいいという意見である。現時点で法制化を求める意見書を四万十町議会の名前で国に提出するのはいかがなものか。(注釈:自分が自民党の上層部に覚えが目出たくなくなることは何としても避けたいという意味である。温厚紳士を気取っているが、この議員の本質的には「女衒」である。本郵便局というのは頷ける。自民党の子飼いが板についている。)

味元和義:これ以上議論しても堂々巡りになるので採決した方がいいんじゃないか。

緒方:選択的夫婦別姓のメリットとデメリットを研究する必要があると思うので、継続審査が良いんじゃないか。

味元和義:委員長には議決権はない。委員長以外の委員が5人で同数にはならんから採決すればいい。(ここで笑いが起こる、実に「老人憩いの広場」みたいな弛緩した委員会である、村井真菜は老人憩いの広場に派遣された介護職員か、老人たちは「真菜さん」とか名前で呼びつつ、そこはかとなく嬉しそうでもある。中尾博憲は町長室前で、「みきちゃん、お茶お願い」などとやっている。権力に発情した老いたるオスほど見苦しいものはないという事の好事例)

採決結果が表題である。この請願審査の傍聴席には、請願者を含む年配女性が3名いた。不採択となり、彼女たちは憤慨の色も見せず、やれやれという表情で退室しようとしていた。その隣の席にいた私は、議員達に聞こえよがしに、その3名の女性達に向けて話しかけたい衝動を抑えることができなかった。

西原:「家族の一体感が失われる」というのは結局、「夫婦同姓であることで一体感を持ちたいという発言者自身の願望の現れ」ということがよく分かる審議で面白かったですよね。自分の配偶者、その次は息子の配偶者に別姓を選択されることが最も怖いんですね。きっと、そうなれば自分がどこにいるか分からなくなるんでしょうね。存立基盤が脅かされるように感じているんでしょうね。そのために何が何でも法制化を阻止したいんですね。」3名の御婦人方は、実に鷹揚に、私ににっこり笑い返して、全く何事もなかったかのように帰途に就いたのである。この請願審査の一部始終から見えてくることは、陳情、請願という最も重要な町民参画の権限行使の場において、陳情請願者に比べて議会議員の知識, 認識及び識見が遥かに劣ってるという紛れもない事実である。町議会は小さくなんかない。河井克行元法相の公職選挙法違反裁判の報道が国民の目に明らかにしたのは、「地方議会が国政の足場である」という事である。だからこそ、「国が決める事」などど胡乱なことを言ってる場合じゃないし、地方議会こ精緻な議論が必要なのである。それができなければ、地方議会は不要である。議席とそれに伴う議員報酬は返上してもらわなくてはならない。多く見町民が見る機会を持たない、この学力の低すぎる町議会委員会こそ町は町の公共放送、ケーブルテレビを使って、放映すべきである。

西原真衣

 

           

 

風力発電と蠢く町政(94)

        覚えがめでたい人

 私は昨今変じゃないかと思ったことが幾つかある。まず少し前のことになるが、教育委員会に傍聴に行ったら、会議資料として配布された教育研究所運営委員会の名簿に、教育委員の石碕豊史氏の名前があったのである。教育委員会とは合議体の執行機関にして議決機関である(という一先ず建前)でと規定されている。執行を委任している教育長の監視機関であり、議決権によって監視機能を果たすという建前なのである。教育研究所とは教育長をトップとする執行を委任された機関である、教育委員会学校教育課の付属機関である。教育研究所運営委員会とは付属機関教育研究所の諮問機関なのである。非常に面倒ではあるが、こうやって延々と辿って行けば、「教育委員石碕豊史氏は、執行機関と執行機関の諮問機関に同時に席を置いている」ということになる。実態的には、失行や監視や指紋が形骸化して機能不全を来しているので、教育委員会という事務事業を司る組織が全てお膳立てをすることで、見かけ上は全てが滞りなく回っているのである。

         が,

全て物には限度というものがあり、許容できることとできないことがある。許容範囲にしてはいけないと感じたので、教育次長の浜田氏に指摘した。結論的には、石碕氏を運営委員から次回から外すという玉虫色的なものであったが、制度上の人選ミスは認めた形となった。本来は運営員委員を石碕氏本人が下りるべきである。この辺の判断に欠ける人物として石碕氏の印象が、私には残った。学校教職員上がりにはこの種の人が多い。石碕豊史氏は、学校教育退職者であり、教育研究所の教育相談員を長年務めた挙句、教育研究所退職後には教育研究所運営委委員会委員となり、そのまま教育委員となり、本人的には何ら疑念なく二つのポストに就任していたのである。委嘱する方も方だし、委嘱される方も方である。「官僚制」オートノミーとでも言いたくなる現象であり執行、監視、諮問が手に手を携えて質的に劣化しながら総崩れしていく状況から生み出されるているのでは、と感じるのである。極論すれば、今論者が言っているように、安倍政権以降の法治主義ではなく人治主義への退行である。石碕氏は結局、二つのポストに充当されるくらい、当局の覚えがめでたかったのであろう。川上哲夫教育長時代の教育次長岡澄子氏の教育研究所長への退職後の斡旋辺りから法治主義から人治主義への流れが生まれたのではないかと推測する。岡澄子教育研究所所長は、この人事ミスに気がついていなかった、彼女の制度理解のレベルが露呈したとの見方も成立する。畢竟、人治主義では、適材適所は実現し難いのである。

 次の事例はごく最近の遭遇事である。今私が最も注視している文化施設関連の人事である。平成29年から平成31年にかけて文化施設基本構想検討員会とそれを引き継いだ基本計画検討委員会が設置されていた。公募委員枠に酒井紀子氏と刈谷明子氏がいた。刈谷明子氏にはこの間、図書館協議会委員検討委員会公募委員の兼任状態が発生していた。検討委員会には図書館協議会から会長林一将氏が委員として委嘱されていたので、通常なら図書館協議会委員は、公募脇からは除外するのが常識ではないだろうか、というのが私の感覚である。文化財保護委員会代表、美術館運営員会代表、図書館利用者代表、学校図書館関係者代表という委員構成であったのだから。不思議なことにこれが問題視されなかったらしい。図書館協議会代表の公募枠で委員となり、今は会長となっ竹村君子氏は常々、図書館協議会の場で、文化施設検討委員会の議事内容が、全くと言っていいほど図書間協議会に伝わらないと、苦言を呈していたのである。その場に刈谷明子氏は同席し、それにはノーコメントであったことも思い返せば妙であった。因みにその時には林一将氏は会長を退任し、竹村君子氏が会長職に就任していた。実は刈谷明子氏にはもう一つのポジションがある。高知市の認定特定非営利法人高知こどもの図書館の理事」というポジションである。一昨年永国寺町の勤労会館の一角から高知公文書館(元県立図書館)に移転したこの「高知こどもの図書館」は、絵本の読み聞かせの先進的な取り組みで全国的に有名であるとのことだ。その組織の理事である人が、四万十町立図書館設置条例第7条における「家庭教育の向上に資する活動を行っている者」の立場で図書館協議会委員に委嘱されていること自体に特段違和感はない。むしろ適任だという印象を持つ、が、問題はここからである。「高知こどもの図書館」は四万十町立図書館から、絵本の読み聞かせボランテイア要請講座を受託してるのである。この講座は、「高知こどもの図書館」の収益事業である。図書館協議会とは、図書館から事業報告を受けてそれを評価し、館長に意見を述べるための機関なのである。評価者である以上、まずは、事業の委託先と自分の関係性は事前に明らかにしておかなくてはならないと思う。委託金額が僅少であろうとなかろうと、事の本質は、利益相反なのである。だからこそ、この辺りの区分は重要視すべきである。石碕豊史氏と刈谷明子氏の2例から得られる教訓は以下であろう。

町が設置するすべての審議会委員名簿には所属欄を付し、名簿本体を町HPで公表するべし。執行機関の内部独自判断に委ねてはいけない。

 最後の一件は、一般社団法人いなかパイプである。この組織の代表者は佐々倉怜於氏でその妻は佐々倉愛氏で、佐々倉愛氏は、今現職教育委員である。「いなかパイプ」は十和振興局長富田氏によれば、旧広井小学校と旧古城小学校でシェアオフィス事業(この事業の収益は「いなかパイプ」のものでありながら町が補助金36万円を「いなかパイプ」に交付している。)カフェ運営事業、いなか体験事業、インターンシップ事業等を展開している。これらは全て「いなかパイプ」の収益事業である。この両小学校は旧十和村が建設した小学校であり、現在休校中で「普通財産」と位置付けられた町の所有物であり、町に管理責任がある。旧広井小学校にオフィスを構える株式会社四万十ドラマは、電気光熱費見合いとして月額定額6万円を町に納めている。いなかパイプは、同様に、年100万円相当額を町に収めている。そもそも電気光熱費は、使用者負担が原則である。公共の建物を使用しているのに、どうして町が使用料を取れないのか。実はこれには理由がある。窪川地区の旧丸山小学校には、二つの町内進出企業が入居している(コンタクトセンターNIC障碍者雇用のパーソルチャレンジである)が、町が家賃各月額6万7千円と6万円を徴取している。が、旧広井小学校と旧古城小学校は、旧丸山小学校とは異なり、建築時の町の起債の償還期限が到来していないので、起債者である町が起債の目的(小学校の建設)外で収益を上げてはいけない、という規定があるのである。それで、町は公共の施設の使用者から使用料を取れないのだ。なるほど、と一瞬思ってしまいそうになる。けれども非常にすっきりしない。

    そうだ、確か、地方自治法施施行令中に

オリックス社の大藤風力発電事業計画関連で、事業実施予定地に含まれる町有地をオリックス社に貸すという契約を町が正式にオリックス社と交わす際に適用される「町の財産の貸付譲渡の際には、無償であれば議決がいる」という下りがあったはずである。町の所有物である二つの旧小学校を長年、株式会社四万十ドラマと一般社団法人田舎パイプに無償で貸し付けていると言う事案がこれに正に該当するのではないか。つまり、「建設時に起債し、その起債の償還期限の来ていない公共財産である小学校を貸して家賃相当を取って町が収益を上げてはいけないが、田舎パイプや四万十ドラマにしているように町が無償で貸し付けている場合には、町有地と同様に議決がいるのではないか」という事である。「収益を上げれないので使用料金を町が取れない、からと言って、無償長期貸付時の議決は排除できない。」と私は解釈したのである。電気光熱費は実費であり、これは家賃でもなく、町にとっての収益ではない。町に請求される電気光熱費を後から町が使用者に請求しているだけのことである。そして建物自体長期無償占有状態である。この辺が実に曖昧に長年放置されてきたのではないか。町が使用料金を取れないと説明されても、町民的に全く判然としないのは、「なぜ使用料が発生しない公の施設の占有者が四万十ドラマやいなかパイプであり、更に彼らがその公の施設を使って収益事業を行っていけるのか。」という事である。富田振興局長には、「十和地域に事業を通じて貢献してくれている、という地域住民の認識も振興局側にあり、それが公の施設の無償貸与に繋がった」という認識もあるようであったが、折しも四万十ドラマから独立したという「株式会社とおわ」が、令和3年4月1日から十和道の駅の指定管理者として、十和道の駅の運営者となる。その「株式会社とおわ」取締役の一人が刈谷明子氏の夫君であるとの事である。十和道の駅公募時の提案書には、「公平公正な道の」駅の運営と振興局と連携した人材育成」を謡っていたことが記憶に新しい。町の「普通財産」の無償貸与を受けて収益事業を展開している「いなかパイプ」の代表佐々倉怜於氏の妻佐々倉愛氏は特別職の地方公務員である四万十町教育委員である。この両夫妻の町政とのかかわりの実態からしてもやはり、「四万十ドラマ」と「いなかパイプ」へ「普通財産」の長期無償貸与には、あらためて議決が必要とされるのではないか。それを放置し続けたことは、行政の不作為である。「特定の事業者と町との利害関係は町民全体の眼に明らかにすべきである。」さらに平成29年5月の広報誌には、「佐々倉愛氏、酒井法子氏、刈谷明子氏の三人が「さんまの会」を主宰して、時には中尾町長との懇談会も持っている」という記事が掲載されている。「さんまの」会が中尾町長に懇談を要望すれば、町長がわざわざ十和の旧広井小学校まで出向いて懇談の場を持ったということである(森武士町長談)。これら十和在住の子育て中を何かアピールしている三人の女性達は、森武士副町長の覚えが非常にめでたいと言っても過言ではないだろう。この人の十和贔屓は度を越している。数年前に四万十ドラマが阪急ホールデイングズと共催で、阪急駅で「四万十町物産展」を開催した時に、四万十町職員7名を公費で現地派遣して「四万十ドラマ」を手伝わせたのも、この森武士副町長である。一人当りの出張費は7万円で、合計49万円が四万十町予算から拠出されている。この辺り、一般町民的には、「住民監査請求」に値するような公費の使われ方ではないだろうか。中尾町政もあと1年、この辺りの精査が是非とも必要とされているのではないだろうか。それ抜きで大型箱物「文化施設」にゴーサインを出すべきでないことだけは明らかだろう。

西原真衣

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(93)

  図書館長内定とバカ町長の発情の因果関係

図書館協議会を傍聴した。「図書館員の皆様へ」というタイトルの私からの質問が、引用元資料と共に委員に配布された。協議会開催前日「質問状」を自分の意志で全委員に配布すると林課長に宣告していたので、早速先手を打ったということであろう。

文化施設関連ちらし」も配布された。住民説明会で配布した分と広報誌に織り込んだ分である。竹村委員長が興味深い質問をした。

入り口はどこですかー半平と岩本寺の両側から入れる

アトリエと美術館で、面積は今と比べてどうですか―面積同じ、前の交流コナーにも展示できる

アトリエの後ろは、収納スぺースかー温度管理の必要な絵画が中心となる

歴史や文化関連資料コーナーはどこかー実際の配架時に「歴史と文化」コーナーは設置可能

五社にこの地で出た縄文土器があるが埋蔵物等の展示コーナーはあるのかー民具や埋蔵物すべての展示は物理的に無理

金子委員も的確な具申をした

広報誌折込チラシに書いてあること(町民生活上の課題解決)が実現できるとは思えない。まず人を育てる必要があるのでは。運営するのは人ですから。

刈谷委員は相変わらず自分の参画の機会が最も気になるようで

サービス計画検討員会は今年中に立ち上がり、委員に公募枠があると捉えていいのか。

ー公募枠の設定は今後検討する

答えたのは全て林生涯学習課課長である。因みに竹村委員は元公立中学校の社会科教員、金子氏は言わずと知れた司法書士早稲田大学政治経済学部出身者である。刈谷委員の経歴はよく知らないが、高知市の永国寺町にある子供の絵本図書館の勤務歴があると聞いている。学校図書関係者として十和小学校校長も委員として出席していたが、今回は発言は全くなく、元企画課課長、四万十公社初代専務理事の武内文治委員は、体調不良で欠席であった。以上の質疑、私の耳には、町議会の質疑よりよっぽどまともに聞こえたのである。ここで言う町議会とは、議会放送されている「本会議」と議会放送されな「教育民生委員会」の両方を指している。「まとも」で言えば、この後の協議会、3月定例会で報告された首長部局に設置されるという文化施設整備推進室」の人員体制と組織図が示された資料も配布された。この人員体制は、すでに議会には説明済みであるという。以下である。真っ先に目を引いたのは、推進室室長の聞き慣れない名前である大河原信子氏であった。林課長によれば、岡山県津山市の市立図書館を定年退職した人物で、津山市内にる美坂大学との連携実績があり、今後大正分館や十和地区或いは学校図書館との連携を目指す文化施設の整備推進室の室長にうってつけと判断した。」ということである。ここでも金子委員が、「この大河原信子さんですか、この人物に館長になってもらえたらいいんですけど、なってもらえる可能性はあるんですか。

この人を町が新たに雇用したという事ですか。」と実に虚心坦懐かつ的確に質問したので、林課長は大河原氏の抜擢理由と会計年度任用職員という雇用形態を説明せざるを得なくなったのである。ここで是非とも強調したいことがある。私が出席した文化施設説明会の場で、「課題解決やレファランスサービスを提供する図書館職員の外部登用や人材育成」について質問もしたにもかかわらず、整備準備室室長外部登用は、住民説明会では全く触れられなかったという事である。1月の末のことである。そして3月になって突然、図書館協協議会の場で「大学との連携実績がある元津山市立図書館の館長大河原信子氏が整備推進室長に抜擢された」などということを耳にして、猜疑心を掻き立てられずにはいられないのである。因みに議会では誰も金子委員のようなまともな質問を繰り出さないので、林課長は特段大河原信子氏の経歴については説明しなかったという事である。呆れた話しである。経歴こそが抜擢理由ではないか。どっちもどっちではないか。猜疑心の赴くままに、大河原氏抜擢の背景を推測した。結論的には、

  図書館コンサルタント岡本真氏の斡旋があった

岡本氏率いるARG 発刊機関紙であるLibrary  Resource Guideのバックナンバー28号に大河原信子氏が紹介されていた。タイトルは「森本家と「津山基督教図書館」講演者、津山私立図書館大河原信子氏」である。この雑誌は町立図書館にあるので借りてきて読もうと試みたが、どうしても読む気にならなかかった。私の眼から見れば、学問知に見せかけた, 自治体職員向けの受け売りスクラップ本であったので、ざっと眺めただけで返却した経緯があるので、今更読みはしないが、文化施設シンポジュームパネリストの平賀研也氏(元長の県立図書館長)もLibrary  Resource Guideのバックナンバーに登場していたことからして、私は、自分の発刊するメデイアへの露出を通じた売名を次のポスト獲得への布石としているということであろう。具体例を出せば、岡本氏が町から受託した基本設計、実施設計の公開型プロポーザル支援アドバイザー業務で、斡旋したであろう審査員の一人島嶋学氏は、それに先だってやはり岡本氏が提案した検討委員会の視察先であった瀬戸内市民図書館館長であった。このやり方から類推できるのは、今回は岡本氏の発刊物に登場する元津山市立図書館長大河原信子氏が定年退職後に岡本氏がコンサルする四万十町文化施設整備推進室長に赴任し、その後は文化施設館長に就任するというシナリオである。コンサル絡みのワークショップ、シンポジューム、視察に始まって、全国公立図書館館長職及び大学関連ポストの水面下での紹介斡旋行為までが、おろらく岡本真氏が構築したビジネスモデルなのである。市町村の図書館行政の最大の弱点は、押しなべて専門知を持つ職員が皆無である事であり、これは市町村の地域住民が図書館への関心が希薄であることと対をなしている。有体に言えば、全国的傾向であろう。そこに、箱物に政治家としての最後の執念を燃やすネタが尽きた自堕落ポピュリスト政治家が登場する。中尾博憲のことである。高知県は元々、教育水準と所得水準において劣位にある後進県ならではの東京(中央)に対する根深い劣等感と学歴コンプレックスがある。このコンプレックスが、慇懃無礼な皮をかぶった東京から来たコンサルタントに露骨に狙い撃ちされているということである。中尾博憲には、劣等感という繊細な神経こそ皆無だが、「目に見えるもの」土建屋森林組合という一部の町民に恩恵を与えそれを自分の選挙利権として回収したいという露骨な思考、手法がある。箱物ならぬ「室」を連発で造成して補助金を広い層にばらまいたのも同様の発想である。「人材育成推進室」「地産外商室」「まちづくり推進室」今度は、文化施設整備推進室」である。まるでバカで色ボケ状態の殿が、性懲りもなく側室を増やしているような猥褻感が充満しているではないか。実に、見るに堪えないまでに自堕落で猥雑な景観である。その証拠とも言える実態がある。平成26年4月に始まった中尾町政は現在令和3年までに、正規職員を12名、非正規職員(会計年度任用職員)を155名も増やし、現在正規職員352名、非正規職員403名という大所帯となっている 。なんとその間人口は、2392人も減っているのにである。つまり四万十町は、この前代未聞のバカ殿の食い物にされているのである。その分け前を狙って東京からコンサルタントが蝟集する。議会は無能である。主権者である町民が、何とか、この「箱物」「室」の造成しか念頭にないバカ殿の選挙利権への発情を止めなくてはならない時が来ている。

西原真衣