呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(93)

  図書館長内定とバカ町長の発情の因果関係

図書館協議会を傍聴した。「図書館員の皆様へ」というタイトルの私からの質問が、引用元資料と共に委員に配布された。協議会開催前日「質問状」を自分の意志で全委員に配布すると林課長に宣告していたので、早速先手を打ったということであろう。

文化施設関連ちらし」も配布された。住民説明会で配布した分と広報誌に織り込んだ分である。竹村委員長が興味深い質問をした。

入り口はどこですかー半平と岩本寺の両側から入れる

アトリエと美術館で、面積は今と比べてどうですか―面積同じ、前の交流コナーにも展示できる

アトリエの後ろは、収納スぺースかー温度管理の必要な絵画が中心となる

歴史や文化関連資料コーナーはどこかー実際の配架時に「歴史と文化」コーナーは設置可能

五社にこの地で出た縄文土器があるが埋蔵物等の展示コーナーはあるのかー民具や埋蔵物すべての展示は物理的に無理

金子委員も的確な具申をした

広報誌折込チラシに書いてあること(町民生活上の課題解決)が実現できるとは思えない。まず人を育てる必要があるのでは。運営するのは人ですから。

刈谷委員は相変わらず自分の参画の機会が最も気になるようで

サービス計画検討員会は今年中に立ち上がり、委員に公募枠があると捉えていいのか。

ー公募枠の設定は今後検討する

答えたのは全て林生涯学習課課長である。因みに竹村委員は元公立中学校の社会科教員、金子氏は言わずと知れた司法書士早稲田大学政治経済学部出身者である。刈谷委員の経歴はよく知らないが、高知市の永国寺町にある子供の絵本図書館の勤務歴があると聞いている。学校図書関係者として十和小学校校長も委員として出席していたが、今回は発言は全くなく、元企画課課長、四万十公社初代専務理事の武内文治委員は、体調不良で欠席であった。以上の質疑、私の耳には、町議会の質疑よりよっぽどまともに聞こえたのである。ここで言う町議会とは、議会放送されている「本会議」と議会放送されな「教育民生委員会」の両方を指している。「まとも」で言えば、この後の協議会、3月定例会で報告された首長部局に設置されるという文化施設整備推進室」の人員体制と組織図が示された資料も配布された。この人員体制は、すでに議会には説明済みであるという。以下である。真っ先に目を引いたのは、推進室室長の聞き慣れない名前である大河原信子氏であった。林課長によれば、岡山県津山市の市立図書館を定年退職した人物で、津山市内にる美坂大学との連携実績があり、今後大正分館や十和地区或いは学校図書館との連携を目指す文化施設の整備推進室の室長にうってつけと判断した。」ということである。ここでも金子委員が、「この大河原信子さんですか、この人物に館長になってもらえたらいいんですけど、なってもらえる可能性はあるんですか。

この人を町が新たに雇用したという事ですか。」と実に虚心坦懐かつ的確に質問したので、林課長は大河原氏の抜擢理由と会計年度任用職員という雇用形態を説明せざるを得なくなったのである。ここで是非とも強調したいことがある。私が出席した文化施設説明会の場で、「課題解決やレファランスサービスを提供する図書館職員の外部登用や人材育成」について質問もしたにもかかわらず、整備準備室室長外部登用は、住民説明会では全く触れられなかったという事である。1月の末のことである。そして3月になって突然、図書館協協議会の場で「大学との連携実績がある元津山市立図書館の館長大河原信子氏が整備推進室長に抜擢された」などということを耳にして、猜疑心を掻き立てられずにはいられないのである。因みに議会では誰も金子委員のようなまともな質問を繰り出さないので、林課長は特段大河原信子氏の経歴については説明しなかったという事である。呆れた話しである。経歴こそが抜擢理由ではないか。どっちもどっちではないか。猜疑心の赴くままに、大河原氏抜擢の背景を推測した。結論的には、

  図書館コンサルタント岡本真氏の斡旋があった

岡本氏率いるARG 発刊機関紙であるLibrary  Resource Guideのバックナンバー28号に大河原信子氏が紹介されていた。タイトルは「森本家と「津山基督教図書館」講演者、津山私立図書館大河原信子氏」である。この雑誌は町立図書館にあるので借りてきて読もうと試みたが、どうしても読む気にならなかかった。私の眼から見れば、学問知に見せかけた, 自治体職員向けの受け売りスクラップ本であったので、ざっと眺めただけで返却した経緯があるので、今更読みはしないが、文化施設シンポジュームパネリストの平賀研也氏(元長の県立図書館長)もLibrary  Resource Guideのバックナンバーに登場していたことからして、私は、自分の発刊するメデイアへの露出を通じた売名を次のポスト獲得への布石としているということであろう。具体例を出せば、岡本氏が町から受託した基本設計、実施設計の公開型プロポーザル支援アドバイザー業務で、斡旋したであろう審査員の一人島嶋学氏は、それに先だってやはり岡本氏が提案した検討委員会の視察先であった瀬戸内市民図書館館長であった。このやり方から類推できるのは、今回は岡本氏の発刊物に登場する元津山市立図書館長大河原信子氏が定年退職後に岡本氏がコンサルする四万十町文化施設整備推進室長に赴任し、その後は文化施設館長に就任するというシナリオである。コンサル絡みのワークショップ、シンポジューム、視察に始まって、全国公立図書館館長職及び大学関連ポストの水面下での紹介斡旋行為までが、おろらく岡本真氏が構築したビジネスモデルなのである。市町村の図書館行政の最大の弱点は、押しなべて専門知を持つ職員が皆無である事であり、これは市町村の地域住民が図書館への関心が希薄であることと対をなしている。有体に言えば、全国的傾向であろう。そこに、箱物に政治家としての最後の執念を燃やすネタが尽きた自堕落ポピュリスト政治家が登場する。中尾博憲のことである。高知県は元々、教育水準と所得水準において劣位にある後進県ならではの東京(中央)に対する根深い劣等感と学歴コンプレックスがある。このコンプレックスが、慇懃無礼な皮をかぶった東京から来たコンサルタントに露骨に狙い撃ちされているということである。中尾博憲には、劣等感という繊細な神経こそ皆無だが、「目に見えるもの」土建屋森林組合という一部の町民に恩恵を与えそれを自分の選挙利権として回収したいという露骨な思考、手法がある。箱物ならぬ「室」を連発で造成して補助金を広い層にばらまいたのも同様の発想である。「人材育成推進室」「地産外商室」「まちづくり推進室」今度は、文化施設整備推進室」である。まるでバカで色ボケ状態の殿が、性懲りもなく側室を増やしているような猥褻感が充満しているではないか。実に、見るに堪えないまでに自堕落で猥雑な景観である。その証拠とも言える実態がある。平成26年4月に始まった中尾町政は現在令和3年までに、正規職員を12名、非正規職員(会計年度任用職員)を155名も増やし、現在正規職員352名、非正規職員403名という大所帯となっている 。なんとその間人口は、2392人も減っているのにである。つまり四万十町は、この前代未聞のバカ殿の食い物にされているのである。その分け前を狙って東京からコンサルタントが蝟集する。議会は無能である。主権者である町民が、何とか、この「箱物」「室」の造成しか念頭にないバカ殿の選挙利権への発情を止めなくてはならない時が来ている。

西原真衣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(90)

      「静かにしろ」と言われた

過去の古巣である四万に十町議会に、「議会の見える化を求める陳情」を提出し、予想外に普通に受理され、おまけに付託された総務常任委員会の委員長緒方正綱議員から、「陳情趣旨の説明のため出席依頼」を受けたので、賛同者3名を傍聴に誘って、委員会出席に及んだのが昨日、陳情文は以下である。

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陳情趣旨説明の中で、議員報酬引き上げ絡みで、「厳重注意」という「懲罰」を反対討論に立った4名の議員に非公式に下した事が、町民への背信行為であることを強調し、懲罰根拠となった議会運営基準を公開すべしと力説した、公開されていないものに基づいて、議会が議長の名において他の議員に懲罰を下すなどという専横行為はあってはいけないからである。ところが、そう主張したところで、応答もなければ、質問もない。そのタイミングで、厳重注意を受けた一人である岩井優之介議員が、岩井らしく、ぼそぼそつぶやき始めたのであった。

            岩井優之介: 「静かにしろ」と言われた

議会は多数決なので(?)最初は賛成していたが、途中で周辺(共産党界隈)から叱られて、反対側に回ると全議員に伝えた。(これは真実である。私の所にも電話があった。そしたら「静かにしろ」と言われた。

言ったのは、堀本伸一議員である。議案上程前の議会運営委員会で言っている。この「静かにしろ」発言は、恫喝である。私は議会運営員会の委員ではなかったので、この「静かにしろは直に聞いていない。けれども議案可決後の議会運営委員会(岩井優之介議員から連絡を受け傍聴に行った)で、同じ堀本伸一議員の恫喝発言をしっかりこの耳で聞いたのである。

     「今日は全部議事録を取る」

陳情文を読んでもらえれば分かるように、「委員会議事録の速やかな作成と公開」が本丸なのである。そうすれば上記の「静かにしろ」「今日は全部議事録を取る」が町民に明らかになって、このような柄の悪い恫喝議員は次の選挙で落とさなくてはならないということが、町民に分かるのである。議事録は、特に委員会議事録は有権者に、誰を選ぶべきか或いは落とすべきかの最も確かな判断材料を提供する。そのために議事録が存在する。この委員議事録の公開という至極当然の陳情項目について、他の議員が何を発言したかをお知らせしたい。

橋本章央議員:定例会前の議会運営委員会も全て公開するべきだという趣旨か。

西原:例え非公開でも非公開理由を付して会議の開催の周知はすべきであると考える。

 橋本章央議員:個人名がでてきたり、議案に関する執行部との事前協議の場でも公開すべきという考えか。

西原:その非公開理由が説得力があるか否かは町民が判断するので、判断材料の提供をすべしという趣旨である。そもそも個人情報の定義が曖昧である。

岩井優之介議員:昔、旧庁舎の頃自分が広報広聴委員長の時に、西原さんの陳情で、議会だよりに議案の賛否が表で示されるようになったことがあった。

中屋康議員:委員会報告書の速やかな作成という陳情項目と、本会議での委員会活動報告への否定的意見はどう整合性があるのか。

西原:委員会議事録の速やかな作成と公開が本目であるが、「出来ない理由」を並べ立てての抵抗を受け続けて来たので(議員時から)、妥協、譲歩して委員会報告書(紙媒体で提出されたものを議会HPに掲載)を陳情項目とした、本質的には矛盾はないと考える。

村井真菜議員:委員会議事録が1年遅れになっているのは事務局のマンパワーの問題である。残業を強いることになり、労働環境も悪くなるし、経費も膨らむ。

西原:議会事務局は元々時間外勤務が少ない部署であり、マンパワーや時間外の視点からは、町執行部による、議事録作成の優先順位付けに基づく予算配分の問題である。経費とマンパワーの問題は本質ではない。「議事録の存在意義」の認識の問題である。そもそも村井議員は議事録を読んできたのか。(議事録へのアクセスの悪さとその弊害を実感した経験があるか)。

村井真菜議員:首を横に振る。

 ここで傍聴席から反応、呆れた模様。けれども他の議員も議事録を読んでいないことは間違いない。堀本発言が示唆してることは、議事録が、従来、議会内部の統制、同調圧力、恫喝による巧妙な支配のために取られるものであり続けてきたからである。彼らは議事に関心を持ち、議事録を読む人間として議会に来たのではないのだ。つまり、町政への参画者であろうとしたことなど毛頭ないのである。初めから単に「議員さん」を目指していたのである。最も若い子育て中を標榜する女性議員である村井真菜氏もそれをはからずも告白した。従って、議員全員が、「議会の見える可に関する陳情」にこれほど狼狽するのである。「知られない方がやりやすい」という鉄則があるからである。しかし、彼らは断じてそのようなことが言える立場ではない。なぜならそこは議会である

からである。

味元和義議員:高知県町村議会では四万十町議会が最も情報公開が進んでいる。お金もかかる。(わざわざ議会事務局に高知県町村議会HPの掲載事項一覧表を作成させている。)

西原:後進的な議会を引き合いに出す必要はない。それにそもそも高知県町村議会で最も高い報酬を受け取って居るのが四万十町議会である。私が議員であった時に議長酒井祥成が、「議員報酬を上げる要望を町長に提出した。これからは委員会活動を活発にするように」と発言したではないか。その後2年が経過した。活発化したであろう委員会活動の実態を町民が知れるようにすべきだと言っているのである。本会議と委員会に出席し表決に参加することが議員の仕事の根幹である。この根幹部分を有権者である町民が知り、議員の仕事振りの判断材料を得られるようにますべきである。県議会は委員会議事録を全てHPで公開している。

味元和義議員:県議会議員と一緒にされたら困る。あの人達には、政務調査費もあり、専業でできる環境がある。自分たちは、仕事をしながら議員をやっている。

この人物は、議員報酬引き上げ時に「議員の成り手不足を背景に、議員報酬だけで子育てができる、生活給としての議員報酬の引き上げ」を名目としたことを全く忘れてしまったのであろうか。そのうえで専業とかよく言えるものである。おまけに厳重注意が懲罰であり、懲罰は公開の場で議決に基づくべきであると説いても(根拠は地方自治法、会議規則、政治倫理条例)全く理解しないばかりか、私の懲罰事例を評して、「全会一致の懲罰は、西原さんに問題があるからに違いない」という逆さま論法を馬鹿の一つ覚えのように開陳したのである。この人は終わっている。議事録の意味が分からないはずである。「合意形成に至るプロセスの公開があるるからこそ、その合意に初めて社会的信任が付与される」という民主主義の基本が分からないま議員をやっている議員とは、町民にとっては税金の寄生虫を通り越して、議決権があるだけに厄災に近い存在である。議事録は議会の生命線である。緒方正綱委員長をはじめ、総務常任委員全員これを全く理解していない。何という呆れ果てた実態であることだろうか。道理で、本会議場や議会放送で彼らの姿を見れば、議長に就任したばかりの味元和義議員が、「長年発情しっ放しですっかり毛並みが悪くなった動物園の老いたるオス猿」のように見えたり、「老眼鏡をはち切れんばかりの顔面に括りつけて、部下が作成した作文を一心不乱に読み上げる中尾博憲町長の愚鈍その物」に目を覆ったり、時折三白眼的な白目がケーブルカメラに映し出されている村井真菜議員の「執行部と先輩議員には言葉巧みに媚び、迎合はするが、本質的には議事には関心が薄い」のが、しっかり見て取れるのである。この人達は一体議会に何をしに来たのであろうか。議長の隣の元農林水産課課長長谷部卓也氏は、町行政トップの知能指数の低さから来る人事異動の差配によって、ついに「議員さん」という珍妙な動物集団を飼育する動物園の飼育係に近しい役どころである議会事務局長に収まらざるを得なくなったが、それでも彼は、ゆるぎなき沈着冷静を保持できているではないか。映像がそう語っているのである。公務員給与体系の盤石が彼のような公務員を育成するのである。公務員給与体系に比べれば、議員報酬等は風前の灯のような物である。これは真実であるが、だからと言って、「議会が言論の府」であることから決して免責されはしないの。生活給が欲しければ、議会ではなくハローワークに行けばいいのである。村井真菜議員が議会事務局職員の労働条件まで持ち出して、町職員に臆面もなく媚を売るという、議員としては妄言に近い戯言に走れるのも、村井真菜議員が、まずは議事録のみならず予算書も読んでいないからである。はっきり言えば、他の議員と同様リテラシー水準が極めて低い。リテラシーに年齢は関係ない。本当に映像は怖い、恐ろしいほどに真実を映し出しているのである。そう言えば、国会もしかり、国会議員なんかとは比べ物ににならないくらい、国政の実態を国民に知らせてくれているのは、「週刊文春」の放つ「文春砲」である。私は国会議員より遥かに週刊文春の張り込み敏腕カメラマンの方が(もちろん編集長も含めて)社会に貢献していると、私は信じて疑わない。だからこそ、議会放送はもっと全議員の顔写しを万遍なく写すべきである。因みに議会放送委託料は、年間80万円、議会議事録作成(テープ起こし)委託料は年間160万円である。会議録録音テープ起こしが外注されていて、その上で、16人の議員に対して事務局4人体制で、本会議議事録作成(録音18時間)に3月、委員会議事録作成(1回分平均2時間)に1年を要するなんてことがあっていいのだろうか。因みに議員一人当たり酬額平均年間398万円(実働年間36日・本会議と委員会出席)、議会事務局職員正規職員平均人件費年間911万円(実働年間240日)である。四万十町有権者の皆さん、是非議長味元和義に抗議してもらいたい。

四万十町議会事務局電話番号:0880-22ー3126

四万十町議会議長味元和義連絡先:自宅:0880-27-1067 携帯:090-7141-5323

 西原真衣

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(89)

            予算書を読む

 知人から転送されたface book投稿者は、これまた知人の酒井紀子氏であった。「予算ってなにもの、ミクロからマクロまでの四万十町企画課政策監大元学氏による予算書講座第1弾開催予定」というような内容であった。会場は地域振興局2回で午後1時から5時、更に遡って昨年9月にゲストハウスこいのぼりハウスで座談会で四万十町企画課政策監大元学氏を囲んでの座談会の場で、「町予算について勉強したい」と集まったオッカア達が熱烈にリクエストした」とあった。この投稿には多くの賛同、賞賛的なコメントが寄せられ、その中でオヤット思ったのが、大元政策監の応答、「酒井さんあんまりハードル上げないでください、ご期待に添えるかどうか不安でしかありませんが、皆さんの期待と熱意にお応えできるよう、行政用語もできるだけ例え話を交えながら解りやすく話をさせていただけたと思っておりますので。よろしくお願いします!」と、今町から複合文化施設の基本設計と実施設計を請け負っている建築家三浦丈典氏の応答自治体予算と家計簿は基本同じです!かーちゃん絶対親しみやすいはず。」であった。酒井紀子氏と町企画課まちづくり推進室政策監大元学氏、複合文化施設の設計を受託している建築家三浦丈典氏はおそらく、face book上の友達なのであり、互いの投稿が互いのfaac cebookに表示され、タイムリーに応答し合うという関係性が構築されているのだろう因みにこのface book投稿を私に転送してくれた知人は、建築家三浦丈典氏にface bookで友達申請したら拒否されたらしい「一体なぜだろう。」私は公開型プロポーザルを見に行ってこの三浦氏のプレゼンンテーションを聞いている。四万十町の自主財源比率の円グラフをプロジェクターに映し出して、「全国どこの自治体も財政事情は大変厳しいので、なぜそのような財政事情下で、新しい文化施設などいるのかという住民の反感が出て来がちですが、合併後の四万十町窪川、大正、十和のこの町の未来を担う子供達に、窪川、大正、十和の各地区のそれぞれ異なる文化遺産や歴史を伝えてそれ等が共有される環境を醸成することは、この町の未来を作ることに繋がります」というようなプレゼン内容だったと記憶している。三浦氏が四万十町の自主財源比率を知っている理由は、町HPに掲載されている「四万十町の財政状況」欄を旦丹念に読み込んで見てプレゼン資料を作成したからである。一方予讃出前講座の主催者である酒井紀子氏は複合文化施設検討委員会の公募委員を4年間勤めている。更にここでの「オッカア達」には、現職四万十町教育員の佐々倉愛氏と現職議会議員であり、過去2年間教育民生常任委員会副委員長であった村井真菜氏も含まれていた。教育委員には、教育委員会関連予算が議会に上程される前にその予算案について予算の提出者である町長に意見を述べることができる権限が法的に付与されているし、村井真菜氏に至っては予算本体を過去2年間議決し成立させてきた立場である。「オッカアたちの熱意と意欲に応えて、難しい行政用語は避けて、例え話で分かりやすく予算を解説します」と応答している大元政策監と、「予算書と家計簿は基本的に同じ」と言ってはばからない建築家三浦丈典氏のジェンダー意識はどうなっているのだろう、とまず私は思ってしまったのである。第一予算と家計は全く違う。共通点は、入と出があること位である。一番の違いは、家計は収入源(歳入)と支出先(歳出)を網羅的に把握できるが、予算はそれができないのである。収入の範囲で暮らすという健全な家計感覚があれば、入の持続可能性の見込に基づいて出の優先順位と額をおよそ判断できる。ところが予算は「義務的経費」と「投資的経費」に一方的に二分されている上に、法律によって財源となる歳入への算入が決まっている。そこで「義務的経費」は仕方なく棚に上げて、「投資的経費」支出の是非を判断しようにも、投資的経費が発生する施策の事業毎の財源構成が不明瞭なのである。つまりその財源がどこから得られたかかが分からない。これでは、この財源をここに回して、という事業予算の変更に必然的に伴う財源組み換えが自前でできないのである。私は過去にこれを一々調べようと試みたので知っているのだ。四万十町財政班の誰にもこの答えはなかった。そのような視点での把握の必要性が認識されていないが故にその答えがなかったのである。実はそのような事態が発生している元凶は、地方交付税制度にある。地方交付税制度の制度創設の目的は、全国一律の行政サービスの質の保障とされている。地方交付税総額は総務省の予算要求事項であり、年毎の総額は政治的折衝の結果である。総務省が年毎に作成している地方財政計画における算定を通じて最終的全国の自治体に交付される地方交付税の額が決定される。その算定式は額面上、自治体単位では基準財政需要額-基準財政収入額」である。基準財政収入額は、基本的に町が徴取するので分かりやすく、故に町が過去の実績に基づいて試算可能である。

基財政収入額:町固定資産税、町住民税、国保税、介護保険料、上下水道料、各手数料、負担金、軽自動車税、たばこ税、入湯税

ところが基準財政需要額の算定には、先述した起債に係る年毎の交付税措置(地方の借金の国による補填部分)や事業単位の交付税措置及び地方財政計画に基づいて全体の調整の中で毎年政令で決まる算定上の補正係数が関わって来るので、町独自に算定することは不可能なのである。地方交付税は、表向きは町の裁量で使える自主財源とされているが、その内訳には、先述した諸々の交付税措置」が含まれておりこの部分の使途は予め制約されているという複雑さなのである。例えば過去の起債に対する交付税措これは、円グラフ中では、歳入項目としては一括地方交付税交付金であり、歳出項目としては公債費として表記されるので、町民にとっての出力である事業単位の不要不急度や優先度、経年的な事業検証時の費用対効果等の視点からは、「見える可」されにくいこと夥しく、この点が家計とは全く異なるのである。このような複雑な財政の仕組みを、建築家の三浦氏ならいざ知らず、長年財政班長であった大元政策監が知らないはずはない。それでいて「難しい行政用語を避けて例え話で行く」というのは、それこそ基本的に戯言である。町HPにも財政用語解説が21pに渡って掲載されている。「オッカア達」は、これほどSNSを使いこなしているのである。酒井氏とは、検討委員会委員であった時に大正振興局で落ち合って、複合文施設への住民サイドの取り組み状況について伺ったことがある。この際にも持参していたノートパソコンに、こちらの話をすごい速さで入力できるようなパソコン使いなのである。政策監に出前講座を依頼する前に、建築家三浦氏の向こうを張って、町HPに掲載されている「四万十町の財政状況」を読み込もうという意欲と熱意は無いのだろうか。ここが私としては実に解せないのだ。本より教育委員の佐々倉愛氏や現職議員の村井真菜氏に及んでは、である。実際自分で長年予算書を読んで来た挙句、中央集権の道具として作為的に分かりにくく構造化された予算書の読解力こそが質問力、即ち自治力の礎である。」という持論を持つに至った私は、長年あの手この手で、教育委員会に対して予算書の勉強会開催を働きかけてきた。20年ほど前に、町立図書館に「予算書を読む会」の主宰を提唱したことがある。その時の館長熊谷安郎氏の応答は、「わしは教育委員会に言われたことをやっているだけだ。」というものであった。だったら館長は特に熊谷氏でなくてもいいんでは、と思ったことを覚えている。館長職は、抽選で良かったのである。教育委員会の言う通りのことをする人であれば誰でもいい」ということになるからである。時の生涯学習宮地正人氏は、陰鬱な表情を浮かべてこの提案からのらりくらりと逃げ切った。合併前の窪川町時代のことである。当時の時代の風潮が感じ取れる逸話がある。かって窪川町役場の助役であった武吉茂氏などは「あの女は何を考えて,何をするか分からない。役場から予算書を手に入れて役場の金を巻き上げようと企んでいる」などど私が予算書を読んでいることについて、知人に触れ回っていたらしい。この時の武吉茂発言と昨今の森喜朗「女性が多いと会議が長くなる一直線で繋がっている。女性全般に対する疎ましさと、不信感が心中渦巻いており、自分の持っている既得権が侵されそうな事態が発生すれば、その内なるアラームが一気に発動されるのだ。自己防御反応である。私は当時の教育長辻不可死氏を教育長室に訪ねて、早速この話をした。

「 吉茂助役は、役場の金は俺の金だと思っていたんでしょう。だから私が不法侵入者に見えたのでしょう。予算書を見ることに対して、自分と同じ動機を持ってると推測したんでしょう。人は常に自分の内なる動機を他者に投影するものですから。」

辻教育長は私の言い分をじっと無言で聞いていた。辻氏は役場の金は俺の金だなどと一遍たりとて思っていなかった、と私は確信する。総務課長時代の公共事業の入札に係る分厚い手帳(記録簿)の一端を少しだけ私に見せてくれたことがあるのだ。その手帳を見ただけで私は、この人が実に真摯な気持ちで仕事に励んできた公務員であることを一瞬にして深く理解したのだあれから随分と時がたった。けれども、やはり今に至ってもなお、予算書を読むという力の養成は、本当の意味での自治を成立させ、自治体を民主的に運営させるためには、絶対に必要不可欠であると私は思うのだ。予算が俺の金(政治的な私物化)となることを抑止するためには、予算の構造に通じ、予算がどこでどのように私物化される可能性があるかの、実際的な予算編成と議決と執行の地政学に通じている必要があるのである。スエーデンでは政党マニフェストが学校の社会の授業の副読本となっているという話を聞いたことがある、小学生が政党員になれるのであり、国政選挙の時には、各政党の候補者が学校に来て演説をするらしい。このような仕組みがあって初めて小学生からの主権者教育がなされるのであり、日本のように、「教員が特定の政治的意見を、生徒に対して発信することは、教育の政治的中立性を侵害する」などと言っていては、畢竟生徒が自身の政治的意見を構築できなくなるのが落ちである。特定の政治的意見に接して始めて生徒は、その生徒自身の特定の政治的意見を構築する一歩を踏み出せるのである。そもそも政治的意見を発することとそれを押し付けることは,端から異なることである。異なる政党マニフェストは異なる政治的意見である。マニフェストを読み比べる力こそ、投票行動を自ら決定する力であり、この力は一夕一朝では身につかないということに、誰しも異論はないと思う。それは本来子供の時から養成されなくてはならない。だから学校教育における政治的意見の封殺を政治的中立性と言い換えることは、実に罪深い欺瞞である。予算書も又しかりである。「代表なくして課税なし」とはアメリカ独立戦争時の標語の一つらしいが、歴史的には、明治維新時の民選議員による国会設置のの建白書等にも引用され、議会制民主主義の基本理念となった。議会とは、討議によって、予算の配分の意思決定に預かる機関である。予算書を読む力も一夕一朝では身につかない以上は、長い教育課程が必要である。予算書の読み方も本来学校で教えるべきである。そうすれば酒井紀子氏の投稿にあるように、「オッカア」となって後に「予算ってなにもの」などと大騒ぎする必要もなくなるし、その方がいいに決まっている。酒井紀子氏は、複合文化施設検討員会公募委員として知った。検討委員会解散後も図書館町民懇談会のパネラーとして登場したり、米々フェスタにブース参加し複合文化施設への意見や要望を募ったり、2020/11に開催されたらしい図書館総合展(企画運営カルチャージャパン)までにオンライン出演しているという八面六臂の活躍振りを見聞きしている。さらに十和で子育てサークル「さんまの会」を主宰しているとも聞く。「さんま」とは子育てに必要な時間、空間、仲間の三つの間を指しているらしい、その辺は、その通りだろう。でもそれが何か、特段目新しいことだろうか。更にその会合に、町政策監や町コンサルタントが出前応答しているとなると、何だかきな臭くなるのは避けられない。もし彼女達が意識的に、「若い、子育てに懸命で意欲的な母親」をブランド化しているとすれば、その本当の目的はどこにあるのだろう。と言うのも、酒井法子氏の発信内容は、「目からうろこ、食いつき、面白い」と感嘆詞連発の情動型であるが、肝心な核心部分、「予算書の一体どこが目からうろこだったのか」の記述が全くないので、文章としては完璧な片手落ちになっている。私としては今後展開したい予算書を読む会のためのレファランス情報が、発信内容に一切見つからないのである。ただ、こんなことやりました。自分達ここでこんなことやってます、というアピールに終始している。外から来て十和で子育てという共通の条件からしての「十和に図書館」をという戦略的アピールでもどうもなさそうである。図書館の三文字もどこにも見当たらない。されど、酒井氏も佐々倉氏も面識がある。一体どこが目からうろこだったのかをどうしても聞きたくなった私は、佐々倉氏にアクセスを試みた。ゲストハウスこいのぼりハウスで検索すれば一発で佐々倉氏の携帯連絡先が見つかった。私は、観光協会でこいのぼりハウスの経営者が町教育委員でもある佐々倉愛氏であることをつかんでいたのである。いきなり私から電話があって佐々倉氏は、少々面食らっているようだった。

西原:どこが目からからうろこだったか教えてもらえませんか。

佐々倉氏:それ何に活用するんですか

西原:今後の予算の勉強会の参考にしたいので。

佐々倉氏:西原さんが予算の勉強会主催するんですか。

西原:そこまでは考えていませんが、ただ長年温めてきた構想なんで、face book 見たんで取りあえず、感想を聞きたいと思って。

佐々倉氏:「目からうろ」こは、酒井さんが書いたことなので、酒井さんに聞いて下さい。

西原:それは確かにそうですね、でも佐々倉さんは教育委員として教育委員会予算書は議会提出前に予算案を審議して意見を述べているはずなので、予算に対して全くの素人じゃないし。

佐々倉氏:そうですね。でも私は教育委員としてではなく個人として参加すると事前に皆なに言ってから今回参してますから。それに語弊があったらいけませんから。

西原:今現職議議員でもない、教育委員でもない、何の権限もない一町民の私に対して「それ何に活用するんですか」とあなたの方から先に聞かれたんですけど、自分は教育委員としてではなく個人として、ですか。なんだかアンバランスな発言ですね。

佐々倉氏:・・・・・・・・・・取り込んでいるので。

西原:そうですか。けれども今回教育委員の佐々倉さんに関して、私にとっての貴重な情報を得ることはできました。

貴重な情報とは言うまでもなく、佐々倉氏の「教育委員としてではなく、個人として参加」という表現を指している。これはオリンピック・パラリンピック男女共同参画大臣丸川珠代氏の「夫婦別は家族の根幹を揺るがすという理由で、個人的には反対するが、大臣としては、国際社会にあたえる印象に配慮し、議論の深化を目的としている」という詭弁との類似性を感知したことから来ている。そもそも個人としての政治的意見を政治家としての意見から切り離すことは不可能である。にもかかわらず、政治家としての本音を男女共同参画の視点からは、国際社会からの感想と議論の深化で煙幕を張って誤魔化そうとしているのである。これは完全に二兎を追うものの言明である。政治家としての今の地位が、女性であるから得られたものであることを深く了知している丸川大臣は同時に「夫婦別姓が家族の根幹を揺るがす」という時代錯誤的な価値観で結束している自民党幹部から今の地位を得たことも深く了知しているのである。彼女の苦しい二枚舌はここから来ている。言い換えれば、丸川珠代という東京大学経済学部卒の女性政治家の日本の政界での立ち位置、ジェンダーギャップがよく分かる発言なのである。そして同様に、十和という四万十町の辺境の地から「保護者枠」で選任された佐々倉愛氏という愛媛大学法文学部卒の現職教育委員が、地元の子育てサークルで予算の勉強会に参加する際に、「教育委員ではなく個人として参加すると事前に参加者に言って参加した」「御幣が生じる可能性があるので回答は避ける」は、やはり私には同質な響きをもって聞こえるのだ。佐々倉愛氏に取っての二兎とは何か。私は佐々倉氏の教委員選任時に議員であった。教育委員選任議案説明時に中尾町長に対して私が質疑したことは、この佐々倉愛氏が「一般社団法人田舎パイプ」の代表者佐々倉怜雄氏の妻ではないかということと、今「田舎パイプ」に町から補助金が出ていないか、今後町が補助金を出すときには、佐々倉氏の立ち位置をどう判断するかの3点であった。過去に「田舎パイプ」は、町の移住定住関連事業の委託先であったし、平成29年の十和道の駅の指定管理者選任議案時に町が経営状況が分かる資料として応募者の四万十ドラマに提出を求めたため私が町から入手できた四万十ドラマ財務書類に記載されていた販売費一般管理費支出先項目委託料500万円の委託先も「田舎パイプ」であった、一言で言えば「田舎パイプ」とは、四万十ドラマの関連企業であり、町、県、国から夥しい件数の補助事業を引っ張っていた四万十ドラマの関連企業の代表者の妻である佐々倉愛氏が教育委員になることについては、警戒心がなかったわけではないのだ。今菅首相周辺との癒着が取り沙汰されている総務省が、移住定住や地域おこし協力隊、ふるさと納税事業の主務官庁であり、四万十ドラマ社長畦地履正氏は総務省に、地域情報化推進委員として総務省に登録されており、又複合文化施設コンサルタント岡本真氏も同じ地域情報化推進委員として総務省に登録されている。総務省とは旧自治相、その前は警察組織と地方行政全般、土木、公衆衛生、国家神道を所管していた旧内務省である。戦後GHQが日本再建に当たって,まずこの内務省を解体したことは周知のことである。そして日本国憲法地方自治法が生まれた。昭和21年の事である。やはり私は、大元政策監による予算書の出前講座のどこが目からうろこだったのか、酒井紀子氏(地域女性リーダーと見なされている)にも佐々倉愛氏(現教育委員)にも刈谷明子氏(現図書館協議会委員)にも村井真菜氏(現職議会議員)にも自分の言葉で語って欲しいと思う。未だに埋まらないどころか悪化の一途を辿っているジェンダーギャップの真因がその辺りに潜んでいそうな気がするからである。その時私は、彼女達に対して、議会の現場で自分に起きた問責決議、辞職勧告、議場での陳謝文の朗読、3日間の出席停止という議会におけるジェンダーギャップについて、自分の言葉で是非とも応答したい。こればかりはSNSでは到底無理だろうけれども。

西原真衣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(88)

       体罰教員名は非開示

2月5日に高知地裁の藤倉徹也裁判官が下した判決に目がいった。高知県教育委員によってなされた「高知県公立学校の体罰事故に関する報告書」を開示請求した神戸大学馬場健一教授が起こした取り消し訴訟である。高知県教育委員会が下した処分は部分開示であり「体罰教員名の開示」が争われていたという。判決は、目覚ましいものであった。「プライバシー保護の範囲を拡大することは、知る権利を過大に制約しかねない」 というものであったからだ。この知る権利とプライバシー保護の権益を均衡させようとする姿勢は非常に重要である、とかねがね自分自身が考えていたことがあり、更にこの藤倉徹也裁判官は今係争中の、四万十町久保川在住の山本たけし氏が四万十町長中尾博憲を提訴した「議員報酬引上げは、手続きに瑕疵があり、無効である。」という訴状の裁判の裁判長でもあり、その二重の意味でこの判決結果には目を奪われたのである。「知る権利」に考慮する裁判官であれば、判決はおのずと公平公正なものになるのではないか、と期待したい気持ちも一方でありながら、町長提案で議員報酬引き上げ議案を議会に提出するこ自体は違法でもなく、開示請求に対する部分開示という行政処分でもないので、行政処分取消訴訟という内容でもないから、この藤倉徹也裁判官の判決にぬか喜びも出来ないというのが実情である。それはそれとして、この判決に対して、何と高知県教育委員会教育委員会を開催し、高裁への控訴を決定したという。しかもその理由が、体罰教員名を公表すれば被害者生徒が特定化され、その特定化によって被害生徒に対する虐めを誘発する怖れがある。」というのだから、私はすっかり高知県教育委員会の頭の中身を疑ってしまったのである。被害生徒とその保護者は体罰教員名を既に知っているはずであり、その体罰の発生事由は、その教員の職務遂行行為であり、職務遂行為がもたらした重大な結果の公表は、プライバシーの公表には該当しない、というのが順当な判断ではないか、と私は考えるのだが、ここで個人情報の定義がある。私が理解している範囲では、「個人が特定される情報であり、特定されることによって、一般社会通念上その個人が社会的に不利益を被る怖れがある情報」である。体罰の加害教員名を公表できない唯一の正当な理由が、「被害児童が特定化され得る怖れが具体的な推論に基づく蓋然性及び特定化により、その特定化された児童が所属する学級での虐めに繋がる具体的な推論に基づく蓋然性の立証責任は、教育委員会にあり、異議申し立てを受けて審議し、教育委員会の部分開示(学校名、教員名、部名、部員へのアンケート結果非開示)決定を認めた高知県公文書開示審査会にある」と私は考える。ここで審査会の委員構成が気になったので高知県HPを検索しても見つけることができなかったので、審査会答申176号の問い合わせ先である高知県法務文書課に問い合わせてみた。自分では探し出せなかった審査会名簿は、情報公開制度の概要説明中にあった公文書開示審査会の説明部分に偶々掲載されていた、当時の委員名簿である。審査会答申176号の公表日時は、2013年1月5日である。何と8年前である。提訴した人は神戸大学馬場健一教授で、神戸大学の研究者紹介欄には、研究テーマ、「裁判利用、司法制度、現代社会の法化、子どもと法といった問題を、法社会学的かつ複眼的視点から捉えようと試みてきた」とあった。どうも、研究者の研究リサーチの一環としての取り消し訴訟のようである。研究費用で裁判の手数料が支弁されたのか、などどふと考えてみたが、いずれにせよ開示請求に対する高知県教育委員会の判断は、高知地裁判決で否定され、その結果は、地元紙高知新聞で報道され、私を含めた多くの県民の関心を引くことになったのである。この件についてネット上で情報を得ようと試みれば2019年11月20日付けの高知新聞電子版で以下の記事が見つかった。

教員不祥事に歯止めを 高知県教育委員会が臨時学校長会

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 相次ぐ教員の不祥事を受けて高知県教育委員会は27日、高知市内で臨時の県立学校長会議を開き、不祥事の発生防止へ綱紀粛正を求めた。
 
 県内では本年度、公立中の男性教員が強制わいせつ容疑で逮捕されたり、県立特別支援学校の男性教員が児童ポルノ動画を所持して停職処分を受けたりするなど6件の不祥事が起きている。...
 
 
 だったら名前を公表すればいいのではと私は思う。氏名の公表によって、採用権者の採用責任を問うのである。職務上の犯罪行為における氏名公表が無いなどということが、社会通念上納得できるのか。一般人は、酒気帯び運転等の道路交通法違反や、コンビニでのささやかな窃盗行為めいたものでも容赦なく実名や顔まで出されて報道されているのではないか。学校関係者は特例待遇なのか、教育公務員であれば、一般人に比較してその社会的責任はより重いはずであるにも関わらず、どう考えても不合理な「被害児童の個人情報保護のため」を持ち出して、加害教育名を非開示にするというのは根本的に倒錯しているとしか思えない。とどのつまり、教員名の秘匿は採用、任命責任者の責任回避行為ではないか。公立学校教員であるからである。高知県教育委員会の威信に関わるからではないか。馬場教授も異議申し立て文の中で言っているように、「加害教員情報を得ることは、児童生徒やその保護者にとって有益である。」これは正論である。「被害者の個人情報保護」は、根本的に虚偽である。馬場教授の異議申し立てを却下した高知県公文書開示審査会は空虚な多弁を振るって、教員名を特定化しうる情報をいかに非開示情報とするかに苦心している。「個人を特定化できる情報及び照合によって個人を特定しうる情報は個人情報とみなす」という解釈、枠組みに異様なまでに固執している。一例として、部名を開示すれば、その部がある学校名が特定化され、学校名が特定化すれば、県立図書館にある高知県教職院名簿等との照合で教員名が特定化される怖れがあるなどという教員名開示拒否への、異様なまでの執着ぶりである。この「教職員名簿」である。これを作成しているのは高知県教育委員会教職員福利課である。配布先は高知県教育委員会全課、教育委員会出先機関、全県立学校、知事部局、児童家庭課等であるらしい。市町村立の小中学校は全て市町村教育委員会の傘下にあり、その教職員の服務と人事に係る内申書は、市町村教育委員会から高知県教育委員会に上程される仕組みがある。市町村の学校教職員は全て「県費負担職員」と呼称される。全員が高知県教育委員会によって採用、配置され、高知県の歳費から給与が支給されている。この非常に分かりにくい複雑な制度が一体誰のためにあり、誰の役に立っているのか。私にはさっぱり理解できないが、少なくても児童、生徒や保護者のためではないという事だけは感知できる。その証拠ともいえる事実がある。この教職員名簿は、高知県庁の地下にある生協で売っているらしい。過去に四万十町教育委員会の一角で目にしたこともあった。市町村教育委員会には配布されていないようなので、高知県庁地下の生協で購入したのだろうか。よく分からない。ただ業務上教職員名簿は当然必要だろうからそこ教育委員会にあったのである。この名簿について昭和14年生まれの知人から聞いた話しでは、かっては名簿に並んで備考欄に出身大学が記載されていたそうであるが、ある時からそれが消えたという。高知県教育委員会に出身大学名が消えた理由を尋ねた所、「教職員の個人情報保護のため」であると言う。私は、教職員の出身大学が個人情報だとは、ついぞ知らなかった。「出身大学の偏差値と授業力には一定の相関関係がある」という仮説を立ててそれを検証すべきは学校の本来の使命であり、その情報を教育委員会にフィードバックし、採用時や昇給の考課材料にするのが本来のあるべき姿である。学力の養成が学校の使命である以上、学校教職員の学力の証である学歴は、まかり間違っても個人情報などではない、職務遂行に係る有能性を測る確固たる基準値の一つなのである。この事実を公認できない理由、背景に何が潜んであるか。ずばり、教職員採用に係る利権である。高知県世襲教員比率が非常に高いという悪評がある。教職員名簿にまで言及し、体罰教職員名の公表を頑なに拒否する背景は、採用利権の温存にあるとも言える。私が過去に議員辞職勧告を受けた際にも、政治倫理条例違反の疑義1は、「議員の地位を利用して町の人事に介入した」であったが、この人事とは、具体的には学校教育課の付属機関である教育研究所の所長人事であった。この時の所長は戸田昌秀氏でこの人物の父親も学校教員であった。戸田氏は教育研究所所長であり、事務統括を担う立場でありながら文書管理票(組織保管公文書・文書目録大分類に相当)を作成できなかったのである。うかつな私は、この事実を知った直後、この著しい業務遂行能力の低さを町長室で指摘した上でそれならばと、休職中の知人を所長に推薦したが、名前は出さず、公募を了承した。人事介入の斡旋利得の意図が初めから毛頭なかったので、公募を了承したのである。その上で、政治倫理条例違反に問われたのである。親が教員であったことと併せてやはり能力を度外視した縁故採用に始まる情実人事の結果がこの著しい業務遂行能力の低さなのであったのだ。この事実を私に伝えた人物が、教育研究所所長岡澄子氏である。この人こそ、私にしてみれば、町の人事への介入の糸口、誘い水となった人である。
岡澄子:簿冊管理票は所長が私に提出してきたが、とてもじゃないが外に出せるようなものではなかったので、今研究員に作成させている。研究員が今夏休みを取っているのでもう少し待ってほしい。
音声データが残っていなのが残念であるが、これは真実である。この岡澄子氏は、現在教育研究所と補導センターの所長を兼任している。四万十町西庁舎玄関先前に張り出された意見書に以下があった。
「改善センターの中にある教育研究所と補導センターが何をしているか全く分からない。天下りであれば廃止しもらいという直截な意見である。
回答が全くなっていなかった。「何をしているか分からない」に対して双方の設置要綱を書き写して対応しただけであったのだ。回答したのは、学校教育課課長西田典夫氏と生涯学習課課長林瑞穂氏である。教育研究所運営員会と補導センター運営員会が存在し、議事録が公開されているのにである。毎年その委員会で教育研究所も補導センターも委員に対して活動実績報告がなされている。「何をしているか」にはこの運営委員会「議事録」の公表案内で対応するのが筋である。ところが、この度、補導センター運営委員会が議事録を取っていないことが、発覚したのである。それでは何をやっているか誰も知りようもない。「何をしているか分からない」のは当然である。所長の岡澄子氏は、教育委員会次長で退職し、退職直後教育研究所所長にそのまま天下った人物だが、「前述のやり取りを政治倫理審査会で証言して欲しい」という内容の私から彼女に宛てた手紙を川上哲夫教育長に預けて退職したのである。このことが臆面もなく、私の不当な行為というニュアンスで、政治倫理審査会の場で川上哲夫教育長によって言及されている。実に素晴らしい一糸乱れぬ一致団結振りではないか。このような教育行政職トップの不見識に遭遇するとやはり、会議の公開や議事録を取ることの重要性に対する無自覚、無理解が、即ち対外的説明責任への無自覚、無理解に直結していることがありありと分かるのである。川上哲夫元教育長や現教育研究所所岡澄子氏のような議事録の重要性が理解できない人間は、本来教育行政を担うんは不適任であると、私は確信する。そのような人物は、究極的には、社会的責任感を持つ人間形成に貢献する仕事、つまり教育に携われる資質があるとは思えないからである。この岡澄子氏は退任の挨拶を閉会後の議場でやった。
岡澄子氏:職員の皆さん。これからも一致団結して職務に励んで下さい。
目前にいるのは、町議会議員である。町民選出の町議会議員である。にもかかわらず、職員に向けてのメッセージだけがこの人物の口から出たのである。それも「一致団結」である。「一致団結」はこの人にとっては、疑いを挟む余地のない美徳であり、場に応じた至極穏当適切な言い回しなのである。退任のあいさつの場で、職場の「一致団結」しか視野にないことが露見したのである。何という貧相さだろう。結局今回の高知県教育委員会が「体罰教員名の開示」を求めた藤倉徹也高知地裁裁判官の判決に対して、最終的に議事録も公開しない非公開の場で協議し、高裁に控訴することを決定したのも、実にこの岡澄子氏が言うところの「一致団結」が完璧に機能した結果ではないだろうか。岡澄子氏の「一致団結」には町民が不在であり、その意識は、教育行政への町民参加など全く望んでいないことの現れである。同様に高知県教育委員会体罰を受けた児童生徒や保護者の教育行政への参画など全く望んでいないのであろう。だからこそ、我々の知る権利をここまで蔑ろにできるのである。実に厚顔無恥である。それでいて、「主体的な学び」とか、「多様性」とか、「社会的包摂」とか、「持続可能な開発目標」とかの実体のない題目が、学校現場ではこれでもかこれでもかと雲霞の如く垂れ流されているのである。まともな神経をしていたら学校に行きたくなくなり、ひきこもりたくもなるのではないか。児童生徒を追い詰めていくのは、この教育行政を担う人間集団の度外れな鈍感さ、貧相さである。因みに教職員名簿の配布先である高知県児童家庭課の作成資料によれば、高知県内の引きこもりの数(就学年齢からから38歳まで)は, 5000人である。これも児童家庭課が設置した児童福祉審議会の議事録から知った事である。議事録は重要である。それが理解できない人々は、公の仕事には不適任だろう。端から公、つまり我々に関心が持てないのだから。公という概念には、少なくとも会議を傍聴し議事録を読む人間は包摂されているはずである。最後に今回判決と控訴に係る意思決定の場にいた審査会委員名簿と高知県教育委員会委員名簿をここに公開したい。
因みに高知県公文書開示審査会答申176号は、高知県HP上に掲載されているので、関心のある向きは是非ご一読いただきたい。
 
西原真衣
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(87)

       「ニーズ」って言うな

 ニーズという言葉がある。需要とか必要性とか普通の日本語ではダメなんだろうか。分からない。ところが行政職員は、外来語を好んで使う割には英語の素養がない。「それ何の略語ですか」と聞いて、即答できた行政職員を知らない。新しい事業の議会への説明時にはに必ずと言っていいほど聞きなれない外来語が登場していた。聞き慣れない外来語の導入はいかにも新しい事業コンセプト(これも外来語)の導入のように聞こえ、それが齎す錯覚から, ついつい斬新で画期的必要とされる事業だと思ってしまうのである。考えてみれば他愛ない事この上ない。老害政治家等イチコロである。彼らは恥を忍んで知らない言葉の意味など決して聞かないので、行政からすれば、実に騙しやすいのであろう。かくも騙されやすい彼等とて「ニーズ」の意味はさすがに知っているだろうが、その「二ーズ」とやらの実態を確認する意志はなさそうである。住民説明会が終わったばかりの複合文化施設の「ニーズ」の出所も町民的には実に不明極まりなかったからだろう、反対署名が出回っているという噂も聞いた。無理もないことである。この前四万十会館で開催されたシンポジュームを例に挙げてみれば、パネラーが外から3名やって来た。外来者は外来語を駆使する能力にたけている。「パネラーが順番に講演し、講演毎に各コメンテーターが解説し、その後でパネラーによるパネルデイスカッションと続き、最後に聴衆との質疑応答で締めくくります。」と事前に説明されていた。ところが、パネラーは和製英語でパネリストが正解、元々Panel とは、講師団 審査団と辞書に載っている。集合名詞である。panelistとは、公開討論会の講師, とある。中尾町長と山脇教育長が聴衆の前で展開される公開討論会の討論者から外されたことは、前回書いた。町長も教育長もコンサルタントに外来語連発で煙に巻かれているだけであり、彼らの側にはその自認さえなく、シンポジュームでパネルの一員として登壇しても他のパネリストを相手にデイスカッションの相手など到底無理である。まるで後進国における、大枚をはたいた、身の丈に合わない文化啓発事業の戯画のような一幕であった。ああ心の底から恥ずかしさがこみ上げてくる。そしてこんな町に生を受けた我が身を呪いたくなるのだ第一、図書館長の諮問機関でされている図書館協議会がつんぼ桟敷に置かれたまま、その議事録作成とHP掲載が副館長によって1年近く放置されるという、信じられないようなことが起きていた。図書館に優秀な職員が配置されたことはない。優秀な職員は、農林水産課課長、建設課長、財政班長となり、教育委員会は傍系であり、館に常駐する図書館正規職員は殆ど窓際扱いなのだろうと想像する。露骨なまでに予算額の多い順番に優秀な人材が配置されている。農林水産課や建設課の事業は、雇用や選挙に影響力のある、中尾町長言うところの「経済的恩恵を受ける町民」の利害得失が大きく絡んでいるので、議会答弁等での失言が用意周到に回避される必要があるからである。その為に優秀な人材はまずそっちに回すのである。図書館に配置された正規職員に図書館業務について質疑してきた私には、容易に想像できる。だからこそ、町が今までどれほど図書館を重要視せず、蔑ろにしてきたか、そしてその町の姿勢が、回り回って最終的には行政の仕事の本質的な質を規定しているかを知っているのである。今複合文化施設の模型作りに着手し、新複合文化施設一角にソニーグローバルエデユケーションセンタータワーを作ると息巻いている知人の陶芸家武吉廣和氏は、「図書館は町の頭脳である。」と明言する。私としても異論はない。町の頭脳となるべき町職員の頭脳のレベルが、その町の図書館に現れているのである。議会図書室等言わずもがなであるが。町長は複合文化施設説明会の場で、「平成29年度の町政懇談会で図書館の新設が要望された」ことを受けて、図書館建設に舵を切ったと, いう様な事を言った。その意見とは、企画課で町民座談会記録から探してもらった。以下である。

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推察するに全て実に母親的な、子供の文教環境整備への要望である。それはそれで理解できる。確かに文教環境が整っているとは言い難い。けれども旧庁舎跡に大きな複合文化施設ができたところで、東又、川口、十川からどうやって図書館まで行くのだろう。親が車で土日に連れて行くしかない、とすれば、土日休みで車で子供を送迎できる親ということになる。とすれば親の勤務先は、役場か農協か四国電力である。少し考えれば分かる事である。つまり親の経済条件が子供の図書館環境に直に影響するということになる.だから今公立図巻を新たに作るとすれば、窪川に一館、大正に一館、十和に一館である。窪川にある本館は手狭過ぎるし、場所がよくない。大正分館は振興局の3階で、これも場所が分かりにくく、利用しずらい。十和には図書館がない、これは実に危惧すべき事であり、実に空恐ろしいことでもある。中尾町長は、「図書館がないことが、いかに地域社会に大きな本質的な禍をもたらすか」を全く理解していない。むしろ図書館がないことから、この町長は、「議会との融和面」で大きな恩恵を受けているのである。職員人件費からすれば僅かな予算増で議員報酬を引き上げれば、「議会として今まで以上に議会運営に協力し、執行部には悪いようにはしない」という暗黙の了解が成立した後の議会がどのように変質したか、見るに見かねるほどの弛緩の一途を辿ったのである。議会放送を見れば一目瞭然である。ここで。図書館のない十和地区出身の四万十町議会の面々である前々議長橋本保、前議長酒井祥成、堀本伸一、橋本章央この4者の議員報酬引き上げ前の議会発言を振り返ってみる。

橋本保:天下りという言葉は品がない。(私に対して)

    議会は組織である。議会運営委員会で決まったことは遵守すると議会運用基    

    準165条に書いている。(議員報酬引き上げ時に議運メンバーから反対討討論が出たことを受けて、緊急に開催した選挙前議会運営委員会で)

堀元伸一:今日は全部録音する。議会運営委員会は議会の上層部である。

町民に騒動を引き起こし、議会に混乱をもたらした。町長に謝罪した。自分には謝罪がない。(上記の選挙前緊急集会で)

議員報酬引き上げは個人的には反対だったが、これは議会で決まったことだと町民に説明できなければならない。我々議員は町民を指導する立場であるので、説明力がいる。(議員報酬引き上げ議案審議中の本会義で)

 酒井祥成:(議員研修の講師を)五流の政治学者と書いたか。これからの議会運営がやりにくくなる。(政治倫理審査会で私に対して)

口を慎め、議事録に残るぞ。(笠が池ため池工事の会計検査院の立ち入り調査結果の報告を建設課より全員協議会で受けた場で、私が、農林水産省の工事設計申請書審査ミスを指摘した際

橋本章央:議会運営員会で決まった事(議案への賛否)と異なる立場であれば、議場では黙って座る。討論には立たないというのが、議会運営の常識である。十和ではずっとそれでやって来た。(上記の選挙前緊急集会で)

因みに酒井祥成議員は、議会運営委員長の委員会報告に、「異議なし」と記すべきところを、「意義なし」と記していた。自身の選挙公報にも、「大局と記すべきところを「対極」と記していた。この識字力の低さが、この人物が議事録を公開したがらない本当の個人的理由であり、「議事録に残るぞ」という恫喝は、この人物の内面の反映である。彼らの識字力は議会という場では、私の知る限り、以上の如く発揮されていたのだが、今の四万十町立図書館副館長(十和出身)が、図書館協議会議事録の公開年越しに放置できたのも、十和という同じ土壌から来る同じ思考回路、精神構造があるからであろう。「統括主幹、四万十町立図書館美術館副館長という肩書を持つ副館長は、図書館協議会の議事録作成が彼女の業務であることの根拠を、「図書館協協議会議、事電話録作成が、その他図書館の目的を達成するために必要な事務に該当するから」と恐らく電話の向こうで行政組織規則の自分の職務内容に該当する箇所を見ながら私に説明したのだが、「図書館の目的とは何か」と聞けば「図書館の円滑な運営」と答えたのである。ここが、完璧に倒錯している。

       図書館の設立目的は、図書館の円滑な運営にある

という命題は、論理矛盾である。議会における十和出身議員達ももこれと全く同一の命題を私に臆面なく突き付けてきた。「議会の設置目的は議会の円滑な運営にある」である。つまり、「議会は議会それ自体のために存在する」と言っているのであり、議会の代表性や有権者による代表制の付託は、有権者から求められれば、説明責任を回避できない、などというロジカルな制度理解を彼らに求めても、実に、馬に念仏状態であったのである。それはそうであろう。「議会は円滑に運営するためにあるのだから、運営組織としての議会運営委員会が議会の上層部である」と、堀本伸一議員は信じて疑わないのである。何というグロテスクさだろうか。この人物は地方自治法や会議規則の趣旨を恐らく理解していない。この人物が書いた私への最初の懲罰である「公開の場での陳謝文の朗読」文中に多々地方自治法と会議規則の曲解が見受けられたので、別の機会に適示したい。適示する必要があるのである。なぜなら日本は、法事国家であると諸外国からは見なされているからである。十和出身議員のそのような奇態な思考回路に対して、大正、窪川出身議員達も、異を唱えるどころか全く無力であり、むしろ彼らの獰猛なハングリーパワーに恫喝されているような観さえあった。議員報酬引き上げ時に,十和出身者(前半2年議長橋本保、議会運営委員会委員長酒井祥成、後半2年議長酒井祥功、議会運営委員長堀本伸一という布陣が何を意味するかは判然としている)によって首謀された議会という群れの共通利益の獲得戦略(議員報酬引き上げを指す)を己の選挙戦のために土壇場で妨害した、4人の議員が謝罪を迫られた際に、彼らは全員、首謀者質に対して「議会運営の基本が分かっていなかった」と謝罪したのである。これが「議会とは町民福祉の向上のために機能させるものではなく、議決権という権益それ自体の保持を目的として運営するものである」という命題の議会支配が確立した決定的瞬間であったのだ。四万十町議会史に残る歴史的瞬間である。是非四万十公社地域情報センターに議会史アーカイブとして保存してもらいたい。

 さて人権条例制定検討委員会である。1回目に事務局が委員に配布した人権条例制定検討の経緯を記した資料中に、平成29年度第3回定例会で堀本伸一議員が「部落差別解消の推進に関する法律」について一般質問した際に、中尾博憲町長、川上哲夫教育長から引き出した答弁が記されていた。「人権条例制定を視野に入れる。」「人権条例制定を前向きに検討する。」等々である。関係筋によれば、毎年1回部落解放同盟十和支部と町長、副町長、教育長、十和振興局長の副課長以上全員が出席し、非公式な話し合いの場が持たれているという。議事録が作成されていない以上、非公式としか表現しようがない。方や高知県人権課は、県HPで、高知県部落解放同盟連合会から県に提出された要望書や話し合いの議事概要を公開している。四万十町も是非そうすればいいと思う。人権条例制定検討員会を傍聴して、なぜ今人権条例制定なのかということが非常に分かりづらいまま、制定ありきで回数だけを重ねている感が否めないと痛感するし、担当課が把握している人権侵害事案に係る立法事実を事務局が部外秘として扱う(会議終了後回収する)とういう倒錯ぶりに至っては、実に異様な感じしかしないのである。高知県は、橋本大二郎知事時代の闇融資事件の裁判結果を受けて徹底した情報開示に踏み切ったのではないかと推測する。その方が風通しが良いに決まっている。万機公論に決すべしである。透明性は「恫喝」を無力化する。透明性や情報開示の絶大な効用はここにある。「透明性によってのみ、言論が徐々に健全化し、同時に精緻化し、進化し、発展、成熟していく。」というのが私の持論である。秘密性と密室性が「恫喝」の存在基盤である。「恫喝」は人の内面を決して変容させない。むしろ憎悪と差別意識を煽るのであり、これは誰しもある程度の人生経験があれば、会得していることだろう。私自身のことを言えば、問責決議、辞職勧告、公開の場での陳謝文の朗読、出席停止とすべて全会一致の議会決議の対象となり、新聞や議会だよりで大々的に報道され、一躍悪名が轟いた。その結果私の中に何が残されたか、それは当時の議会メンバー全員に対する根深い憎悪と蔑視感情である。それがこのブログの発信の大きなエネルギー源となっていることは否めない。だから私は傍聴に赴き、彼らの行状を記録し、記述し、分析し、批判し、不特定多数に向けて発信し続けているのである。これが目下私の執念である。「議会とは,町民の反感を周到にかわしながら、議決権という特権を執行部に相対して最大限に発揮して議員利権の最大化を実現すべく運営するものである」という命題は、長年十和村で議会と融和策を取り行政の持つ予讃編成権、予算提出権を淵源とする行政利権と議決権を持つ議会利権を水面下で「相対取引してきた封建遺制の残痕ともいうべき悪習である。いわば領主に俸給された関所検閲役が執行部と議会の関係性である。この悪習が私西原真衣との対面場面で,副町長森武士が全職員向けに通知した、四万十町議会議員への対応について(議長よりの回答)」として表出した。驚くべき内容であった。まるで江戸時代の「お触れ」のようであったのだ。曰く「文書で質問しない。電話で質問しない、メールで質問しない。必ず来庁し課長を中心に相互の信頼関係に基づいて簡潔な質問には対応されたい。」が本文であり、欄外には、「この回答内容からの逸脱があれば直ちに課長に通報するように」と書かれていた。発信元は、森武士副町長である。当時の議長は、橋本保であり、森武士との間に、「議会とは、議決権という議会の権益の行使について議長を統括責任者とする組織であり、その議会の運営組織として議会運営委員会がある」という実に奇態な認識の共通基盤があったのである。これを「十和方式」と一先ず呼ぼう。この通知文は、彼らが長年行ってきた「恫喝と迎合」の政治文化が余すところなく発揮されている貴重な文献である。愚劣で陳腐な点では往年の旺文社の受験参考書シリーズ名に因んで「傾向と対策」と称してもよい。私は、是非この通知文を図書館に収集してもらい多くの町民の閲覧に供してもらいたい。これは全く本気でそう思う。結論的には、その「恫喝と迎合」の不健全極まりない政治文化は、「図書館の目的は図書館の円滑な運営である」いう答えしか繰り出せない、生気に乏しい、思考停止型の職員を排出する結果を確実にもたらしたという事である。これは、今の副館長に限ったことでは決してないが、この人物は典型的である。本来図書館は、知り、考え、判断し、参画する力を養うために存在するものなのではないだろうか。その参画する力こそが、その一員として生きるに値すると感じることができる共同体の価値観の創出に向けた共通の基盤となるのである。恫喝と迎合しか見たことがない人間は、決して開かれた自由な人間にはなれないし、開かれた自由な人間であろうとしなければ、知り、考え、判断し、参画することに、また決して喜びや希望など見いだせないのである。私の好きな言葉に、イタリアはベネツイエの公立図書館長の言葉がある。「図書館は民主主義を成立さすための社会共通の基盤である。」それは「知ることがなければ、参加できない。」からであるという。私の図書館観と根底が通じ合う言葉である。しかし、悲しいかな、私は,四万十町立図書館行政に関わる人々の中に、この認識を見たことは、一度とてない。歴代館長職にあった生涯学習課課長、山本弘光氏、辻本明文氏、宮地正人氏、林瑞穂氏しかりである。教育長もそうである。中平克喜氏、宮崎勲氏、水間淳一氏、川上哲夫氏、山脇和章氏しかりである。だから今複合文化施設建設に期待できるものは何もないというのが、私の本音である。有体に言えば、新しい革袋に古い酒を入れるのに12億円の公費を投下するという愚行は止めるべきではないだろうか、という問題提起をしたい。それより、行政が為すべきは、町民との対話である。この構図が人権条例制定にもある。つまり出所不詳の自作自演的なニーズ」ではなく、具体的で個別的な町人との対話の場の創設である。それが有れば、コンサルタントはいらない。言い換えれば、1昨年本会議場を使ってまでやったような「子供議会」の前に、関心と参画意志による「大人議会」を開催すべきではないか、という事である。それが「リアル議会」を淘汰し.進化させていいくための装置になることは間違いないだろう。子供の文教環境整備を言うなら、まずそこではないか。図書館をテーマにした、利権と選挙ではなく、関心と参画による大人間の真剣な、臨床感のある討議を子供達に見せるのである。子供達はそこで、学校と家庭以外の場に、自分に開かれた「共同体」の存在を感知するはずである。自分が生を受けた地域社会が、自分に開かれているかどうかを感知する力は、子供に勝るものはないのではないだろうか。その意味で、子供は我々の試金石なのである。

 

西原真衣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(86)

     図書館から森喜朗発言を見る

森オリンピック組織大会会長発言の波紋は、広がっている。偶々今朝見たNHKのニュースである国会議員の稲田朋美が、「わきまえない女であり続けたい。」と発言書、女性国会議達が全員御揃いの白いスーツを着て登壇し、金子恵実衆議院議員が質問に立って、「女は家にいろと言われている気がします。」などと発言しているのを見て、唖然とした。正直唖然としたのである。今頃何を言っているのか、この人達は。女子学生ではないのである。そう言えば妙に女学生のようないで立ち、プリーツスカートにハイソックス等で登庁する四万十町立図書館の副館長武内氏は、住民説明会の2日目の参加したというので、どのような意見が出たのか聞いてみた。私は1日目にしか参加できていないからである。

武内氏:窪川城の城跡のような史跡の活用も考えたらどうかとかそのような。

西原:それだけ。

武内氏:こちらから意見を促がして

西原:促されて出た意見は。

武内氏:無言。

ここで私は叫んでしまった。

        Oh, My Good!!

西原:あなたメモを取らないの。信じられない。全く真剣さがないし、集中していない。

結局町立図書館副館長である女性職員はそのような業務水準を全く求められていないのである。ここでははっきりと女性職員と特定化したい。住民意見を聞く、聞き取るという訓練を全く受けていない、なぜなら彼女たちを、一人前でなく、敵前矢面に立たせるべきではない存在であるという男社会の暗黙の両了によって庇護されているからである。このようなタイプの女性所職員が新図書館の館長になれば、何か起きるか。一目瞭然である。そこでSTEM教育が施され、共同体の交流拠点や芸術的創作活動の場が提供されるなどという与太話が住民説明会で展開されている。与太話である。森喜朗の談話が本質的に与太話であるように、複合文化施設住民説明会は与太話であった。図書館に行けば、現場は酷い有様だからである。例えば、借りた本を返そうとする。突然カウンターで長木という最長キャリア保持職員(25年)から、「(本が)濡れていますね。」と指摘を受ける。その指摘を受けて、思わず本を濡らしたっけ、と考えた。家でどこに置いていたか、台所仕事で手を塗らしたまま本に触ったか。全く思い当たらない。入り口の消毒液を指先に落とし、その手で返却予定を持って、返却しようとしただけである。それは、この時節「許容範囲」の濡れ方ではないのだろうか、と釈明してみた。消毒液の所に本を持って行って実演までした。返却本は三冊重ねて置いて、消毒液を指先に落とした。ばらけて置いたりはしない。その手で本に触って返却に出した。だから許容範囲ではないか、である。そもそも図書館本はコーテイングされている。この程度の濡れ方は、テイッシュで拭いて済むことじゃないんだろうか。

長木:びっくりしたんです。あんまり濡れていたんで。

こっちもびっくりした。身に覚えのない指摘がいきなり来たからである。第一私は返却本が濡れているとは認識していなかった。無請いうが本当に単にびっくりして思わず「濡れていますね」と口走ったとしよう。それで、利用者である私は、自宅での本の取り扱いを回顧した挙句

西原:自宅で濡らした覚えはない。館内で濡れたとしか考えられない。コロナ禍で、消毒液が入り口に置かれている。その状況下で、本の管理責任がどのように問われているのか説明してもらいたい。

長木:びっくりしたんです。あんまり濡れていたんで。それに本をシャッフルしませんでしたか。私見ていたんです。

「びっくりした」割にはそれ以前の私の行動を詳細に観察し、濡れた原因に結びつけようとしている。私の言っていることの意味が分からないのだろうか。

西原:こっちもびっくりしたんです。いきなり「濡れていますね。」と指摘されて、私の管理責任を問われているという風に受け取りました。どのような管理責任が図書館側から利用者側に想定、期待されているのでしょうか。非常に分かりにくいので説明して下さい。コロナ禍で、図書館入り口に消毒液が設置されている状況下で、利用者に図書館から課せられている管理責任のあり方についての説明です。

長木という職員は始終無言である。ここで谷脇という職員が長木に助け船を出した。

谷脇:この辺で収めてあげてください。

西原:あなたは関係ないでしょう。

谷脇:同じ図書館職員ですから。

「濡れのていますね。」に私は応答したし、濡れた状況を作り出したことを私の責任問題として指摘しているようにしか聞こえないので、聞いているのである。図書館の返却カウンターで職員に「(本が)濡れていますね」と指摘された時の普通の受け取り方ではないだろうか。ところがこの図書館では、私のこの感覚が全く通用しない。カウンター内には4名ほどの職員がいたが、谷脇氏を除く全員が押し黙ったままである。これではまるで私が不当な圧力をかけているようにしか見えない光景ではないか。この図書館ではこのようなことが頻発する。「職員が、何一つ運営上の事を利用者に聞かれても、何一つまともな説明ができない図書館」なのである。だから照明が暗い状態が3月も続いたのである。住民説明会に行けば、前に座っているのは全て男であり、説明し、質疑応答時に答えるのも全て男である。谷脇氏、長木氏、山路氏、山口氏というキャリアの長い図書館会計年度任用職員も出席していたが、彼女たちは住民側の席に着席していた、山地氏だけが会の最後の方で以下を発言した。

山路:私は図書館建設賛成の立場から発言したいと思います。この町の子供達の未来のためには図書館が是非とも必要です。

「賛成の対場から」と山地氏が冒頭に切り出したのはそれまでに出た意見の趨勢が、

コロナ禍における町民生活の困窮をよそに財政赤字の拡大の懸念を全面的に指摘するものや、図書館利用者から得たアンケート結果の取り扱いが不十分であることを指摘する者等、反対の立場というよりは、今なぜ図書館なのかとい視点で、町民の民意に向き合っていない図書館行政の従来の姿に苦言を呈する内容の意見であったことを受けているのだろうが、いかにも「行政寄り」であり、男が意思決定するその意思決定の意向に沿おうとしているように、やはり私には、聞こえたのである。そもそもこの説明会に現れた4人の図書館スタッフは、なぜこの説明会に申し合わせたの如く現れたのであろうか。本の貸借と返却で頻繁に図書館に出入りしている私は、説明会開催前に谷脇氏と図書館内で以下のやり取りをしている。

西原:図書館スタッフは、住民説明会に上司からの出席要請を受けているんですか。

谷脇:されていません。

西原:それは変ですね。せっかく住民意見を聞く機会なのに。

所が住民説明会1回目に、件の図書館スタッフを含む4名が現れた。生涯学習課は以前のシンポジューム開催時にも、(これは繰り返し巻き返しケーブルで実況を放映している)

1.住民との質疑応答の時間は取られているのか。

2.誰が登壇するのか、パネリストとコメンテーターが全員外部の人間なのは、なぜか。コメンテータが解説役であるならば、生涯学習課が解説するのが本来の仕事ではないのか

との疑義をぶつけていたせいか、当日になって突然、中尾博憲町長と山脇光章教育長が登壇し、パネリスト3名の講演に対してのコメントした。が、その後のパネルデイスカッションには参加しなかったのである。というより司会役が、作為的に町長、教育長には、決して発言を求めなかったのである。理由は簡単明瞭である.彼らにはデイスカッションは無理であることをコンサルタントは知り抜いているのである。質疑応答は文書で受け付けられた。それで限りなくコンサルタントとパネリストだけの見せ場となった。つまりシンポジューム開催の初期の目的は何も毀損されなかった。我々町民有志の悪足掻きは、コンサルタントによって見事に換骨脱胎されたのである。生涯学習課は、シンポジューム開催後にも、町民向けに繰り返し巻き返しケーブルでシンポジューム実況を放映し、複合文化施設への周知に努め、町民理解を求めているつもりらしいが、一体全体、図書館運営について何を聞かれても、全くまともな説明ができない彼らの図書館付きの非正規女性職員達をどうするつもりなんだろう。ここにはかなり露骨なヒエラルキー(階級構造)が存在する。このヒエラルキーは二層化している.一層目は、「言葉を操れる」能力による序列化である。最上位にコンサルタント「アカデミックリソースガイド」がいる(実にふざけたネーミングである、市町村職員を心底馬鹿にしているのだろう)このARGは、人材派遣業者でもある。シンポジュームやワークションプ、視察研修を生涯学習課に提案し、そのコンサル料をたんまり取りつつ、シンポジュームパネリスト、ワークショップ講師、研修先という名目で、お友達にお金を落とす仕組みが構築されているのである。その下に中尾町長、教育長がいる、その下に生涯学習課正規職員がいて最下層に、図書館非正規女性職員がいるのである。二層目は、「予算執行権」という階層である。この最上位は、勿論、来客接待や庁幹部との打ち合わせ時以外にいつ見ても町長席でスマホをいじっている中尾博憲町長である。その次が生涯学習課管理職、林課長、味本副課長、西尾主幹である。西尾主幹など、財政上の説明員として、わざわざ生涯学習課に引き抜かれている。早速説明会でも、彼の職歴は、大いに功を奏していた。

西尾主幹:総事業12億円の財源は起債(過疎債)は確かに町の借金ですが、次世代にも便益を提供できる施設刷るわけですから、次世代にもその費用負担をしてもらうという考え方が、地方債制度の背景にはあります。基金残高が増加傾向にありまして、町の借金残高である地方債累計額総額はこの基金残高総額で相殺できるほどになっています。

森武士副町長:謝金返済に充当できる12億円ほどだったか、減債基金や財政調整基金というものもあります。

山脇教育長:中長期財政計画都等の書類も見てもらえれば、四万十町の財政が健全であることを理解してもらえると思います。

何という事もない。議会で耳にタコができるほど繰り返されてきた与太話である。ただ説明会に現れた一人の初老の男性の、財政赤字への強烈な批判が、このような答弁を繰り出させたのである。今の四万十議会にこのひっ迫感、臨床感があるか。

西尾主幹が言っている将来世代の応益負担論は建設国債のことである。財政法はそもそも赤字国債の発行を禁止している。これが形骸化して久しく、日本の財政赤字は先進国で群を抜いている。確かにここには財政規律が働いていない。だが、初めて上記のような説明を受けたら黙ってしまう。人は自分の無知には抗えないのだ。図書館の現場に戻る。図書館運用上の説明さえできない人達はそのような説明を求められることがあるという自認に欠けているのである。そのように扱われたことがないからであろう。だからその能力が育っていない。それもそのはずである、言論の府であるはずの国会における女性国会議員達の冒頭の言論を想起してもらいたい。「わきまえない女であり続けたい。」「女は家にいろと言われている気がします。」などというレベルである。諸外国の女性政治家は、まずはそのようなことは言わないであろう。男女差別や女性蔑視は、結局、女性が日々職場で、家庭で男性とどのように向き合っているかということに深く関わっている。だから複合文化施設住民説明会での彼女たちの振舞いにもそれは現れてしまう。森喜朗氏の時代錯誤的な恥ずべき発言に対して、企業社会からは「当社理念に反する残念至極な発言」というポリテイカルコレクトネス的なもの以上のものは見当たらないし、森氏やオリンピックボランテイアの大量辞退を受けての二階俊郎自民党幹事長の「オリンピック開催にボランテイアは必要であるので、再募集するしかない。」などという、「人を、馬鹿にした」、辞退したボランテイの真意への考察等微塵もない、これまた森喜朗同様自民党長老族の救いがたい時代感覚のなさが露呈した発言を受けてでさえ、「辞任すべき」ときっぱり言えない、森氏に「お世話になった」国会議員達が数多いるはずである。女性蔑視の根幹にあるのは、お世話する、される関係性、つまり家父長制的な価値観である。森喜朗氏を親父と仰ぐ国会議員達の森喜朗氏に対する地位関係は、家父長制内における女性の地位関係と実にアナロジカルである。家父長制の擬制は役所内にも濃厚に存在している。男女共同参画を所管する四万十町町民課の課長であった細川氏と、男女共同参画担当であった中村氏の言動を紹介しよう。細川氏は、私が議員の時、9月定例会の決算勉強会の場で、

西原:役場内で女性管理職がなかなか増えない背景についてどのような認識を持っているか。

細川氏:女性は一般的に、子供がおなかをすかせていないかとか、子供の教育とかに関心が集中していて、管理職への登用にそれほど関心がないのではないかという認識をお概ね持っている

と答えたのである。つまり彼女は、自身が関わった職場の女性同士の雑談内容を告白しつつそれを事も無げに一般化したのである。「現場」が「背景」に直結するこの短絡思考、視野狭窄が、管理職への登用しづらさとなっている可能性は、どうも見えていなさそうであった。中村氏に関しては、以前、男女共同参画計画の概要版が回覧板で配布された。概要版には、「事業者アンケート、検討会の結果を踏まえて、男女共同参画第3期計画を制定しました」と記載されていた。では、本体全体版はどこにあるのか、町のHPで検索しても見つからない。町民課に赴いて、全体版はどこにあるのか担当の中村氏に聞いてみた。実に慌てふためいて、これから会議がある。段ボール箱の中にある。どうぞ持って帰って下さい、とまるで火の粉を払う様な窮迫感をにじませた。私に質問されることが、ひたすら怖いのである。

中村氏:課長課長、来て下さい。立ち会って下さい。

町民課長の本山氏は、部下に請われてやっては来たものの呆然と立ちすくんでいるだけで、一言も発しない。何という異様な光景であろうか。まるで私が押し入り強盗みたいではないか。「答えられない」町職員たちはスクラムを組んで、私が一見加害者の如く見える光景を現出させることに加担している。まるで役場正規職員でありながら、ものを言えない弱者であり、被害者であるという仕草が集団内で一瞬にして生じる。これここそが、この地の土着の風土である。中村氏は、林一将氏という元町議会議員、社会福祉協議会事務局長、農業員会会長、町立図書館協議会会長、窪川の歴史を学ぶ会会長という肩書を持つ御仁の長女である。一般行政職に採用される前は、保育所用務員であったらしい。この部分は異例な人事異動である。この職員の経歴とその父親の経歴には密接な関係性があるとしか思えないし、そのようなことが起き、通用していいるのは一重に、家父長制が公的機関の持つ権限(採用と身分保障)にガン細胞のように密かに浸潤していることに対して、我々の社会は極めて寛容であるという事の紛れもない事実である。時の首相、菅義偉氏も長男を総務大臣時代の秘書官に抜擢し、その後総務省が許認可権を持つ衛星放送事業者東北新社に就職させている。林一将氏がおそらくは自分の長女に施し田であろうことと、これは完璧に相似形である。私自身の考えで言えば、これは汚職行為である。菅首相自身の収賄斡旋利得行為である。息子の就職が自身が大臣を務めた省庁が許認可権を持つ企業であることは、それだけで、収賄斡旋利得行為である。収賄斡旋利得行為を律するのが、政治倫理である。政治倫理と言えば、私自身も、過去に四万十町議会議員政治倫理条例違反に問われて、辞職勧告を受けた。

疑義1、議員の地位を利用して職員に圧力をかけ職務に支障が生じた。

疑義2.議員の地位を利用して町の人事に介入した。

疑義1に関連する職員6名が政治倫理審査会に招聘され、事実確認を受けた。私が、「かけた」とされる圧力の裏取りである。その中に図書館の長木氏も入っていた。前図書館副館長の森山氏も入っていたし、かっての議会事務局次長の武田恵理氏も入っていた。これは全て秘密会でやったが、議事録を閲覧したので知っているのだ。これらの職員との質疑応答記録は自作のものがあるので追って紹介したいが、今回の長木氏と私の図書館内での会話から推測できるように、長木氏は、自ら発した、利用者に注意喚起を想起させる言葉を、「貸出中の本の利用者管理責任」という文脈では、説明しない、或いはできないのである。私と長木氏の間に生じたこのような質疑応答を指して、時の政治倫理審査会(審査会長酒井祥成)は、「議員の地位を利用して職員に圧力をかけ職務に支障が生じた。」と審決したのだが、それは、異物を排除したい男性権力者集団の愚劣な意向を助長することに長木氏が利用されつつ、同時に階層的女性蔑視の固定化に繋がることに長木氏自身が貢献しているということである。長木氏にそのような自覚があるか否かは不明であるが、本人はそれでいいのかもしれないが、私はそれでは全くよくないのである。私は私が採用した訳でもない長木氏の図書館行政サービをずっと受け続けなくてはならない。だからこそ彼女の職務上の言動について書くのである。それは当時の採用権者から始まる図書館行政における行政権力執行の有り様を如実に深く物語っているからである。住民説明会の唯一の発言者山地氏は、コンサルタントARGの岡本真氏との懇談会で岡本氏に直にこう聞いた。

山地氏:基本計画中にある図書館運営の住民ボランテイアとかサポーターにどのように対応すればいいのか教えて下さい。悩んでいるんです。

岡本氏:無理難題を突き付けてくる住民ボランテイアとかサポーターに対応できるよう自己研鑽に励んで下さい。

なぜこのようなことをコンサルトに聞かなくてはならないのか、さっぱり分からない。生涯学習課本体が、そもそも住民ボランテイアとかサポーターという概念を理解していないからだろう。私は山地さんに言いたい。利用者から出てくる声を聞けばいい、と。利用者アンケートの一覧表しか作成してないので、まずは分析、解析、報告書の作成を勧めたい。今副館長の武内氏は、私氏からの要望を受けて「書庫の閲覧上の管理規則」の制定に取り組んでいるはずだ。今月末までに管理規則の草案を作成し課長決済を取る意向だとの事である。谷脇氏に要望を伝えて上司伺いをしても、「まだそこまでいってない」の一点張りだったそうであるので、副館長である武内氏に直に要望した。今ある書庫の蔵書が一切閲覧できない状況なので、「いま本館にある書庫の蔵書閲覧上の管理規則を作成して閲覧できるようにしてほしい。」と要望した。無理難題でもなく、究めて具体的な要望を伝えただけの事である。図書館利用としてては、図書館職員には、上司伺いは必要だろうが、まずは利用者が何を求めて図書館に来ているかに、本物の関心を持ってもらいたいものである。副館長の武内氏はどうも図書館利用者の動機が十二分に分からないらしい。「書庫を閲覧できる状態を作って欲しい。」と言えば、困惑した表情で「インターネットで検索できますから。」と応答した。この一言は彼女が本を読まない人間であることを見事に示唆している。本を読まないこととが悪いという意味では決してない。このような人事、つまり本を読まない人間を図書館に配置し、副館長に任命する、からして、町長室でいつもスマホに見入っているような町長ならではの人事としか思えないのである。だからほらやっぱり館長の諮問機関である図書館協議会の令和2年分議事録が、町HPに未だにアップされていない。協議会議事録作成は武内氏の業務範疇で、理由は「図書館の目的のために必要な事務」に該当するからであると言う。

西原:図書館の目的って。

武内氏:図書館の円滑な運営。

私は政治倫理審査会で、私の言動に対して、審査会長酒井祥成にこう言われた。

酒井祥成:議会の円滑な運営上支障がある。

十和村の墓には女性の名前が刻まれていなかった、誰それの妻か誰それの娘であったらしい、(十和村史より)。それを知ったのも図書館があったからだよ、と私は言いたい。検索では決して発見できなかったよ、とも言いたい。私は自分に起きた、自分に取って実に不本意な出来事を解釈するための知見の一端を本から得、それによって生きる力を養えたのである。これを生涯学習という。

 

西原真衣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風力発電と蠢く町政(85)

       公社中島理事長敵前逃亡す

 

四万十公社の中島理事長を役場庁舎内で偶然見かけた。昨年公社12月理事会の結果説明を求めると、着信拒否した人物である。ここで逃がす訳にはいかない。是非ともここで着信拒否理由を聞かなくてはならない。捕まえなくてはならない。

西原:中島さんじゃないですか。なんで着信拒否なんかにするんですか。

中島:(気色ばんで)あんたが「一から十まで」言うから女房が電話に出れんなって。

西原:「一から十まで」って、意味分かりませんが。12月理事会の協議事項、情報公開についての理事会審議結果を聞きたい。山本企画課課長と専務理事の説明では要領を得なかったので、理事長に直に聞きたい。連絡が欲しい、と電話に出たⒷ奥さんに伝言しただけで、それで「一から十まで」なんて事になるのか、さっぱり分からない。

中島:結果は、企画課に報告した通りです。あれが全部です。

ここでお見せする。報告メールとは以下である。

www.dropbox.com

仰天物ではないか。小学生が理事会ごっこをやっているレベルである。これで日当1万円って酷過ぎないか。繰り返し言っときたいのは、この公社は、ケーブル加入料金1億8千万円と町からの指定管理料6千万を収入として得ているのである。ずばり存立基盤は町である、が、採用や人事の統制は及ばない。採用権は専務理事にあり、理事会や評議員会も機能していない。開催しているだけである。その証拠にこのような、まともな説明が一切できない人物が理事長になったりしているではないか。町と公社が結んだ基本協定には指定管理業務重点項目として、情報リテラシーの推進」とある。「定款類をHPで網羅的に公開すべきじゃないかと要請しただけで、形相を変えて抵抗するのである。町が設立したからには町に準ずる情報公開は当然要請されるとか、自ら開示すべき自らの情報も整理できない公社が一体どうやって(町民)情報リテラシーの推進なんてできるんだという、至極当たり前なことが、この中島理事長や、森専務理事や、前田事務次長はさっぱり分からないのである。岡林総務課長は分かっているのか分かっていないのかさえ分からない。がとにかくこの3人が公社の管理職であり、彼らの見識の水準が公社の業務水準を規定することは避けられない。彼らは全員地元出身者だが(それも窪川地区)彼らの部下である高知市から応募して採用され、移り住んでいる公社若手職員等、全くやってられないだろうと、心から同情する。公社職員は概ね公募で採用されている。ところがこの3人は地域振興公社時代に採用され、どうも聞くところによれば、親の職業が郵便局や教員であったりするようである。従って採用時点から役場に対する忠誠心が強い。役場とは元々身内であり、町役場が自分たちの存立基盤であると感知しているが故に、今自分達が公社で得ている民間ではありえないそれなりの厚遇は、役場の人から受けた恩義のようなものであると認識しているのではないか。しかし、これではまるで江戸時代である。封建時代的なメンタリテイーをもってして、町民の情報リテラシーの推進」はおよそアクロバット級に困難だろう。情報リテラシーとまずは知(情報)の獲得、活用能力の事であるからである。そのようなものを彼ら自体が習得、内面化していれば、公社職員になった時点で、

公益法人の認定に関する法律

放送法

四万十町ケーブルネットワーク条例

基本協定と年次協定

放送番組審議会設置条例

リテラシー(識字力)の獲得をまず自らに要請するはずである。日本大学法学部出身の武内文治氏が、法部出身の上記関連リテラシーを全面発揮して企画課課長時代に企画立案し、設立に尽力したからこそ、結果武内氏が公社を去った後も彼等3人の生存基盤が盤石なものとなったのである、いわば武内氏は彼らの恩人である。が公社に残された彼ら自身に武内氏に準ずるリテラシーがあるか、残念ながら答えはNOである。だから彼らの変わりはいくらでいるのに、という不公平感が町民間に募るのである。これこそ彼ら自身の自己責任ではないか。尤もこれは四万町職員にも同様に当てはまる。だからこそ、日本国憲法15条に明記されている公務員の任命、罷免権は国民固有の権利である」を間接的に発動し、彼らの業務上の言動に対する論評を通じて、彼らの採用権者を断罪し続けるという作業に自らの意志で私は邁進している訳ではあるが、その邁進途上の対決面で、中島理事長が私に言った「女房が電話に出れんなったから着信拒否にした」ように、心理的被害状況を強調し、私を加害者のように仕立て上げるという」呆れ果てるほどの卑劣で低次元の自己正当化が、自己防御策になると思ったら大間違いである。これは敵前逃亡以外の何物でもない。逃げるな。この卑劣さには他にも覚えが、2、3あるので、ここでおさらいしてみたい。元窪川町収入役という肩書を持つを持つ吉永穀一郎という人物がいる。この人は私が議員であった時、情報公開審査会の審査会長であった。この吉永穀一郎氏に議会事務局から電話して、私が異議申し立てをした案件の審議の場を傍聴したいと申し出た時にも、「県も傍聴させていない。傍聴させない。自分は今や一町民なので議員さんに傍聴されたら委縮する」などと愚劣な抗弁をしたので、その言葉をそのまま本会議で出して、「情報公開審査会人選の在り方を聞く」と中町長に質したら、何と私は、不穏当発言をした門で全会一致で問責決議を受けたのである。私の開示請求はそもそも「議会本会議の録音の視聴」であったし、非公開理由は何もないはずである。この時の情報公開審査会の審査委員の名前も出した。名前を出して何か悪いのかさっぱり分からない。情報公開制度における開示請求棄却の異議申し立てに対する審議機関である以上、議場で公表察されて文句を言えるような筋合いはないはずである。この時も吉永氏が、「そのようなこととは言っていない。夜も寝れなくなった」と議会に申し立て、その意を酌んで私に対する「問責決議案」が議案上程されたのである。あの時も実に珍妙な審査を受けた。橋本保議長に呼び出されて、天下りという言葉は品がない。」と注意されたのである。「夜も眠れなくなった人」が実はもう一人いた、元町民環境課課長の中川俊英氏である。ごみの収集、運搬を町から受託している「特定非営利法人しまんと町雇用創出協会(委託料8千万円)」の事務局職に中川氏が退職後就任して、週3日の勤務で月額給与10万円賞与2回分24万円が支払われていたが、実態調査の上「これは天下りではないか」、と本会議で質疑しただけの事である。実態が知られてしまったために、血相を変えて二人が議会に飛び込んで来て、「夜も眠れなくなった」と訴えたので、私が全会一致で「加害者」と認定されて万事解決したのである。因みに公社が過去に実施したアンケートの自由記帳欄に知人が、天下り先にするのは止めて欲しい」と記入して投函したと聞いた。その知人の天下りの意味する所は、企画課課長武内文二氏が、公社を設立し、定年退職を待たずに退職してそのまま本人が公社初代専務理事となったことを指している。これは事実である。この時の待遇が週3日の勤務で月額報酬20万円であった。このアンケートの集計結果は、本来公表すべきである。そもそも町が放送事業者であり、企画課と公社が協同で作問し、その後の番組編成やインターネット関連設備の計画に反映さすというのが、アンケートの実施目的である。従って、まずは町が町民に公表すべきであるが、公表していない。公社としては、理事会で報告したのみであるとの事だ(前田次長談)、これではアンケートに実施主体がどこかさえ、はっきりしないではないか。町民や加入者を馬鹿にするな、である。全自由記帳欄を見たい、と申し出た際に事例として天下り先にするのは止めて欲しい」を出した所、前田次長は言下に否定したのである。「そのような内容は、記憶にない、見たことがない」いくらなんでもおかしくないか。改竄や廃棄、隠匿を疑われても仕方がないような対応振りである。別途企画課が実施したアンケート「町の暮らしについて」のアンケート結果は町のHP上で見れる。アンケートは自由記帳欄が最も興味深い。町民から取ったアンケートである。結果を町民と共有すべきである。ケーブルテレビは町の公共放送である。公社はインターネット接続サービスやIP電話サービスも提供している、つまり町の電波によって提供される総合情報インフラの普及を担っていながら、自らの組織運営上の情報さえインターネットで提供しようとしないのである。このような厚顔無恥な二枚自は、さすがに看過できない。管理職人事を中心に、今の体制は一新すべきであると思わざるを得ない。管理職人事が最大の問題である。これによって公社がブラック企業化している。そう言えば以前、武石俊彦県議から、「最近県庁がブラック企業化している。」との話を聞いたことがある。

西原:それは、やる気のある部下をやる気のない上司が潰すという意味か。

武石俊彦県議:その通り。

武石敏彦県議、このブログに目を通して、公社の実態把握に繋げてくれればいいが、と願うばかりである。所で、中島理事長の「一から十まで」って、実はこのブログ内容を指しているもかもしれない、とふと思った。特に前に投稿したブログ中の「農協の金銭と性にまつわる不祥事」の部分である。中島理事長には説明能力が究めて乏しいと言わざるを得ない。「専務理事に聞いてくれ」では、何のための理事長なのかさっぱり分からないではないか。それでも理事長をやりたいとすれば、やはりモラルが低いとしか言いようがない。「金銭と性の不祥事」って、モラルの低さから生じているのが通弊ではないか。「一から十まで」とは、何か思い当たる節でもあるのだろうか。この人物は、モラルが非常に低いと今回具体的に痛感した。理事会終了後山本康夫企画課課長に「問い合わせがあったら自分が対応する。」と言っておきながら、「そのようなことは、言っていない。」と、平気で私に対して否定したのである。嘘つきである。嘘つきは泥棒の始まりである。下元昇もあの問責決議時に得意げに「夜も寝れなくなった」と問責決議文の一端を得々と読み上げたことが記憶に焼き付いている。この人物が嘘つきであることには定評がある。議員報酬引き上げ時の議会運営委員会議事録が全て私の手元にある。下元昇、堀本伸一、酒井祥成、橋本保の嘘つき、老獪たぬきぶりを議員報酬引き上げの策謀に絡めて実証的に研究、検証したい方は是非私に申し出てもらいたい。いずれ劣らぬ狸どもがそれぞれ毛色の異なる尻尾を振り建てている演舞場のような観を呈しているので、実にスキャンダラスで面白いのである。喜んで資料提供したい。やはり嘘つきの道は泥棒に通じている。

追記:特定非営利法人しまんと町雇用創出協会の現在の事務局長は、元町民環境課課長山脇和生氏である。現在の知遇は、週4日の勤務で月額給与、133300円、賞与はこの2ケ月分で年額、266600円という事である。人口減で収集ごみは減っている中で事務局長の勤務日数と給与総額が増えているのはなぜか。山脇氏が古巣に対して退職後も働きたい、このくらい働きたいと交渉し、後輩はそれに易々と応じたのではないか。しかもこの職場には、他に事務員がいるのである。。そう言えば当時、中川俊英氏に具体的業務内容を直に聞けば、「事務員が銀行に言った時の留守番と、ごみ袋の発注」などと苦し紛れに答えたので実に噴飯物であった。第一町が設立した特定非営利法人(NPO)でありながら、内閣府HPで収支報告書が公開されていることさえ知らなかったのである。県に提出したの一点張りであり、ここにも関係機関でよろしくやって来た来歴の痕跡がありありと伺えたのだ。役人が役員をかばう時は要注意である。多くの場合共謀的な利権の囲い込み(エンクロージャ)が存在している。中川さん、吉永さん、中島さん、エンクロージャーじゃなくて、デイスクロージャーなんだってば、全く情報リテラシー低いんだから。

西原真衣

 

 

見えない所で、権益が増殖する、議会が働いていない。

西原真衣