呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(29)

 12月5日、四万十町議会総務常任委員会を傍聴した。陳情、請願審査である。傍聴の目的は、風力発電関連の請願2件であったが、継続審査となっている、沖縄の基地関連の陳情2件の審査から始まった。意見書とは、通常内閣や国会に対してなされる意志表明である。1件目の件名が長い。そして2件名は、1件目とは相反するする内容の陳情である。この長さ及び互いの相反性が、そのまま沖縄の基地問題の複雑さや深刻さの表象となっている感がある。

陳情31-6

辺野古新基地建設の即時中止と、普天ま吉の沖縄県外・国外移転について、国民的議論及び、民主主義及び憲法に基づき公正に解決するべきとする意見書の採択を求める陳情

陳情1-9

米軍普天間飛行場辺野古移設を促進する決議案採択のお願い

である。

陳情内容は、議会傍聴者は、資料として入手できる。件名は、議会HPで陳情請願受付簿に記載されている。陳情には採択、趣旨採択、不採択の三種類の結果が議決される。採択されたら、意見書を国会と内閣に四万十町議会の名前で送付する。送付されたそれからどうなるかと言えば、どうにもならない。日本国憲法に請願権が書かれたことを契機に、請願法が制定された。これは、拍子抜けがするほど、短い、簡単な法律である。憲法上の規定と請願法は以下である。

 日本国憲法16条(請願権)
何人も損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止または改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人もかかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
請願法
第1条(目的)
請願については、別に法律の定める場合を除いて、この法律の定めるところによる。
第2条(請願の方式)
請願は、請願者の氏名(法人の場合はその名称)及び住所(住所のない場合は居所)
を記載し、文書でこれをしなければならない。
第3条(請願書の提出)
①請願書は、請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない。これから天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない。
②請願の事項を所管する官公署が明らかでないときは、請願書は、これを内閣に提出することができる。
第4条(提出先を誤った請願書の措置)
請願書が誤って前項に規定する官公署以外の官公署に提出された時は、その官公署は、請願者に正当な官公署を指示し、又は正当な官公署にその請願書を送付しなければならない。
第5条(請願の処理)
この法律に適合する請願は、官公署において、これを受理し、誠実に処理しなければならない。
第6条(差別待遇の禁止)
何人も請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない
地方自治法124条(請願書)
普通地方公共団体の議会に請願しようとする者は、議員の紹介により請願を提出しなければならない。
地方自治法125条(採択請願の送付及び報告の請求)
普通地方公共団体の議会は、その採択した請願で、当該普通地方公共団体の長、教育委員会、選挙管理員会、人事委員会若しくは公平委員会、公安委員会、農業委員会、若しくはその他監査委員会その他法律に基づく委員会又は委員において措置することが適当と認めるものは、これらのものにこれを送付し、かつその請願の結果の報告を請求することができる。

 以上である。陳情と請願の違いは、紹介議員が必要である(請願)、必要でない(陳情であるが、実質的取り扱いに差異はない。上記の法令を読んでもらえれば分かるように、「誠実に処理する」という抽象的な態度規範しか規定されていないが、少なくとも、議会を採択すれば、公式に執行者側に対してその内容を送付し、議会意志でその処理報告を求めることまではできるのである。これこそが、一般人にはなく、議会に法的に付与された権能なのである。さらに、陳情、請願は「平穏に為される限り、いかなる差別も受けない」と明記されているのは、国家や行政府に対して、一般の人間が意見や要望を述べることが、内乱や暴動や一揆等の形で表出してきたという歴史的経緯を内包していることを示唆している。要望を権力者に表立って伝えること自体で、罰せられ、差別された古今東西の歴史の存在の痕跡がこの文言に見て取れる。だからこそ、これは、今現代社会において、国民主権や民主主義の理念を体現した、権力者ではない普通の人間が、選挙で付託した権力者の権力の行使のあり方に対して直接意見を述べ、要望を伝える参画の権利として、法に規定されているのである。以上は私自身の請願権に対する基本的な理解、認識であるが、この極めて一般的な陳情、請願制度に対する理解、認識(と自分では思っている)が、こともあろうか、地元四万十町議会総務常任員の面々と共有できてはいなかった。これには愕然とした。児童生徒に伝えるべき事である。なぜなら私にとって「学校で習ったことと違う」ことになるだろうからである。上記の2件の陳情は、件名を見ただけで、沖縄の抱える複雑で深刻な問題が浮き彫りになっている。そして、この状況を敗戦以来、沖縄だけに担わせているのは、日本国憲法であり、日米安全保障条約であり、日米地位協定であり、併せて特の政府の政治姿勢である.そして、その日本国憲法日米安全保障条約日米地位協定の全てを変える権能を我々日本国民は時の政府に、国政選挙を通じて負託しているのである。だから、地方議会は、国民何人からも、「意見書を国に出して欲しい」という陳情を受理し、その内容を吟味した上で採択すれば、内閣と国会に提出する。ところが、非常に驚いたことに、以下の発言内容からすれば、どうも現職町議会議員の方々は、そうとは認識していないようなのである。

古谷幹夫委員長:継続審査できたので、そろそろ結論を出すべき時が来た。昨日の全員協議会でも、陳情、請願の採択、不採択の基準を作成してはどうかが、提議された。今日はその事を踏まえて、それぞれの意見を出してもらい、意見集約したい。まずは議員必携中の陳情、請願の採択、不採択の基準の記載内容を共通の認識としたいので、読み上げる。

議員必携 陳情、請願の採択基準

1、地方公共団体に置かれた議会の権限に属する事柄かどうか。

2、実現可能性があるか、どうか。

3、含意に合理性があるか、どうか。

下元昇議長がここで、地方自治法~と前置きしてコピーしてきた文書中の、同じく、陳情、請願の採択基準の部分を読み上げる。古谷議員が読み上げた内容と同一。

水間淳一議員:これは国政レベルのことであり、権限外であると思う。それに採択しても実現しないと思う。

吉村アツコ議員:前にも言うたけど、こんな難しいことは議会に出して来てもらいとうない。議運で何とかしてもらいたい。

注)これは特ダネ級の発言である。公明党及び創価学会の皆様に広く知っていただき、次の選挙の判断材料にしていただきたい。しかし発言会場(四万十町議会総務常任委員会)では、全く違和感なし。これが、最も空恐ろしい。吉村アツコ議員は本当に思っていることを口に出しただけで、内心は他の議員も同様なのである。この吉村発言を受けての古谷委員長発言が以下であることからしても、それが明らかではないか。複雑で難しくない事など政治の世界にあるはずもないが、それを口にできる吉村アツコ議員の厚顔無恥振りは筋金入りである。「号外」「号外」と叫びたい心境である。

古谷幹夫委員長:吉村議員の意見は前回も同様だった。杓子定規に何でもかんでもと言うのではないが、先ほどの採択不採択基準と言う視点で、まとめていきたい。

堀本伸一議員:前回は賛成で、今回は悩んでいる。沖縄県民の思いは分かるし、理解はするが、権限外と言う事で、四万十町議会としては非常に申し訳ないが不採択と言う事にしかならんのじゃないか。

下元昇:思いは分かる。

田辺哲夫議員:原発の時もそうだったが、隣の市町村のことを決める権限はないが、国民として、議員として意見を出すことは、自分はするべきだと思う。佐川町議会では議運で陳情、請願は処理されて委員会に付託もない。あのようなやり方は問題だ。それに実現不可能と言うが民主党政権時は政府は県外移転と言っていた。実現はしなかったが。政政権交代があ起これば、情勢は変わる、実現不可能とは言えない。

注)これには何ら反論もなし、応答もなし。

古谷幹夫委員長:陳情文書表は全員に配付するという方向ではどうか。

注)議員必携とは、議員が当選に買わされる、実務書である。「全国町村議会義議長会」という任意組織が作成している。会議規則の雛形や、議員バッジの作成、販売もここの業務である。会費は、高知県町村議会議長会への会費は、年間80万円であり、都道府県は更に全国組織、つまり全国町村議会議長会に会費を払っている。議長会職員は、任意団体でありながら公務員並給与を受け取っている。会費収入経路からして原資は税金である。

請願権と請願法地方自治法は、権限には言及していない、従って「権限外」は、根拠がない。上記審議内容を読めば一目瞭然であるが、審議になっていない。論点が交差しない。漠然と感想、思いを述べ合っているだけである。これでは懇談会の域を出ない。田辺哲夫議員だけが、自分は国民でありかつ議員であると、法の趣旨に最も近い発言内容である。議員必携の前に法律原文を読まないから、法理解の基礎学力がないことが分かる。法律条例原文を読まないがため、行政の事務事業の執行、運営に支障のある職員も少なからず見たが、議会は更にひどい状態である。上記の発言内容を聞きつつ、私は、「全国知事会が、日米地位協定の見直しを求める要望書を国に出したのではないか、あれは権限外と言う事になるのか。」と古谷委員長に是非とも聞きたくたくなったので、休憩時間中に声をかけた。ところが古谷幹夫委員長は、たちどころに私を制止した。「ここはそういうことを話す場じゃない。」と言って私の発言を封じたのである。実に非常識かつ不届きな発言である。正にそこは「話す場」である。私は意見を持つ、あるいは持とうとしている町民であり、傍聴者であり、おまけに委員会の休憩時間中なのである。制止を受ける覚えは、一切ない。そこで、私は一呼吸置いて、田辺哲夫議員に向けて、こう言ってみた。「田辺さんの意見に賛同します。沖縄の人は、国が動かないから、苦しみ続けているから、地方議会に陳情を出して来るんですよ。田辺さん。私の意見を聞いてもらって有難うございます。委員長には拒否されましたから。」田辺哲夫議員の発言を引き合いにして、古谷幹夫議員にすかさず抗議してみたのであるが、古谷幹夫委員長は、これには無言であった。古谷幹夫議員の悪癖は、「自分の体面意識と規範意識が刺激されると咄嗟に非常にむきになり、強烈な排斥傾向を示す」という点である。明らかに、陳情、請願採択、不採択の基準を「権限があるか否か」に持って行き、自分の手に負えない難しい問題に決着をつけたい古谷幹夫委員長は、私に発言され、その目的が攪乱されることが嫌だったのである。了見が狭すぎる。それじゃ、ますます、了見が狭くなり、杓子定規でしかなくなることは目に見えている(いや既にこの人は十二分に杓子定規である)。自分の体面等より遥かに大事なのは、議員としての自身の知見を高め、意見の説得力、汎用性を獲得し、町政、県政、国政を問わず、議会の可能性の地平を広げる事ではないのか。その為に古谷議員が本来為すべきことは、人の意見の不快さに耐えて、絶えず自分の盲点、弱点を補強することなのではないのだろうか。思い出すのは、今年初頭の成人式で、紋切り型挨拶が続くことに耐えかねて、文庫本を読んでいたら(当時は議員であったので生涯学習課から案内が来た。出欠を連絡して下さいと記載されているにもかかわらず任意参加でなく、公務であると議会事務局から言われ仕方なく出席した。酒井祥成議長の判断である。根拠不明の権威主義である。この公務(成人式出席)ももちろん、中尾町長に出した、議員報酬引引き上げの要望書中では議員の実働日数にカウントされていた。)その時、古谷議員が突然身を乗り出して、興奮した面持ちで、「西原議員、議員として来賓で来ちゅうがぞ、本よ読むく位やったらで出て言ったらどうや。」といきなり私を他の来賓の面前で睨みつけて、言い放ったのである。あの時も、目を剥いて興奮状態で、非常にむきになっていた。後で古谷議員は、「本が視界に入って不快だった。」と私に弁明した。そう、「不快」は仕方ない。だからこそ不快は不快にとどめ置くのが大人の良識ではないのか。誰にとっても他人とは往々にして不快極まりない存在である。私も本会議で居眠りしている古谷議員の不快さに、随分耐えて来たという事には、古谷議員は、全く想像が及ばないのだろう。「道徳」「美徳」「礼儀」「道義」を吹聴する手合いに多いのが、このタイプである。陳情、請願審査の権限を持ち、採択議決されれば、国に意見書を提出できる権能を持つ議会である。下元昇議長が手にしていたのはおそらく議会事務局に取り揃えられている、「地方議会実務の手引き」である。六法全書は議会事務局にはない。議会図書室にはあるが、議会だよりの編集以外誰も議会図書室など利用しない。法律を読まず、理解しないままにそれでも議員をやりたい思いが止まない人々のために、難しいことに頭を悩ませなくてよいように、又同時に国策に盾突くという悪さをさせないために、全国の町村議会議員に体面上の知恵をつけるための親切極まりない手引書が、全国町村議会議長会が作成する「議員必携」である。議員歴が長くなるとで授与される自治功労賞の賞状授与もこの全国町村議会議長会が行っている。ここは、傑作なことに「元議員バッジ」まで作って売っているらしい。私は、この議長会という奇妙な任意組織のことも過去に色々調べたのである。結局分かった事は、議長会職員や議員必携による上からの指示が、議員に安心、安全(考えなくても議会を運営できる)を提供しているという事である。日本国の統治の原理がこの辺にある。選挙に出たい輩、議員をやりたい輩(多くは高齢者男性)は、その功名心と、安心安全志向の両面で統御されていると言える。実に巧妙な飴と鞭である。自民党の政党文化と似ている気がするそう言えは、北朝鮮のキムジョンウンの側近として映る御老人達の軍服を飾る勲章の数って、半端ないって、知ってた。やはり全体主義は、古今東西、功労と安泰が要諦なのである。

 

四万十町議会議員  西原真衣