呆れた議員達の行状

地方議会の実態から日本を見る

風力発電と蠢く町政(20)

 このブログを開設して初めて、コメントが来た。匿名である。匿名のコメントに非常にありがちなことだが、「元々気に喰わない人間相手に、鬱積と憤懣を晴らしてやった」的印象が強いコメントであった。内容は概ね以下である。

「町民は落選して嬉しい。落選したことがそんなに悔しいか。落選したとたん暴露を始める人っていますよね。誤字脱字だらけなので、訂正することを勧める。」

議員時代から、家に突然匿名の電話がかかってきて、以下のような罵詈雑言が投げつけられたことがある。

「学歴を鼻にかけて言いたい放題言いやがって。」無論名乗らない。おまけに、語調からして酒気帯である。年配の男の声である。似たような声音で再度、小池百合子が出馬した東京都知事選辺りに、「東京都知事選に出たらどうだ。小さなところでしかやれないんだろう。偉けりゃ東京都知事選に出てみろよ。」と言う電話がかかってきた。一回目は、「あなたが本当にそう思うならば、次の選挙で、「「あれは(私の事)学歴を鼻にかけて言いたい放題言う、とんでもない議員だから、絶対落選させなきゃいけない。」と個別訪問して言って回ったらどうか。一本の電話じゃ間に合わない。自分の意見の流布には時間と労力が必要です。ご検討をお祈りします。」とやり返した。二回目は、「私が女だから癪に触っているだけだじゃないのか。本当は自分が議員に成りたいんじゃないのか。やっかむのは止めろ。自分が議員になったらどうか。」と咄嗟に本性が出て、かなり柄悪く言い返してしまったために、当人が腹立ちを抑え切れず実家の店舗に恐喝めいた電話を入れてきた。「今後商売ができないようにしてやる。」である。しかし、こちらはここで、検討がついた。私の実家を知っている人物である。心当たりがあった。そのことを当人が自ら私に向けて話題にしたことがあるのだ。おまけにその人物は、常日頃、私を忌み嫌って、周辺に悪口を言い降らしているという、知人経由の情報も得ていた。そこで、早速地元窪川署の刑事課に赴いた。担当刑事から、「録音等の証拠がなければ警察は動けない。ただし、心当たりの人物がいればその人物を訪ねて、そのような趣旨の電話をしたかどうかの確認はできる。」と伝えられたので、心辺り情報を刑事に伝達し、確認を依頼した。2時間後くらいに、早速その刑事から連絡が入った。当人が「私を知らない。」と言っているという。これで確定であった。この前、農協1Fロビーで、私の実家がどこか、私に確認したじゃないですか、私を知らないはずはない。いきなり刑事が家に来たので動揺して、事実無根なことを口走ったのである。その後二度と電話は鳴らなかった。警察の威力は捨てたもんじゃない、と改めて思ったことであった。

 今回のコメントは、その記憶を蘇えらせた。似ているのだ。言葉使いが。まず、「町民は落選して嬉しい」は、正確さを期すれば、恐らく自分は落選して嬉しかったし、自分の周辺には、自分のような人間は少なからず居る。」が実態であろう。「町民」と一般化し、匿名化しなければ書き込めない臆病さがここに表れている。更に、「落選したとたん暴露を始める元議員ってよく居ますよね。」は完全な事実誤認、言いがかりである。議員の頃から知り得ることは全て外に出して来た。ただし、今のように自分自身のSNS媒体を持っていなかったので(政務調査に集中していた)、もっぱら、口頭か、紙面(ちらし)かであった。尤もこのブログ中でも大藤風力発電計画模型作成者として言及した陶芸家の武吉廣和氏と、数年前に遡るが、70日間に渡る、メール伝送、武吉氏HP転写という形でのコラボレーション方式で、今と同様な議会内情報を外に出して来た。新聞記者に対してもしかりである。私はまかり間違っても議会が組織であるとか、利益共同体であるとかは是認できなかったので、自分の意志で情報を外に出して来た。更に、このコメンターは「暴露」と表現しているが、議員の議員としての発言であり、議事録の一部を構成するものを暴露と言えるか、甚だ疑問である。たとえ議事録に残らずとも職務に係る語録しか書いていない。公人の公式の場での発言は、端から個人情報ではない、という判断で書いている。職員もしかりである。情報公開条例にも、個人情報保護条例にも、「職員の職務内容に関する部分は、個人情報から除外する」という明確な規定がある。私に対する職務上の応対は職務内容である。最後の、「誤字脱字だらけ」はチェックして訂正した。ご指摘に感謝する。ただ、これはずっと感じてきたことであるが、このコメントも、罵詈雑言電話同様、ブログの内容本体に、全く踏み込んでいない。このブログを読んでいるからコメントしたことは否定できない以上、コメントした当人が、私が落選して嬉しい側に立っていながら、ブログを読まずにはいられない心境下にあるという事になる。議員時代にかかってきた罵詈雑言電話も全部そうだった。元々私を心底嫌っていながら、気になって無視できないのである。恐らく自分が立っている側が脅かされているように、漠然と感じていながら、それを言語化できず、苛立つ余り遂に「貶めてやりたい」という情動に駆られて発作的に書き込んでしまったのであろう。その情動の動きの形跡が如実に感知される内容であった。そしてブログの内容自体には全く踏み見込めていないので、本質的に誹謗であり、批判になり得ていない。そもそも腹立たしいブログであれば、無視して読まなければいいのに、と思うのだが、心理的にそれもできないとなると、どのような読者層か、このコメントを手掛かりに推理してみるのも一興かもしれない。私は、批判的思考は、健全な社会の維持には必要不可欠であると信じて止まない人間である。批判と攻撃と否定は異なる概念である。私のブログ上の言動は、全て、町政と議会に対する批判であると自認している。議員でありつつこれをすれば、たちまち議会に通報されて、言論統制にあうに決まっている。現に村井真菜議員のSNS投稿に対して、議会事務局より削除指示が頻発していると、村井議員は自身のSNS上で書いている。私は村井議員とは別の文脈で、尚且つ桁違いに、まざまざとそれを体験してきた。私が居た四万十町議会はそのような所であった。前回公開した、森武士副町長の職員宛て通知や議会運用基準の追記を見れば、納得できるだろう。しかしながら、私にとってそれらの体験は、日本の議会制民主主義がどう機能し得るかを考察する上で、非常に貴重な体験であったし、自己の現行の考察過程を文章化して、広く世間に伝達し、世論を喚起することは、体験者である自分の責務とさえ今や思っているのだ。もっと本音に近い所を言えば、「知られてないからこそ成り立っていることがある。知られたら、その成立ちにどう影響するか。」を実験したいのである。政治学を学んでいる時に出会った以下の言葉は、今でも私の中で脈々と生きている。それは、「権力の根源は情報の非対称性にある。」という言葉である。ゆえに、「落選したとたんの暴露」は、私からすれば、全く見当外れなのである。私は、批判には、批判を期待する。本より匿名では言論の自由の尊厳が端から毀損されているのではないか。同じ土俵で対等な立ち位置で議論に参画して欲しい。

四万十町議会議員  西原真衣